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山奥の衛星写真に映った『謎の未確認生物』 実は美少女になれる銀竜だと、僕だけが知っている。  作者: 亜麻野


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第30話:銀華と集合写真

 ──迎えに行かなくていいの? 旭日くん。


 放課後の教室。男子たちがスポーツテストの筋肉痛がどうのと騒ぐ中、旭日くんだけが全然違うところを見ていた。銀華ちゃんのところに座り込んでいる瀬田くんのほうを、じっと見ている。行けばいいのに。幼馴染みなんでしょ。そう思って声をかけたら、旭日くんは苦い顔で「全部口出しするのは変だろ」なんて返してきた。


 変じゃないのに。


 少なくとも、銀華ちゃんの様子はずっと変だった。


 入学して四日目。銀華ちゃんはいつも、澄んだ表情をしていた。言葉の選び方は独特だし、常識がないのかと思うくらい不思議なことを聞いてくるし、でも、あの透明な瞳で何もかもを初めて見るように世界を眺める姿には、嘘がなかった。あたしが入学式の日に桜の下で一緒に写真を撮った銀華ちゃんは、間違いなくそういう子だった。


 でも今日は違った。


 スポーツテストの間じゅう、銀華ちゃんの顔から表情が消えていた。どこも見ていないような目をしていて、あれはつまり──イライラしてる。付き合いが長いわけじゃないし、深くは知らないけど、イライラしてるのだけはわかる。


 瀬田くんが銀華ちゃんに話しかけている。笑顔で、軽い調子で、距離を詰めている。悪いやつじゃないのかもしれないけど、今の銀華ちゃんには火に油だった。


 旭日くんがこっちを見た。一瞬だけ、目が合った。


 次の瞬間、旭日くんは立ち上がっていた。


 割って入った。下手くそな言い訳で、瀬田くんとの間に体をねじ込んだ。教室の空気が硬くなる。久我くんが肩を掴む。皆の視線が一点に集中して、教壇の前に変な空気が生まれかけた、そのとき──。


 銀華ちゃんが椅子を蹴って立ち上がった。


 そして旭日くんに、抱きついた。


 言葉もなく。前触れもなく。その場にいた全員が石になった。


 銀華ちゃんの銀色の頭が旭日くんの肩にぐりぐり押しつけられるのを、あたしは固まったまま見ていた。漫画みたいだった。いや、漫画よりもっと生々しくて、計算っぽくない動き。子犬みたいな、あるいはもっと動物的な。


 旭日くんは動揺していた。でも、手は銀華ちゃんの背中にちゃんと置いて、「大丈夫」と言って、「帰ろう」と言った。


 教室中が凍っていた。瀬田くんは目が点になって、久我くんは旭日くんの肩から手を離して、二人が教室の出口に向かうのを、誰も止められなかった。


 静寂が三秒くらい続いて、それから教室がざわざわと騒ぎ始めた。


 ──あれ何。なに今の。


 声の割れた囁きがそこかしこで弾ける。「旭日と岩見ってなんなの」「幼馴染みってレベルじゃなくない」「抱きついた?」「え、やっぱ付き合ってんの?」


 その渦の中で、あたしは椅子の背もたれにもたれたまま、天井を見た。


 不思議と、嫌な気持ちはしなかった。


 あの二人のこと、あたしはまだよく知らない。


 でも、あれは嘘じゃない。


 あの行動に打算はなかった。旭日くんは、それを受け止めただけ。教室中の視線を浴びながら、かっこよくもなく、スマートでもなく。でもまっすぐに。


 なぜか目が離せない。


 銀華ちゃんの存在感は凄まじい。黙って立っているだけで人の目を吸い寄せる。でも彼女は、それとは裏腹にどこか不器用で、人の輪に馴染むための方法をひとつも知らないようだった。ハンバーガー屋で一緒に帰った日、炭酸を飲んだリアクションの大きさに笑った。教室で質問攻めにされてフリーズした表情を見て、なんとなく放っておけないと思った。


 旭日くんも不器用だ。幼馴染みだって言い張っているけど、距離感は幼馴染みというより保護者っぽくて、いつも銀華ちゃんのほうを気にしている。嘘が下手で、フォローも下手で、でも「行かなきゃ」って場面では自分がどう見られるかをかなぐり捨てて体が動く。


 直也くんと雨宮くんも、よく付き合ってるなと思う。最初から銀華ちゃんの独特さに引かず、旭日くんの動揺をいじりつつ自然に輪に入れようとしていた。ハンバーガー屋でも、勉強会のときも。あの二人があの場所にいてくれるから、旭日くんは教室に立っていられるんだろう。


