↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
14/17

第14話 三度外れる一撃


 風を切る音がした。


 巨大な棍棒が、僕の頭上に迫る。


 時間が、ひどくゆっくりと流れていた。棍棒の表面の木目まで、はっきりと見える。こびりついた血の染み。ささくれだった木の繊維。


 ――あ、終わった。


 そう思った、次の瞬間だった。


 ばさっ。


 棍棒の先が、何かに引っかかった。


 頭上に張られていた、果物屋の屋台の天幕だった。


 骨組みはさっきの咆哮の風圧で半分折れていたが、厚い帆布の天幕は、まだ屋台の柱に結びつけられたまま、僕たちの真上に垂れ下がっていた。


 振り下ろされた棍棒は、その帆布を巻き込んだ。


 ずるり、と軌道が横にそれる。


 ドゴォン!


 棍棒は、僕の右肩のすぐ横、拳ひとつ分の距離の石畳を叩き割った。


 砕けた石の破片が、頬をかすめる。地面が揺れて、僕は尻もちをついた。


「…………え?」


 生きていた。


 背中の後ろで、ティムが小さく悲鳴を上げている。ティムも無事だ。


 大鬼の左の頭が、不思議そうに首をかしげた。右の頭が、苛立ったように唸る。棍棒に絡まった帆布を、乱暴に振り払った。


 ◇


 逃げなきゃ。


 今のうちに。


 僕はティムの手をつかんで、立ち上がろうとした。


 でも、遅かった。


 大鬼は、もう二撃目の構えに入っていた。今度は横なぎ。僕とティムをまとめて薙ぎ払おうと、棍棒を大きく後ろへ引く。


 ――今度こそ。


 そのとき、東の家並みの切れ目から、朝日が差し込んだ。


 雲が切れたのだ。


 低い角度の朝日が、まっすぐに広場を貫く。


 その光が、ちょうど大鬼の顔を――四つの目を、正面から射た。


 グギャッ!?


 大鬼の二つの頭が、同時にのけぞった。


 まぶしさに目がくらんだのだ。


 横なぎの一撃は、狙いを大きく外れた。棍棒は僕たちの頭上、髪の毛一本分の高さを通り過ぎ、背後の屋台の柱をへし折った。


 木片が雨のように降ってくる。僕はとっさにティムに覆いかぶさった。背中にいくつか木片が当たったが、大したことはない。


 顔を上げる。


 大鬼が、両方の頭を振りながら、目をしばたたかせていた。


「…………」


 二回。


 二回も、外れた。


 偶然だろうか。


 いや、偶然かもしれない。でも――


 僕の脳裏に、金色の光がよぎった。遠くから近づいてくる、強く輝く推し灯。


 50という数字。


『推しのために動くと、幸運が強くなる(仮)』


 ノートの隅に書いた、あの一行。


 ――まさか。


 ◇


 大鬼が、怒りの咆哮を上げた。


 二度も獲物を仕留め損ねたことに、完全に頭に血が上っている。二つの頭が同時に吼え、棍棒を両手で握り直した。


 今度は、真上からの振り下ろし。全体重を乗せた、渾身の一撃。


 大鬼が、一歩、大きく踏み込む。


 その足が、何かを踏んだ。


 ぐしゃっ。


 石畳の上に散らばった、果物だった。


 最初の一撃で吹き飛ばされた果物屋の籠から、熟れた桃と葡萄が転がり出ていたのだ。大鬼の巨大な足が、それをまとめて踏み潰した。


 果汁と果肉で、足元がぬるりと滑る。


 大鬼の巨体が、ぐらりと傾いた。


 振り下ろされた棍棒は、僕たちのいる場所から大きく外れ、すぐ隣の石畳を叩いた。


 ドガァァン!


 これまでで一番大きな衝撃だった。石畳が粉々に砕け、地面に大きなくぼみができる。


 そして――


 ぴしっ。


 嫌な音がした。


 大鬼の握る棍棒に、一筋の亀裂が走っていた。


 ぴし、ぴしぴしっ。


 亀裂は見る間に広がっていく。一撃目で石畳を叩き、二撃目で屋台の柱をへし折り、三撃目で、ひときわ硬い石畳の芯を叩いた。三度の衝撃に、ついに棍棒そのものが耐えきれなくなったのだ。


 バキィィィン!


