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12-1 準備万端の夏季演習

八月の夏季演習まで、あと七日。


午後の授業を終えた五人は、いつものラウンジで遠征計画の最終確認をしていた。


卓の上には、地図や物資一覧、野営計画などの書類が積み上げられている。学院から出された課題とはいえ、王都から南方の森林地帯まで赴く一か月近い遠征だ。調べなければならないことは予想以上に多く、五人はこの一週間、授業の合間を縫って準備を進めていた。


「……これで全部か?」


アレクサンダーが最後の書類を揃えると、トビアスが手元の一覧に目を落とした。


「うん。移動経路、宿泊地、物資、野営計画、緊急時の対応。指定された項目は全部揃ってる」


「ようやく終わったな」


ジークバルトが大きく伸びをした。


「まさか天幕の数まで計算するとは思わなかった」


「人数が決まらなければ、必要な数も分からないでしょう」


「それは分かるけどさ。護衛の騎士が何人になるかなんて、俺たちじゃ決められないだろ」


「だから、人数ごとに必要な数を出したんじゃないか」


トビアスが笑いながら答えた。


実際、護衛の人数はまだ正式に知らされていない。五人は教師から示された条件をもとに、いくつかの規模を想定して計画を立てていた。


「それにしても、食料の量ってすごいんですね」


ミアが物資一覧を眺めながら言った。


「五人分ならまだしも、騎士の方々や先生方の分まで考えると、こんなに必要になるなんて」


「しかも、森に入ってからは簡単に補給できないからね」


「俺の分は多めにしてくれたんだろ?」


ジークバルトが尋ねると、トビアスは平然と頷いた。


「もちろん。ジークだけ一人半分で計算してあるよ」


「おい、そこまで食わないぞ」


「去年の夏季演習では、夕食のあとにパンを三つ追加していたでしょう?」


セレスティーナが不思議そうに首を傾げた。


「……よく覚えてるな」


「はい。とても美味しそうに召し上がっていらしたので」


ミアが吹き出し、アレクサンダーも笑いを堪えきれなかった。


「まあ、食料が足りなくなるよりはいいだろう」


「殿下まで!」


ジークバルトが不満そうな顔をしたところで、トビアスが書類をまとめ始めた。


「それで、実際の調達はどうするの?」


「王宮と相談するつもりだ。学院からも支援は受けられるが、今回は通常の演習とは違うからな」


「天幕は騎士団のものを借りられるといいな。実際に使ってる装備を見てみたい」


「そのあたりも確認しておこう」


アレクサンダーが頷くと、ジークバルトは満足そうに地図を覗き込んだ。


王都から南へ伸びる街道を五日ほど進み、山沿いの農村へ向かう。そこから先は森林地帯を南下しながら三か所の魔力溜まりを調査する予定だった。


最も南の調査地点へ到達するまで、およそ半月。帰路も含めれば、一か月近い遠征になる。


「それにしても、ようやく魔の森に行けるんだな」


ジークバルトが嬉しそうに言った。


「まだ行き先が正式に決まったばかりだろう」


「だから楽しみなんだって。騎士科に入ってから、南方の討伐隊の話は何度も聞いてるんだ。実際にどんなところで戦ってるのか、一度見てみたかった」


「今回は調査が目的だ。無理に魔物を探しに行くなよ」


「分かってるって。現地の騎士に話を聞くだけでも勉強になるだろ」