 教室の喧騒を聞きながら、あたしはスマホを取り出した。


 画面に映る、入学式の日に撮った写真。桜を背景に澄まし顔の銀華ちゃんと、その横でピースしている自分。これを撮ったとき、銀華ちゃんはわずかに口角を上げてた。


 あの子の表情は少ない。笑っても小さくて、空気がそよぐ程度の変化しかない。だから価値がある。嘘がないから。


 ──明日、フォローしなきゃ。


 あたしはスマホをポケットに戻して、椅子を引いた。



  ◇



 木曜日。朝六時半のアラームは、いつもなら三回はスヌーズする。


 今日は一回で起きた。布団を蹴って、洗面台の冷たい水で顔を洗って、制服に着替えた。寝癖を直しながら鏡を見る。


 なんで気合い入れてるんだろう、あたし。


 自分でもよくわからない。ただ、今日は早く行かなきゃ、という漠然とした衝動があった。


 登校路。いつもより人が多い時間帯の道を歩いて、月銀高校の校門が見えてきた。


 桜が咲いている。入学式の日からまだ散りきっていない。花びらが朝の風に揺れて、校門前のアスファルトに淡い影を落とす。


 その桜の下に──三つの影。


 立っていたのは高坂くん、雨宮くん、あおいちゃんだった。


 え、と声が出そうになった。


 高坂くんは桜の幹にもたれて欠伸を噛み殺している。雨宮くんとあおいちゃんはその近くで、小声で何か話している。


 三人ともはっや。


 あたしが近づくと高坂くんが気づいて、「おー、名和さんじゃん」と片手を上げた。


「早くない? 高坂くんたち」


「たまたまだよ。ママが早かったから目が覚めた」


「嘘でしょ、あおいちゃんまでいるし」


 あおいちゃんは顔を上げて、「私はもともと早起きだよ」ときょとんとした顔で言った。雨宮くんは何も言わずに小さく会釈した。


 誰も「旭日くんたちを待ってる」とは言わなかった。


 でも、全員がわかっていた。理由なんてない。約束もしていない。ただ、昨日の教室を見ていた人間が、同じことを考えて、同じ場所にいる。


 校門の前で、四人で並んで待った。直也くんは眠そうだし、雨宮くんは静かだし、あおいちゃんは「お弁当持ってきた?」とか呑気なことを言っている。普通の朝のふり。あたしも似たようなものだった。


 数分後。


 坂の下から、二つの人影が見えた。


 旭日くんと銀華ちゃんが、並んで歩いてきている。


 銀華ちゃんの表情は昨日の放課後ほど固くない。でも柔らかくもなかった。旭日くんのほうは、少し唇を引き結んでいた。きっと昨日のことがあったから。


 旭日くんが顔を上げた。


 あたしたちに気づいた。四人が桜の下に並んでいるのを見て、足が止まった。銀華ちゃんもつられて止まった。


「おっはよー!」


 あたしは思いっきり声を張った。いつもの三割増しくらいの明るさで。


「おはよー、透」


 直也くんが片手を上げた。普通のトーン。いつもどおり。


「おはよう」


 雨宮くんの短い一言。虹林がぺこりと頭を下げて「銀華ちゃん、おはよう」と言った。


 旭日くんの肩から力が抜けるのが見えた。強張っていた唇がほどけて、「おはよう」と返す声が少しだけ震えた。


 銀華ちゃんはあたしたちを見渡して、一拍遅れて口を開いた。


「──おはよう」


 静かな声。でも昨日の放課後みたいに感情が消えた声じゃなかった。かすかに──ほんとにかすかにだけど、声の底に温度があった。


 やった。


「ねえねえ、せっかく早いんだし!」


 あたしはスマホを取り出した。


「桜が綺麗なうちに、写真撮らない? みんなで!」


「写真?」


 高坂くんが眉を上げた。


「ほら、六人で!」


「朝から元気だな、名和さん」


 雨宮くんが呟いたけど嫌そうじゃなかった。あおいちゃんは「あ、いいね」と即座に乗った。旭日くんは一瞬きょとんとしてから、銀華ちゃんの顔をちらっと見て──小さく頷いた。


 銀華ちゃんが首を傾けた。


「これは、何ショットなのだ」


 謎の質問。ツーショットとかスリーショットとかから来ている言葉。えっと、六人だから──。


「わかんない! 集合写真!」


 銀華ちゃんは「しゅうごうしゃしん」と反芻するように繰り返して、それから「そうか」と呟いた。


 校門の柱にスマホを立てかけて、タイマーをセットした。


「五秒だから、みんな集まって!」


 桜の木の下にぎゅっと六人で並ぶ。直也くんが「寄りすぎだろ」と笑って、雨宮くんの肩にぶつかった。あおいちゃんが端で背伸びしている。旭日くんが銀華ちゃんの隣に立って──銀華ちゃんが微かに旭日くんのほうに体を寄せた。


 シャッター音。


 朝の光と桜と、六人分の顔が一枚に収まった。



  ◇

 


