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山奥の衛星写真に映った『謎の未確認生物』 実は美少女になれる銀竜だと、僕だけが知っている。  作者: 亜麻野


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第3話:その獣の可愛さは銀竜の瞳を惑わす

 朝の八時半に、スマホが震えた。


 机の上にあるシルバーの板――もといスマートフォンを手に取る。画面に表示されたのは、昨日の夕方に交換したばかりの連絡先からの通知だった。


 雨宮慧士(あめみや けいし)


 昨日、洞窟からの帰り道で偶然すれ関った。細い道で、向こうから歩いてきた慧士と目が合って、「透だ、こんなところで何してんの」「慧士こそ」「俺は姉ちゃん達に嫌気が差して」というやり取りがあった。慧士はいつもの涼しい顔で、それ以上は何も聞かなかった。別れ際に「スマホ買ったからLine教えて」と言って、その場で交換した。それだけの話だったはずが、翌朝にはもう慣れたようにメッセージが届いている。


 開いてみると、動画だった。


 薄暗い部屋の中で、茶色い毛玉が転がっている。毛玉には耳があり、目があり、短い尻尾がぴんと立っている。


 猫だ。


 猫が、床に落ちた紐を両前脚で掴もうとしては弾かれ、転がり、また飛びかかっている。


 動画の下に一行。


 『いやしのお裾分け』


 慧士らしい。クールなふりをして、自分の猫動画を朝イチで送りつけてくる。姉が二人いるせいか、こういうのが妙にうまい。


 僕は動画を3回くらい繰り返し再生して、ひらめいた。


 これだ。


 昨日のリベンジ。スマホの凄さを銀華にわからせる、最高の素材。写真は手振れで失敗した。インターネットは圏外で繋がらなかった。でも動画なら――生きて、動いて、声を出す小さな獣の映像なら、さすがに銀華も驚くんじゃないか。


 僕はネットで「猫 かわいい 動画」と検索して、上位に出てきたものをいくつか保存――のやり方は慧士に聞いた。子猫が段ボール箱からぽてっと落ちるやつ。大きな猫が小さな猫の頭を舐めているやつ。猫が人間の膝の上で丸くなって眠っているやつ。


 準備は万端。


 おばあちゃんが用意してくれた朝食を急いで食べ、リュックを引っ掴んで、僕は春の山道を駆け上がった。


 

    ◇


 

 洞窟の奥、銀色の光に満ちた広間。


 銀華は岩の上で寝転んでいて、僕が近づくと、ゆっくりと顔を上げた。


「透。連日だな」


「おはよう、春休みだからね。今日はリベンジしに来た」


「リベンジ」


 銀華はきょとんとしていたが、座布団に腰を下ろした僕を見て、立ち上がって近づいてきた。


 昨日の反省を踏まえて、今日はもう出し惜しみしない。最初から本命を出す。慧士の猫の動画を開いて、画面を向けた。茶色い毛玉が、紐に飛びかかっている。


 銀色の瞳が、画面に吸い寄せられた。


「見たことのない獣だ」


 猫って野生でいないんだっけ。


 銀華は岩から身を乗り出すようにして、食い入るように見つめている。昨日もだったけど、動く画面には全然驚かないんだよな。


「猫。人間がよく飼う動物で、友達が家で飼ってるやつ」


「飼う」


「一緒に住んでるってこと。人間に懐いて、ごはんをもらって暮らしてる」


「ふうん」


 銀華は画面から目を離さないまま、小さく頷いた。動画の中の子猫が紐を捕まえ損ねて横転し、短い脚をばたつかせている。


「この丸い顔、大きな瞳……」


 銀華が呟いた。分析的な口調。


「まだ子供だな」


 斜め上の感想だった。


「いちおう、これでも大人のはずだけど」


「大人でこの体なのか。狩りが苦手だから人と暮らしているのか」


「どうだろ。鼠くらいなら狩れるんじゃないかな」


「その程度の存在を、人間はどうして『飼う』んだ」


「……まあ、とりあえず動画の続きを見よう」


 僕はごまかすように動画を再開させた。猫は立ち上がり、画面の向こう側の人間(慧士だろう)に向かってよちよちと歩き出し、すり寄って甘えるようににゃあと鳴く。野生動物なら致命的な、無防備の極みみたいな姿だった。


 やがて動画が再生を終了し、画面が暗転した。


「……もう一度」


「え?」


「もう一度、見せて」


 意外にも催促されて、僕はリプレイボタンを押した。銀華は再び画面に顔を寄せた。猫が転がるたびに、銀色の瞳がわずかに細まる。


 1回では終わらなかった。


 慧士の猫を3回見たあと、ネットから保存した別の動画に切り替えた。段ボール箱から落ちる子猫。銀華は「なぜ箱に入った」と聞いた。人間の膝で眠る猫。「温かいのか」と聞いた。大きな猫が小さな猫の頭を舐めている動画では、黙って見入り、再生が終わっても何も言わなかった。