ジークバルトは地図の南端を指でなぞった。


「それに、森の中での野営も楽しみだな」


「私は、ちゃんと眠れるか少し心配です」


ミアが笑う。


「天幕で寝たことなんてありませんから」


「僕もないよ。寝台がないと、朝は体が痛くなりそうだね」


「そうなのですか?」


セレスティーナが顔を上げた。


「地面の上に寝具を敷くのですよね。どのような感じなのでしょう」


「セラ様も初めてですか?」


「はい。とても楽しみです」


その返答に、ミアは嬉しそうに微笑んだ。


「私もです。みんなで一緒なら、きっと楽しいですよね」


「はい」


セレスティーナは頷き、もう一度地図へ目を落とした。


王都から南へ続く街道には、いくつもの町や村が記されている。今まで訪れたことのない土地ばかりだった。


どんな景色が広がっているのだろう。町によって建物の形も違うのだろうか。


そんなことを考えているうちに、自然と頬が緩んだ。


翌日、五人が提出した遠征計画は、担当教師から高い評価を受けた。


移動経路や必要物資だけでなく、野営時の役割分担や緊急時の対応まで、よく考えられているという。


もっとも、教師は最後に一つだけ付け加えた。


「実際の遠征では、王宮や騎士団の指示に従ってくださいね。今回の課題は、あくまで計画を立てるためのものですから」


五人は素直に頷いた。


その言葉の意味を、アレクサンダーが改めて思い知ることになったのは、その日の夕方だった。


王城の執務室で、フリードリヒ国王は息子から差し出された計画書を興味深そうに眺めていた。


「ほう。よく調べたな」


「学院の課題でしたので。五人で分担してまとめました」


「野営計画まであるのか。なかなか本格的だな」


「はい。それで父上、遠征の物資についてご相談があるのですが」


「物資?」


「騎士団の装備をどの程度お借りできるか、確認したいのです。食料の調達についても、王宮にご協力いただければと」


フリードリヒは書類から顔を上げた。


「……アレクサンダー」


「はい」


「お前は、遠征の準備を自分たちでするつもりだったのか?」


「いえ、すべてをというわけではありませんが……」


答えながら、アレクサンダーは何かがおかしいことに気づいた。


フリードリヒは少しの間、息子の顔を見つめていたが、やがて声を立てて笑い始めた。


「父上?」


「いや、すまん。そうか。学院の課題でそこまで考えたのなら、そういう気にもなるか」


「……何か?」


「遠征の準備なら、もうほとんど終わっているぞ」


アレクサンダーは瞬きをした。


「……終わっているのですか?」


「当然だろう。お前たちが南方へ向かうと決まった時点で、騎士団と関係部署には指示を出してある。街道沿いの宿泊地も押さえているし、先発隊が運ぶ物資の手配も進んでいる」


「そうでしたか」


「王太子と聖女、それに公爵令嬢まで同行する遠征だぞ。必要なものを学生たちに買い集めさせるわけにはいかんだろう」


言われてみれば、そのとおりだった。


アレクサンダーはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。


「……確かに」


「お前たちの計画も、学院の課題としては立派なものだ。だが、実際の遠征となれば、調査に同行する魔術師や教師、護衛の騎士たちの都合もある。物資の調達は専門の者に任せておけ」