 校門から校舎までの道を歩くとき、足取りがいつもより少し軽かった。


 隣を直也と慧士が歩いている。その前を名和さんと虹林さんが並んで歩いていて、銀華は僕の半歩後ろにいた。総勢六人の、なんだか遠足みたいな形の集団。


 「いいじゃん、さっきの」と直也が言った。


 「名和さんが見切り発車しただけだろ」と慧士が返した。


 名和さんが振り返って「見切り発車って何! 計画的だし」と反論して、虹林さんが「何も聞いてないけど」と冷静にツッコんだ。


 昨日の放課後のことを、この四人は見ていたはずだ。それでも今朝、約束もなく校門に集まって、大袈裟なくらい明るい「おはよう」をくれた。


 下駄箱で上履きに替えるとき、直也が「今日の一限目なんだっけ」と興味なさげに呟いて、慧士が「知らない」と鼻で笑う。名和さんと虹林さんが先に階段を上がっていく。


 壊れかけたものを、四人は朝一番に支えてくれたのだ。


 そう思ったら、じんとした。泣くような場面じゃない。でも、感謝を言語化するのが追いつかない。


 廊下を歩いて、一年三組の教室の前に着いた。ドアは開いている。中にはもう何人かの生徒が座っていて、朝の支度をしたり喋ったりしている。


 入る。


 空気が変わった。


 初日の和やかなざわめきはなかった。好奇と警戒が入り混じった視線がちらちらとこちらに向けられる。昨日の一件が教室に残した痕跡は明らかだった。数人が目を逸らし、数人がじっとこちらを見た。囁きは聞こえないけれど、空気が語っている。


 ──あそこの二人、やっぱそういうことなんだ。


 ──幼馴染みとか言ってたけど、嘘くさくない?


 胸に冷たいものが走って、息が詰まった。


 でも、もう動じない。


 目的を間違えるな。


 銀華は外の世界を見たくて高校に来た。僕がそれを手伝うと決めた。あの洞窟の奥で五千年を過ごした竜が、初めて同年代の人間に囲まれて、初めて授業を受けて、初めて「退屈」を知って、初めて「苛立ち」を知って──それでも「これも外だ」と受け入れた。


 平穏な学校生活なんて、最初から銀華の願いじゃない。


 未知に触れること。知らないものに手を伸ばすこと。それが彼女の目的だった。


 なら、この居心地の悪さは代償だ。きっと払うべきもので、払う価値のあるもの。クラスの空気が変わったくらいで、銀華から見える景色が曇るなら、それはそのとき。


 大丈夫だ。背後に四人がいる。校門の桜の下で撮った写真がスマホの中にある。


 席に座った。


 銀華も自分の席に着いた。鞄の中身を出して、教科書を机に並べる手つきは、四日前に比べるとずいぶん自然になっていた。


 窓からの朝日が銀華の横顔を照らしている。銀色がかった髪の端が光っていた。


 ふいに、銀華がこちらを向いた。


「──なぜか、見られているな」


 小さな声。困惑というよりは、観察の延長のような口調だった。普段は視線に疎いのに。


「嫌?」


 銀華は首を横に振った。ゆっくりと、確かめるように。


 それから──少し間を置いて、口を開いた。


「良くないこともあらば、良いこともある」


 昨夜の、ソファで膝を抱えていたときの声とは違った。あのときの脆さは消えていない。でもその上に、一晩分の咀嚼と、今朝の校門での出来事が積み重なったような厚みがある。


「良くないことを避けていては、良いこともまた、起こらない」


 銀華の目が、教室の窓の外を一度見て──それから僕に戻った。


「世界とは、そういうものなのだな」


 微笑んでいた。


 唇の端がかすかに持ち上がった、小さな笑み。入学式の日に見たときと同じ──いや、もう少しだけ深い笑み。


 見とれた。


 洞窟の中でだけ生きていた竜が、四日間の嵐みたいな高校生活の中で辿り着いた、自分なりの答え。良くないことも含めて外の世界なのだと、真正面から受け入れた銀華の表情。


 そこに宿っている強さと柔らさに、胸が鳴った。


 朝日を受けた横顔を見つめたまま、言葉が出てこなかった。


「朝から何してんだー、お前ら」


 後ろの席から、直也の声。


「幼馴染み設定、もう無理あるだろ」


 慧士が淡々と付け加えた。


 一気に現実に引き戻された。顔に熱が昇る。二人とも教室の入口にいたはずなのに、いつの間にかこっちの近くにいる。


「うるさいな!」


 声が裏返った。


 直也がにやにや笑っている。慧士は涼しい顔だけど目が笑っていた。


 銀華がこちらを見た。この騒ぎの意味がわからないような目で、少し首を傾けている。


「透?」


「なんでもない。なんでもないから」


 ごまかしようがなかった。耳まで赤いのは自覚している。直也は容赦なく「顔真っ赤だぞ」と追い打ちをかけてきて、慧士が「まあまあ」と止めるふりをしながら全然止めない。


 ──このやろう。


 でも。


 笑っている、と思った。


 チャイムが鳴った。一限の始まりを告げる音。


 四月の高校生活は、銀華がいただけで、たった四日なのに山のように波乱があった。教室は初日のような騒がしさを失ったし、嘘はどんどん膨らむし、銀華は負の感情を初めて知ったし、僕の評判はたぶん地に落ちた。


 けれど、良いこともあった。


 良くないこともあれば、良いこともある。


 銀華が見つけた外の世界の答えを、僕も同じように噛み締めた。

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