第3話 読めないスキル
翌朝、僕はもう一度、神殿を訪れた。
昨日の儀式の熱気が嘘のように、神殿の中は静かだった。祭壇の前には神官長と、見慣れない男がひとり立っている。
灰色の長衣に、分厚い丸眼鏡。腕には古びた革の鞄を抱えていた。
「レオン、こちらは鑑定士のバートラム殿だ。領都から月に一度、巡回に来てくださっている」
「どうも。君が、スキル欄の読めなかった子かね」
バートラムさんは眼鏡の奥の目を細めて、僕を頭のてっぺんからつま先まで眺めた。
「ふむ。見たところ、ごく普通の少年だが……まあいい。手を」
促されるまま、僕は鑑定板に手を置いた。
昨日と同じように、能力値が浮かび上がる。六つのF。バートラムさんは「ほう、全部F」と、なぜか感心したような声を出した。
続いて、スキル欄。
昨日はもやもやと揺らぐだけだった光が、今日は少しずつ形になっていく。バートラムさんが鑑定板のふちに指を当て、何かの呪文を小声で唱えている。
やがて、光がはっきりとした文字になった。
バートラムさんの手が止まった。
「……なんだ、これは」
石板の中央には、見たことのない文字が浮かんでいた。
大陸で使われている文字ではない。縦と横の線、払い、点。複雑な形の文字がいくつか並んでいる。
神官長も、身を乗り出して石板をのぞき込んだ。
「バートラム殿、これは……」
「わからん」
バートラムさんは鞄を開け、分厚い本を何冊も取り出した。古代語の辞典。失われた王国の碑文集。精霊文字の解説書。ページをめくっては石板と見比べ、首をひねり、また別の本を開く。
一時間が過ぎた。
祭壇の周りは本の山になっていた。
「……だめだ。どの文献にも該当する文字がない」
バートラムさんは眼鏡を外し、疲れた目をこすった。
「長年この仕事をしているが、こんなことは初めてだ。名前の読めないスキル――『無銘スキル』とでも呼ぶしかない」
「無銘スキル……」
神官長が繰り返した。
「効果は?」
「わからん。スキル名が読めなければ、効果の欄も開かない。ただ、戦闘系のスキルであれば、能力値に何らかの補正がかかるはずだ。彼は全項目F。つまり――」
バートラムさんは、少し気の毒そうに僕を見た。
「戦闘適性は、なし。効果不明の、おそらくは役に立たないスキルだろう」
神殿に、沈黙が落ちた。
僕はというと、二人の話をほとんど聞いていなかった。
石板に浮かんだ文字から、目が離せなかったのだ。
なぜなら、僕には、その文字が読めたから。
縦と横の線、払い、点。
見間違えるはずがない。前世で二十五年間、毎日のように目にしていた文字。
日本語だった。
石板の中央には、こう書かれていた。
――推し活
「…………ぶふっ」
こらえきれなかった。
口を押さえたが、もう遅い。肩が震える。腹の底から笑いがこみ上げてくる。
「お、推し活……っ、推し活って……!」
「レオン?」
「す、すみません、なんでもないです……っ、くく……っ」
だめだった。笑いが止まらない。
剣と魔法の世界。人々が「神速剣」だの「火の加護」だの、かっこいいスキルを授かる世界。
そこで僕が授かったのが、「推し活」。
異世界に来てまで、推し活。
しかもスキルとして、公式に。
「ふ、ふふ……あははははっ!」
僕は祭壇の前で腹を抱えて笑い転げた。目に涙がにじむ。
神官長とバートラムさんは、顔を見合わせていた。
「……ショックで、おかしくなってしまったのか」
「無理もない。全項目最低ランクに加えて、役立たずの無銘スキルだ」
「レオン、しっかりしなさい。ここは神聖な神殿だぞ」
神官長に肩を揺さぶられ、ようやく我に返った。
「す、すみません。本当に、大丈夫です」
涙を拭いながら、僕は頭を下げた。
二人に説明しようかと一瞬だけ考えたが、やめた。「これは日本語という異世界の文字で、推し活と書いてあります。推し活とは、好きな人を応援する活動のことです」なんて言っても、余計に心配されるだけだろう。
バートラムさんは本を鞄に詰め直しながら、ため息をついた。
「一応、領都の鑑定局には報告しておく。前例のないスキルだからな。何かわかれば連絡しよう」