「承知しました」


フリードリヒはまだ笑っていた。


「それで、ほかに何か必要なものはあるか?」


「……今のところ、ございません」


「そうか。では、せっかくの機会だ。現地の騎士や村人から、いろいろと話を聞いてくるといい」


「はい」


「それから、あまり気負いすぎるなよ。学院の夏季演習でもあるのだからな」


アレクサンダーは少しだけ苦笑した。


「心得ております」


執務室を辞したあと、廊下を歩きながら、もう一度手元の計画書を見下ろした。


一週間かけて五人で考えた物資の調達計画は、実際にはほとんど使う必要がないらしい。


もっとも、何が必要なのかを知っておくこと自体は無駄ではない。


そう考え直し、アレクサンダーは書類を閉じた。


同じ頃、セレスティーナの部屋でも遠征の準備が進められていた。


寝台の上には衣類が並べられ、エマが一つずつ確認している。机には学院で作成した物資一覧が置かれていたが、その大半には既に印が付いていた。


「こちらは予備の外套でございます。森の中では朝晩に冷えることもございますので、少し厚手のものをご用意いたしました」


「ありがとうございます」


「履物も、歩行用のものを二足と予備を一足。現地の状況に合わせてお履き替えいただきます」


「はい」


セレスティーナは素直に頷き、手帳へ目を落とした。


「エマ。医療品は……」


「そちらも既に手配されております。医師も同行いたしますので、ご安心くださいませ」


「そうでしたか」


「お嬢様のお荷物は、出発前にまとめて運び出す予定でございます。道中でお使いになるものだけ、別にしておきますね」


「ありがとうございます」


セレスティーナは手帳を閉じた。


必要なものは、ほとんど揃っているらしい。


学院で計画を立てたときには、ずいぶん多くの準備が必要だと思っていたのだが、実際に自分で用意するものはあまりなかった。


「エマ」


「はい、お嬢様」


「ほかに、わたくしがお手伝いできることはございませんか?」


「そうですね……」


エマは少し考えた。


衣類の確認も、荷物の仕分けも、既に予定どおり進んでいる。セレスティーナに何かしてもらう必要はなかった。


「道中で召し上がるお茶やお菓子でしたら、お嬢様のお好みでお選びいただけますよ」


「お菓子ですか?」


「はい。保存の利くものに限られますが、馬車の中で召し上がる分でしたら、いくつかお持ちいただけます」


セレスティーナは少し考え、それから嬉しそうに微笑んだ。


「では、皆様の分もご用意してよろしいでしょうか」


「もちろんでございます」


「ミア様は、蜂蜜の焼き菓子がお好きでしたわね。ジークバルト様には、木の実を使ったものがよろしいでしょうか」


「そうですね。食べ応えのあるものをお選びになってもよろしいかと」


「トビアス様は、甘さの控えめなものをよく召し上がっていらっしゃいますし……」


セレスティーナは指を折りながら考え始めた。


エマが菓子の目録を持ってくると、今度はそれを熱心に眺める。


「こちらは日持ちいたしますか?」


「はい。個別に包めば、道中でも問題ないかと存じます」


「では、こちらも少し」


「かしこまりました」


しばらくして、選んだ菓子の数を確認したエマは、少しだけ眉を上げた。


「お嬢様。こちらは、皆様で一度に召し上がるには少々多いかと」


「あら……」


セレスティーナは目録を見直した。


「では、少し減らしましょうか」


「そうですね。道中の宿泊地でもお食事やお茶のご用意がございますので」


「はい」


少し残念そうにしながらも、セレスティーナは素直にいくつかの品を取り消した。


それでも、五人で楽しむには十分な量が残っている。


「皆様のお口に合うとよいのですが」


「きっとお喜びになりますよ」


エマが微笑むと、セレスティーナも嬉しそうに頷いた。


その後、アレクサンダーから遠征の準備がほとんど整っていると聞かされたジークバルトは、最初こそ少し残念そうな顔をしたものの、現地で天幕の設営や野外調理の実習があると知って、すぐに機嫌を直した。


トビアスは王宮側で用意される測定器具の一覧を確認し、学院から持参するものを整理していた。ミアは野外調理の実習に興味津々で、厨房の料理人に火の扱い方や食材の保存方法を尋ねているらしい。


そしてセレスティーナは、エマと選んだお菓子が届くたびに、嬉しそうに包みを確かめていた。


そうしているうちに、出発の日はあっという間にやってきた。


朝の涼しさが残る学院の正門前には、数台の馬車が並んでいた。


荷物を積んだ馬車の周囲では従者たちが最後の確認を行い、騎士たちは馬具や装備を点検している。学院の教師や調査に同行する魔術師たちも集まり、出発前の打ち合わせをしていた。


