5.欠片が繋がる夜
夜、アルベルトは街を巡回する騎士団員とすれ違った。
先輩格の騎士と軽く目礼を交わし、後輩が去っていくアルベルトをチラ見する。
「先輩、今のヒト、お知り合いですか?
俺、どこかで見たことがあるんですが……」
「ああ、新米のお前はほとんど会った事ねえだろうな」
「どなたでしたっけ?」
少しの間。
「ありゃな……」
先輩騎士は遠い目をした。
「……『伝説』だよ……」
❖ ❖
シドの酒場の個室は、外の喧騒から隔てられた、薄暗い空間だった。
蛍光石の灯りがテーブルを照らし、壁に淡い影を落としている。
アルベルトは椅子に深く腰を下ろし、テーブルに置かれたミルクを静かに口に運んでいた。
冷たい液体が喉を通る感触だけが、この静寂を埋めている。
ヒュンッーー。
突然、横から銅貨が飛んできた。
アルベルトは一瞥もせず、左手をわずかに動かす。
指先が一閃し、次の瞬間、その銅貨は彼の手のひらに収まっていた。
金属の冷たい感触が、掌に染みる。
「また失敗だ、全く隙がないったら、もう」
扉が開き、店主夫婦が入ってきた。
男はシド、女はエヴァ。
エヴァがイタズラっぽい笑みを浮かべて席に着く。
シドは無言のまま、向かいの椅子に腰を下ろした。
エヴァは紫煙をたゆらせながら、アルベルトに皮肉っぽい眼差しを向ける。
煙が灯りをくすませ、部屋の空気を甘く濁らせる。
「いつもミルクじゃ、コッチも商売になんないだろ。たまには豪遊しなよ、補佐さん」
「悪いが酒は体が受け付けない。帰れば食事もあるので、食い物も要らない」
エヴァがクスッと笑う。その笑い声は、どこか諦めを含んでいた。
「相変わらずお固いこった。
酒で財布と口が軽くなる『名無し』さんたちとは大違いだ。
でもさ、いつも思うんだけど、こんな取り留めもない話集めて何がわかるんだい?」
アルベルトは静かに、ミルクの杯をテーブルに置いた。
「いや、何もわからないよ。
ここで『名無し』がしていく酒気の混じった囀りは歪な欠片でしかない。
ただ、たまにいくつかの欠片が繋がり合ってカタチになる事があるんだ」
エヴァは紫煙を吐き出しながら、ゆっくりと頷いた。
「……なるほどねぇ……」
そのとき、個室の外から、酔客の怒鳴り声が響いた。
「なんだぁこの勘定は! 高すぎだろう!」
エヴァが面倒くさそうに肩を竦める。
灯りが、彼女の横顔を一瞬、鋭く照らした。
「……アンタ」
シドは黙って立ち上がり、個室を出ていった。
重い足音が廊下に消え、次の瞬間ーー
外が一瞬で静まり返る。
怒鳴り声も、騒ぎも、すべてが音を立てずに途切れた。
シドが戻ってくる。表情は全く変わらない。
エヴァがふふんと笑った。
「ウチのダンナは、口は開かないけど仕事はキッチリする」
アルベルトも釣られたかのように笑みを浮かべた。
「ああ、いい役割分担だ」
アルベルトはテーブルに金を置く。
硬貨の音が、静かな個室に乾いた響きを残した。
「ありがとう、いつも助かるよ」
エヴァは金を胸元にしまいながら、視線の温度を落とした。
深刻そうな目が、アルベルトを捉える。
「ああ、そういや、ちょいと気になるネタがあったよ」
「なんだい?」
エヴァは煙を吐きながら、忌々しそうに吐き捨てる。紫煙が天井へ昇り、灯りをかすませる。
「カーチスで子供の誘拐が多発しててね。かなりの問題になって、警戒が段違いに厳しくなってるらしいよ」
アルベルトは少しだけ眉をひそめた。
そのわずかな動きが、ランプの影を長く引き伸ばす。
「……ありがとう、気にかけておくよ……」
❖ ❖
数日後、アルベルトは、部下からの報告を受けた。
「……やはりそうだったか……」
「ハッ。リヒテンラーデ行き商隊の幌馬車から、空樽に入れられた子供14人が発見されました」
アルベルトは短く頷いた。
「了解した。ご苦労」
部下が退出すると、部屋に再び静寂が戻る。
アルベルトは机に両肘をつき、険しい目で虚空を見つめた。
窓ガラスに映る自分の影が、灯りの中でゆらりと揺れている。
(欠片が、またひとつ繋がったか……)
❖ ❖
夕方、孤児院の庭では子供たちが無邪気に遊んでいた。
笑い声が木々の間を飛び交い、夕陽が長い影を地面に伸ばしている。
ボールを追う足音、転んで起き上がる小さな体、手を取り合う姿ーー日常の、ごく当たり前の光景だった。
その様子を、遠目から窺う男がふたり。
木々の陰に身を潜め、視線だけが子供たちを追っている。
口元が、ゆっくりと歪む。
下卑た笑みが、夕陽の赤みに染まって浮かび上がる。
(いい獲物を……見つけた)
風が葉を揺らし、子供たちの笑い声を運んでくる。
その笑い声が、男たちの耳には、まったく別の響きとして届いていた。
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