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山奥の衛星写真に映った『謎の未確認生物』 実は美少女になれる銀竜だと、僕だけが知っている。  作者: 亜麻野


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第12話:銀竜の装いは可愛さ重視で変幻自在

 澪の荷物は、来たときより確実に増えていた。


「お兄ちゃん、これ重いから持って」


「自分の荷物だろ」


「お兄ちゃんのほうが力あるじゃん。ほら、鍛えてるんでしょ山で」


 鍛えているわけじゃない。結果としてそうなっているだけだ。とはいえ断るのもかわいそうなので、ずしりと重い紙袋を受け取った。中身は土産物と、澪が温泉街で買い足した小物類。滞在中に商店街を何往復もした成果がこの重さになっている。


 春休みの終盤。空は薄い雲が広がっていて、風はまだ少し冷たい。玄関の前に父さんの車が停めてあり、トランクには既に旅行かばんが二つ積み込まれていた。


「透、ちゃんとご飯食べるのよ。冷蔵庫の奥にあるタッパー、来週までに食べてね」


「うん、わかった」


「あと洗濯。脱いだものためこまないで」


「わかってるって」


 母さんは出発直前まで口が止まらない。チェックリストでもあるのかと思うくらい、次々と指示が出てくる。父さんはトランクの配置を何度も組み替えながら「母さん、そろそろ」と時計を気にしている。


 おばあちゃんが玄関から出てきて、澪に紙袋を渡した。中には何か包みが入っている。


「おばあちゃんの煮しめ、冷凍にしといたから。帰ったら温めて食べな」


「やったー! ありがとうおばあちゃん!」


 澪が紙袋を抱えて頬をすり寄せた。煮しめに頬ずりする中学生。澪にとっておばあちゃんの料理はそれくらいの価値があるらしい。


「透」


 おじいちゃんが縁側から僕の名前を呼んだ。顔だけ振り返ると、お茶をすすりながら軽く手を上げてくる。


「澪ちゃんたちを見送ったら、あとは好きにしな」


 その言い方に、余計なことは聞かないという暗黙の了解がある。おじいちゃんはいつもそうだ。僕がどこへ行くのか知らないし、聞かない。ただ「元気ならいい」というスタンス。ありがたかった。


「お兄ちゃん」


 澪が、車のドアに片足を掛けたまま振り返った。


「漫画、ちゃんと読んでよね。あと感想聞かせて」


「読むよ。……ありがとう、澪」


「あ、素直。なんか気持ち悪」


 笑いながら車に乗り込んだ。ドアが閉まって、エンジンがかかる。母さんが窓から手を振り、父さんがクラクションを短く鳴らした。レンタカーが砂利を踏んでゆっくり動き出す。


 澪が後部座席の窓をぱたぱた叩いて何か言っていたけど、聞こえなかった。たぶん「またね」だと思う。


 車が道の角を曲がって見えなくなるまで、僕は玄関の前に立ったまま見送った。


 静かになった。


 おじいちゃんの茶をすする音と、遠くで鳴く鳥の声だけが残っている。家族がいたときの密度が嘘みたいに、空気が薄くなった感じがする。


 さて。


 今日は、急がなくていい。家族の目を盗む必要もない。堂々と山に向かえる、貴重な一日だ。


 久々に、パンでも買ってから行こうかな。



    ◇



 春の始まりの山は、匂いが変わる。


 冬の間は乾いた土と枯れ葉のにおいばかりだったのが、このごろは湿った緑の気配が混じってくる。木々の芽が膨らみ始めていて、細い枝の先から淡い黄緑が覗いている。足元の落ち葉はまだ厚いけれど、その下から何か押し上げてくるような力を感じる。


 洞窟の入り口が見えてきた。大岩のそばまで来たところで、足が止まった。


 何かがいる。


 大岩の脇。入り口へ続く岩場の陰に、体の大きな獣が立っていた。


 虎を彷彿とさせるサイズ。体毛は青みがかった黒で、薄暗い木陰の中でもその輪郭がはっきり見える。イタチ、と呼ぶには巨大すぎるが、体の曲線はイタチっぽい。しなやかで、四肢が地面にしっかり着いていて、尾は長く太い。


 そいつが、こちらを見ていた。


 いや、見ていたというより一瞥した、が正しい。獣の目は深い知性を湛えていて、こちらを一度だけ捉えてからすぐに視線を外した。観察して、興味がないと判断した、というような動きだった。野生動物の警戒とは違う。もっと落ち着いていて、余裕がある。


