第2話 全項目最低ランク
「レオン・アシュフォード。前へ」
神官長の声が、石造りの神殿に響いた。
僕はまだ少しふらつく足で立ち上がった。母さんが背中にそっと手を添えてくれる。振り返ると、神殿の後ろの長椅子で、父さん――ハンス・アシュフォードが、大きな体を縮めるようにして座っていた。宿の仕込みを放り出して来てくれたらしく、前掛けをつけたままだ。
頭の中は、まだ整理がついていなかった。
相葉蓮としての記憶。看板の下敷きになった瞬間の衝撃。泣いていたことりちゃんの顔と、その頭上に灯った白い光。暗闇で聞いた、知らない青年の声。
そして、レオン・アシュフォードとしての十八年間。
二つの記憶は不思議なほどなじんでいた。どちらかが偽物という感じはしない。蓮として生きた僕が、そのままレオンとして生まれ直し、今日この瞬間に、前世のことを思い出した――そういうことなのだろう。
転生。
前世で何十本も読んだライトノベルの言葉が、まさか自分の身に起こるとは思わなかった。
「緊張しなくていい。手を置くだけだ」
祭壇の前に立つと、神官長が穏やかに言った。白い髭をたくわえた老人で、子どもの頃から町のお祭りで顔を見ている。
祭壇の上には、畳一枚ほどの大きさの石板が据えられていた。表面は鏡のように磨き上げられ、ふちには細かい文様が刻まれている。
鑑定板。
この世界の人間は、誰もが生まれながらに「固有スキル」を一つ宿している。そして十八歳になると、この鑑定板によって能力とスキルを鑑定され、はじめてその力を使えるようになる。
固有スキルは、人生を大きく左右する。
剣のスキルを授かれば騎士に。魔法のスキルなら魔導士に。戦闘に向いたスキルを持つ者ほど、この世界では尊ばれる。
僕は、深呼吸をひとつしてから、石板に右手を置いた。
ひやりとした感触。
次の瞬間、石板の表面に淡い光の文字が浮かび上がった。
――レオン・アシュフォード。
名前の下に、いくつもの項目が並んでいく。
筋力:F
敏捷:F
体力:F
魔力:F
器用:F
精神:F
しん、と神殿が静まり返った。
Fというのは、この鑑定板で表示される最低のランクだ。一般的な成人男性で、だいたいD前後。騎士を目指す者ならC以上は欲しい、と言われている。
それが、全部F。
「……全項目、最低ランク」
神官長が、思わずといった様子でつぶやいた。
その瞬間、神殿の後ろのほうから、くすくすと笑い声が漏れた。
「全部Fって、初めて見た」
「宿屋の息子だろ? 昔から足遅かったもんな」
「かわいそうに……」
ひそひそ声が、さざ波のように広がっていく。
僕は、石板に浮かんだ六つのFを、ぼんやりと見つめていた。
悔しい、とは思わなかった。
むしろ、妙に納得していた。前世の相葉蓮も、運動は苦手だったし、勉強も人並みだった。生まれ変わっても、そこは変わらないらしい。
「その……気を落とさないように」
神官長が気遣うように咳払いをした。
「能力値は、鍛錬である程度は伸びる。それに、大事なのはスキルのほうだ。さあ、次はスキルの鑑定を――」
神官長が石板のふちの文様に触れる。能力値の文字が消え、代わりに、石板の中央に新しい光がにじみ出した。
スキル欄。
だが、光はなかなか文字の形にならなかった。もやもやと揺らいでは消え、また浮かんでは崩れる。
神官長の眉間に、しわが寄った。
「……む?」
後ろに控えていた若い神官が駆け寄り、石板をのぞき込む。二人で小声で何かを話し合っている。
「おかしいな。読み取れん」
「鑑定板の不調でしょうか」
「いや、能力値は問題なく出ていた。スキル欄だけが……」
しばらく押し問答が続いたあと、神官長は申し訳なさそうに僕を振り返った。
「すまんな、レオン。スキル欄がうまく読み取れんのだ。明日、鑑定士殿に改めて調べてもらうことにしよう」
「あ、はい。わかりました」
僕がうなずくと、神官長はほっとしたように息をついた。
席に戻る途中、また笑い声が聞こえた。
「能力も最低で、スキルも出ないとか」
「鑑定板にまで見放されたんじゃないか」
母さんが、僕の手をぎゅっと握った。
◇
僕のあとにも、儀式は続いた。
町の鍛冶屋の息子トーマスは、固有スキル「鋼の腕」を授かった。筋力はB。鑑定板が金色に光ったとき、トーマスの両親は抱き合って泣いていた。
パン屋の娘アンナは「火の加護」。手のひらに小さな炎を灯してみせると、神殿中から拍手が起きた。
薬師の家の双子は、そろって「薬草知識」。地味だが、町では重宝されるスキルだ。
