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山奥の衛星写真に映った『謎の未確認生物』 実は美少女になれる銀竜だと、僕だけが知っている。  作者: 亜麻野


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第36話:銀華と鉱山の歴史

 大きな箱が動いている。


 バスというらしい。透や澄香たちが乗り込んだ瞬間から、ずっと低い振動が足の裏から伝わってきている。座席の下で何かが唸っていて、それが箱全体を押し出している。人間は本当に不思議なものを作る。自分の脚ではない力で遠くへ移動するのだ。


 窓に顔を寄せた。


 流れていく。町の建物が、木が、看板が、すべて後ろへ飛んでいく。透と歩いたことのある道が、あっという間に小さくなって消えていった。通学路の坂道、白銀ベーカリーの看板、マンションの手前の自動販売機。知っているものが次々と視界を横切って、知らないものに置き換わっていく。


 速い。


 走るより速い。脚で全力で駆けたときと、どちらが速いだろうか。いや、そもそも私は全力で駆けたことがあっただろうか。


 窓の外に、見たことのない形の山が連なっていた。月銀町の裏山とは違う、もっとなだらかで丸い稜線。朝の陽が山肌に当たって、新緑の色が光っている。


「銀華ちゃん、窓にへばりつきすぎ」


 隣に座っている澄香が笑った。確かに、気がつけば私の額は窓ガラスに押し当てられていた。ガラスが冷たい。振動がこめかみに伝わってくる。


「初めて乗ったのだ、バスに」


「え、マジで?」


「マジだ」


 澄香が目を丸くした。それから「そっか、都会じゃ電車のが多いもんね」と勝手に納得していた。都会のことはよくわからないが、澄香がそう解釈してくれるのなら、それでいい。


「はい、これ」


 澄香がカバンの中から小さな袋を取り出した。透明な袋の中に、色のついた粒が詰まっている。


「グミ。食べる?」


「ぐみ」


 袋を受け取って、一粒つまみ出した。赤い。指で押すと弾力がある。口に入れた。


 歯にねっとりと絡みつく。噛むと弾力が歯を押し返してくる。柔らかいのに抵抗がある。面白い。もう一度噛む。じわりと甘い汁が出てきた。果物の味がする。


「……これは、良い」


「でしょー? あたしのお気に入り。ちょっと固めのやつなんだけど」


 固め。それがいいのだ。柔らかすぎるものは噛んだ気がしない。この「ぐみ」は歯ごたえがあって、噛めば噛むほど味が出る。パンの硬さとは違うが、顎を使う楽しさがある。


 もう一粒もらった。今度は黄色。少し酸っぱい。


「銀華ちゃんって食べるとき毎回そういう顔するよね」


「どういう顔だ」


「んー、なんていうか、すっごい真剣。食べるものに全力っていうか」


 澄香が自分でもグミを一粒口に放り込みながら言った。初めて食べるのだから真剣になるのは当然だと思うのだが、人間にとってはそうでもないのかもしれない。


 通路を挟んで反対側の列に、あおいが座っていた。文庫本を開いていたが、こちらに気づくと顔を上げた。


「岩見さん、見えてきたよ。あれが博物館のある山」


 あおいが指を差した方を見た。窓の向こうに、ひときわ大きな山がそびえている。稜線がごつごつと崩れた形をしていて、月銀町の裏山とも、さっきまでの丸い山とも違う。山肌の一部が灰色に剥き出しになっていて、そこだけ木が生えていない。