 心臓が縮み上がった。


 怖い。


 でも怖さの種類が、熊に出くわしたときのそれとは違う。


 圧。


 神々しいと言ったら大げさかもしれないけど、「こっちのほうが格下だ」ということを本能的に理解させられる、そういう存在感だった。


 獣は僕から視線を外したまま、ゆっくりと身を翻した。青黒い体毛が木漏れ日を受けて一瞬だけ光る。そのまま岩場の奥へ、音もなく消えていった。


 足が震えていた。


 呼吸を整える。一つ、二つ、三つ。震えが収まるのを待って、それから頭がようやく動き出した。


 洞窟の入り口にいた。あんなのが、銀華のいる洞窟の入り口に。


「銀華――」


 考えるより先に体が動いていた。大岩をくぐって通路に飛び込む。暗い岩の隙間を駆け抜けて、祠を超えて、奥へ。足音が反響する狭い道を全力で走った。


 広間に飛び込んだ。


「銀華!」


 息が切れている。膝に手をついて呼吸を整えながら顔を上げた。


 銀華がいた。広間の中央に立っていた。無傷だ。怪我もなければ、怯えた様子もない。


 でも、違和感があった。


 いつもの白いワンピースじゃなかった。


 銀華の身にまとっているのは、フード付きのパーカー。白をベースに、袖だけが薄い銀色に染まっている。腰から下は膝丈のショートパンツで、やっぱり白い。足元は裸足のままだけど、上半身だけ見ればどこかのショッピングモールにいそうな格好だ。


 銀華が僕を見た。目が合う。


「……透? すごい勢いで来たな」


「銀華、外に――変な獣がいた。大丈夫か、何かされてないか」


 僕の切迫した声に、銀華は一瞬だけ表情を動かした。それから小さく頷いた。


「ああ、来ていた」


 平然としている。というか、そもそも話題がそこではないらしい。銀華は両手を広げて、自分の体を見下ろした。パーカーの裾をつまんで、誇らしげにこちらに見せつける。


「これが成果だ」


「成果……?」


「見てわからないのか。服を変えたのだ」


 銀華の声には、得意げな響きがあった。


 僕の恐怖はどこへ行けばいいのだろう。


「いや、服はわかるけど。外のあの獣は何なんだよ。虎くらいの大きさの、青黒いやつ。あんなのが洞窟の入り口にいたんだ。危なかったかもしれないだろ」


「私をそう簡単に脅かせるものがいると思うか?」


 銀華は真顔でそう言った。竜だという自負からくる余裕なのか、あるいは本当にどうでもいいのか、区別がつかない。


「あの者は会話をしに来たようだ。私に害をなすつもりなら、会話などしないだろう」


 会話ができるのか、獣なのに。


 もっと聞きたかった。あの獣は何なのか。なぜ洞窟の前にいたのか。


 でも銀華は、そんな僕の質問を待たずに話を進めた。片手に少女漫画を握り、ページの間に指を挟んだまま、ぱらぱらとめくって見せる。


「この漫画だが、女子は場面ごとに随分と装いを変えるのだな」


「……は」


「特にこの赤い髪の女。二話ごとに全身が変わっている。執念を感じる」


 完全に話題を乗っ取られている。


 獣のことを追及しようとしたけど、銀華の目はもうその話題にない。漫画のページをめくりながら、自分のパーカーの袖口を引っ張って、しげしげと眺めている。


「変身の応用で、体の一部だけ形を変えることができるのを、今知った」


 銀華が片手をかざした。パーカーの色がさっと変わる。白が薄い灰色になり、袖口の銀色がもう少し濃くなった。フードの形も微妙に変化して、先端が丸みを帯びた。


「おお」


「加えて、この漫画の服を参考にした」


 銀華が漫画のあるページを開いて見せた。主人公の女の子が、友達と買い物に行く場面。確かに、パーカーにショートパンツという組み合わせがコマの中に描かれている。


「漫画から……」


「他にもある」


 銀華の体がまた変わった。パーカーが光って、今度はゆったりしたニットのような上着になった。丈が腰まであって、袖が少し余っている。色は薄灰色。下はロングスカートに変わっていて、裾が足首まで届いている。