セレスティーナがエマとともに正門へ向かうと、既にアレクサンダーたち四人が待っていた。


「おはようございます、皆様」


「おはよう、セレスティーナ」


「セラ様、おはようございます!」


ミアが笑顔で手を振った。


「いよいよですね」


「はい」


セレスティーナは頷き、並んだ馬車を見上げた。


これから五日かけて南へ向かい、さらに森の奥まで進む。帰ってくるのは、ずっと先のことだ。


「ジーク、ずいぶん早かったんだな」


アレクサンダーが声をかけると、ジークバルトは肩をすくめた。


「目が覚めちまったんだよ。騎士団の準備も見たかったしな」


「それで、何か面白いものはあった?」


トビアスが尋ねる。


「馬車の後ろに積んである装備、あれは南方の騎士団が使ってるものらしい。あとで詳しく聞いてみるつもりだ」


「もう聞きに行ったのかと思ったよ」


「出発前で忙しそうだったからな」


そんなやり取りを聞きながら、ミアは周囲を見回した。


「思っていたより、ずっと大勢なんですね」


「今回は調査隊も同行するからな。森に入ってからは、さらに現地の騎士団と合流する予定だ」


アレクサンダーが答えると、ミアは感心したように頷いた。


「そうなのですね。なんだか、本当に遠くまで行くんだという気がしてきました」


「もう少しで出発だぞ」


ジークバルトが言うと、ミアは笑った。


「分かっています。楽しみにしていたんですから」


やがて、出発の準備が整ったことが告げられた。


アレクサンダーが四人を振り返る。


「そろそろ乗ろうか」


「はい」


セレスティーナはミアと顔を見合わせ、微笑んだ。


馬車へ向かう途中、ふと振り返ると、見慣れた学院の建物が朝日に照らされていた。


いつもなら、この時間には授業の準備をしている頃だ。


けれど今日は、これから馬車に乗って、まだ見たことのない土地へ向かう。


セレスティーナは軽い足取りで馬車の踏み台に足をかけた。


扉が閉まり、ほどなくして馬車がゆっくりと動き始める。


窓の外では、学院の正門が少しずつ遠ざかっていった。八月の夏季演習まで、あと七日。


午後の授業を終えた五人は、いつものラウンジで遠征計画の最終確認をしていた。


卓の上には、地図や物資一覧、野営計画などの書類が積み上げられている。学院から出された課題とはいえ、王都から南方の森林地帯まで赴く一か月近い遠征だ。調べなければならないことは予想以上に多く、五人はこの一週間、授業の合間を縫って準備を進めていた。


