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山奥の衛星写真に映った『謎の未確認生物』 実は美少女になれる銀竜だと、僕だけが知っている。  作者: 亜麻野


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第31話:銀華と初めての休日

 食堂を出ると、四月の日差しが肩を温めた。


 温泉街の大通り。土曜の昼過ぎの商店街は、観光客の声とどこかの店から漏れる和太鼓のBGMがぼんやり混じって、平日の学校とはまるで違う空気に満ちていた。


「魚は、焼くと美味しい」


 隣を歩く銀華が、さっきの食堂を振り返りながら言った。


「生でも美味しいけどね。丸かじりじゃなくて、下処理した身だけを食べるんだ」


「なんと……」


 分厚い鯖の味噌煮定食を平然と完食し、味噌汁の底に沈んだ豆腐のかけらまで箸で拾い上げて食べきった銀華が、最後に「満足だ」と呟いたのは食後五秒。


「今度は自分で作ってみる?」


「作る? 私がか」


「料理。やったことないだろ」


 銀華は目を丸くして、「それは良い」と言った。その顔は、教室で見る凛とした表情とは違って、もっと単純な──何か新しいものを見つけた子供みたいな、軽さがあった。


 今日は土曜日。始業式から初めての、学校がない日だ。


 銀華にとっては「休日」が初めてだった。木曜日の夜、マンションまで送った帰りに「明日と明後日で一週間が終わって、次の二日間は学校がない」と説明したら、銀華はしばらく黙ってから「毎日あるわけではないのか」と言った。


 考えてみれば、洞窟の中に曜日はいらない。朝も夜も、平日も休日もない。ずっと均一な時間が流れていた場所で過ごした銀華にとって、「七日のうち五日だけ行く場所」という仕組みは不思議だったのだろう。


「どうだった? この一週間」


 歩きながら聞いてみた。


「どう、とは」


「楽しかったとか、つらかったとか」


 銀華は少し考えるように視線を上に向けた。商店街のアーケードの梁を見ている。


「多い」


「多い?」


「起こることが。一日に起こることがあまりにも多い」


 それはそう。


 今週の後半、木曜と金曜を思い返す。


 教室の空気がどうだったかと問われると、正直よくわからなくなっていた。興味と警戒の入り混じった視線がなくなったわけではなかったけれど、僕の方は一周回って「そういえば元からこんなものだったような気がする」と思うようになっていた。もともと目立つような学校生活は送っていなかったし、大勢の友達に囲まれていたわけでもない。むしろ直也と慧士がいて、銀華と名和さんと虹林さんが増えて──そこの温度が変わらないなら。考えすぎは性に合わない。


 銀華のほうはというと、名和さんからさりげなく聞いた限りでは、体育の時間は真面目にやっていたらしい。「銀華ちゃん、走るの普通に速かった」と名和さんが感心した顔で言っていた。


 数学は、毎時間ずっと首がぐるぐる回ってたけど。


 学校という異世界で、銀華なりにやっていけてる。


「これは何だ」


 銀華が足を止めた。


 温泉街の路地に面した土産物屋の軒先に、木彫りの竜が並んでいる。サイズは掌に乗るくらいの小さなものから、猫くらいの大きさのものまで。どれも翼を広げたファンタジー寄りの造形で、色は金や赤が多い。月銀町の定番土産のひとつだ。


「もしや、私のことか」


 銀華が小さな声で聞いた。


「一応、竜のモチーフだけど──全然似てないよね」


「翼がある」


「うん」


「赤い」


「そういうものなんだ」


 銀華はじっと木彫りの竜を見つめてから、ふっと息をついた。


 不快というよりは、不思議そう。前にツキゴンちゃんのグッズを見たときの露骨な嫌悪感とは違う。自分がモデルかもしれないものが、自分とは似ても似つかない形で商品化されている。その事実を、以前よりは落ち着いた目で眺められるようになっている。


「行こう」


 僕がそう言うと、銀華は素直に離れた。


 温泉街をゆっくり歩くのは久しぶりだった。普段は学校と家と山の洞窟を行き来するだけの生活で、商店街のほうに足を伸ばすことはあまりない。観光客に混じって歩いていると、地元にいるのに旅行に来たみたいな妙な気分になる。


