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73.老犬⑩〜ガルの言葉

 次の日のメリッサの様子は明らかに変わっていた。

 不安、迷い、悩み、戸惑い…、これまでメリッサの中でくすぶり続けていた負の感情の大半が昇華したようだった。

 ただひとつ…、淋しさだけは依然として彼女の瞳に宿っていたが、それでもメリッサは彼女なりに心の折り合いをつけていた。


「……メリッサちゃん……淋しい…?」


 ふたりでガルをブラッシングしながら、リンがメリッサに尋ねてみた。

 愚問なのはわかっている。

 だが、これまでとはガルの死に対する捉え方が全く違っているように思えたのだ。

 

「……うん…、そうだね…、淋しいよ…」


 メリッサの手がほんの少し止まり、また優しくガルの白い毛並みにブラシを走らせ始める。


「……淋しいけど……、ガルが幸せな気持ちで…眠れるんなら……ね……」


 メリッサがガルの頭を優しく撫でる。


「…ねぇ…ガル……、今……幸せ…?

 あたしと一緒にいて…幸せって思ってくれてる…?」


 ガルが少しだけ目を開け、くぅ~ん、と細く鳴く。

 尻尾が小さく振られている。


「…ははは…、ゴメン……わかんないよ……。

 …ガル…、アンタが…喋れれば…いいのになぁ…」


「……メリッサちゃん…、ガルうれしそうだよ…

 きっと…幸せって思ってるよ」


「…そうか…、…そうなら…いいなぁ……

 …そうなら……いい…なぁ……」


 メリッサがリンに抱きつき、何度も何度もそう繰り返し、そして泣いた。

 ガルが少しだけ開いた瞳でメリッサを見つめ、また細い鳴き声をあげた。

 まるでメリッサに返事をしているように。


「……メリッサちゃん……ガルが…お返事してくれてるよ。ガルにはわかるんだね…、メリッサちゃんが何を言ってるのか」


「……そうなのかな……ありがと…ガル……」


 目を拭い、懸命に笑顔を作るメリッサ。

 リンも笑顔を作るが、やはり泣き顔と混じる。


 ふたりの泣き笑いに包まれ、ガルがまた目を閉じた。





**********************





 その夜、ガルの容態が悪化した。


「ホサ!お姉ちゃん!……ガルが…!」


 リンからの知らせを受け、アルベルトとエリシアがガルの元に走った。

 部屋ではメリッサが沈痛な面持ちでガルの身体を撫でていた。


「……メリッサ嬢……」


「領主様……、補佐さん……。

 ガルが…ミルク飲んでくれないの……。

 昼は飲んでくれたのに……。

 もう…ミルク飲む元気も…なくなっちゃったかな……。

 ねえ…、ガル…、苦しくない…?だいじょぶ?」


 メリッサの問い掛けに、ガルは目を少しだけ開き、辛うじて聞こえるか聞こえないかの声を上げていた。


「……ガル……、ゴメン…わかんないよ……

 ゴメン……わかんないんだ……」


 メリッサが悔しそうに、申し訳なさそうに、ガルを撫でながら想いを吐露する。

 ガルもなんとか声を上げようとしている。

 まるでメリッサに答えるように。


「……メリッサ嬢……」


 エリシアにはその光景が堪らなかった。

 数カ月前、父の臨終の際に自分が感じたもどかしさがそこにあった。


  あの時も……

  父の言葉を聞き取れず……

  自分の気持ちが父に伝えられたか…

  最期までわからなかった…


 アルベルトも、メリッサの焦燥感を理解していた。


  ガルは幸せだった

  おそらくその見方に間違いはない

  だが……、それを確認する術はない

  人間と動物…

  完全な意思疎通など不可能だ

  そこにどうしても、自己満足でしかなかった

  のではという猜疑が根を張ってしまう


 アルベルトがガルに近づく。

 傍らに屈み込み、そっと話しかけた。


「……ガル……、お前が喋れたら……メリッサに

何を語る…?

 お前は幸せだったかい……?

 それが……伝えられれば……」


 その問い掛けに答えるかのように、ガルがか細い声で、くぅ~ん、と鳴いた。




 その時だった。


 リンの身体から淡い光が溢れ出し、アルベルトたちを囲むように振り注いだ。

 3人が一斉にリンに注目した。


「……こ…、これは……”神気”……か?」

「……え…?……これ…さ…攫われた時の…?」

「……リン!…お前…また…!」


 リンが静かに瞼を開く。

 いつものリンではない。

 先ほどまでそこにいたリンではない。

 表情と雰囲気が全く異なる。

 明らかに別の存在。


 その存在が全く違う口調で語り始めた。


「父性の純粋な願い、確かに聞きました。

 僅かな時ですが、無垢なる魂同士の言葉を繋げましょう。語りかけてあげて下さい」


 茫然とする3人。

 その頭の中に声が聞こえてきた。


 "……メリッサ……"


   男の声…?

