68.老犬⑤〜特約の罠
「……騙されて…る…?」
アルベルトの言葉はリンにとって衝撃的だった。
あんなに喜んでいたのに…
それがウソをつかれて…?
そんな…
頭を掻いて頷くアルベルトに、明らかに苛立ちの色が見て取れた。
「アミドニアにそんな万能薬はない。
あそこは女神信仰が他国より徹底されている国だ。
礼拝と祈祷で病が癒やされると信じられているから、その分他国よりも薬学が遅れている。
逆に王家は他国から内密に薬を融通してもらっているくらいだ。
現に先日のアミドニア出張の目的は医薬品の輸入に関する協議だったんだ。
そんな国に万能薬なんて作れるはずもない」
「…じゃあ…、おくすりは…ないの…?
買いに行くって……ウソなの…?」
「おそらくアミドニアには行かず、適当に出立を延ばして時間を稼ぐ。あるいは出立したフリをして、ただの水をメリッサに渡すかもしれない。逃げ道はいくらでもある。
もっと最悪なのは……」
「…最悪なのは……?」
心配そうに見つめるリン。
アルベルトは、自分がいかに険しい表情をしていたかにようやく気づいた。
「ゴメンよ、今のは忘れて。明日私が動いてみるから、心配しないで」
「……でも……」
アルベルトが優しくリンの頭を撫でる。
「残念だが…ガルの事は避けられないだろう……。
だが、1つでいいはずの不幸を2つに増やすのなんて許しちゃならない。
リン、この事をメリッサに話しちゃいけないよ。無用な心労を増やす事はない」
「……わかった……」
「……それにしても……」
アルベルトが虚空を睨み、ため息を吐く。
「……連中はどこまでやるつもりか……」
**********************
次の日、アルベルトはまず騎士団本部にゼクスを訪ね、その足で運送業組合に向かった。
「なんじゃい、なんじゃい、お前さんはいつも突然来おって面倒事持ち込みよる。
今日はどんな面倒事じゃ?」
相変わらずのベンの憎まれ口を、アルベルトは苦笑で受け流し、さっさと本題を切り出した。
「ザイル運送商会…という業者をご存知ですか」
「……ザイル…、ザイル……、いや、パッと浮かばんのぉ…。ちょっと待ってくれ」
ベンが戸棚から分厚いファイルを取り出した。
加盟業者の名簿のようだ。
「ええっと…、ザイル…ザイル…と……。
おっ、あった、あった。コレじゃな」
該当のページを開き、アルベルトに手渡す。
「アミドニア出身の新参者じゃな。1年と少し前に加盟しておる。職員は3人。近場専門で主に薬屋相手に薬品や薬草を運んどるな」
ベンの視線の温度が突然低くなった。
「……で、コイツらが…何やらかした?」
いつもはお茶らけた色ボケジジイだが、運送は社会生活を支える血流だという自負を持ち、業務に関する不正行為には殊更厳しい。
アルベルトがただの興味で一介の零細運送業者を調べるわけがないとよく知っているが故に、その疑念も当然の反応だった。
「……ゴッヅとメリッサを騙しています」
「なんじゃと!」
アルベルトが一連の出来事をベンに語る。
ガルの事、メリッサとの関係性、その苦悩、組合を訪れて詐欺を仕掛けられた事、昨日契約して金を支払った事。
話が進むにつれ、ベンの顔が怒りに満ちていく。
「ちょ、ちょっと待っとれ!」
そう叫ぶや否や、ベンが執務室を飛び出していった。
しばらくして息を切らせて戻ったベンの手に、
ゴッヅが結んだ契約書が握られていた。
「これじゃ、ゴッヅと奴らの契約書は」
テーブルに広げ、契約内容を吟味するふたり。
もともと組合制定の契約書だ。いずれかに不公正を
強いる条項は記載されていない。
罠を仕掛けるとしたら空欄か特約だ。
「あなたから見て、この契約書はどうですか?」
じっと契約書を睨むベンに、アルベルトが問いかける。
「ううむ……、これは……予想外に客側に配慮された
契約内容になっとるぞ」