 大鬼の手の中で、巨大な棍棒が、粉々に砕け散った。


 木片が、四方八方に飛び散る。


 大鬼は、柄だけになった棍棒の残骸を、呆然と見つめていた。二つの頭が、同時に。


 広場に、奇妙な静寂が落ちた。


 ◇


「……今だ!」


 僕はティムを抱き上げ、走り出した。


 大鬼が武器を失って混乱している、今しかない。反対側の路地まで、二十歩。全力で走れば――


 三歩目で、足がもつれた。


 自分の左足に、自分の右足が引っかかった。


 視界が、ぐるりと回る。


「うわああっ!?」


 僕はティムを抱えたまま、派手に前のめりに転んだ。とっさに体をひねって、ティムを胸に抱え込む。背中から石畳に落ちた。


 ごつん、と後頭部を打つ。目の前に星が散った。


「お、おにいちゃん!?」


「だ、大丈夫……っ、ティムくんは……?」


「ぼく、だいじょうぶ……」


 よかった。ティムには、怪我ひとつない。


 代わりに僕は、肘と膝をすりむき、後頭部にたんこぶを作っていた。


 ――お布施、か。


 こんなときに、と思った。でも、仕方ない。大きな幸運のあとには、必ず小さな不運が来る。三回も命を拾ったのだから、転ぶくらいは安いものだ。


 問題は。


 ずしん。


 背後で、地面が揺れた。


 振り返る。


 大鬼が、こちらを見下ろしていた。


 手には、もう棍棒はない。代わりに、丸太のような両腕を、ゆっくりと広げていた。


 四つの赤い目が、怒りに燃えている。


 武器がなくても、あの腕でつかまれたら、それで終わりだ。握りつぶされる。


 僕は、ティムを抱えたまま後ずさった。でも、背中が何かにぶつかる。崩れた屋台の残骸だった。


 逃げ場が、ない。


 大鬼が、巨大な手を伸ばしてくる。


 指一本が、僕の腕ほどの太さがある。爪は黒く、鋭く尖っている。


 その手が、僕とティムの上に、影を落とした。


 ――ああ、今度こそ、だめだ。


 僕は、ティムを胸に強く抱きしめた。


 せめて、この子だけは。


 ◇


 ――その少し前。


 セリアは、東の通りを駆けていた。


 避難する人々の流れは、もう途切れている。人の消えた通りに、自分の足音だけが響く。肺が焼けるように熱い。それでも、速度を緩めなかった。


 角を曲がった瞬間、市場の広場が見えた。


 まず目に飛び込んできたのは、見上げるほどの灰色の巨体だった。双頭の大鬼。その足元に、子どもを抱えた少年が、尻もちをついている。


 レオンだった。


 大鬼が、棍棒を振り下ろす。


 セリアの喉から、声にならない悲鳴が漏れた。


 ――間に合わない。


 ところが、棍棒はレオンの真横の石畳を叩いた。二撃目は、頭上を通り過ぎた。三撃目は、大鬼が足を滑らせて、地面を叩いた。


 そして、棍棒そのものが、粉々に砕け散った。


 セリアは、走りながら目を疑った。


 何が起きているのか、わからない。レオンは、何もしていない。ただ、子どもをかばって、そこに座り込んでいるだけだ。


 なのに、怪物の攻撃が、一度も彼に届かない。


 ――まるで、世界のほうが、彼を守っているみたいに。


 だが、その奇跡も長くは続かなかった。


 逃げようとしたレオンが転び、大鬼が素手で手を伸ばす。今度こそ、逃げ場はない。


 セリアは、剣を抜いた。


 足が、震えていた。あの巨体に向かっていけば、また最後の一歩で止まってしまうかもしれない。そうなれば、自分も、レオンも、子どもも、死ぬ。


 ――怖い。


 でも、それ以上に。


 あの少年が、あの怪物の手に握りつぶされるところを、見たくなかった。


 セリアは、歯を食いしばった。


 そして、残りの距離を、一息に駆け抜けた。


 ◇


 そのとき。


 風が、吹いた。


 いや、風ではなかった。


 何かが、僕の目の前を、すさまじい速さで通り過ぎたのだ。


 しゅん、という音が、遅れて聞こえた。


 次の瞬間、大鬼の伸ばした腕から、黒い血が噴き出した。


 グギャアアアッ!


 大鬼が悲鳴を上げ、腕を引っ込める。手首のあたりに、深い切り傷が走っていた。


 僕は、何が起きたのかわからないまま、顔を上げた。


 僕とティムの前に、ひとつの背中があった。


 細い背中。訓練用の軽鎧。両手で構えた、一振りの剣。


 朝日を受けて、亜麻色のポニーテールが、金色に輝いていた。


 その頭上で、金色の推し灯が、まぶしいほどに燃えている。


「……セリア、さん」


 かすれた声で、名前を呼んだ。


 セリアは、振り返らなかった。


 大鬼から目を離さず、剣を構えたまま、短く言った。


「下がっていてください、レオンさん」


 その声は、少しだけ震えていた。


 でも、もう、背中は小さく見えなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。