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11-8 二年次の夏季演習

七月中旬になり、学院のあちこちで夏季演習の話を耳にするようになった。


魔術科は学院管理下の迷宮へ、騎士科は野外訓練へ。それぞれの日程が掲示されると、休み時間の話題も装備や班分けのことが多くなる。


そんなある日の午後、ラウンジへ戻ってきたアレクサンダーは、四人の座るテーブルに一枚の書類を置いた。


「許可が出たぞ」


ジークバルトが、持ち上げかけたカップを戻した。


「魔の森か?」


「ああ。俺たち五人は、夏季演習を特別調査に振り替える。教師と騎士団が同行して、魔の森周辺の異常を調べることになった」


「よし!」


ジークバルトの拳がテーブルを叩き、茶器がかすかに鳴った。


隣のトビアスが、自分のカップを少し遠ざける。


「日程は?」


「これから調整するそうだ。学院長との話は済んだ。期間は例年の夏季演習に倣って、最長で一か月を見込んでいる」


「一か月! そんなに長く行けるのか?」


「まだ決定じゃないぞ。調査の進み具合にもよる。ただ、途中で何度も王都へ戻るよりは、現地に滞在したほうがいいだろうという話だ」


「いいな。一か月も騎士団と行動できるかもしれないのか」


ジークバルトは書類を引き寄せたが、目を通すより先に顔を上げた。


「どこの隊が来るんだ? 人数は? 俺たちも一緒に戦えるのか?」


「待て。一度に聞くな」


アレクサンダーは笑いながら椅子を引いた。


「そこまではまだ決まっていない。ただ、現地では騎士団と行動することになる」


「なら、近くで見られるな。迷宮にいない魔物も出るんだろう? 剣が通りにくい奴とか、やたら足の速い奴とか」


「会う前提なんですね」


ミアが言うと、ジークバルトは当然のように頷いた。


「そりゃ、せっかく行くんだからな。騎士団が相手にしてる魔物を見てみたいだろ」


「見ているだけで済むかな」


トビアスが横から口を挟んだ。


「ジークなら、前に出たくなりそうだけど」


「命令があれば待つぞ」


「なければ?」


「聞いてから出る」


「聞くことは聞くんだね」


ミアが吹き出した。ジークバルトもつられて笑う。


「俺は、現地の騎士に話を聞いてみたいな」


アレクサンダーは、ジークバルトの手元にある書類へ目を向けた。


「王城に届く報告だと、討伐した数や被害の話が中心だから」


「じゃあ、どんな魔物が出るか聞いておいてくれ」


「お前も一緒に聞けばいいだろ」


「もちろん。殿下が聞くなら、詳しく教えてもらえそうだしな」


「俺を使う気か?」


「頼りにしてるんだよ」


アレクサンダーは呆れた顔をしたものの、それ以上は言い返さなかった。


「……ところで、移動は馬車でしょうか?」


ミアの問いに、アレクサンダーが頷く。


「ああ。その予定だ」


「では、皆さんで同じ馬車に乗れるんですね」


その隣で、セレスティーナの手が止まった。


「五人でございますか?」


「人数からすれば、一台で乗れると思うが」


セレスティーナは、テーブルを囲む四人を順に見た。


今はそれぞれの寮から集まり、夕方には別れている。けれど遠征では、ここにいる全員で学院を出て、同じ道を進むのだ。


「……それは、賑やかになりそうでございますね」


「ジークがいるからね」


「俺だけか?」


「途中で魔物の話を始めたら、着くまで続きそうだよ」


「お前だって、調査の話なら止まらないだろ」


「僕は必要なことを話すつもりだけど」


そう言いながら、トビアスは鞄から折り畳んだ地図を取り出した。


ジークバルトがその手元を見る。


「……もう持ってきてるじゃないか」


「経路くらいは確認しておこうと思って」


「まだ許可が出たばっかりだぞ」


「出ると思っていたから」


広げられた地図に、五人の視線が集まった。


王都から延びる街道を、トビアスの指がたどる。その先にある森の名を見つけて、ミアが身を乗り出した。


「ずいぶん遠いんですね」