ベンがそれぞれのポイントを指し示し解説する。
「まず『積み荷』。ここは『所定』としとるな。
これは両者合意で明記せんという事じゃ。この場合、積み荷が発注したモンと違うなんていうトラブルが起きても、組合は仲裁せん。言った言わんの水掛け論は裁定できんからのぉ。
その代わり、『所定』でトラブルを起こした業者は
組合内ででっかい✕が付けられ、組合紹介の良質案件に噛めなくなる。じゃから業者側も積み荷でトラブルは
起きんと自信がある時しか『所定』は使わんわ。
その他の空欄、金額・行程日数は通常の取引の範疇
じゃ。少なくとも空欄部分に疑わしい箇所はないぞ」
「特約はどうですか」
「ここもなぁ…、業者側都合での契約解除は2倍返しで、客側都合は放棄、荷の仕入ができなかった場合は
実費差し引きで残金返還じゃ。
よく客側に配慮された特約にしとるよ。顧客保護の
観点から言えば満点くれてやってもいいくらいの特約じゃわい」
「……そうですか……」
アルベルトの視線が厳しさを纏う。
自分の見立てが狂っていた事がわかって苛立っているのか。
「なあ、アルベルト、考え過ぎなんじゃなかろうかのぉ。これで詐欺仕組むのにはムリがありそうじゃぞ」
業界の最重鎮が、顧客保護の観点からはほぼ完璧と
評した特約。
厳しい視線でじっとそれを凝視するアルベルトが、重々しく口を開いた。
「……いや…、逆に確信が持てました。
奴らは明らかに罠を仕込んでいます。
それも想定していた中でも最悪の方法で」
「…な!なんじゃと!お前さん、そいつがわかったちゅうんか?!」
ベンが驚愕してアルベルトに詰め寄る。
この契約書のどこに罠を仕掛けられるというのか。
自分に見えない何がこの男に見えているのか。
「……ここです……、ここに奴らの罠がある」
アルベルトが契約書の1点を指差し、説明を始めた。
**********************
「……そんな事を考えてるっちゅうんか…」
ベンが天を仰ぎ、テーブルをドンッと叩いた。
「……メリッサ…すまんのぉ、ワシがあの日居らんかったばっかりに…」
その手は怒りに震えている。
自分を訪ねてきたメリッサが、ベンの不在の合間に
騙され、自分の貯めた小遣いと、ゴッヅたちが嫁入りのためにと貯めていた金をまんまと差し出してしまった。
ベンにしてみれば悔やんでも悔やみきれないといった風に見える。
が、アルベルトは冷静且つ的確に、ベンの弱みを指摘した。
「……イイ感じに不在を悔やんでますが、仕事サボって何してたんですか……?」
むう、と顔を顰め、アルベルトを睨み返すが、やはりアルベルトの見透かすような視線には耐えられない。
心の中で白旗を掲げ、ボソボソと降伏宣言をしだす。
「……いや…、ココんとこ口説いてた女がちょいとばかりガードを緩めてのぉ…。
ココじゃ!思うて一気にキメようと……」
「でも…肩透かし食らったんでしょ……」
「じゃから悔やんでおるんじゃ!
あんな女の駆け引きに時間取られたせいで……、
クソっ、自分が情けないわい!」
相変わらず女性に関しては平常運転だな、と思いつつも、自分の不在がメリッサたちを苦境に追いやってしまったという後悔の念はホンモノだという事もわかっており、アルベルトは苦笑するしかない。
「では、協力していただけますか」
「当たり前じゃ!子供のキレイな気持ちにつけ込みおって、その小遣いにまで巻き上げるとは、絶対に許さんわ!」
「ありがとうございます。連中は今日にも動くでしょうから、明日には決着を付けます。
女性口説きに行ってて不在だなんて事は、くれぐれもないようにお願いします」
スッとアルベルトが右手を差し出す。
「……わかっとるわい、イジワルなやっちゃのう」
ベンが応え、固く握手を交わした。
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