十八日目
(モンロン男爵邸だ!)
久しぶりのモンロン男爵邸は何ら変わりない。ずっと恋しく思っていた果樹園もそのままだ。
なぜフェリシティがモンロン男爵邸に帰っているのか。それにはアンナが貢献した。
フェリシティが実家に一度帰らなければいけないと伝えた日、その旨をモンロン男爵に伝えた。フェリシティが社交界デビューの後、一度もパーティーに参加していないのは怪しまれると。
その翌日にウィリアム邸にモンロン男爵からの手紙が届いた。
一度フェリシティと会いたいと書かれた手紙だ。ウィリアムは難色を示したものの、アンナの「実家を恋しく思われているでしょう」という助言を聞き、帰省させることにした。
「明日の昼にちゃんと帰ってくるんだよ?」
ウィリアムは不安げにフェリシティを見た。フェリシティは逃げたことがあるので、逃げないかと不安なのだろう。
「アンナ、フェリシティのこと頼んだよ」
「はい。お任せください」
また、だ。この二人が仲良さげに話していると、ズキリと心が痛む。実際はただの主従関係があるだけで、仲良くはないのだが、フェリシティにはそう見えてしまう。
また、ただの主人と使用人なだけなのに一緒の馬車に乗るのもフェリシティの心臓をズキズキと痛める。アンナ以外にも執事が乗っていると分かっているのに。
もんもんとしていると、馬車が停まった。モンロン男爵邸に到着したのだ。
ドアが開くと、ウィリアムはフェリシティを抱き上げ、馬車を降りた。抱き上げられるのも慣れたものだ。逆に今はこっちの方が落ち着く。
「ようこそ、いらっしゃいました、キャメロン卿」
フェリシティとウィリアムを迎えたのはモンロン男爵、夫人、そしてフェリシティの兄だ。もちろん、使用人たちもいる。
「お久しぶりです、モンロン卿。本日はフェリシティをよろしくお願いします」
「いえ、フェリシティと会いたいという無茶な要件を呑んでくださって本当にありがとうございます」
モンロン男爵は恭しく、お辞儀をした。それから少し世間話をしたようだ。
「では明日の昼に迎えに来ます」
ウィリアムは何か用事があるようで、一緒にはいられない。その用事があったからこそ、ウィリアムはフェリシティの外泊を許したのかもしれない。
「久しぶりだね、リシティ。元気にしていたか?」
完全にウィリアムの馬車が見えなくなると、モンロン男爵がフェリシティに話しかけた。フェリシティはモンロン男爵邸にいた頃よりも元気だ。毎日、遊んでばかりだったからだろう。
『人の姿に戻りたいわ』
ウィリアム邸で過ごすようになってから今日までフェリシティは一度も人間になっていない。そろそろ、本来の姿に戻りたい。
「おお、そうだね。その後に話を聞きたい」
フェリシティは自室に連れて行ってもらった。
「やっぱり、人の姿がいいわ」
十七日ぶりの人の姿は何も変わらない。アッシュグレーの髪も、唯一自慢できるサファイアの目も、平凡な顔も。しかし、やはり人の姿の方が落ち着く。
フェリシティがいない間にモンロン男爵家内ではいろいろと変わっていた。元から少なかった使用人の数がもっと減っていた。聞くと、獣人と関わりのある者以外、全員辞めさせたそうだ。
フェリシティがウィリアム邸で過ごすようになってすぐに使用人たちにもっと待遇の良い場所を勧めたそうだ。そうすることで、万が一フェリシティが戻ってきたときに獣人一家だとバレないようにするためだそうだ。
幸いなことにモンロン男爵に仕える使用人の中に貴族はおらず、平民だけしかいなかった。そのため、モンロン男爵が経営する店に関連する、ここよりももっと高待遇なところに異動させた。
フェリシティは知らなかったのだが、使用人の中にも何人か獣人がいた。てっきり、専属侍女であるアンナ、フェリシティの父親の側近、母親の専属侍女、執事長や侍女長、そして母親の生家だけがモンロン男爵家が獣人一家だと知っていると思っていた。
しかし、料理長やその部下、数人の執事や侍女、庭師も獣人だった。どうやら、彼らは代々モンロン男爵邸に仕えてきたようだ。
だから、モンロン男爵邸では自由に人の姿にも獣の姿にもなれる。
「リシティ、いいかい? 入るよ?」
モンロン男爵の声が聞こえた。フェリシティが返事をすると、モンロン男爵、夫人、兄が入ってきた。
「リシティ、本当に久しぶりね……」
夫人はそう言うと、ぎゅーっとフェリシティを抱きしめた。久しぶりの母のぬくもりに目が潤む。が、すぐに自分がウィリアム邸で過ごすようになった原因について思い出した。
「お母様、どうして私をウィリアム様に渡したのですか?」
今となってはウィリアム邸で過ごすことは快適なことだと分かっているが、そこで過ごし始めた当初は帰りたい気持ちの方が大きかった。
