70.老犬⑦〜応報
し、執政官補佐…!
独立都市テーゼの第2席…!
お、大物過ぎる…!
青ざめた顔で、もう言葉を発せられないザイル。
悠然とした表情でそれを見つめながら、アルベルトが自分の見解の説明を続ける。
「話を続けさせていただきますね。
1点目は先ほどお話しました通り、薬は存在しないという事。
ありもしない薬の仕入れに、わざわざ行く必要は
ありませんし、そのつもりもないのでしょう。
これが2点目です。
それでは出立せずに済ますためにどうすればよいか。
客が薬を要らなくなればいい。
つまり、薬を与えるはずの犬が死ねば、薬は不要に
なり、客側から契約を解除してくる。
あなた方は特約に則って、労せず預かった金を手に
できるわけです。
これが3点目の見解です。
何か異論はありますか?」
「……い、いや…、そんーーー」
「よくできた契約書でした。良心的と言ってもいい。
行程日数は通常範囲内、金額は…そこそこ繁盛している商人ならなんとかできる範疇。
特約も客側に十分配慮し、自分たちに若干不利な条項にする事で、客側の信頼と安心を買っている」
「…そ、その通りです…!私どもは公明正大にーー」
ザイルの震える声を遮るように言葉が被せられる。
「ーーーだからこそあなた方の罠を確信しました。
特約第2項に盛られた毒をね。
商品は存在しない。故に出立しても手に入らない。
出立すれば行程日数の制限が発生する。手ぶらで戻れば実費を除いた大半を返金しなければならない。
ではどうするか。
薬を与える対象を秘密裏に始末する。
衰弱した老犬です。毒を盛れば誰の目にも自然死に映るでしょう」
「……ち、ちが……」
「昨夜、孤児院に忍び込んだ賊が騎士団員に捕縛されました。
犬の食器に何やら毒物を仕込もうとしたようで。
本格的な尋問はこれからでしょうが、さほど時間を待たず真相もわかる事でしょう」
アルベルトの視線が部下に向く。
「おそらく取引先の薬屋との雑談の中から情報を手にしているのですね。
今回はメリッサが網に掛かった。
”そこそこ繁盛しているパン屋の娘が、衰弱した老犬の治療薬を探している。どこの薬屋にも断られたようで、不憫に思い運送業組合に聞いてみるよう助言した”
薬屋にとっては他愛のない雑談だが、追い詰められている相手はあなた方には格好の獲物だ。
あとは運送業組合でメリッサを待ち、紳士然とした対応で契約を取り付ける。
実に手際のいい仕掛けでした。まるでこれまでも何度か同じ事をしていたかのようにね。
まあ、それが犬か人かはわかりませんが」
部下の1人が途端に震えだし、膝から崩れ落ちた。
「もし、あなた方がまだ強弁するのであればそれもいいでしょう。
騎士団からすぐにお呼びが掛かる事でしょうし、私の方はアミドニアの、その王家ゆかりの方…に宰相殿を通じてお会いできるようお願いする事にします。
仮に王家の名を騙ったとなると……、いやこれは大事だ。私もアミドニアからの身柄引き渡し要求に対抗する術がありません。
……さて……」
そこで言葉を切り、震えるザイルの顔に自らの顔を近づけ、依然として淡々とした口調でザイルに引導を渡した。
「…もう勝負はついたと思いますが、いかがですか」
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観念したザイルは、金庫から金を持ってきた。
ゴッヅの巾着とメリッサの財布もある。
有り金全部かき集めてきたようだ。
メリッサの財布の中身は空だった。
ゴッヅの巾着も金貨が数枚減っている。
いい気になって使ってしまったのは明らかだ。
その他の金を数えてみても、全部で金貨35枚ほど。
金貨24枚の倍返しには13枚ほど足らない。
「……だいぶ足らないようですが……」
「……不足分…は一両日中に…は必ず……」
床に這いつくばって震えるザイルたち。
興味のない玩具をみるような目つきで連中を一瞥し、アルベルトが席を立った。
「では明後日までにご用意願います。
今日のところはこちらをいただいて行きます」
**********************
アルベルトが去った後、ザイルたちは恐慌状態だった。
手持ちの金がなくなった…
明日からどうすればいい…
明後日までに金貨13枚?
