第4話 最弱、ギルドで門前払い
開花の儀から三日が過ぎた。
僕は、宿屋「小麦亭」の食堂で、帳簿とにらめっこしていた。
「……厳しいなあ」
思わずため息が出る。
小麦亭は、辺境の町ハルネでいちばん古い宿屋だ。客室は八つ。食堂は町の人たちの昼食どころも兼ねている。父さんの料理は評判がいいし、母さんの人柄目当てに通ってくれる常連さんも多い。
ただ、ここ数年、魔の森の魔物が増えたせいで、行商人の数がめっきり減った。客室が全部埋まる日は、月に一度あるかないか。去年の冬には屋根の修理で大きな出費があって、町の商会から借りたお金がまだ残っている。
前世では印刷会社で経理の手伝いもしていたから、帳簿を見ればだいたいのことはわかる。
このままだと、来年の春あたりが危ない。
「レオン、帳簿なんか見なくていいのよ」
厨房から母さんが顔を出した。
「でも、僕ももう十八だし。何か稼げることをしないと」
「あなたが元気でいてくれれば、それでいいの」
母さんはそう言うけれど、頭上の白い光が少しだけ揺れたのを、僕は見逃さなかった。
三日経っても、あの光は消えなかった。母さんの頭上だけでなく、父さんの頭上にも、いつの間にか小さな白い光が灯っていた。父さんの光は母さんのより少し小さくて、少しだけ不器用に揺れている。
二人とも、自分の頭上の光には気づいていない。
光の正体はまだわからない。でも、なんとなく、悪いものではない気がしていた。
「……よし」
僕は帳簿を閉じて立ち上がった。
「冒険者ギルドに行ってくる」
◇
ハルネの冒険者ギルドは、町の中央広場に面した二階建ての石造りの建物だ。
扉を開けると、酒と汗と鉄の匂いが鼻をついた。
一階は酒場を兼ねた受付ホールになっていて、昼間から何組もの冒険者たちが卓を囲んでいる。壁一面の掲示板には、依頼書がびっしりと貼られていた。
薬草採取。魔獣の討伐。行商人の護衛。森の調査。
前世で読んだライトノベルの光景そのままで、僕は思わず「おお……」と声を漏らした。
「ご用件は?」
受付の窓口から声がかかった。
栗色の髪を三つ編みにした、二十代半ばくらいの女性だった。胸元の名札には「ポーラ」とある。
「あの、冒険者登録をしたいんですけど」
「登録ですね。では、こちらの用紙に記入を……」
ポーラさんは書類を差し出しかけて、ふと手を止めた。僕の顔をじっと見る。
「……もしかして、小麦亭のレオンくん?」
「はい、そうです」
「あー……」
ポーラさんの表情が、なんとも言えないものになった。
どうやら、噂はギルドまで届いているらしい。
「えっと、登録自体は誰でもできるんですけどね。最初に簡単な実技試験があって、それで受けられる依頼のランクが決まるんです。大丈夫ですか?」
「大丈夫です。お願いします」
ポーラさんは少し迷うそぶりを見せたあと、「わかりました」と書類を受け取ってくれた。
◇
実技試験は、ギルドの裏手にある小さな訓練場で行われた。
試験官は、片目に眼帯をつけた初老の元冒険者だった。名前はグスタフさん。腕も首も丸太のように太い。
「まずは素振りだ。この木剣で、百回」
手渡された木剣は、思っていたよりずっと重かった。
「は、はい」
両手で構える。前世で剣道の授業を受けたことはあるが、それも高校の体育で数回だけだ。
一回。二回。三回。
五回目で、腕がぷるぷると震え始めた。
八回目で、肩が上がらなくなった。
十回目を振り下ろしたところで、木剣の重さに引っ張られて、僕は前のめりに倒れ込んだ。
「……はぁ、はぁ……っ」
地面に両手をつき、肩で息をする。汗が額から滴り落ちる。
訓練場の周りで見物していた冒険者たちが、どっと笑った。
「十回!? 十回で倒れたぞ!」
「うちの十歳のガキでも五十回は振れるぜ」
「さすが全部Fだな」
グスタフさんは、眼帯のないほうの目で僕をじっと見下ろしていた。
「……次。あの丸太まで走って戻ってこい」
訓練場の端に立てられた丸太までは、五十歩ほどの距離だった。
僕は立ち上がり、走り出した。
丸太にたどり着く前に、息が切れた。戻ってくる途中で、足がもつれて転んだ。
見物人の笑い声が、さらに大きくなった。
膝をすりむいた僕を見て、グスタフさんは深いため息をついた。
「坊主。悪いことは言わん。冒険者はやめておけ」
◇
受付に戻ると、ポーラさんが試験結果の書類を見て、眉を八の字にしていた。
「えっと……登録は、できました。ランクは一番下の『見習い』です」
「ありがとうございます!」
僕は素直に頭を下げた。登録できただけでも十分だ。
「それで、見習いランクで受けられる依頼なんですけど……」
僕は掲示板の一番下の段を見た。見習い向けの依頼が何枚か貼ってある。その中に、「森の入口での薬草採取」という依頼があった。報酬は銀貨三枚。宿の一日の売り上げくらいにはなる。
