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第8話 金色の灯と、最初の幸運


 その日、最初の異変は、昼前に起きた。


「あ」


 ギルドへ向かう途中、中央広場の石畳の上で、僕は銅貨を一枚落とした。


 ちゃりん、と音を立てて転がった銅貨は、石畳の隙間に落ちかけて、ぎりぎりのところで止まった。


 拾おうとしゃがみ込むと、そのすぐ隣にも、もう一枚、銅貨が落ちていた。


「……え?」


 誰かの落とし物だろうか。周りを見回したが、それらしい人はいない。広場の衛兵に届けると、「ああ、こんなの誰も取りに来ないよ。もらっときな」と笑われた。


 ――まあ、そういう日もあるか。


 僕は二枚の銅貨をポケットにしまい、ギルドの扉を開けた。


「レオンくん、ちょうどよかった!」


 受付のポーラさんが、僕を見るなり手を振った。


「今日ね、いつもの床掃除とは別に、二階の資料室の整理の仕事が入ったの。古い依頼書を年代順に並べ直すだけなんだけど、報酬が銀貨一枚。どう?」


「銀貨一枚!?」


 床掃除の、六倍以上だ。


「本当は先週から募集してたんだけど、誰も手を挙げなくてね。冒険者さんたちって、こういう地味な仕事嫌いでしょ? さっき依頼主のギルド長から『今日中に誰かに頼め』って言われて、困ってたところなの」


「やります! やらせてください!」


 資料室の整理は、前世の経験がそのまま生きた。印刷会社で、古い伝票や原稿をひたすら仕分けしていた日々。年代ごとに束ね、種類ごとに分け、索引をつける。


 二刻ほどで終わらせると、ギルド長が目を丸くしていた。


「三日はかかると思っていたが……見事なものだな」


 さらに、資料の束の奥から、十年前に誰かが置き忘れたらしい古い財布が出てきた。中には色あせた銀貨が二枚。持ち主はとっくに町を離れていて、ギルド長は「見つけた者のものだ」と言ってくれた。


 午後、食堂の買い出しに市場へ行くと、八百屋のおかみさんが「今日は気分がいいから」と言って、カブを三本おまけしてくれた。肉屋では、ちょうど切り落としの安い肉が出たところだった。


 帰り道、坂道の上から転がってきた林檎が、まるで狙ったように僕の腕の中に収まった。上の果樹園のおじいさんが「持ってきな」と手を振った。


 ――なんだろう、今日。


 宿に戻る頃には、僕の両手は荷物でいっぱいだった。ポケットの中には、銅貨二枚と、銀貨三枚。


 いつもの一日の稼ぎの、二十倍近い。


 ◇


「まあ、すごいじゃない、レオン!」


 台所でカブと林檎を見た母さんが、目を丸くした。


「どうしたの、これ」


「なんか、今日はやたらとついてて」


「たまにはそういう日もあるのよ。神様が、頑張ってるあなたにご褒美をくれたのね」


 母さんは嬉しそうに笑った。頭上の白い光が、いつもより少し明るく揺れる。


 ご褒美。


 僕は、その言葉を心の中で繰り返した。


 今日、何か特別なことをしただろうか。いつもと違うことといえば――


 今朝、セリアの頭上に、金色の光が灯った。


 ◇


 夕方。


 食堂の窓から外を眺めながら、僕は今日一日のことを整理していた。


 銅貨が二倍になった。


 割のいい仕事が回ってきた。


 古い財布を見つけた。


 おまけをもらった。


 林檎が降ってきた。


 ひとつひとつは、ただの偶然だ。誰にでも起こりうる、ちょっとした幸運。


 でも、それが一日にこれだけ続くのは、さすがに普通じゃない。


 そして、それが起き始めたのは、今朝から。セリアの頭上に光が灯ってからだ。


 僕は、鞄から推しノートを取り出した。


 昨日まで書きためてきた、光についてのメモを読み返す。


 ――ことりちゃんの頭上に白い光。泣きながら「ありがとう」と言ってくれたとき。

 ――母さんの頭上に白い光。「あなたの味方だからね」と言ってくれたとき。

 ――父さんの頭上にも、いつの間にか白い光。

 ――セリアの頭上に金色の光。「誰にも言われたことがありません」と言ったあと。

 ――母さん85、セリア12。


 光が灯るのは、相手が僕のことを、何らかの形で好意的に思ってくれたとき。


 母さんは、僕を誰よりも愛してくれている。だから85。


 セリアは、今朝初めて、僕に少しだけ心を開いてくれた。だから12。


 つまり、この光は――


「……好感度?」


 口に出した瞬間、全身に鳥肌が立った。


 前世で遊んだ恋愛シミュレーションゲームを思い出す。ヒロインの好感度が、数字やハートの数で表示されるシステム。会話の選択肢を選ぶと、好感度が上がったり下がったりする。


