1.領主と執政官補佐
独立都市テーゼの執政官執務室。
エリシア・ベルベットは、執務机で古い文献を読んでいた。
ドアがノックされた。
アルベルト・ロッツォが部屋に入ってくる。
「まだお仕事ですか?
私がお願いした今日の分の執務は終わったはずですが」
エリシアが頷き、文献を机にそっと置いた。
「……これを読んでた。
夕べ、父が夢に出てきてな……
幼かった私に、この伝承を語ってくれた時の夢だ……」
「『破滅の閃光』と『ウォーケンの嘆きの地』ですか……」
アルベルトが文献をめくる。
「周辺地域では、あの奇跡を起こした少女を『破壊神』と恐れ、未だにこのテーゼを『呪われた地に集う不信心者たちの街』と侮蔑する向きもあるようですが……」
「ふんっ、なにをバカな事を」
エリシアが、頬杖をつき、横を向く。
眼差しに少し悔しさが混じっていた。
「あの伝承を題材にした文献は、ほぼ全てがそういう視点で語られています。
そこに住まう者たちの多くが、女神を信仰していないとなればなおさらでしょう」
まだ納得しきれていない顔で、エリシアがアルベルトから文献を受け取り、彼の顔を見た。
「お前、明日そのウォーケン領主城跡地に地盤調査に行くんだろ」
「はい、あの一帯で、もし崩落が起きて土砂が川を堰き止めたりしたら、この街や周辺の農地に甚大な被害を与える危険がありますから」
エリシアが、文献を指で叩いた。
「それもあって、あの夢を見たのかな……」
もう一度文献を見つめる。
寂しげな笑いが浮かぶ。
「懐かしい夢だった……。私を膝に抱いて……大きな手で私の手を包んで……」
「もう半年……ですね……」
「……ああ……そうだ……」
エリシアが、自分が今日決裁した書類の山を眺め、ふんっ、と胸を張り、少しイジワルな顔でアルベルトに質問した。
「書類の処理も以前より少しは早くできるようになった気がするよ。
誰かさんの厳しい『監督と指導』の賜物でな。
まだまだ、いっぱいいっぱいではあるがな」
だが、アルベルトは特段の反応なく、サラリと受け流した。
「そうですね、だいぶスムーズになってきました」
エリシアは皮肉を躱され苦笑いを浮かべ、ひとつため息をついた。
すぐに顔を曇らせる。
「……アルベルト…。私は…父のようになれるだろうか……。
この都市の皆に対し責任を果たせるだろう
か…」
少し震える彼女に、そっとティーカップが差し出された。
「…え…?」
エリシアがアルベルトを見つめた。
お茶の香りと湯気の向こうに、妙に優しさが窺えた。
「ここはちっぽけな街です。周りにあるような大国じゃありません。
あなたはここに住まう人達の顔も名前も知っている。
目を閉じてみてください。
その人たちの顔が浮かんでくるでしょう。
あなたはその人達を思い浮かべながら、みんなが笑顔になれる判断を下せば、それでいいのです」
エリシアが、俯き気味にティーカップを手にする。
温かい。
手に伝わる温度に、少しはにかむ。
アルベルトには見えない角度で、小さく呟いた。
「……ありがとう……」
アルベルトに小さな呟きは確かに聞こえたが、それを知らんぷりする。
「あまり夜更かししませんように。明日の執務に響きます。それではおやすみなさい」
アルベルトはそう言って、部屋を出て、自分の執務室に戻る。
そこには、エリシアの部屋にあった書類の数倍の山が積んである。
部屋にいた下級官吏に声をかける。
「ああ、ありがとう。じゃあ私が仕分けしておくから、明日もいつも通りーー」
「…はい…、小さい方の山をエリシア様にお届けしておきます…」
アルベルトは涼しげな笑みを浮かべ頷く。
「うん、よろしく頼む。それじゃおやすみ」
下級官吏を送り出したアルベルト。
ふと、先ほどのエリシアのはにかみを思い出し、フッと笑いがもれた。
机に向かい、書類をすごい速度で仕分けし始めた。
❖ ❖
翌朝の執政官執務室。
エリシアが、机に積まれた書類の山をジットリとした眼差しで睨みつける。
「……ぜんっぜん、書類が減ってない…」
エリシアの指摘に対し、アルベルトはパパパッと書類を仕分ける。
そしてその山を指してエリシアに告げた。
「さあ、仕事して下さい。
先々月の農地報告、蛍光石の輸出データ、このあたりの前月の残務をこなせば、あと少しです」
その言葉に、顔をパッと輝かせるエリシア。
「そうか…ようやく……、そうか……」
その様にフッと笑い、アルベルトがドアに向かった。
「それでは地盤調査に行ってきます。
私が戻るまでに必ず処理を終わらせておいて下さいね」
その時、ドアが勢いよく開いた。
侍女長のマーサと騎士団団長のゼクスが、共に肩を怒らせながらなだれ込んできた。
マーサが恰幅のいい体型で、腰に手をやり一喝する。
「早くしな!門前で迎えが立ち往生してて、出入りの商人が入れないだろう!
仕入れができなきゃ、今日の夕飯と明日の朝食は諦めてもらうしかないよ!」
ゼクスが隣で筋骨隆々の体躯から怒号を上げた。
「急げ、アルベルト!新米どもには良い行軍訓練になると思って許可したのだ!時間をムダにするな、この青二才が!」
「すみません、すぐ出かけます」
アルベルトが急ぎ足で部屋を出ていく姿を、ゼクスはふんっと鼻を鳴らし、マーサはイタズラっぽい笑顔で見送っていた。
❖ ❖
「これはまずいな…」
アルベルトは、旧ウォーケン領主城跡地に佇み、苦い表情を浮かべていた。
旧ウォーケン領主城跡地ーーー
石畳はあちこちが大きく歪んでいる。
視認できるほど傷みが進行しているようだ。
歩いていると、ところどころ足元が揺らぐような感覚に襲われる。
跡地全体を歩き、問題と思われる箇所をチェックしてメモを見返す。
相当な数だ。
特にこの崖が問題だ。
早急に崖の補強をしなければ……。
思案を巡らせながら跡地を歩くアルベルト。
その足元の感触が一瞬遅れた。
まずい!来た!
崩落だ!
足元が、突然崩れた。
石畳が割れ、視界が反転する。
アルベルトは、ただ暗い穴の中へ投げ出された。
❖ ❖
意識が戻ったとき、まず感じたのは痛みと、土と埃の臭いだった。
咳き込みながら体を起こす。
骨に異常はないようだ。
周囲を見渡すと、石の層が淡く光を放っていた。
蛍光石の層だろう。おかげで、暗闇の中でも視界は確保できていた。
「……ここは、蛍光石の層か」
落ちていた大きめの石を一つ掴む。石が淡く輝き、彼の顔を照らした。
かすかな風が、横穴の奥から流れてくる。
空気が動いている。
外へ通じる道があるのかもしれない。
アルベルトは、その風に従って奥へ進み始めた。
光は少しずつ強くなっていく。
「もう少し……あと少しで、出口に……」
突然、視界が一気に開けた。
そこは、ただの地下ではなかった。
蛍光石に囲まれた、巨大な空洞。
壁一面が淡い青白い光を放ち、まるで夜空の下にいるような錯覚を覚える。
「こんなモノ……自然にできるはずがない…。
だが……ヒトの力では更に不可能だ…」
驚愕しつつ空洞の中を見渡すアルベルト。
ハッと目を見張る。
中央には、祭壇のように組まれた石材が静かに佇んでいた。
そして、その上にーー
幼い少女が横たわっていた。
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