「……これで全部か?」


アレクサンダーが最後の書類を揃えると、トビアスが手元の一覧に目を落とした。


「うん。移動経路、宿泊地、物資、野営計画、緊急時の対応。指定された項目は全部揃ってる」


「ようやく終わったな」


ジークバルトが大きく伸びをした。


「まさか天幕の数まで計算するとは思わなかった」


「人数が決まらなければ、必要な数も分からないでしょう」


「それは分かるけどさ。護衛の騎士が何人になるかなんて、俺たちじゃ決められないだろ」


「だから、人数ごとに必要な数を出したんじゃないか」


トビアスが笑いながら答えた。


実際、護衛の人数はまだ正式に知らされていない。五人は教師から示された条件をもとに、いくつかの規模を想定して計画を立てていた。


「それにしても、食料の量ってすごいんですね」


ミアが物資一覧を眺めながら言った。


「五人分ならまだしも、騎士の方々や先生方の分まで考えると、こんなに必要になるなんて」


「しかも、森に入ってからは簡単に補給できないからね」


「俺の分は多めにしてくれたんだろ?」


ジークバルトが尋ねると、トビアスは平然と頷いた。


「もちろん。ジークだけ一人半分で計算してあるよ」


「おい、そこまで食わないぞ」


「去年の夏季演習では、夕食のあとにパンを三つ追加していたでしょう?」


セレスティーナが不思議そうに首を傾げた。


「……よく覚えてるな」


「はい。とても美味しそうに召し上がっていらしたので」


ミアが吹き出し、アレクサンダーも笑いを堪えきれなかった。


「まあ、食料が足りなくなるよりはいいだろう」


「殿下まで!」


ジークバルトが不満そうな顔をしたところで、トビアスが書類をまとめ始めた。


「それで、実際の調達はどうするの?」


「王宮と相談するつもりだ。学院からも支援は受けられるが、今回は通常の演習とは違うからな」


「天幕は騎士団のものを借りられるといいな。実際に使ってる装備を見てみたい」


「そのあたりも確認しておこう」


アレクサンダーが頷くと、ジークバルトは満足そうに地図を覗き込んだ。


王都から南へ伸びる街道を五日ほど進み、山沿いの農村へ向かう。そこから先は森林地帯を南下しながら三か所の魔力溜まりを調査する予定だった。


最も南の調査地点へ到達するまで、およそ半月。帰路も含めれば、一か月近い遠征になる。


「それにしても、ようやく魔の森に行けるんだな」


ジークバルトが嬉しそうに言った。


「まだ行き先が正式に決まったばかりだろう」


「だから楽しみなんだって。騎士科に入ってから、南方の討伐隊の話は何度も聞いてるんだ。実際にどんなところで戦ってるのか、一度見てみたかった」


「今回は調査が目的だ。無理に魔物を探しに行くなよ」


「分かってるって。現地の騎士に話を聞くだけでも勉強になるだろ」


ジークバルトは地図の南端を指でなぞった。


「それに、森の中での野営も楽しみだな」


「私は、ちゃんと眠れるか少し心配です」


ミアが笑う。


「天幕で寝たことなんてありませんから」


「僕もないよ。寝台がないと、朝は体が痛くなりそうだね」


「そうなのですか?」


セレスティーナが顔を上げた。


「地面の上に寝具を敷くのですよね。どのような感じなのでしょう」


「セラ様も初めてですか?」


「はい。とても楽しみです」


その返答に、ミアは嬉しそうに微笑んだ。


「私もです。みんなで一緒なら、きっと楽しいですよね」


「はい」


セレスティーナは頷き、もう一度地図へ目を落とした。


王都から南へ続く街道には、いくつもの町や村が記されている。今まで訪れたことのない土地ばかりだった。


どんな景色が広がっているのだろう。町によって建物の形も違うのだろうか。


そんなことを考えているうちに、自然と頬が緩んだ。


翌日、五人が提出した遠征計画は、担当教師から高い評価を受けた。


移動経路や必要物資だけでなく、野営時の役割分担や緊急時の対応まで、よく考えられているという。


もっとも、教師は最後に一つだけ付け加えた。


「実際の遠征では、王宮や騎士団の指示に従ってくださいね。今回の課題は、あくまで計画を立てるためのものですから」


五人は素直に頷いた。


その言葉の意味を、アレクサンダーが改めて思い知ることになったのは、その日の夕方だった。


王城の執務室で、フリードリヒ国王は息子から差し出された計画書を興味深そうに眺めていた。


「ほう。よく調べたな」


「学院の課題でしたので。五人で分担してまとめました」


「野営計画まであるのか。なかなか本格的だな」


「はい。それで父上、遠征の物資についてご相談があるのですが」


「物資?」


「騎士団の装備をどの程度お借りできるか、確認したいのです。食料の調達についても、王宮にご協力いただければと」


フリードリヒは書類から顔を上げた。


「……アレクサンダー」


「はい」


「お前は、遠征の準備を自分たちでするつもりだったのか?」


「いえ、すべてをというわけではありませんが……」


答えながら、アレクサンダーは何かがおかしいことに気づいた。


フリードリヒは少しの間、息子の顔を見つめていたが、やがて声を立てて笑い始めた。


「父上?」


「いや、すまん。そうか。学院の課題でそこまで考えたのなら、そういう気にもなるか」


「……何か?」


「遠征の準備なら、もうほとんど終わっているぞ」


アレクサンダーは瞬きをした。


「……終わっているのですか?」


「当然だろう。お前たちが南方へ向かうと決まった時点で、騎士団と関係部署には指示を出してある。街道沿いの宿泊地も押さえているし、先発隊が運ぶ物資の手配も進んでいる」