「今日は銀華の好きなところに付き合うよ」


「好きなところ」


「行きたい場所とか、気になる店とか。せっかくの休みなんだし」


 銀華は歩きながら辺りを見回した。土産物屋、温泉饅頭の店、古い旅館の看板、坂道の上に見える神社の鳥居。一つひとつに目を留めて、すぐに次へ移って、また何かを見つける。


「あれは何だ」


 指さしたのは、路地の突き当たりにある小さな和菓子屋だった。店先に蒸籠が見えて、その前に「数量限定・竜のなみだ」と手書きの看板が出ている。


「和菓子屋だ。竜のなみだって、あれ新しいな……前はなかった気がする」


「竜に涙があるのか」


「泣いたことは?」


「ない」


 断言が早すぎる。


 商店街の端には足湯がある。石造りの浅い湯船から白い湯気が立ち上っていて、長椅子に腰掛けた観光客が数人、ぼんやりと足を浸している。


 銀華の足が止まった。看板でも店先でもなく、湯面から立ち上る湯気のほうを見ていた。


「あの白い煙は」


「湯気。水蒸気が目に見えるようになってるやつ」


 銀華は湯船に近づいて、湯気に手をかざした。銀色の前髪が湿気を帯びて、わずかに重くなる。


「温かくて、すぐ消える」


 こういう一言に、たまにどきっとする。多分本人は何も考えていないのに。


「足湯って言ってさ、靴脱いで足を入れるんだよ」


「足を入れる?」


「うん。やってみなよ」


 銀華は観光客の真似をして長椅子に座り、靴を脱いで足を浸した。湯の中に白い足首が沈んだ瞬間、ぱっと顔を上げた。


「これは──」


「気持ちいいでしょ」


 僕も隣に座って足を漬けた。足元から伝わるぬるい温かさが心地いい。足先から脚全体にじわじわと熱が広がっていく感覚は、何度来ても良い。


 銀華は足をぶらぶらさせながら、お湯の揺れる水面を見ていた。表情はほとんど変わらない。でも、足を動かすテンポが速い。嬉しいのだ。


「足だけなのに、温かい」


 銀華がぽつりと言った。足の裏でお湯を蹴って、跳ねた水しぶきを目で追っている。


 学校では見せない顔だった。


 穏やかな休日。暖かくて、のんびりしていて、何も起こらない。こういう日がずっと続けばいいと一瞬だけ思って、すぐにそれは虫のいい話だと打ち消した。


「もう夕方だ」


 銀華が空を見上げて言った。


「そろそろ帰ろうか」


 僕がそう言ったとき、銀華の足が自然に山のほうへ向いたのに気づいた。マンションと違う方向。


「──洞窟、行く?」


 銀華は少しだけ迷うように視線を落として、それから頷いた。


 温泉街を抜けて、住宅地を通り過ぎて、舗装路が砂利道に変わる。この道は小学生の頃から数え切れないほど通った。両脇の木々が背を向ける稜線の向こうに夕日が沈みかけていて、足元の影がどんどん長くなる。


 銀華はずっと黙っていた。温泉街ではあちこちを見回して忙しなかった目が、山道に入った途端に静かになった。歩幅も少しだけ小さくなって、それは帰り道を歩く人間の足取りに似ていた。


 大岩を避けて祠の前を通り、暗い入り口を抜ける。


 洞窟の奥に、銀の光があった。


 剥き出しの銀鉱脈が壁や天井を覆っていて、銀華の力の影響で夜空の星みたいに瞬いている。鋭い光ではなくて、もっとやわらかい、手のひらに受け止められそうな光。何度見ても綺麗で、何度来ても不思議な場所だ。