   誰だ…?

   まさか……


 ”……メリッサ……”


   また聞こえた

   これは……ガル…か


「……もしかして…ガル……なの……?」


 メリッサは困惑した表情で、ガルに話しかけた。

 信じられない出来事。

 しかし、メリッサは強く望んだ。

 この声がガルであって欲しい。

 自分の考えが事実であって欲しい。


 "メリッサ…そうだよ。やっとお話できたね…"


「……ガル…なんだ…ホントにガルなんだ……」


 メリッサが泣きながらガルに縋りついた。


 ”メリッサ…泣かないで…。君はいつも僕に尋ねていたよね。僕は幸せだったかって……。

 僕も一生懸命答えてたんだよ……。

 幸せだったよって……。

 ああ、よかった……、ようやく伝えられた…”


「……ガル……ホント…?ホントに…幸せ…?」


 "そうだよ…。君と会ってから、僕はずっと幸せだったよ。

 毎日孤児院のみんなと遊んで…、美味しいものを食べて、暖かい寝床で寝て……。みんな優しかったよ。

 でも…君が来てくれるのが一番うれしかった。

 あの日君を助けてから、ずいぶん時間が経ったんだね……。君がこんなに大きくなって……、僕もだいぶ年を取った。

 ……ゴメンね……もう…眠いんだ……。

 眠らなきゃいけない……みたいだ……

 でも…眠る前に君とお話ができた……

 ホントによかった……"


「……ガル……」


 ”泣かないで、僕の大好きなメリッサ……

  僕はもう眠るけど……淋しいけど……

  僕は満足してる……。

  君を狼から助ける事ができて……

  君と一緒に遊んで……

  君の笑い声をいっぱい聞いて……

  君と美味しいご飯を食べて……

  最期に君と一緒に過ごせた……

  楽しかったよ…

  ありがとう……”



 皆を包んでいた淡い光が薄れはじめた。


 ーーー時間切れか、あのときと同じだーー


「メリッサ嬢!時間切れだ!ガルに言葉を…!」


 エリシアの叫びにメリッサがコクッと頷き、ガルにそっと語り掛けた。


「ガル…、あたしも楽しかったよ…。

 もう……眠いんだね……。

 最期にお話できて…本当にうれしかった……

 これまで…ありがとう………

 本当にありがとうね……

 ………おや…す…み……、ガル………」


 メリッサの言葉は切れ切れだった。

 だが……、ガルには確実に聞こえたろう。

 ガルの言葉もしっかり受け止められた。



 淡い光が消えた。


 リンの瞼が閉じられ、身体の力が一気に抜けたように倒れ込んだ。

 傍らのエリシアがしっかり抱きとめる。


「……アルベルト、リンを頼む…。私はメリッサ嬢を……」


「……はい…」


 アルベルトがリンを抱きかかえる。

 リンを慈しみの目で見つめ、視線を傍らに移した。

 視線の先にはメリッサとガル。


「……よかったね…メリッサ…ガル……」


 アルベルトが静かに扉を閉じた。

 



「……ガル……ありがとうね…おやすみ…」


 メリッサがガルを抱きかかえ、その顔をひと撫でした。

 ぽとりと一粒二粒、涙がガルの目の辺りに落ちた。

 ピクッとヒゲが動いたように見えたが、再びガルの目が開かれる事はなかった。

 

 


 メリッサには親友がいた。


 白い長い毛並みの親友。


 メリッサを助け 

 メリッサと戯れ

 メリッサとともに過ごし

 メリッサの成長を見守り

 そして彼は今、彼の親友の腕の中で

 淡い光とともに彼の時間を止めた。

 


 


 

 


 












 




 



お読みいただきありがとうございました。


少しでも「続き読んでもいいかな」と思って

いただけましたら大変嬉しいです。

今後の励みになりますので、よろしければお気持ちの分だけ☆をいただけますでしょうか。


できましたら、ブックマークもしていただけると嬉しいです。

末永くお付き合い下さいませ。


次回タイトル予告「ガルの遺してもの」

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