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1.領主と執政官補佐

「まだ悪夢が続いてる…」


 朝の執務室で、独立都市テーゼの若き領主エリシア・ベルベットが、広い執務机に突っ伏して嘆く。


 視線の先にはうず高く積まれた書類の山、山、山。


「3ヶ月経ったのに全然減らない……」



 5ヶ月前、テーゼ領主兼執政官が急逝し、16歳になったばかりのこの少女がその地位を受け継いだ。


 "未熟な小娘にこの都市を任せられるのか"


 周囲から異論や疑問が噴出するのは当然の事だった。

 しかしエリシアは、自身の未熟さを自覚し、批判と懸念を甘んじて受けながらも、彼女なりの覚悟と決意を胸に父親の地位を承継した。


 

 それからはずっとこの風景が続いていた。


 毎日毎日、この書類の山がエリシアの視線を遮り、

その向こうにあるはずの『安寧』を見えないようにしている気がする。


 毎日毎日、この書類の山がエリシアの聴覚に

「……早く…早く片付けろ……」

と、呪詛を囁いているような気さえする。


 

「当たり前です。さっさと仕事して下さい」


 傍らで長身の男の姿をした呪詛の源が、憮然とした表情でエリシアに冷徹に言い放った。


 アルベルト・ロッツェ。

 まだ30代半ばながら、その堅実な手腕でエリシアの

父親の代から独立都市テーゼの執政官補佐を務めている。


 『人外』『偏屈』『頑固者』『傑物』『堅物』……。

 多くの二つ名で語られるこの敏腕執政官補佐は、日々エリシアの傍らに立ち、政務・外交から法令・予算執行その他、文官のトップとしてエリシアの補佐役を担ってきた。


 その補佐役に対し、エリシアは抗議と懇願の情が絶妙にブレンドされた視線を向けた。


「だって、5ヶ月前に父が亡くなって、翌月の末には私が後を継いだ。その間1ヶ月半の空白があったにせよ、もう3ヶ月は過ぎただろう。

 なぜ私の決裁が必要な仕事が減らないんだ」


 アルベルトはまるで予想していたかのように素早く紙片に時系列を書き出し、次のように指摘した。


「私は、エリシア様が最初の1ヶ月で空白だった1ヶ月半を消化できるよう取り計らいました。

 つまり空白期間は処理しましたが、最初の月の業務は残った状態です。

 次の月で最初の月の残務と当月分の半分を処理していただきました。

 要するに、現在エリシア様には1ヶ月半分の業務を執行していただいております。

 今月は、前月の残務を今月の業務に加えて職務予定に組み込んでおりますので、あなたの言う悪夢とやらはもうすぐ終わります」


 この言にエリシアの顔がパッと輝いた。


「そうか…ようやく……、そうか……」


 これで気を取り直し、本日の職務と称された書類の山々に果敢に挑んでいく。


 しばらくの書類との格闘の後、ふと顔を曇らせたエリシア。

 そして……消え入るような声で呟いた。


「……私は…父のようになれるだろうか……。

 この都市の皆に対し責任を果たせるだろうか…」


 それは、まだ16歳の娘が父の急逝で突然背負った義務と責任への不安の吐露。

 義務を負った者の弱音にも聞こえる。

 責に押し潰される事への恐怖とも受け取れる。

 だがその裏側には、自分の未熟さの自覚しつつ、尚も必死で向かい合おうとする決意表明があった。


 俯くエリシアの前にアルベルトがそっとティーカップを差し出す。 


「…え…?」


 エリシアがアルベルトを見つめる。 


 いつもの鉄面皮を和らげ、妙に優しさが伺える表情でアルベルトが静かに語った。


「ここはちっぽけな街です。周りにあるような大国じゃない。

 権力の鍔迫り合いもないし、清濁併せ呑む度量もここでは必要ない。

 あなたはここに住まう人達の顔も名前も知っている。

 目を閉じてみてください。

 ここに住まう人達の顔が浮かんでくるでしょう。

 あなたはその人達を思い浮かべながら職務を果たせばいい。

 その人達が笑顔になれる判断を下せれば、それでいいのです」


 エリシアは俯き気味にティーカップを手にし、少しはにかんだ表情を浮かべたが、アルベルトには見えなかったかもしれない。


 ただ、ボソッと口にした「ありがとう……」と

いう言葉は、確かに聞こえたようだった。

     



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