ひとり、またひとりと、若者たちが自分の未来を手にしていく。
僕は長椅子に座って、その光景を見ていた。
――いいなあ。
羨ましい、という意味ではない。
鑑定板が光った瞬間の、彼らの顔。驚きと、喜びと、少しの不安が混じった表情。それを見守る家族の、誇らしげな顔。
人が、自分の可能性に出会う瞬間。
前世でも、僕はそういう瞬間を見るのが大好きだった。ことりちゃんが初めて原曲キーで歌い切った夜。新人声優が初めて主役の名前を呼ばれた日。地方のアイドルグループが、初めて大きな会場を埋めたライブ。
気づけば、僕はトーマスにもアンナにも、心の中で拍手を送っていた。
◇
儀式が終わり、神殿の外に出ると、昼の光がまぶしかった。
辺境の町ハルネ。グランリーフ王国の東の端、魔の森と呼ばれる深い森のすぐ手前にある、人口二千人ほどの小さな町だ。町の北側には辺境騎士団の駐屯地があり、石壁の向こうから、ときおり訓練の掛け声が聞こえてくる。
石畳の坂道を、家族三人で歩いて下った。
誰も、しばらく口をきかなかった。
やがて、宿屋「小麦亭」の看板が見えてきたところで、父さんがぼそりと言った。
「レオン」
「うん」
「……腹、減ってないか」
僕は思わず父さんの顔を見上げた。父さんは前を向いたまま、頭をがしがしとかいている。
「今日は店を閉めた。お前の好きな、鹿肉の煮込みを作ってある」
「あなたったら、もう」
母さんが笑った。
「レオン。能力なんて、どうでもいいのよ」
母さんは僕の頬に手を当てて言った。
「あなたが生きて、ここにいてくれれば、それでいいの。倒れたときは、本当にどうしようかと思ったんだから」
その言葉に、胸がつまった。
前世の両親のことを思い出した。僕が死んで、きっとすごく悲しんだだろう。親不孝なことをした。
だから、今度こそ。
「……ありがとう。父さん、母さん」
声が少し震えた。父さんは何も言わずに、僕の頭をくしゃりとなでた。大きくて、ごつごつした手だった。
◇
その夜、屋根裏の自分の部屋で、僕はベッドに寝転がって天井を見上げていた。
鹿肉の煮込みは、記憶の中の味よりもずっとおいしかった。
窓の外では、虫の声が聞こえる。遠くで、騎士団の駐屯地の見張りが交代する鐘の音。
改めて、状況を整理する。
僕は、相葉蓮として日本で死んだ。そして、この世界でレオン・アシュフォードとして生まれ、十八年間を生きてきた。今日の開花の儀で、前世の記憶を取り戻した。
能力は、全項目最低ランク。
スキルは、まだ不明。
普通に考えれば、ここで絶望するところかもしれない。前世で読んだ転生ものの主人公たちは、だいたいとんでもないチート能力を授かっていた。僕にはそれがない。
でも。
僕はベッドから起き上がり、窓を開けた。
夜風が吹き込んでくる。見上げた空には、前世では見たこともないほどたくさんの星が輝いていた。月は二つある。大きな銀色の月と、小さな青い月。
ここは、剣と魔法の世界だ。
騎士がいる。魔導士がいる。冒険者がいる。エルフも獣人もいるらしい。
今日、神殿で見たトーマスやアンナの顔を思い出す。自分の可能性に出会った瞬間の、あの輝き。
この世界には、きっとああいう瞬間がたくさんある。誰かが努力して、壁を越えて、昨日より強くなる瞬間が。
つまり。
「……推したくなる人が、たくさんいるのでは?」
思わず声に出していた。
口元がゆるむのが、自分でもわかった。
能力が最低でも、スキルが不明でも、関係ない。僕には、前世から持ち越した、たったひとつの特技がある。
誰かの努力を見つけて、心から応援すること。
僕は机の引き出しを開けた。中に、子どもの頃に父さんが買ってくれた、革表紙の帳面が入っていた。まだ数ページしか使っていない。
羽根ペンをインク壺に浸し、表紙の裏に書き込む。
――推しノート 異世界編 Vol.1
書き終えて、ひとりで笑った。
そのとき、ふと思い出した。
あの暗闇で聞こえた声。『その灯を、次の世界へ』。
灯。
ことりちゃんの頭上に見えた、あの白い光のことだろうか。
僕は首を振った。考えてもわからない。明日になれば、スキル欄の鑑定結果が出る。何かわかるかもしれない。
ベッドに戻り、目を閉じる。
――明日は、どんな人に会えるだろう。
そう思いながら眠りに落ちる夜は、前世を含めても、ずいぶん久しぶりのような気がした。
応援がいちばんの力になる作品なので、作者も応援されると強くなります。
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