 まさか、そんな。


 でも、そう考えると、全部つじつまが合う。


 そして、僕のスキルの名前は「推し活」。


 推しを応援する。推しの好感度が上がる。光が灯る。そして――


「幸運が、起きる?」


 僕は思わず立ち上がった。


 セリアの好感度が12になった。だから今日、小さな幸運が続いた。


 推しを応援すると、推しからの好感度が上がって、自分の運が良くなるスキル。


 それが、「推し活」の効果――なのかもしれない。


「いやいやいや」


 首を振って、椅子に座り直した。


 さすがに、都合がよすぎる。好感度が見えて、それで運が良くなるなんて。たまたま今日がついていただけかもしれない。


 でも。


 あの暗闇で聞いた声。『その灯を、次の世界へ』。


 灯。


 頭上に灯る光。


 僕は、ノートの新しいページを開いた。


 この光に、名前をつけよう。


 ことりちゃんが最後にくれた光。母さんと父さんがくれる光。セリアがくれた光。


 推しが、灯してくれる光。


 羽根ペンをインクに浸し、ページの一番上に書く。


 ――推し灯(おしび)


 その下に、仮説を書き連ねていく。


 ――推し灯:自分に好意を持つ人の頭上に灯る光。僕にしか見えない(たぶん)。

 ――色は好意の種類? 白=家族の愛情? 感謝? 金=?

 ――数字は好意の強さ。0〜100?

 ――スキル「推し活」の効果:推し灯に応じて、運が良くなる?


 書き終えて、ページを見つめる。


 まだ、仮説にすぎない。確かめる方法もない。


 でも、もし本当にそうだとしたら。


 この世界で最弱の僕が持っている、たったひとつの力は。


 誰かを心から応援して、その人に好きになってもらうこと。


「……なんか、すごく僕らしいスキルだな」


 思わず、笑ってしまった。


 ◇


 その直後だった。


 食堂の窓を開けて、夕方の空気を吸い込もうと顔を出した瞬間。


 ぼとっ。


 頭のてっぺんに、何かが落ちてきた。


 生温かくて、やわらかい。


「…………」


 おそるおそる手をやる。


 白くて、べちゃっとしたものが、指についた。


 見上げると、宿の屋根の上で、一羽のカラスが「カア」と鳴いて飛び去っていった。


「…………うそでしょ」


 鳥のフンだった。


 慌てて井戸へ走り、頭から水をかぶる。秋の夕方の井戸水は、骨まで凍えるほど冷たかった。


 びしょ濡れのまま宿に戻ろうとしたとき、腰に下げていた財布の紐が、ぷつりと切れた。


 ちゃりん、ちゃりん、ちゃりーん。


 銅貨と銀貨が、石畳の上に散らばる。一枚が転がって、溝の中へ消えていった。


 僕はしばらく、その場に立ち尽くしていた。


 頭からは水が滴り、足元には小銭が散らばっている。


 さっきまでの幸運が、嘘のようだった。


 ――いや、待てよ。


 散らばった小銭を拾い集めながら、僕はふと気づいた。


 溝に落ちたのは、銀貨一枚。今日手に入れた銀貨は三枚。残りは二枚。


 大きな幸運のあとに、小さな不運。


 まるで、幸運の分だけ、何かを払わされているみたいに。


「……これって」


 前世の言葉が、頭に浮かんだ。


 推しのために、お金や時間を捧げること。グッズを買い、ライブに通い、配信に投げ銭をする。それを、ファンたちは冗談めかして、こう呼んでいた。


「お布施……ってこと?」


 ぽつりとつぶやいて、自分で吹き出した。


 推しの好感度で幸運をもらって、その代わりに、自分がちょっとだけ不運になる。


 推しのためなら、お布施は当然。


 前世の僕なら、きっと喜んで払っていた。


「なら、いいか」


 びしょ濡れのまま、僕は笑った。


 ◇


 その夜。


 屋根裏の部屋で、推しノートの「推し灯」のページに、最後の一行を書き加えた。


 ――大きな幸運のあとに、小さな不運。代償? →「お布施」と命名。


 ペンを置き、ベッドに寝転がる。


 半信半疑だった。全部、ただの偶然かもしれない。明日になれば、何も起きないかもしれない。


 でも、ひとつだけ、確かなことがあった。


 セリアの頭上に灯った、あの金色の光。


 あれが本当に、彼女が僕に向けてくれた気持ちなら。


 それは、幸運なんかより、ずっと嬉しいことだった。


 ――明日も、セリアさんを応援しに行こう。


 拍手は、千回が終わってから。


 そう決めて、僕は目を閉じた。


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