表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
山奥の衛星写真に映った『謎の未確認生物』 実は美少女になれる銀竜だと、僕だけが知っている。  作者: 亜麻野


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/15

第11話:銀竜の性別という大きな謎

 三日連続の温泉は、さすがにやりすぎだと思う。


「澪、また行くの」


「当たり前じゃん。温泉は毎日入るものでしょ」


 それは観光客の感覚だ。帰省のたびに温泉に通い詰める妹の体力は底が知れない。朝ごはんを食べ終わるなり「今日も温泉!」と宣言して、母さんまで「じゃあ家族みんなで行きましょう」と乗っかるから、僕に拒否権はなかった。


 午前中。家族五人で温泉街の公衆浴場へ向かい、一時間ほど浸かって外へ出た。


 朝の陽射しが湯上がりの肌に心地よくて、風が通るたびにほんのり温泉の硫黄の匂いが鼻をかすめる。石畳の通りには旅館や土産物屋が並んでいて、平日だというのにぽつぽつと観光客の姿がある。


 家族と合流して、父さんとおじいちゃんは缶コーヒーを買いに自販機コーナーへ。おばあちゃんと母さんは干物屋の軒先で品定めを始めた。僕と澪だけが石畳の通りに取り残される。


「お兄ちゃん、あそこ見て。かわいい服屋さんある」


 澪が指差した先には、温泉街の一角に紛れ込むように建っている古着屋があった。古い木造の建物をリノベしたらしく、外壁がくすんだ水色に塗られている。軒先にはラックが出ていて、色とりどりの服が風に揺れていた。


 その古着屋の前に、見覚えのある男子が立っていた。


 雨宮慧士。


 春休みだというのに妙に整った格好をしている。白いシャツの上にベージュのジャケット、足元はきれいに磨かれた革靴。髪もきちんと整えられていて、中学を出たばかりの男子の服装としては明らかに浮いている。慧士と初めて会った人間は十中八九「大人しそうなイケメン」と形容するだろうし、実際その通りなのだけど、今の慧士の顔には疲労が刻まれていた。目が死んでいる。


 そして慧士の両脇を固めるように、二人の女性が立っていた。


「ねえ慧士、こっちのカーディガンのほうが合うんじゃない?」


「いや、さっきのオーバーサイズのやつのほうが絶対いい。ねえ慧ちゃん、ちょっと着てみて」


 慧士呼びなのが長女の雨宮沙耶さん。月銀町の役場で働いている公務員だと聞いていて、背が高くて姿勢が良い。仕事では真面目らしいけど、今は弟を着せ替え人形にする表情が完全に楽しんでいる。


 慧ちゃん呼びが次女の雨宮奈々さん。大学生で、普段は別の町で一人暮らしをしているはずだ。帰省中らしい。髪を明るく染めていて、沙耶さんより少し小柄だけど、声と動きはさらに遠慮がない。


 二人に挟まれた慧士は、ハンガーにかかったカーディガンを差し出されて、魂が抜けたような目で受け取っていた。


 慧士と目があった。無視してほしそう。


 僕が立ち去ろうとするより先に、隣の澪が動いた。


「あれっ、慧士くんじゃない?」


 澪が石畳を駆け出して、慧士の前に滑り込んだ。


「……澪ちゃん?」


「久しぶりだ! 会えると思わなかった!」


 澪はもともと慧士になついていた。帰省のたびに僕の友達として顔を合わせるうちに、いつの間にか「慧士くん」呼びが定着していた。慧士が女の子の扱いに慣れている――姉二人に揉まれているからだろうか、不思議と羨ましくはない。ただ、今は姉たちの前でその余裕もなさそうだった。


「あら、透くんの妹ちゃん?」


 沙耶さんがこちらを振り返った。その目が澪を捉えた瞬間、ぱっと表情が明るくなる。


「大きくなったねー! 前に会ったのいつだっけ、おととしくらい?」


「おはようございます! 沙耶さんもお元気そう」


「元気元気。見て、今日は慧士のコーディネートして出かけようと思って。どう、うちの弟、似合ってない?」


 沙耶さんが慧士の肩をぽんと叩いた。自慢げだ。着せ替えで疲弊させておいて自慢するのか、と思ったけど、口に出す勇気はなかった。


「似合ってます! めっちゃカッコいい!」


 澪が即座に乗っかった。目がきらきらしている。


「でしょー? うちの慧士、顔はいいんだから服さえちゃんとすれば映えるのよ。放っておくと地味な格好ばっかりするから」


「わかる! もったいないですよね!」


「ねー! 奈々もそう思うでしょ」


 奈々さんが腕を組んでうんうん頷いた。


「慧ちゃんはさ、素材はいいのにセンスが壊滅的なんだよね。だから私たちが手を入れないと」


「素材……」


 慧士が小さく呟いた。もはや反論する気力もないらしい。


 姉たちの自慢と澪の賛同が共鳴して、会話がどんどん加速していく。「この前は明るいジャケット着せたらすごく良かった」「え、見たい! 写真あります?」「あるある、ほら」。沙耶さんがスマホを取り出して慧士の着せ替え記録を見せ始め、澪が「うわー」「カッコいい」と毎回リアクションするものだから、沙耶さんは完全に上機嫌だった。奈々さんまで「じゃあ今日のも撮ろう」と言い出して、慧士はさらに服を着せられていく。


