10.秘匿地図
日常回です。少し短めなので2話投稿します。
夜、シドの酒場。
片隅のテーブルで、誘拐団のリーダー格の男が不機嫌そうにグラスを見つめていた。
手元のメモには「目標14」と「今7」の文字が記されている。
14には大きなバツ印が、7には苛立ちを表すように何重ものマル印が重ねられていた。
酒を口にしながら、周りの客を睨む。
周りからは愚痴しか聞こえてこない。
「全くまいるぜ、いつになったらここ出られるんだよ、商売あがったりじゃねえか」
「大損害だぜ、飲まにゃやってらんねえや」
それが更にリーダーを苛立たせた。
(チッ、運び屋連中が集まる酒場なら、なんかイイ話が転がってるかもと思ったが……
くそっ、みんな愚痴ばっかりじゃねぇかよ)
イラつきながら酒を呷る。
喉を焼けるような熱が、胸の奥まで落ちていく。
そのとき、エヴァがその横に妖艶な笑みを浮かべ、するりと座った。椅子がわずかに軋む音がする。
「どうしたの、お兄さん。思案顔だねぇ」
リーダーは、その微笑みに不機嫌さも緊張感も、またたく間に氷解していく。
「お兄さんも運び屋かい。まぁ、ここで呑んでる連中はみんなそうだけどね。検問が厳しくなって、みんな足止め食らってんだよ」
「お、おぉ、まぁ、そんなトコだ」
エヴァはふぅ~んと男の顔を舐めるように見つめ、話を続ける。紫煙がランプの灯りをくすませ、甘い匂いが漂う。
「大変だよねぇ、納期に間に合わなきゃ、1日で1割、3日遅れたら3割って、日ごとに代金減らされたりするんだろ。アンタらのせいじゃないのにねぇ」
「お、おお、そうだぜ、真っ当にやるってのは辛えもんよ。俺らの都合なんかお構いなしさ」
エヴァの目に、ほんの僅かに険しさが混じる。だがそれもすぐに霧散し、艶かしい笑みを男に向ける。
「ウチは、この街にお客さんが長くいてくれるんで、別に困りゃしないけどさ。ハッハッハ。
リーダーはアンタかい? 部下の給金はアンタが責任払いなんだろう、何人抱えてんだい?」
「お、おう、5人もいらあ。商売でアタマ張るってのは苦労ばっかりよ」
「5人も……、ソイツはお大尽サマだ、サービスしなくちゃね」
リーダーは酒を注がれ、気分も良くなり、運送業者の体で話を合わせる。
グラスの縁が触れ合う音が、小さく響く。
しばらくの談笑の後、エヴァはスゥっと寄り添い、そっと耳元で囁いた。
息が、耳たぶに触れる。
「……少しはずんでくれたら……アンタに、いい事教えてあげるよ……」
❖ ❖
翌日朝、運送業組合本部。
リーダーは重い扉を開ける。
エヴァの声が、頭の中で再生される。
(いいかい、明日朝一番に運送業組合に行ってみな)
ホールを見渡すと、一番奥のテーブルにヒゲ面の大男が座っている。周囲の喧騒が、その男の周りだけを避けているようだった。
(そいつはシドって職員だ。とんでもない酒乱の乱暴モンでね)
リーダーはゆっくりと慎重に近づく。靴音が、やけに大きく聞こえる。
(借金まみれでどうにもなんなくなってね。そこで奴は、ある事を思いついたんだ。
『裏の輸送用側道地図』の横流しさ)
緊張しながら席に座る。
シドの威圧感に圧倒される。冷たい汗が頰を伝い、襟元に染みる。
(組合じゃあ、昔っから『ヤバイけど、受けなきゃならない』案件ってのがあるらしくてね。そういうのを、この秘密の裏ルート使って捌いてるらしい。そいつんトコ行って、こう言ってみな——)
リーダーはゴクリと喉を鳴らし、言葉を絞り出す。
「……さ……酒場で聞いた……」
シドの鋭い眼光が彼を射抜く。
リーダーはビクッと震え上がり、スッと巾着をテーブルの中央に置いた。
ジャラ……と硬貨の音。
金貨が、朝日を反射して鈍く光る。
シドは腕組みしたまま睨みつける。
沈黙が、重くのしかかる。
やがて懐から古い羊皮紙を取り出し、ドンッと巾着の横に置く。
紙の乾いた音が、室内に響いた。
リーダーはバッとそれをひったくるように手にし、椅子を蹴り立てて出口へ向かう。
一切振り返らず、逃げるように足早に進む。背中に、視線が刺さっているような気がした。