「昔、銀や銅を掘ってた鉱山だったんだよ。今はもう閉まってるけど、博物館になってるの」


「鉱山」


 その言葉が胸の奥で鳴った。


 鉱山。銀を掘る場所。


 それは——私が知っている。


 洞窟の壁に剥き出しになっていた銀の筋。暗がりの中で微かに光を返すあの脈。あれと同じものが、この山にもあったのか。


「へー、銀華ちゃん興味ある?」


「……ある」


 自分の声が、少し低くなった気がした。


 バスが揺れる。座席が振動して、私の体が小さく跳ねる。窓の外の山が、近づいてくる。


 ふと、視界の端に動くものがあった。


 何列か前の席で、透がこちらを振り返っていた。


 男子に混じって座っているはずなのに、体を半分ひねるようにしてこちらを見ている。目が合った。透はすぐに前を向いた。


 また少し経つと、振り返る。そしてまた前を向く。


 それを、もう三回繰り返している。


 何をそんなにソワソワしているのだろう。見回せばすぐそこにいるのに。手を伸ばせば届きそうな距離にいるのに、透は落ち着かない様子で首だけをぐりぐり動かしている。直也に何か話しかけられて、上の空で頷いている。


 心配しているのだろうか。私が一人でバスに乗れるかどうか。一人ではない。澄香がいる。あおいもいる。グミもある。


 私は特に不安を感じていなかった。透が隣にいないことへの寂しさよりも、窓の外を流れる景色の方が、今は圧倒的に面白い。見たことのないものが次々と現れては消えていく。その速さと量に、目が足りない。


 バスがゆっくりと減速した。窓の外に、石造りの大きな建物が見えた。


  ◇


 建物の中に入ると、空気が変わった。


 外の新緑の匂いが途切れて、乾いた、古い石の匂いに変わる。天井が高い。足元は磨かれた石の床で、靴底がこつこつと音を立てる。壁に沿って、ガラスのケースや大きな板——展示パネルというらしい——が並んでいた。


 先生の指示で、グループごとに見学が始まった。澄香とあおい、それから同じグループの由紀と麻里奈という女子二人が一緒だった。由紀は最初に小さく会釈をしてくれて、麻里奈は「よろしくね」と笑った。


「じゃあまず、鉱山の歴史エリアからいこっか」


 澄香が先導して歩き出す。あおいが隣に並び、由紀と麻里奈がその後ろについた。私も続く。


 最初の展示室に足を踏み入れた瞬間、足が止まった。


 壁一面に、山の断面図が描かれていた。地表から地下深くまでの層が色分けされ、銀色の線が蛇のようにうねりながら地中を走っている。


 銀の鉱脈。


 いきなり、その図の前から動けなくなった。


 図の横に説明の文字が並んでいた。この地方の山々に銀の鉱脈が見つかったのは、人間の暦でいう何百年も前のことらしい。人間たちはその銀を掘り出すために山に穴を開け、坑道を作り、町を築いた。銀が出れば人が集まり、人が集まれば道ができ、道ができれば商いが生まれ、商いが生まれれば文化が根を下ろす。


 次のガラスケースには、実際に掘り出された銀の鉱石が置かれていた。灰色がかった岩の断面に、白い金属の筋が走っている。


 知っている。


 この色を、この質感を、私は知っている。何千年も、この色の中にいた。壁に触れれば指先が覚えている冷たさと硬さ。暗がりの中で、洞窟に満ちる力と共鳴するように微かに光を放っていたあの筋。


 それが今、ガラスの箱の中に一塊の石として収められて、「銀鉱石(自然銀を含む)」という小さな札がつけられている。


 隣のパネルに進んだ。


 鉱山が栄えた時代の絵図があった。山肌に張りつくようにして暮らす人間たちの姿。松明を手にした坑夫が、狭い穴の中へ列を成して入っていく。地上では荷車に鉱石を積んだ牛が道を歩いていて、その傍らで子供たちが走り回っている。


 あの穴の奥に、私がいた。


 いや——私がいた場所はもっと深く、もっと奥だった。それでも、同じような穴の中にいた。同じ鉱脈の、ずっと先に。


 人間たちが銀を求めて穴を掘り進めている間、私はその近くで、何も知らずに静かにしていたのだ。


 次のパネルには、鉱山の閉鎖と町の衰退、そして近年の観光地としての再生が年表形式で記されていた。銀の産出量が減り、坑道が閉じられ、人が去り、町が静かになった。そしてまた別の理由で人が戻ってきた。