 僕はすっかり蚊帳の外だった。慧士と目が合う。「助けてくれ」と口が動いている。助けようがない。


「透くん、せっかくだからあなたも何か着てみない?」


 沙耶さんの照準がこちらに向いた。


「い、いえ、僕は大丈夫です」


「えーダメダメ、高校入学するんでしょ? もうちょっとおしゃれしたほうがいいよ」


「そうそう。お兄ちゃんにはまず清潔感からだよね」


 澪が真顔で言った。味方はいなかった。


 そこからの三十分は嵐だった。


 慧士は次から次へと服を着せられ、そのたびに姉たちが「ほら、似合うでしょ」と自慢し、澪が「すごい!」と拍手する。慧士は途中から文句を言う体力すら失って、言われるがままに袖を通していた。


 僕は帽子をかぶせられ、ジャケットを羽織らされ、「慧士くんと並ぶと面白い」と澪に写真を撮られた。父さんとおじいちゃんは缶コーヒー片手に遠くから眺めていたし、母さんとおばあちゃんは干物屋から戻る気配すらない。


 最終的に慧士は全身コーディネートを買い与えられ、僕は何も買わずに済んだものの精神的にはぐったりだった。


「じゃあねー、澪ちゃん!」


「はい! 慧士くんもまたね!」


 沙耶さんが大きく手を振って、雨宮三兄妹は去っていった。奈々さんが慧士の背中を押して駅に向かう姿が見える。慧士が最後に振り返って、無言で手を上げた。健闘を祈る。


「慧士くん大変だねー。お姉さんたち、慧士くんのことめっちゃ好きじゃん」


「好きっていうか、おもちゃにしてるだろあれは」


「えーでもちゃんとカッコよくしてあげてるし、いいお姉さんだと思うけど」


 澪の目がまだきらきらしていた。完全に雨宮姉妹のペースに取り込まれている。


「お兄ちゃんも慧士くんみたいにおしゃれすればいいのに」


「無理」


「やる気の問題でしょ」


 言い返す気力もなかった。



    ◇



 午後、家族が昼寝を始めた隙を突いて家を出た。


 山道を登りながら、朝の疲労がじわじわと蘇ってくる。雨宮姉妹の圧、澪の追い打ち、慧士の死んだ目。女の子のエネルギーというのは、あれは何なのだろう。渦に巻き込まれると抗うことすらできない。


 大岩をくぐって、通路を抜けて、祠を過ぎる。


 広間に入ると、銀華がいつもの壁際に座っていた。膝の上に少女漫画を開いて、ページに目を落としている。昨日持ち込んだ十冊のうち、もう六冊目に入っているようだった。


 僕が来たことに気づいて顔を上げる。昨日のそっけなさは消えていて、いつもの穏やかな表情だった。


「透。今日は昼過ぎだな」


「うん、また家族に捕まってた」


 銀華の隣に座る。昨日も座った場所。肩が触れるくらいの距離が、もう普通になっている。


「朝からすごかったんだ。友達の慧士ってやつがいるんだけど、そいつの姉が二人いて、三人がかりで着せ替えにされてた。僕まで巻き込まれて、帽子とか被せられた」


「着せ替え?」


「服を次々に着せて、似合うかどうか試すんだよ。慧士はもう魂抜けてた」


 銀華が小首をかしげた。膝の上の少女漫画をぱらぱらとめくって、あるページを指差す。


「だが、この漫画に出てくる女子は毎回服が違うぞ。透だって、洞窟に来るたびに違う服を着ているだろう。そういうものではないのか」


「いや、着替えるのと着せ替えられるのは全然違うんだけど……」


 銀華は何が辛いのかわからないという顔で、またページに視線を落とした。着せ替え地獄の恐怖は、洞窟で漫画を読んでいる存在には共有しにくいらしい。


「女の子って、なんであんなにエネルギーあるんだろう」


 呟きながらふと、隣を見た。


 銀華は少女漫画のページを指でなぞりながら、「恋愛」と小さく呟いていた。たぶん昨日聞いた単語を反芻しているのだ。指先が、登場人物の女の子の絵に触れている。


 その横顔を見て、唐突に疑問が湧いた。


 銀華の姿。銀色の髪に、白い肌。白いシンプルなワンピースで、小柄で、でも目つきはちょっと鋭くて。どこからどう見ても人間の女の子の外見をしている。


 でも、銀華は竜だ。


 考えてみれば、銀華の性別について深く考えたことがなかった。初めて人間の姿を見たとき、「女の子だ」と思って、それ以来ずっとそのまま受け入れていた。疑問にすら思わなかった。