「そうでしたか」


「王太子と聖女、それに公爵令嬢まで同行する遠征だぞ。必要なものを学生たちに買い集めさせるわけにはいかんだろう」


言われてみれば、そのとおりだった。


アレクサンダーはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。


「……確かに」


「お前たちの計画も、学院の課題としては立派なものだ。だが、実際の遠征となれば、調査に同行する魔術師や教師、護衛の騎士たちの都合もある。物資の調達は専門の者に任せておけ」


「承知しました」


フリードリヒはまだ笑っていた。


「それで、ほかに何か必要なものはあるか?」


「……今のところ、ございません」


「そうか。では、せっかくの機会だ。現地の騎士や村人から、いろいろと話を聞いてくるといい」


「はい」


「それから、あまり気負いすぎるなよ。学院の夏季演習でもあるのだからな」


アレクサンダーは少しだけ苦笑した。


「心得ております」


執務室を辞したあと、廊下を歩きながら、もう一度手元の計画書を見下ろした。


一週間かけて五人で考えた物資の調達計画は、実際にはほとんど使う必要がないらしい。


もっとも、何が必要なのかを知っておくこと自体は無駄ではない。


そう考え直し、アレクサンダーは書類を閉じた。


同じ頃、セレスティーナの部屋でも遠征の準備が進められていた。


寝台の上には衣類が並べられ、エマが一つずつ確認している。机には学院で作成した物資一覧が置かれていたが、その大半には既に印が付いていた。


「こちらは予備の外套でございます。森の中では朝晩に冷えることもございますので、少し厚手のものをご用意いたしました」


「ありがとうございます」


「履物も、歩行用のものを二足と予備を一足。現地の状況に合わせてお履き替えいただきます」


「はい」


セレスティーナは素直に頷き、手帳へ目を落とした。


「エマ。医療品は……」


「そちらも既に手配されております。医師も同行いたしますので、ご安心くださいませ」


「そうでしたか」


「お嬢様のお荷物は、出発前にまとめて運び出す予定でございます。道中でお使いになるものだけ、別にしておきますね」


「ありがとうございます」


セレスティーナは手帳を閉じた。


必要なものは、ほとんど揃っているらしい。


学院で計画を立てたときには、ずいぶん多くの準備が必要だと思っていたのだが、実際に自分で用意するものはあまりなかった。


「エマ」


「はい、お嬢様」


「ほかに、わたくしがお手伝いできることはございませんか?」


「そうですね……」


エマは少し考えた。


衣類の確認も、荷物の仕分けも、既に予定どおり進んでいる。セレスティーナに何かしてもらう必要はなかった。


「道中で召し上がるお茶やお菓子でしたら、お嬢様のお好みでお選びいただけますよ」


「お菓子ですか?」


「はい。保存の利くものに限られますが、馬車の中で召し上がる分でしたら、いくつかお持ちいただけます」


セレスティーナは少し考え、それから嬉しそうに微笑んだ。


「では、皆様の分もご用意してよろしいでしょうか」


「もちろんでございます」


「ミア様は、蜂蜜の焼き菓子がお好きでしたわね。ジークバルト様には、木の実を使ったものがよろしいでしょうか」


「そうですね。食べ応えのあるものをお選びになってもよろしいかと」


「トビアス様は、甘さの控えめなものをよく召し上がっていらっしゃいますし……」


セレスティーナは指を折りながら考え始めた。


エマが菓子の目録を持ってくると、今度はそれを熱心に眺める。


「こちらは日持ちいたしますか?」


「はい。個別に包めば、道中でも問題ないかと存じます」


「では、こちらも少し」


「かしこまりました」