 銀華にとっては、五千年の時間が沁み込んだ、たったひとつの居場所。


 洞窟の奥まで歩いて──銀華がふっと立ち止まった。


 膝から力が抜けるように、いつもの岩にしゃがみ込む。


「銀華?」


 銀華は座り込んでいた。


 両手を膝の上に置いて、背を丸めている。


「……たった一週間が、あまりにも長かった」


 静かな声。岩壁に反響して、少しだけ遅れて耳に届く。


 長かった。


 たったの一週間。


 竜にとっては本来、瞬きよりも短い時間のはずだ。でも銀華は「長かった」と言った。毎日が未知の連続で、知らない概念と知らない感情が次から次に押し寄せて、ゆっくり休む暇もなかった。


「大変だった?」


 隣にしゃがんで、できるだけ優しく聞いた。


 銀華は顔を上げた。僕の目を見て、ゆっくりと首を振った。


「違う」


 否定の仕方が、とても穏やかで。


「……良かった」


 銀華は小さく微笑んだ。


 底から滲むような、温かい笑み。


「毎日、知らないものがあった。わからないことがあった。嫌なことも、良いこともあった。全部──全部が初めてだった」


 銀華は頭を上げて、天井の銀の光を見つめた。


「一週間というのは、長いのだな」


 それは不満ではなくて、実感だった。初めて時間の「重さ」を知った竜の言葉。


 しばらく静寂が続いた。洞窟の奥に響くのは、二人分の呼吸だけ。


「透」


「うん」


 突然、銀華が立ち上がった。


「少し──離れていてくれるか」


 声のトーンが変わった。柔らかいままだけど、何かをする前みたいな。


「……わかった」


 僕は何歩か後ずさった。なんとなく察していたから。


 銀華の体が光り始めた。


 人間の形が崩れる。銀色の光が膨張して、輪郭が広がって、女子だった姿が巨体へと変わっていく。


 銀竜。


 銀の鱗に覆われた、翼のない竜。鋭い爪と牙を持ちながら、瞳だけは穏やかな──僕がずっと憧れる姿。


 洞窟の壁の銀が呼応するように強く輝いた。光の粒が天井から降り注いで、竜の鱗に反射して、暗い洞窟の中が一瞬だけ銀河みたいになった。


 銀竜は、ゆっくりと首をもたげた。


 そして──。


 咆哮した。


 声と呼ぶには強すぎて、轟音と呼ぶには意思がありすぎる音が、洞窟を震わせた。天井から小さな石のかけらがぱらぱら落ちてきて、足元の地面が振動する。


 凄まじい。


 でも、怖くなかった。


 銀華の咆哮には、怒りがなかった。威嚇でもない。もっと単純な、何かを解き放つ声だった。


 一週間分の、全部を。


 知らないものに囲まれた緊張。人間のふりを続けた疲労。教室で理解できなかった数字。面白かった国語の物語。初めて食べたハンバーガーの味。名前を覚えてくれた名和さんの声。校門の桜。集合写真。


 ぜんぶ溜め込んで、この洞窟で一気に吐き出した。


 銀竜が首を下ろして、こちらを見た。大きな瞳の奥に、さっきまで人間の形で無理に押し込めていた感情のかけらが揺れている。


「すっきりした?」

 

 銀竜は鼻先をこちらに近づけた。顔の半分くらいの大きさの鼻が目の前にある。息が温かい。


 返事はできない。竜形態では喋れないから。でも銀華はゆっくりと瞬きをして──それは多分、返事の代わり。


 なんだろう、ちょっと面白い。


 五千年を生きた竜が、古巣に帰ってきて思いっきり叫ぶ。嬉しさか鬱憤か。多分その両方で、どちらにしてもものすごく人間くさい。


 竜のくせに。


 竜なのに。


 銀鱗の巨体が洞窟の床に伏せた。猫のように前脚を折りたたんで、頭を僕のすぐそばに降ろす。大きな目が半分閉じかけて、尾がゆったりと岩壁を撫でた。


 僕は銀竜の鼻先に手を置いた。鱗は硬くて、ひんやりしていた。


「お疲れ」


 竜の瞳がゆっくりと瞬いた。


 初めての一週間が終わった。


 また色々ある。きっと溜め込む。そのときはまた、この洞窟に帰ってきて鳴くのだろう。


 竜には竜の、息抜きがあるから。

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