組合を出た瞬間、大きなため息が漏れる。
そしてニヤリと笑い、走り出した。
シドはしばらく椅子に座ったまま動かなかった。
人が増えてきた頃合いで、巾着と足元の袋を持って立ち上がる。
受付嬢が明るく声をかける。
「あれ、シドさん、奥さんのお使い、済んだんですか? 買い物帰りに人と会うから場所貸してくれってお話でしたけど」
シドはコクンと頷いた。
「じゃあ、また甘味食べにおじゃましますね。ヨロシク~」
シドは袋を掲げ、もう一度頷いて、家路に着いた。
朝の光が、彼の背中を照らしている。
❖ ❖
領主邸執務室。
アルベルトは事務官からメモを手渡される。
不敵な笑みを浮かべ、書き写した秘匿地図上の一点を指し示した。
そこは、複数の側道が合流した後の、リヒテンラーデまでの一本道。
全員が注目する中、アルベルトは静かに宣言する。
「今夜、奴らをここで待ち伏せる」
文官たちの緊張が一気に高まる。
張り詰めた空気の中、ゼクスがアルベルトに尋ねた。
「奴らは本当に食いつくんか」
「もう食いついていますよ」
そう言って先ほどのメモをゼクスに渡す。ゼクスが開き、エリシアが覗き込む。
メモの中身——
『カモが地図持ってピクニック』
「エヴァが口にした『納期経過の罰則』は、運送業者なら一笑に付すガセネタだ。それに話を合わした時点でモグリです」
エリシアとゼクスが驚愕の表情を浮かべる。
「相手が求める答えを提示する。これが人を罠に掛ける秘訣です。
人は自分が欲す答えを目の前にすると、途端に無防備になる。だから罠を打つ者は、相手に答えに至る”道筋“を示す。
”道筋“だけでいい。
”道筋“を示せば、あとは相手が自分で動く。
エヴァは答えそのものではなく、そこへ至る“道筋”を示してやった、というわけです。
あとは相手が勝手に動いてくれる。さも自分で考えたようにね」
アルベルトは少しだけ笑みを浮かべ、すぐに表情を引き締める。
「しかし、まだ、完全に勝ったわけではありません」
ゼクスが少し苦い表情で首肯する。
「その通りじゃ。子供たちを無事に保護する。これを成して、初めて完全な勝利になる。気を引き締めんとな」
エリシアが相手の数を確認する。
「エヴァの話では、連中の数は6人……だったな。どんな布陣にする?」
ゼクスは不敵な笑みを浮かべ、捕縛予定地点にドンと拳を落とす。机が小さく揺れる。
「騎士団30名で現場に向う。わしが陣頭指揮を取るわ。奴らの旅の終点にしたる」
アルベルトはゼクスの前に進み出た。
手には、文官には不釣り合いな一振りの剣。鞘が、わずかに光を反射する。
「すまないが、私も同行させて欲しい」
全員が意外な言葉に驚く。
誰かが息を呑む音がした。
「文官の最高位が、捕縛現場に出向くとは、いくらなんでも……無謀では……?」
ゼクスはアルベルトをジィっと見つめる。視線が、重い。
「……お前が荒事に首を突っ込むのは何年ぶりかのう……。
ウデはなまっておらんのか?」
アルベルトは静かに頷く。感情の消えた冷徹な目。
「……大丈夫だ……」
「ふん、青二才めが」
そう言って背を向けるゼクス。
次の瞬間、振り向きざまに疾風の如き速さで剣が振り抜かれる。
容赦ない鋭い横薙ぎの閃光。空気を裂く音が走る。
ギィィィン!!!
甲高い金属の衝突音とともに火花が飛び散る。白い光が、一瞬部屋を照らした。
凍りつくエリシアと文官たち。誰も動けない。
刹那の後、衝突音の余韻が消える。
皆の目に映ったのは、ゼクスの容赦ない横薙ぎを、手にした剣の腹で完璧に受け止めているアルベルトの姿だった。
表情は冷徹そのもの。
腕に、微かな緊張も見えない。
ゼクスがクククッと凶暴な笑みを浮かべる。
「ついて来い」
ゼクスはアルベルトに声を掛け、執務室を出ていく。
「……感謝する……」
アルベルトはひと言ボソッと呟き、ゼクスの後を追った。
残された者たちは、唖然としてその場に立ち尽くす。
テーブルの上に、地図がある。
赤いバツ印。
そこが、今宵の狩りの場だった。