「あの、この薬草採取を――」
「だめです」
ポーラさんが、即答した。
「えっ」
「だめです。絶対にだめです」
ポーラさんは身を乗り出して、僕の目をまっすぐ見た。
「いいですか、レオンくん。森の入口といっても、最近は角兎や毒蜘蛛が普通に出るんです。見習いでも、普通の人なら逃げ切れます。でも、さっきの試験の結果を見る限り……」
ポーラさんは言葉を選ぶように一度口を閉じ、それから、きっぱりと言った。
「森に入ったら、死にますよ」
ぐうの音も出なかった。
「ごめんなさい、きつい言い方をして。でも、本気で言ってます」
ポーラさんの声は真剣だった。僕をからかう響きは、どこにもなかった。この人は、本当に心配してくれているのだ。
「……わかりました」
僕がうなずくと、ポーラさんはほっとしたように肩の力を抜いた。
「その代わりと言ってはなんですけど、ギルドの中のお仕事ならありますよ。床の掃除と、酒場の皿洗い。報酬は銅貨十五枚ですけど、どうですか?」
銅貨十五枚。銀貨三枚の、二十分の一。
でも、ゼロよりはずっといい。
「やります!」
◇
ギルドの床は、思っていた以上に汚かった。
泥と酒と、何かの血の染み。冒険者たちのブーツが運んでくる森の土。水を張った桶とブラシで、僕は膝をついて床を磨いていった。
磨きながら、冒険者たちを観察した。
大剣を背負った大柄な戦士。弓を手入れする細身の狩人。地図を広げて作戦を練る三人組。酒を飲みながら武勇伝を語る中年の男。
みんな、それぞれの人生を生きている。それぞれの戦い方を持っている。
――あの弓使いの人、弦の張り方が丁寧だな。毎回、弦を指で弾いて音を確かめてる。
――あの戦士の人、大剣の柄に巻いた布が新しい。手のマメが潰れても戦えるように工夫してるのかも。
気づけば、ブラシを動かす手が止まっていた。
前世からの悪い癖だ。誰かが何かを頑張っているのを見ると、つい目で追ってしまう。
それから、もうひとつ確かめたいことがあった。
僕は、冒険者たちの頭上を、ひとりずつ見ていった。
光は、ない。
誰の頭上にも、あの白い光は灯っていなかった。
受付のポーラさんの頭上も見てみたが、やはり何もない。
母さんと父さんの頭上にだけ、光がある。
――家族だから?
でも、ことりちゃんは家族じゃなかった。
共通点は何だろう。母さんは、僕の頭をなでながら「あなたの味方だからね」と言ってくれた。ことりちゃんは、泣きながら「ありがとう」と言ってくれた。
――僕のことを、大切に思ってくれた人?
そこまで考えて、首を振った。考えすぎかもしれない。
「レオンくん、手が止まってますよー」
「あっ、すみません!」
ポーラさんの声に、僕は慌ててブラシを動かした。
◇
床掃除と皿洗いを終えたのは、日が傾いてからだった。
ポーラさんから銅貨十五枚を受け取る。手のひらの上の小さな銅貨が、やけに重く感じた。この世界で初めて、自分の力で稼いだお金だ。
「お疲れさまでした。床、すごくきれいになりましたね。明日も来ますか?」
「はい、ぜひ!」
ギルドを出ると、空は茜色に染まっていた。
全身が痛い。腕は木剣の素振りで、膝は掃除で、足は試験の全力疾走で。前世の運動不足の体よりも、さらに体力がない気がする。
それでも、気分は悪くなかった。
中央広場を抜け、町の北側の坂道を上る。小麦亭への近道だ。
坂の途中に、辺境騎士団の駐屯地がある。高い石壁に囲まれた敷地の中に、兵舎と訓練場があるらしい。昼間はいつも掛け声と剣戟の音が響いているが、この時間にはもう訓練は終わっているはずだった。
ところが。
かん、かん、かん。
石壁の向こうから、乾いた音が聞こえてきた。
木剣が、何かを打つ音だ。
僕は足を止めた。
かん、かん、かん、かん。
一定のリズムで、休むことなく続いている。訓練の終わった駐屯地で、たった一人分の音。
石壁には、ところどころ鉄格子のはまった覗き窓がある。僕はつま先立ちになって、その一つからそっと中をのぞいた。
夕日に照らされた、がらんとした訓練場。
その真ん中で、ひとつの影が、木の打ち込み台に向かって剣を振っていた。
細い体。結い上げた長い髪が、剣を振るたびに揺れている。
遠くて顔はよく見えない。でも、その剣の速さだけは、はっきりとわかった。
速い。
目で追えないほど、速い。
かん、という音が聞こえたときには、もう次の一撃が打ち込み台に届いている。
僕は、覗き窓の鉄格子を握りしめたまま、しばらく動けなかった。
影は、日が完全に沈むまで、一度も休まずに剣を振り続けていた。
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