なぜウィリアムに渡したのか、何となく予想はついている。しかし、事実を聞きたかった。ずっと気になって仕方なかった。
「まあ、それはね。人間と獣人の間に愛が生まれたら素晴らしいじゃない? アンナの両親のように。きっとあなたならできると思ってね」
夫人はお茶目に言った。フェリシティからしたらやはり、だ。
フェリシティも人間と獣人が恋して、結婚することに憧れている。しかし、だからといって、本当に人間の中に投げ込むとは思わないではないか。
フェリシティの母親はおっとりとしているように見えるが、夢見がちで即実行する、ちょっと迷惑な人だ。今までもフェリシティはその被害に合ってきた。
そんな母を見て育ってきたからか、フェリシティも妄想をするが、実行に移すことはない。だから、人間と恋をしたいと思っても積極的に関わろうとしなかったのだ。
「その節は本当にすまなかった。リシティを渡すとき、ダメだという理由が思いつかなかった私を許しておくれ。私は獣人一家であることがバレるのを恐れ、リシティに辛い思いをさせてしまった。しばらくはこっちに戻れないが、どうにかしてまた一緒に住もう」
父の言葉が嬉しいはずなのに、喜ぶべきはずなのに、どこかで嫌だという気持ちもある。
なぜこんな気持ちになるのか、うっすらとだが分かる。しかし、認めてしまえば後戻りはできない。
ウィリアムのことをよく知らないのにこの気持ちを貫くのは危険だ。また、ウィリアムは三大公爵の一人の孫なので、身分の差もある。そして、一番バレてはいけない相手だ。
フェリシティにはこの気持ちに蓋をして、見て見ぬ振りをするしかない。
「早くそうなる日が来ないかしら」
フェリシティは顔に笑みを貼り付けて、そう言うことしかできなかった。
夜になり、モンロン男爵一家はあるパーティーに来ていた。母親の生家の伯爵家が開催するパーティーだ。
フェリシティは兄にエスコートされ、一曲だけ踊った。その後は兄が離れていくと思いきや、フェリシティと一緒にいた。前回一人にさせて辛い思いをさせたと思っているからだろう。
人目を引く兄といると、壁の花になることはできず、絶えず誰かといる。兄の友人にフェリシティは紹介された。
「久しぶりだな、オスカー、フェリシティ」
兄の友人への紹介が一段落ついた頃、フェリシティと兄、オスカーの名前を呼びながら、いとこのチャーリーがこちらに近づいてきた。チャーリーはフェリシティと同じうさぎ獣人だ。彼は男なのにうさぎ獣人であることがコンプレックスのようだ。
見た目が男らしいのもあって、余計にうさぎ獣人というのが嫌なのだそうだ。
「久しぶりだな」
兄のオスカーに続いてフェリシティも挨拶をしようとしたとき、視界にある人物が入った。その人を見ると、驚きで言葉が詰まる。
「こんばんは」
チャーリーの後ろにうさぎのフェリシティを飼う、ウィリアムがいるのだ。
「ご、ごきげんよう」
声が上ずってしまった。なぜここにウィリアムがいるのか。バレないだろうか。と考えると、不安でいっぱいになる。
「はじめまして、モンロン男爵令嬢。ウィリアム・ハーシェルと申します」
「は、はじめまして。フェリシティ・ロンバークと申します」
フェリシティが名乗ると、ウィリアムが首を傾げた。何かしてしまったのだろうか。それともバレてしまった……?
「モンロン卿から譲り受けたうさぎと同じ名前なのですね」
そこでフェリシティはハッと気づく。うさぎの名前も人の名前も一緒なことに。これでは自らバラしているようなものではないか。
どうすればいいのか、と働かない頭で考えても、いい考えは思い付かない。
終わってしまった――。生きていけない――。そう思ったときに
「それには理由があるのですよ」
兄が声を発した。
「実は数年前に妹は病にかかり、家族と離れて暮らしておりました。そのときに屋敷内がひっそりとしてしまったのです。ですから、妹と同じ色をしたうさぎを飼い、同じ名前をつけたのです」
フェリシティは今まで、家族と離れて暮らしたことはない。もちろん、これは兄がバレないためについた嘘なのだと分かる。
フェリシティの心臓は会場内に響き渡ると勘違いするほど、大きく鳴っている。
「そうなのですね。失礼なことを聞いてしまいました。申し訳ありません」
ウィリアムはすぐに納得したかと思うと、一礼した。
フェリシティはほっと一安心するのと同時にこれ以上、ボロを出さないようにしなければと決意した。
今回は寿命が縮まると思ったが、良いこともあった。
いとこのチャーリーが後から事のあらましを聞くと、手伝いをすると言い出した。どうやらウィリアムと友人のようで、数ヶ月に一、二回、ウィリアム邸に行く仲らしい。だからだそうだ。
一応、バレずにパーティーをやり過ごせたことに安心したフェリシティだった。