しばらくして、選んだ菓子の数を確認したエマは、少しだけ眉を上げた。


「お嬢様。こちらは、皆様で一度に召し上がるには少々多いかと」


「あら……」


セレスティーナは目録を見直した。


「では、少し減らしましょうか」


「そうですね。道中の宿泊地でもお食事やお茶のご用意がございますので」


「はい」


少し残念そうにしながらも、セレスティーナは素直にいくつかの品を取り消した。


それでも、五人で楽しむには十分な量が残っている。


「皆様のお口に合うとよいのですが」


「きっとお喜びになりますよ」


エマが微笑むと、セレスティーナも嬉しそうに頷いた。


その後、アレクサンダーから遠征の準備がほとんど整っていると聞かされたジークバルトは、最初こそ少し残念そうな顔をしたものの、現地で天幕の設営や野外調理の実習があると知って、すぐに機嫌を直した。


トビアスは王宮側で用意される測定器具の一覧を確認し、学院から持参するものを整理していた。ミアは野外調理の実習に興味津々で、厨房の料理人に火の扱い方や食材の保存方法を尋ねているらしい。


そしてセレスティーナは、エマと選んだお菓子が届くたびに、嬉しそうに包みを確かめていた。


そうしているうちに、出発の日はあっという間にやってきた。


朝の涼しさが残る学院の正門前には、数台の馬車が並んでいた。


荷物を積んだ馬車の周囲では従者たちが最後の確認を行い、騎士たちは馬具や装備を点検している。学院の教師や調査に同行する魔術師たちも集まり、出発前の打ち合わせをしていた。


セレスティーナがエマとともに正門へ向かうと、既にアレクサンダーたち四人が待っていた。


「おはようございます、皆様」


「おはよう、セレスティーナ」


「セラ様、おはようございます!」


ミアが笑顔で手を振った。


「いよいよですね」


「はい」


セレスティーナは頷き、並んだ馬車を見上げた。


これから五日かけて南へ向かい、さらに森の奥まで進む。帰ってくるのは、ずっと先のことだ。


「ジーク、ずいぶん早かったんだな」


アレクサンダーが声をかけると、ジークバルトは肩をすくめた。


「目が覚めちまったんだよ。騎士団の準備も見たかったしな」


「それで、何か面白いものはあった?」


トビアスが尋ねる。


「馬車の後ろに積んである装備、あれは南方の騎士団が使ってるものらしい。あとで詳しく聞いてみるつもりだ」


「もう聞きに行ったのかと思ったよ」


「出発前で忙しそうだったからな」


そんなやり取りを聞きながら、ミアは周囲を見回した。


「思っていたより、ずっと大勢なんですね」


「今回は調査隊も同行するからな。森に入ってからは、さらに現地の騎士団と合流する予定だ」


アレクサンダーが答えると、ミアは感心したように頷いた。


「そうなのですね。なんだか、本当に遠くまで行くんだという気がしてきました」


「もう少しで出発だぞ」


ジークバルトが言うと、ミアは笑った。


「分かっています。楽しみにしていたんですから」


やがて、出発の準備が整ったことが告げられた。


アレクサンダーが四人を振り返る。


「そろそろ乗ろうか」


「はい」


セレスティーナはミアと顔を見合わせ、微笑んだ。


馬車へ向かう途中、ふと振り返ると、見慣れた学院の建物が朝日に照らされていた。


いつもなら、この時間には授業の準備をしている頃だ。


けれど今日は、これから馬車に乗って、まだ見たことのない土地へ向かう。


セレスティーナは軽い足取りで馬車の踏み台に足をかけた。


扉が閉まり、ほどなくして馬車がゆっくりと動き始める。


窓の外では、学院の正門が少しずつ遠ざかっていった。


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