「これは四巻の、この場面から」


 銀華が漫画のページを指差した。文化祭で主人公がおしゃれしてくる回だ。


「銀華、もしかしてファッションショーやってるの?」


「ファッションショー?」


「服を見せびらかすイベント」


「ああ、それは良い表現だな。まさにそれだ」


 嬉しそうだった。銀華が嬉しそうにしているのを見ると、こちらの力が抜ける。


 まあ、いいか。無傷だし、怖がってもいない。巨大な獣が何であれ、銀華にも僕にも危害を加えた形跡はない。


 銀華は次々と服を変えた。漫画のページをめくるたびに、体をまとうものの形と色が変わる。フリルの付いたワンピースを試したかと思えば、次はシンプルなTシャツとジーパン風のストレートパンツ。そしてまた別のページを指差して、肩の出たニットに変わる。


「これはどうだ」


「なんか、カジュアルだね」


「カジュアル。それは良いのか、悪いのか」


「良いよ。普通の女子っぽい」


「普通、か」


 銀華が少し考え込んだ。「普通の女子」という言葉を咀嚼しているらしい。


「……しかも銀華、服の色が白だけじゃない!」


 思わず声が上がった。ファッションショーに見とれている場合じゃなかった。よく見ると、さっきから銀華がまとう服には白や銀だけじゃない色が混じっている。ニットの裾に淡いラベンダー色のラインが入っていたし、パンツの生地もわずかに青みがかったグレーだ。


「気づいたか」


 銀華が袖口を引っ張って見せた。薄い紫が、手首のあたりでグラデーションになって銀色に溶けている。


「前は白くらいしか出せなかっただろ。いつの間に」


「さっきの者に教わった。それに合わせて私の中の何かが変わったのだ。うまく言えないが、色の幅が広がった感覚がある」


 あの獣。ほんとに何なんだ。


 銀華は漫画の表紙を指差した。淡いピンクのカーディガンを着た女の子の絵だ。銀華が目を細めて集中すると、ニットの色がじわりと変化した。白から、かすかに桜色を帯びた淡いピンクへ。鮮やかとは言えないけど、確かに白じゃない。


「おお……」


「まだ濃い色は出せない。薄い色が限界だ。だがこれだけでも、随分と幅が広がった」


 銀華の声は満足げだった。形だけでなく色まで変えられるようになったのは、大きな進歩じゃないか。昨日まで純白のワンピース一択だったのが、今日だけでパステルカラーまで使いこなしている。


「銀華、そもそもなんで服を変えようと思ったの」


 僕が聞くと、銀華はぱらぱらと漫画をめくる手を止めた。


「少女漫画を読んだ」


「うん」


「人間は装いを変える。場面ごとに違う服を着て、それについて感想を述べ合う。『可愛い』とか、『似合う』とか」


「まあ、そういう文化はあるよね」


「ならば私もやってみようと思った」


 銀華の視線が、僕に向いた。


「それに」


「それに?」


「透に『可愛い』と言われたことがあっただろう」


 あった。いつだったか、銀華が猫に変身したとき――いや、もっと前だっけ。具体的にどの場面かは思い出せないけど、確かに言った覚えがある。


「あのとき、気分が良くなった」


 銀華は照れる素振りもなく、率直にそう言った。


「人間は装いを変えることで『可愛い』を求めるのだろう。ならば私もやれば、あの気分が得られるかもしれないと思った」


 つまり、可愛いと言ってほしかったのか。


 銀華の顔は平然としている。少女漫画の女子が延々と悩み、友達に相談し、ドキドキしながら意中の相手の反応を待つ、あの過程を全部すっ飛ばして、ストレートに「褒められたいからやった」と言い切っている。


 なんだその素直さは。


「……そう」


「どうだ」


 銀華が腕を広げた。今の姿は、やや大きめのニットに細身のパンツ。あいかわらず全体的に白い。でも形はきちんと少女漫画のおしゃれなワンコーデで、着こなしになっている。


 外にいた、あの獣のことがまだ頭の隅に引っかかっていた。あの深い知性を感じさせる目。静かに去っていったときの、圧倒的な存在感。得体が知れない。


 でも。


 僕は頬が熱くなるのを感じながら、口を開いた。


「すごく、可愛かった」


 銀華の表情が動いた。唇の端がわずかに持ち上がる。笑顔、と呼ぶには控えめだけど、満足の色がはっきりと浮かんでいた。


「そうか」


 それだけ言って、銀華はまた漫画のページに目を落とした。次の服を探しているらしい。

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