二十日目
今日もフェリシティはウィリアムに抱き上げられ、果樹園を見て回っている。ウィリアムの腕の中が絶妙な温かさで、離れがたい。
「ウィリアム様ではありませんか。おや、フェリシティ様もいらっしゃったのですね」
いつの日か、フェリシティにりんごを分けてくれた庭師がいた。フェリシティはウィリアムがいるので、りんごはもらえないと思い、美味しそうなりんごを見て頭の中で咀嚼しようと考えた。しかし、すぐにフェリシティはショックを受けた。
「もう、りんごを収穫したのだね」
そう、りんごが、赤い宝石が、木から消えている。一つ残らず、収穫されたようだ。
「ほほほ、先日に収穫しましたよ。シェフがウィリアム様に美味しいアップルパイを作ると意気込んでおりましたよ」
フェリシティはショックを隠せない。ウィリアムがいないときにまたアイラと行こうと思っていたのに。
ウィリアムと庭師が何か話しているようだが、フェリシティの耳には聞こえない。
「フェリシティ様はとてもお利口なのですね」
突然、自分の名前が聞こえて、二人の話に耳を傾けた。どこからどうやってフェリシティの話に繋がったのかは分からないが、自分の話かと思うと訳も分からず緊張する。
「ああ。フェリシティはとてもいい子だ」
フェリシティはウィリアムにそう言ってもらえて、嬉しくなった。どうせなら、いい子だと思われたい。
「ただ……少し心配なんだ」
「心配、ですか」
「フェリシティがいい子すぎるから、過去に無理やり従わされ、従わないと暴力を振るわれたのではないかと不安になってね」
フェリシティはその話を聞いて、驚いてしまった。
フェリシティがいい子なのは獣人で、人間の言葉が分かるからだ。どういうことをしたらダメなのかくらい判別がつく。
後先考えず逃亡したことがあったが、これはバレるのが怖かったからできた行動であり、普段のフェリシティならしない。
普通に過ごしていたフェリシティにとって、「いい子すぎる」という言葉は衝撃でしかなかった。そして、あることをフェリシティに思わせる。
(も、もっと、うさぎらしくしなくちゃ)
ここで初めて、ちょっとくらい従順ではなくてもいいということに気付いたのだった。
ウィリアムが仕事に出かけた昼、フェリシティは早速“うさぎらしい”行動をしようとしていた。
今の時間はフェリシティが昼寝をすると思って、部屋の外でアンナやアイラが待機している。
フェリシティの部屋は一階にあり、外に出やすい。外に騎士がいるだろうが、小さくてすばしっこいうさぎを捕まえるのは容易ではないはずだ。
(出発! うさぎらしい行動のために!)
フェリシティは窓から勢いをつけて外に出た。フェリシティの名前を呼ぶ声が聞こえるが、今日は心もうさぎなので無視を決め込んだ。
騎士たちはすぐにフェリシティの姿を見失い、フェリシティは楽々と庭園の中を散策し始めた。
(これからはたまにこういうことをしよう)
滅多にない一人だけの空間は何だか心地がいい。ウィリアム邸に来てからフェリシティはどこに行っても誰かがついてくるのだ。
ルンルン、と気分良く歩いていると木の近くに大きな影が見えた。
(な、何!?)
じりじりと警戒しながら近づいた。どうにかしてその何かを見ようとしていると、がさりと音が出てしまった。
「誰!?」
あ、と思ったときには時既に遅し。フェリシティはその何かに見られてしまった。
「う、うさぎ?」
その人はフェリシティを見ると、フェリシティから少し距離を取った。
(あれ……この人、泣いてるの?)
この人がなぜ泣いているのかは分からない。どこかで見たことのある彼女は身分の高い家柄の令嬢だろう人のはずなのに、なぜお供もつけずにこんなところにいるのか。
「あなた……あのときのうさぎね」
彼女は少し落ち着いたのか、そう言った。あのとき――恐らく、フェリシティを汚らわしいと言ったときのことだろう。
「こんな私の姿を見て哀れにでも思っているのかしら」
彼女は卑屈めいたことを言ったかと思うと、ぽつぽつと話し始めた。
「私はあなたのご主人様――ウィリアム様とは幼なじみで、よく遊んだわ。あの頃は本当に楽しかった」
彼女はそのことを懐かしむように笑った。かと思うと、ふっと陰りを見せる。
「私がウィリアム様を好きになるのはそう時間がかからなかった。身分も釣り合って、ウィリアム様の家族とも仲がいい私とは最高の結婚相手だとウィリアム様のお母様にも言われたわ」
淡々と、そこに感情が乗らないように彼女は話した。すでに涙はなくなってしまっている。
「だけど……肝心のウィリアム様にはその気がなくて、ずっと妹のようにしか見られない……!」
最後は吐き捨てるように彼女は言った。
どうしてかは分からないが、なぜかフェリシティの胸が痛くなった。自分と共感する部分があるからだろうか。ずっとうさぎとしか見られないということが――。
(何を考えているの、私は……。私はずっとウィリアム様にうさぎとして見られてもいいはずなのに)
ズキリと胸が痛んだ気がしたが、気のせいだろう。この痛みは彼女の気持ちが移ったからだ。
「ウィリアム様があなたを飼ったのは動物が嫌いな私と会いたくないから? 今日も会えないのは私を避けているから?」
彼女の悲痛な叫びはフェリシティの胸をグサリと刺す。己が彼女の立場だったら、耐えられそうにない。
(もし、もしもの話しだけど、万が一、私がウィリアム様を好きになってしまったら、この気持ちに蓋をしたほうが良いのかもしれない)
ウィリアムを好きになっても今のままではどうしようもできない。今、フェリシティはうさぎであり、気持ちを伝えることは愚か、恋愛対象にもならない。
ウィリアムの近くに幼なじみで身分も合い、お互いの両親がお互いを結婚相手にと望む、見た目もお人形のような女性がいる。そんな人が近くにいるのに好きになれば、フェリシティの恋が報われないことは分かる。
彼女はフェリシティより何もかも優れている。容姿も身分も頭脳も社交性も、そして種族も。
ウィリアムがなぜフェリシティを飼ったのかは分からないが、今日ウィリアムに会えないのは仕事だからだ。彼女は勘違いしている。
おそらく、彼女が勘違いしていることは多々あると思う。こんなに優れている人を結婚相手にとウィリアムは望んでいるだろう。
ウィリアムに恋をするのは無謀なだけだ。
(私は全然ウィリアム様を好きじゃない……。だから、そんな心配しなくても大丈夫)
確かに好意は持っているが、それは恋じゃない。
フェリシティは何度もそう言い聞かせた。