「ありがとうございます」
「……まあ、気を落とすな。スキルがすべてではない」
そう言い残して、バートラムさんは神殿を出ていった。
◇
噂が広まるのは早かった。
昼過ぎには、宿の食堂に来る客たちが、ひそひそと僕のことを話していた。
「聞いたか? 小麦亭の息子、全部Fで、スキルも読めないんだと」
「無銘スキルってやつらしいな。役立たずの」
「鑑定板の前で笑い転げてたって。かわいそうに、頭がおかしくなったんじゃないか」
夕方には、町の子どもたちが僕を見て「無銘のレオンだ!」と指さすようになっていた。
無銘のレオン。
ずいぶんな二つ名をもらってしまった。
父さんは客の噂話が聞こえるたびに、無言で包丁をまな板に叩きつけていた。母さんは「気にしなくていいのよ」と何度も言ってくれた。
でも、僕は本当に気にしていなかった。
むしろ、ずっと考えていた。
推し活。
それが、僕の固有スキルの名前。
この世界のスキルには、それぞれ効果がある。「鋼の腕」なら腕力が上がる。「火の加護」なら炎を操れる。名前と効果は、だいたい結びついている。
なら、「推し活」の効果は?
推しを応援すると、何かが起きる?
それとも、ただ応援が上手になるだけ?
……後者だったら、確かに役立たずだ。
でも、と僕は思った。
あの暗闇で聞いた声。『その灯を、次の世界へ』。
それに、なぜこの世界のスキル名が、日本語で書かれているんだろう。この世界の誰にも読めない文字で。
偶然とは思えなかった。
◇
夜。宿の食堂の片づけを手伝い終えて、僕は屋根裏の部屋に戻ろうとしていた。
「レオン、夕飯まだでしょう。持っていくわね」
母さんが、湯気の立つ麦粥の椀を盆に載せて、階段を上がってきた。
「ありがとう、母さん。自分で取りに行ったのに」
「いいのよ。今日は大変だったでしょう」
母さんは部屋に入ると、小さな机に盆を置いた。それから、ベッドに腰かけた僕の隣に座り、そっと頭をなでてくれた。
「町の人が何を言っても、母さんはあなたの味方だからね」
「……うん」
「あなたは昔から、人のいいところを見つけるのが上手な子だった。それはね、どんなスキルよりも素敵なことなのよ」
母さんは、にっこりと笑った。
その瞬間だった。
母さんの頭の上に、ふわりと、小さな光が灯った。
蛍のように淡い、白い光。
僕は、息をのんだ。
見覚えがあった。
看板の下で、泣きながら「ありがとう」と言ってくれたことりちゃん。その頭上に灯っていた、あの光と同じだった。
「……母さん」
「なあに?」
「頭の上に……何か、ない?」
「頭?」
母さんは自分の頭に手をやった。光の中を、母さんの指がすり抜ける。何も触れない。
「何もないわよ。髪に何かついてる?」
「……ううん。なんでもない。見間違いだった」
僕は目をこすった。
消えない。
母さんの頭上で、白い光は静かに、あたたかく灯り続けている。母さんには見えていない。たぶん、僕にしか見えていない。
「変な子ね。疲れてるのよ、早く食べて寝なさい」
母さんは笑って部屋を出ていった。階段を降りていく足音に合わせて、白い光も揺れながら遠ざかっていく。
僕はしばらく、閉じた扉を見つめていた。
机の上の麦粥から、湯気が立ちのぼっている。
ことりちゃんの光。母さんの光。
どちらも、僕のことを想ってくれた瞬間に灯った。
そして、僕のスキルの名前は「推し活」。
頭の中で、ばらばらだった欠片が、少しずつ形を作り始める。
でも、まだ答えにはならない。
僕は帳面を開き、今日の出来事を書きつけた。
――スキル名:推し活(日本語。この世界の人には読めない)
――効果:不明
――母さんの頭上に白い光。ことりちゃんのときと同じ。僕にしか見えない?
ペンを置いて、もう一度つぶやく。
「……なんだ、これ?」
答える声は、どこからも聞こえなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
ブックマーク・☆評価をいただけると、作者の推し灯がともります。