そんな金、用意できるわけがない…
「……商会長…」
「……店を…畳むぞ…」
恐慌の末、行き着いた結論は組合からの脱退だった。
組合加盟時に、各運送業者は規模に応じて供託金を預けている。
事故やトラブルが発生した際の賠償や和解のための
準備金だ。
当然、脱退すれば供託金は返還される。
ザイルは金貨15枚を預けていた。
これを当座の金として他国に拠点を移し、事業の再興を図ろう。
「とにかく今日のうちに回れるだけ回って売掛を回収してこい!俺は組合に行って供託を返してもらう。金を集めたらすぐにここを出ていくぞ!」
「捕まったアイツは…?」
「そんなの知るか!ドジ踏みやがって!ほっとけ!
どうせ大した罪にはならん」
そう怒鳴って、組合加盟承認書と供託金預り証を纏めて鞄に詰め込むザイルの元に、意外な人物が訪れてきた。
運送業組合長ベンである。
「く、組合長…、なぜこんなところに…?」
にこやかに手を挙げ、ザイルの慌ただしさをさり気なく受け流す。
「おお、取り込み中にスマンな。ちょいとアンタに用があってな」
「私に…用…?」
「おお、そうじゃ」
そう言いながら懐をゴソゴソ弄り、1枚の書面をザイルに差し出した。
「今日はコイツを持ってきたんじゃよ」
ザイルが渡された書面を恐る恐る見る。
表題を見た瞬間、アルベルトと対峙した時以上の震えに襲われた。
膝が崩れ、手から書面がこぼれ落ちる。
「……これ…は……」
怯えと絶望の入り混じった目で、縋るように
ベンを見つめるザイルに、ベンが晴やかに答えた。
「ああ、見ての通り、アンタの除名通知じゃ」
運送業組合の除名通知。
著しい不正行為を行った業者に科せられる、最も厳しい措置。
各国の運送業組合に一斉に通知され、除名された業者は今後一切の取引から排除される。
つまり、運送業界からの永久追放を意味する措置だ。
「……な、な、なぜ…?」
わなわなと震えが止まらないザイルの肩をポンポンと叩き、笑顔のベンが耳元でそっと囁く。
「いやぁ、わからんはずなかろう。
純な子供の心を弄んで、金騙し取って、犬まで殺めようとしおったんじゃろう。
そんな輩をこの業界に置いておくわけにゃいかんじゃろうが。
それからな、知っての通り、除名になった業者の供託金は凍結される。アンタの供託は確か金貨15枚じゃったが、メリッサの嬢ちゃんへの返金に使わしてもらうでな」
這いつくばるザイルの前に、ヒラヒラと別な書面が落ちてきた。
「例の契約書じゃ。特約の承認も済んどる。
ほれ、承認時間も入っとろう。今日の朝一番に承認しといたからの。
わしが来る前に誰か来ておったようじゃが、特約付
契約発効後のそいつの言い分は隅から隅まで合法じゃ。
アンタはこれから自分の所業の報いってヤツを存分に味わってくれや。
それじゃな……、…いや…もう顔を合わす機会はないかな…」
ザイルの耳にはベンの言葉がどこまで聞こえていたかわからない。
ベンが去った後も、ザイルは膝をつき、目の焦点も定かでない茫然自失の状態で固まっていた。
部下の男もザイルの様を見て後ずさる。
「……だ、ダメだ、ここにいちゃヤベェ…」
ザイルを見限るように、部下の男が狼狽しながら部屋を飛び出していった。
商会長がこんなんじゃ
もうどうにもならねえ、
とにかくここからズラかってーーー
しかし商会の外で待ち構えていたのは数名の騎士団員だった。
ヒィッと叫びを漏らす男が、ガシッと騎士団員に肩を組まれた。
「おいおい、お仲間見捨ててトンズラか。
ダメだよ、そんな事しちゃ。牢ん中でお前らを今か今かと待ってんだぜ。
これからも同じ職場で何年も過ごすんだからよ。
仲間は大切にしなきゃなあ。
早寝早起き、酒もタバコもない。健康にゃ滅法いいって評判の職場だ。
ああ、新しい職場は確か『鉱山』ってトコらしいな」
男は身動きもできずボロボロと涙を流すが、誰も意に介さない。
やがてザイルも騎士団員に抱えられ出てきた。
全身の力が抜け、立っていられなくなった2人は、
騎士団員に抱えられるように連行されていった。
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