「うん。移動だけでも何日かかかりそうだね」


「どこに泊まるんですか?」


「騎士団の宿営地か、近くの村の施設になるだろうな。そのあたりも調整中だ」


「野営は?」


すかさず尋ねたジークバルトに、アレクサンダーが地図を示す。


「移動の経路によっては、あるかもしれない」


「あの、野営ということは……寝る場所も、自分たちで作るのでしょうか」


ミアの顔が急に真剣になった。


「私、天幕を張ったことがないんですが」


「それなら俺が教えられるぞ。去年やったからな」


「それは助かる。俺も一度しかやっていない」


アレクサンダーが言うと、ジークバルトは勢いよくそちらを向いた。


「殿下もか。じゃあ、二人分だな」


「いや、俺は張ったことがあると言っただろ」


「覚えてるか?」


アレクサンダーは一拍黙った。


トビアスが笑いをこらえながら地図を押さえる。


「まず、野営になるかどうかを確認してからにしようか」


「そうだな」


即座に頷いたアレクサンダーに、今度はセレスティーナまで笑ってしまった。


「準備も、そろそろ始めることになりそうだね」


トビアスが言った。


「去年と同じなら、演習前に遠征計画を立てる課題が出るはずだけど」


「ああ、あったな。魔物の生息域や装備を調べて、五人分の計画書を作るやつ」


ジークバルトの言葉に、アレクサンダーは去年の課題を思い出した。


第三資料室。抱えきれないほどの紙の束。


壁に手をつきながら、それでも穏やかに微笑んでいたセレスティーナ。


――これ、お前一人でやれ。


自分が口にした言葉まで思い出し、アレクサンダーは目の前の地図へ視線を落とした。


「……殿下?」


呼ばれて顔を上げると、セレスティーナがこちらを見ていた。


「今年も同じ課題が出るのでしたら、わたくしにお任せいただけますでしょうか」


「いや、駄目だ」


ほとんど反射的に答えていた。


「……はい?」


「今年は五人でやる。一人に任せるつもりはない」


「ですが、昨年の資料もございますし、今回は調査先も分かっております。魔力の観測についても加えられますので、より詳しい計画書を――」


「セレスティーナ」


セレスティーナは口を閉じた。


広げられた地図へ視線を戻し、小さく頷く。その様子が残念そうで、アレクサンダーはますます落ち着かなくなった。


「セレスティーナ嬢。魔力の観測方法は、僕と一緒に考えてもらえるかな」


トビアスが声をかけた。


「王城で調べた術式についても、現地で何を確認するべきか相談したいんだ」


「はい。ぜひ、お手伝いさせてくださいませ」


顔を上げたセレスティーナに、先ほどの笑顔が戻る。


「ジークには野外での行動について考えてもらいたいし、装備のことも聞きたいな」


「任せろ。騎士科で使ってるものも見せられるぞ」


「俺は騎士団に、実際の遠征ではどうしているのか聞いてみよう」


アレクサンダーも言った。


「それなら、私は食事のことを調べてみたいです」


ミアが手を上げた。


「一か月も行くんですから、食料を何日分持っていくかだけでは足りませんよね。途中で買えるものや、お料理する場所も確認しておきたいです」


トビアスは手帳を開き、話に出た項目を書き留め始めた。


それをのぞき込んだミアが、嬉しそうに言う。


「今年は、みんなで作れますね」


アレクサンダーはセレスティーナを見た。


彼女はミアに頷き、去年使った資料を明日にでも持ってくると話している。


去年の今頃なら、こんなふうに同じ地図を囲んでいることさえ、考えられなかった。


「……そうだな。今年は、みんなでやろう」


セレスティーナがこちらを向き、嬉しそうに頷いた。


それからは、準備の話が次々に飛び交った。


ジークバルトが野外で使う道具を挙げる横で、ミアは着替えや雨具を書き出していく。一か月分となると何枚必要なのかと手が止まり、アレクサンダーが滞在先で洗濯できるか確認すると言った。予備の靴も必要だという話になると、今度は荷物がどれだけ増えるのか、誰も見当がつかなくなった。


