2.祈られなかった神
白銀の髪。閉じられた瞼。呼吸は微かにあり、生きている。
アルベルトは一歩近づいた。
その瞬間、背筋を氷で撫でられるような感覚に襲われる。
(人……じゃないな)
体が重い。
崩落のダメージだけではない。
彼女の気配が、のしかかってくる。
近づくのを拒まれているわけではない。
だが、「覚悟」を要求されているーーそう感じた。
それでも彼は、一歩、また一歩と、ゆっくりと近づいていった。
長い時間をかけて、ようやく少女の傍らに膝をつく。
「……私の声が、聞こえるかい?」
精一杯の声だった。
少女の指が、ほんの少し動いた。まるで返事をするように。
……リーン……
鈴の音のような、涼しげな音が、どこかで響いた気がした。
少女の瞼が、少しずつ開く。蒼く、深く、底の見えない瞳が、彼を映した。
「……ここは……?」
アルベルトは、いつも通り淡々と答えた。
「地下……だろうな。造られて三百年は経っていると思う。日当たりも悪い、風通しも悪い。生活するにはとんでもない悪環境だ」
少女はしばらく彼を見つめ、ぽつりと呟いた。
「……皆……、いないのだな……」
古風な口調。やはり、伝承の少女だ。
蒼い瞳は虚空を見つめている。
何もかも失い、何も望まず、何も期待しない。
ただ諦めだけが残った、空虚な眼差し。
「……我も……このまま滅んだほうがよかった……」
淡々と、だが確かに吐き出された言葉。
アルベルトは、居た堪れない感情を必死で堪えた。
背筋の震えに耐えながら、自問自答を繰り返す。
(私は耐えられるのか……。
この少女の抱える絶望の深さに……。
悲しみの深さに……。
私は目を背けるのか……。
この少女がこのまま少しずつ朽ちていくことから……)
長い沈黙。
やがて、彼はほんの少し困ったように笑った。
自然体のままサラリと少女に言い返した。
「子供が生意気言うんじゃない」
少女が、きょとんとした顔で彼を見る。
「子供はいつでも守られる側で、大人はいつでも守る側なんだよ」
その言葉に、少女の目が見開かれた。一瞬、呼吸が止まったように硬直する。
「……今……なんと言った……?」
瞳が、現在と過去を交互に回顧する。
あの夜。自分に伸びた手とともに、父が届けた呟き。
アルベルトは、飾らず、なんて事ないという風に、同じ言葉を繰り返した。
「だから、子供は守られる、大人は守る。そういうものだろう」
少女の表情が凍りつく。
そして、凍りついた氷が少しずつ融け出すように、表情が、雰囲気が、やわらいでいく。見た目相応の、幼い少女のそれへと変わっていく。
アルベルトを圧していた、あの重たい気配が消えた。
少女はゆっくりと体を起こした。白銀の髪が淡い光を弾き、銀色に輝き揺れる。
「……外は……今は……なに……?」
アルベルトは上を見上げた。
「上は、まだ人の住まう場所だ」
慈しむような眼差しを、虚空に漂わせる。
「大切なものを守りながら、一緒に日々を過ごそうとする人達の、住まう場所だ」
暫しの沈黙。
アルベルトは静かに手を差し出した。
「行こうか……」
少女はその手を見つめる。しばらく迷う。
やがて、そっと指を重ねた。
その瞬間、空気が揺れた。
「……伝承……か……」
それでも、アルベルトは手を離さない。
「……大丈夫だよ……」
グッと手に力を込める。弱音をねじ伏せるように、自分に言い聞かせるように続ける。
「守るから」
少女は驚いたように目を見開いた。
そして、小さくコクリと頷いた。
❖ ❖
ふたりが領主邸にたどり着いたのは、もう陽が落ちかけた頃だった。
少女はアルベルトの背中で寝ており、そのまま客間のベットに寝かしつけられた。
半開きのドアの向こう。
寝息を立てている少女を見てマーサが呟いた。
「歩きづめで疲れたんだね……」
アルベルトも薄い笑みを浮かべ、身体を伸ばした。
「……私も……疲れたな……」
マーサが、少女の寝顔をもう一度見る。
既に何かに気づいている様子だった。
「……かわいい子だねぇ……」
アルベルトが顔に影を落とした、
「……執務室で詳しく話すよ……」
マーサも顔を曇らせ、ひとつ頷いた。
「……かわいそうな子だねぇ……」
執務室のソファに、エリシア、アルベルト、マーサ、ゼクスが座る。
皆、一様に堅い表情。
長い沈黙。
エリシアが重々しく口火を切る。
「……説明を聞こうか……」
「地盤調査中に崩落事故がありまして……」
「それは知っている」
「大きな空洞を見つけまして」
「………?」
「そこで……眠っておりまして……」
「…………?」
「拾ってきました……」
「………なにを……??」
「……厄介な方を……」
エリシアが客間で眠っている少女に意識を向ける。
ウォーケン領、幼い少女、地下空洞……
複数のキーワードが一点に結びつく。
テーゼに伝わる古からの伝承。
エリシアが、厳しい目でアルベルトに問い直した。
「……改めて確認したい……」
その眼差しには、覚悟の光が浮かんでいた。
「……あの少女は……何者だ……?」
アルベルトが一転して重々しく口を開いた。
「……おそらく……」
アルベルトが一瞬逡巡する。
エリシアとゼクスが注目する。
アルベルトの目にも、覚悟の光が浮かんだ。
「……神」
一瞬だけ時が、凍る。
「でしょう……」
客間のベットの中、白銀髪の少女が安心したように毛布にくるまっていた。