 私が眠っていた場所は、人間たちにとってこれほどまでに大きな意味を持っていたのか。


 町を生み、人を集め、暮らしを支え、やがて枯れて、それでも記憶として残り続ける。私にとってはただ「満ちている場所」だった洞窟が、人間の時間の中ではこんなにも多くのものを動かしていた。


 胸の奥がじわりと熱くなった。


 人間の言葉と記録を通して、自分の故郷を見ている。外側から。客観的に。透が少しずつ教えてくれたこの国の言葉で書かれた文字を読んで、初めてわかることがある。あの場所が何だったのか。あの銀色が、人間にとって何を意味していたのか。


「銀華ちゃーん、すっごい見てるね」


 澄香が横から覗き込んできた。


「ああ……鉱脈の、成り立ちが書いてある」


「へえ。銀華ちゃんそういうの好きなんだ。あたし正直こういう展示はちょっと眠くなっちゃうんだけど」


 澄香が正直に笑った。あおいが「ちゃんと見なよ、レポートに書くんだから」と小さくたしなめている。由紀と麻里奈はもう少し先の展示に移動していて、道具の模型を触って楽しそうにしていた。


「先に行っていてくれ」


「え、いいの?」


「もう少し見たい」


 澄香が「了解!」と手を挙げて、あおいたちを追いかけていった。


 一人になった。


 展示室は静かだった。他のグループの生徒たちがまばらに歩いているが、この鉱山の歴史コーナーに立ち止まっているのは私だけだった。


 奥へ進む。坑道を再現した模型があった。暗い穴の中に、小さな人形が松明を掲げている。壁面に銀の筋を模した塗料が光っている。本物の銀ではない。けれど、その配置は——覚えがある。斜めに走る太い脈と、そこから枝分かれする細い筋。私の洞窟の壁に、よく似ている。


 立ち止まった。


 そのとき、展示の隅にある小さなパネルが目に入った。


 他の展示より明らかに小さい。位置も低く、通路の端に追いやられるように設置されていた。他の生徒たちは誰も気に留めていない。


 けれど、私の目はそこに釘付けになった。


 パネルの上部に、手書きのような書体で書かれた文字。


 ——「月銀町に残る銀竜伝説」


 心臓が、一度だけ強く打った。


 パネルに近づいた。文字を追う。


 『古くより、この地には竜にまつわる口伝が残されている。ある夜、山中に轟く咆哮が鳴り響き、翌朝その場所に銀の鉱脈が露出していたという伝承がある。町の古老たちの間では「銀竜が恵みをもたらした」と語り継がれてきたが、文献資料としての記録は現存しない。なお、現在の町のマスコット「ツキゴン」や衛星写真について、伝承そのものとは直接の関連は不明』


 足が止まった。


 指先が冷たくなった。


「あ、その展示に興味ある?」


 横から声がした。顔を上げると、博物館の制服を着た女性が立っていた。名札に「学芸員」と書いてある。年はそう高くない。丸い眼鏡をかけていて、目が柔らかい。


「それはね、口伝でしか残っていない、誰も信じていないような伝説」


 学芸員が私の隣に立って、パネルを見上げた。


「文献にも郷土史にもちゃんとした記録がなくて。おじいちゃんおばあちゃんから聞くしかないんです。私、竜の伝承が好きでこの仕事に就いたんですけど、このパネルを作ったのも実は私で」


 少し照れたように笑った。


「でも来場者の人はだいたい素通りしちゃうんですよね。やっぱり嘘だと思われちゃって」


「……咆哮」


 私の声が掠れた。


「はい?」


「咆哮が鳴り響いた場所に、銀の鉱脈があった」


「ええ。そう聞きました。竜が吠えたら銀が出た、って。まあ、因果関係が逆というか、銀がある場所に竜が住んでいたから吠えた声を聞いた人がいた、っていうのが現実的な解釈なんでしょうけど——語れる人は、もうほとんどいません」