「もう一度、その、舐めているやつ」


「好きなの?」


「わからない。ただ、この幼い顔を見ていると――」


 銀華は口ごもった。言葉を探しているようだった。辞書を手繰り寄せようとして、やめた。


「何だろう。放っておけない感じがする」


 庇護欲。銀華がその言葉を知っているかはわからない。けれど何千年を生きた竜が、十五秒の猫動画に心を掴まれていそうな光景は、なかなかのものだった。


 ふと、銀華が画面から僕の方へ視線を移した。


「初めて透を見た時と、似ている」


「……僕? この猫と?」


「ああ。あのときも、今と同じことを感じた気がする」


 昔を思い出すような銀色の瞳に見つめられて、僕は思わず黙り込んでしまった。


「人間も、この放っておけない気持ちを抱くから、わざわざ弱い獣を置いておくのか」


「きっとそう。その手のかかるところが『可愛い』から」


「可愛い……なるほど」


 銀華は心の底から納得したように頷いた。


「透。私にも、できるかもしれない」


「……何が?」


 銀華は答えなかった。


 代わりに、岩の上に立ち上がった。銀色の髪が揺れ、白い衣服の輪郭がぼやける。光が滲むように広がって――


 縮んだ。


 膨張ではなく、収縮。少女の体がみるみる小さくなり、手足が短く丸まり、銀色の光が凝縮されて、岩の上に残ったのは。


 銀色の、猫のようなもの。


 猫、のような。


 体長は三十センチくらい。丸い頭に三角の耳、短い脚。体表を覆う毛は銀色に光っている。形は猫だ。間違いなく猫を模している。でも、何かが違う。毛並みが均一すぎるのと、耳の角度が微妙に鋭いのと、それから目。


 両目だけが、竜っぽい。


 銀色の、深い光を湛えた瞳が、猫の顔の中からこちらを見つめていた。


 銀色の猫は岩を飛び降り、洞窟の床を四本足で駆けてきた。走り方は猫というより、もう少し重心が低い。何か別の生き物のリズムが混ざっている。


 僕の前で立ち止まり、前脚を僕の膝に掛けた。


「……にゃあ」


 鳴いた。


 声は出た。確かに鳴き声ではあった。でも、猫の「にゃあ」ではなかった。人間が「にゃあ」と発音したときの響きっぽい。得た知識を、そのまま出力しました、という感じの「にゃあ」。


 銀色の猫は躊躇なく僕の膝に飛び乗った。ずしり、と予想より重い。中身が竜だからか。丸くなる仕草は動画の猫を正確にトレースしているが、尻尾の振り方だけが猫ではなく犬に近い。


「にゃあ」


 もう一度鳴いて、前脚で僕の手を押した。撫でろ、ということらしい。


 僕は観念して、銀色の頭に手を置いた。


 毛の感触は本物の猫とは違った。もっと滑らかで、冷たくて、鱗と髪の中間みたいな手触り。でも、丸い頭が手のひらに収まる感覚と、触れたときに目を細めるしぐさは、さっきの動画の猫そっくりだった。


「……かわいいな」


 言ってしまった。口を衝いて出た。


 膝の上の銀色の猫が、ゆるゆると目を閉じた。撫でられるのが心地よいのか、ごろごろ、と喉を震わせている。この振動も猫の真似だろうけれど、かすかに岩の軋むような低音が混じっていて、完全には隠しきれていない。


 僕は猫と同じように指先で顎の下をくすぐってみた。銀色の猫は首を伸ばし、細い声で鳴いた。


 かわいい。


 かわいいんだけど。


 これ、銀華なんだよな。


 数分が経ったころだった。


 膝の上の猫が、不意に目を開けた。銀色の瞳が、僕の顔を見上げている。その目に、さっきまでの満足げな色とは違う何かが浮かんでいた。


 何だろう。言葉にしにくい。


 銀色の猫は僕の膝から飛び降りた。床に着地すると、しばらくそこに座り込んで動かなかった。丸い背中がわずかに強張っているように見えた。


 次の瞬間、光が弾けた。


 銀色の猫の輪郭がほどけ、膨張し、元の少女の形に戻っていく。銀色の長い髪、白い衣服、裸足の足先。岩の上ではなく、僕の隣の地面に――座布団からほんの少しだけはみ出した場所に、銀華は腰を下ろした。


 いつもより、近い。


 手を伸ばせば届く距離。


「……銀華?」


 銀華は答えずに、僕の顔を覗き込んだ。真正面から。銀色の瞳が、僕の目をまっすぐに捉えている。


 何かを確かめるような視線だった。


 猫の姿を見ているときの僕の目と、今の僕の目を比べているのかもしれない。あるいはもっと別の何かを探しているのかもしれない。


 でも、数秒後。


 銀華の表情が、ほんの少しだけ緩んだ。


「……やはり、こっちのほうが良い」


 小さな声だった。


 猫形態のときの不自然な鳴き声とは違う、銀華自身の声。低すぎず高すぎない、落ち着いた響き。その声で「良い」と言われると、意味以上の何かが胸に届く気がした。


 銀華は前を向き直して、壁の銀色の光をぼんやりと眺めた。口元にうっすらと笑みが残っている。見慣れた横顔のはずなのに、何だかいつもと違うふうに見えた。


「……うん」


 僕もそう思う、と言おうとして。でも、口から出たのはその一言だけだった。


 竜の姿の銀華がいちばんカッコよくて好きだ。それは変わっていないと思う。


 でも、今隣に座っている銀華も、良い。猫の姿でもなく、竜の姿でもなく、この形で隣にいる銀華が。


 何だか少し、照れくさかった。


 洞窟の銀色の光が、ふたりの間をゆるやかに照らしていた。


「――そういえば」


 静寂を破るように、銀華が唐突に言った。


「ん?」


「私は透からよくパンを貰っている。ということは、私は透に飼われているのか?」


 真剣な眼差しで、とんでもないことを言い出した。


「それは違う! そういうんじゃないから!」


 僕が慌てて否定すると、銀華ははっとしたように目を見開いて。


「もしや逆に、私が透を飼っているということなのか」


「だから、そういうんじゃないってば!」


 銀華に『飼う』ということを理解させるのに、そこから小一時間かかった。


 僕の照れは、きれいさっぱり吹き飛んだ。

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