 でも今、想像の中の女の子と、隣にいる銀華の姿が重なって、初めてその疑問が輪郭を持った。


「銀華」


「何だ」


「銀華って、その……性別ってあるの?」


 銀華がページから目を上げた。


「性別。雄と雌のことか」


「うん。銀華は竜だけど、ずっと今の姿……女の子の姿でいるからさ。今まで聞いたことなかったなと思って」


 銀華はしばらく考え込むように目を伏せて、それから首を傾けた。


「わからない。今まで考えたこともない」


「じゃあ、なんで人間に変身するとき、いつも今の姿なの。その……女の子の」


 銀華のページをめくる手が止まった。


 しばらく黙っていた。考え込んでいるのか、質問の意味を咀嚼しているのか。僕は急かさずに待った。


「……それも、わからない」


 銀華が率直に言った。


「わからない?」


「なぜこの姿になったのか、私にもわからない」


 銀華が漫画を膝の上でぱたんと閉じた。壁にもたれて天井を見上げる。銀の鉱脈が細い線を描いて光っている。


「初めて人間の形になったときのことは、覚えている」


 静かな声だった。昔の記憶はほとんど定着しないと銀華は言っていたけど、これは鮮明に残っているらしい。


「小さな動物が、何度も何度も洞窟に来た」


 僕のことかな。小学二年の頃。迷い込んだ洞窟で銀竜に出会って、それから通い続けた。


「最初は何をしに来ているのかわからなかった。住むわけでもなく、攻撃するでもなく。ただ私を見て、音をぶつけてくるだけだった」


「音」


「言葉だ。当時の私は知らなかった。だから透の発する声は、ただの音だった」


 銀華が膝を抱えた。銀色の髪が肩口からさらりと流れる。


「音には規則性があった。同じ音を繰り返す。違う音を重ねる。表情が変わる。声の高さが変わる。意味を知りたいと思った。それが、私が初めて抱いた疑問だった」


 初めて。銀色の洞窟の静寂の中で、僕の声が初めての「疑問」だった。


 銀華はそこで少し間を置いた。言葉を探しているような沈黙だった。


「君の音の意味を知るには、君と同じものになればいいと思った。だから、その動物に変身しようとしたのだ」


「人間に?」


「ああ。出来上がったのが、今の姿だった」


 銀華が自分の手を見下ろした。白い、細い指。竜の爪とは遠くかけ離れた人間の手だ。


「なぜ君と同じ形にならなかったのかは、わからない。ただ、この形で目を開けたとき、君が発する音の一部が……少しだけ理解できた気がした」


「少しだけ?」


「少しだけだ。気がしただけかもしれない。でも、それがとても良かった」


 銀華が僕を見た。落ち着いた、静かな目だ。


「だから、この姿のままでいることにした」


 胸の奥がじんと温かくなった。


 銀華がこの姿を選んだ理由。それは性別がどうとか、美しさがどうとか、そんな話じゃなかった。僕の言葉を理解したくて、結果としてこの姿になった。


 なんだか、くすぐったくて、でもちょっと誇らしかった。


「……じゃあ、銀華が喋れるようになったのも、そこからなんだ」


「すぐには喋れなかった。この形になって、透の音をたくさん聞いて、少しずつだ。辞典を持ち込んでくれてからは随分早くなったが」


 ああ、国語辞典。あれを持っていったのは確か小学五年の頃だ。見よう見まねで文字を追い始めた銀華に、言葉の意味を一つずつ教える日々。あの頃はまだ片言で、「透」と「良い」「悪い」くらいしか言えなかった。


 今ではこんなに流暢に話している。「執念」だの「恋愛」だの、辞典と漫画で覚えた言葉を操って。


「銀華」


「何だ」


「ありがとう」


 銀華がかすかに眉を上げた。


「お礼?」


「僕のせいでその姿になったのに、怒らないでいてくれてるから」


「怒る理由がない。この姿は気に入っている」


 さらりと言った。気に入っている。こんな重大な話を、銀華は淡々と語る。でもその淡々さが、逆にずしりと来る。


「それにしても、性別か」


 銀華が膝の上の少女漫画を、つんと指先で突いた。


「この漫画の人間たちは、恋愛というものに随分と振り回されているが。男と女で、なぜこんなにも面倒なことになるのだ」


 話題が飛んだ。少女漫画を早速読みこなしているらしい。


「面倒って」


「この男は好意を伝えたいのに伝えられない。女も同じだ。なのに互いに気づかない。不便だ。人間には言葉があるだろう」


「それが恋愛漫画の醍醐味なんだけど」


「醍醐味。不便を楽しむものなのか」


 銀華が首をかしげている。竜の性別はわからないし、恋愛もわからない。だからこそ、少女漫画の世界は銀華にとって完全に未知の領域なのだろう。


 朝の温泉街での出来事が嘘みたいに、洞窟は静かだった。銀華は再び漫画を開いて、ページの続きに目を落としていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