 学芸員がパネルの隅を指差した。小さな挿絵がある。墨で描かれた、稚拙な竜の絵。四本の脚と長い尾。翼はない。


 翼がない。


 ツキゴンには翼がある。丸っこく歪められた、私とは似ても似つかない姿。けれどこの挿絵の竜には翼がない。地を這う、細長い体。銀色とは描かれていないが——それでも。


 これはマスコットではない。


 誰かが、見たのかもしれない。


 いつの時代かはわからない。何百年前か、もっと昔か。私が山の中で咆哮した夜、その音を聞いた人間がいた。もしかしたら、その姿を遠くから見た者がいたのかもしれない。


 その記憶が、言葉になって、親から子へ、子から孫へ、かろうじて伝わって、この小さなパネルの上に辿り着いた。


 誰も信じていない。資料もない。おじいちゃんおばあちゃんから聞くしかない、消えかけの伝説。


 けれどそれはきっと——私だ。


「見てくれてありがとう。こんなに真剣に読んでくれる人、久しぶりです」


 学芸員が嬉しそうに会釈して、他の来場者の方へ歩いていった。


 私はパネルの前から動けなかった。


 足が地面に縫い止められたように、そこに立っていた。


 誰かが聞いた咆哮。誰かが見たかもしれない影。それが物語になって、口から口へ渡り歩いて、ここまで流れ着いた。文献にも残らないほど小さな流れだったけれど、完全には消えずに、この目立たないパネルの上に、まだ息をしている。


 胸の奥が、じんわりと温かくなった。


 泣いているのではない。悲しいのでもない。私の中にある感情にまだ名前をつけられない。ただ、この温かさが何なのか、わかりたいと思った。


「銀華ちゃん?」


 澄香の声がした。


 振り返ると、澄香が少し離れた場所から不思議そうにこちらを見ていた。戻ってきたらしい。


「ずっとここにいたの? どうしたの、竜の展示なんか見て」


「……竜好きなの?」


 横からあおいが首を傾げた。パネルを覗き込んで、「銀竜伝説」の文字を読んでいる。


「あー、これ知ってる。うちのばあちゃんが言ってたやつ。竜が吠えたら銀が出たっていう、後付けっぽい話」


 後付けっぽい話。


 あおいに悪気はないのだろう。実際、そう聞こえるのが当然だ。証拠がないのだから。


 澄香がもう一度聞いた。


「銀華ちゃん、竜好きなの?」


 私はパネルから目を離した。


 澄香の方を向いた。


「……ああ、好きだ」


 澄香が息を呑んだのがわかった。


 なぜ息を呑んだのか、私にはわからない。けれど澄香は、何か言おうとして、言葉を飲み込んで、代わりにぱちぱちと瞬きをした。


「……なんか今の、すっごいかっこよかった」


 澄香が小さく呟いた。あおいも、周りの女子も少し目を丸くしていた。


 私はもう一度だけパネルを見た。墨で描かれた、翼のない竜の絵。


 視界の端に、動く影があった。


 展示室の向こう、柱の陰に見慣れた制服姿が見えた。透だ。男子グループからはぐれたのか、こちらの方を遠くから見ている。目が合いそうになって、慌てて柱の後ろに引っ込んだ。


 透は心配性だ。見回せばすぐそこにいるのに。


 口元が、自然にゆるんだ。


 透なら、わかってくれるだろうか。


 この温かさを。人間が残してくれた、私がここにいた証を。この小さなパネルの上に、まだ消えずに残っていた、私の——。


 いや、わかってくれる。あの人間は、私が言葉にできないものを、いつもちゃんと受け取ってきた。洞窟の中で、たどたどしい言葉しか持たなかった頃から。


 澄香が「次の展示行こー!」と腕を引いた。あおいが「レポート、竜の伝説のこと書いてもいいかもね」と言った。由紀と麻里奈がガラスケースの前で手を振っていた。


 私は彼女たちの中に歩いていった。


 足元が軽い。靴がいつもよりほんの少し滑るのが気になったけれど、不快ではなかった。

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