セレスティーナも紙を取り出したが、トビアスに測定器具の相談を持ちかけられ、そちらへ向き直った。


学院から借りられるものはあるか。同じ場所で時間を変えて測れないか。測定した地点を地図に記せば、五月の記録とも比べられる。


話しながら描いているうちに、紙には小さな丸と矢印が増えていった。


「あ、セラ様。着替えも忘れないでくださいね」


ミアに言われ、セレスティーナは手元を見た。


「……こちらには、書く場所がなくなってしまいました」


「では、持ち物はこっちに。一緒に確認しましょう」


ミアが自分の紙を間へ寄せたところで、向かいからジークバルトの声がした。


「なあ、食事はどうなるんだ? 迷宮に入るときみたいな行動食ばっかりじゃ、さすがに飽きるだろ」


「ずっと保存食ということはないと思うが……温かいものは欲しいな」


アレクサンダーの言葉に、ミアが顔を上げる。


「お鍋があれば、煮込み料理は作れそうですね。村でお肉や野菜を買えればいいんですけど」


「肉は欲しい。焼けないか?」


「串に刺せば焼けると思います。でも、毎日それだけでは」


「毎日肉でもいいぞ、俺は」


ミアは何か言いかけて、やめた。


代わりに紙へ「鍋」と書き足す。その横から、トビアスが保存の利く食材について尋ねた。


そこから話は、何を持っていくかよりも、何を食べたいかへ移っていった。


豆なら運びやすいという話に、ジークバルトが豆ばかりは嫌だと言い、アレクサンダーも硬いパンを毎食かじるのは避けたいと言い出した。ミアが平たいパンなら鍋でも焼けるかもしれないと話すと、三人ともそちらを向いた。


作り方を尋ねられ、ミアは笑いながら、小麦粉を練るところから説明し始める。


セレスティーナはペンを置き、その話を聞いていた。


寮では厨房に任せきりの食事を、遠征先では自分たちで用意することもあるのだろうか。ミアが生地をこねている隣で、ジークバルトが肉を焼いているところを想像すると、何となく楽しそうだった。


「セラ様は、何か食べたいものはありますか?」


尋ねられ、セレスティーナは少し考えた。


「わたくしは……皆様と同じものをいただけるのでしたら、それで十分でございます」


「そうですか?」


ミアはセレスティーナの顔を見てから、紙へ目を落とした。


「では、一緒に食べるものを考えましょう。お料理のほかにも、移動の途中でつまめるものが欲しいですね」


「それでしたら、エマに焼き菓子を頼んでみましょうか」


「いいですね。私、あの木の実が入ったものが好きです」


「俺もあれがいい」


ジークバルトがすぐに口を挟んだ。


「ただ、日持ちするものでも、一か月分は難しいよね」


トビアスが言うと、アレクサンダーが地図の街道沿いを指した。


「途中の町で買い足せないか? 通るなら、店くらいあるだろう」


「だったら、そこで売ってるものも食べてみたいな」


「ジーク、さっきから食べたいものばかり増えてるよ」


「お前は要らないのか?」


「……見てから決めるよ」


ミアが笑いながら「お菓子」と書き、その隣にセレスティーナが「お茶」を加えた。


茶葉は何を持っていくか、カップは割れにくいものがいいのか。いつものラウンジにあるものを一つずつ思い浮かべていると、遠征の荷物はまた増えていく。


鍋の大きさを考えていたはずのミアまで、途中の町にはどんなお店があるのでしょうと地図をのぞき込んでいた。


やがて廊下を通る学生たちの声が増え、アレクサンダーが時計を見た。


「もう夕食か」


「えっ」


ミアが窓へ顔を向ける。


夕暮れの光が、ラウンジの床へ長く差し込んでいた。


「食い物の話をしてたら、腹が減ったな」


ジークバルトは立ち上がりながら、アレクサンダーを見た。


「日程、決まったらすぐ教えてくれよ。剣の手入れもしておきたい」


「普段からしているだろう」


「今回は念入りにやるんだよ」


二人のやり取りを聞きながら、セレスティーナは資料を揃えた。


測定の案を書いた紙。その下に、ミアと書いた持ち物の一覧がある。


着替え、雨具、筆記具。鍋。


最後には「お茶とお菓子」。


セレスティーナはその文字をもう一度見てから、折り畳んだ紙を鞄へしまった。


「セラ様、行きましょう」


差し出されたミアの手に顔を上げ、席を立つ。


廊下へ出ても、前を歩くジークバルトはまだ騎士団の話をしていた。アレクサンダーが何か答え、トビアスが横から訂正を入れている。


「出発までに、準備が終わるといいですね」


ミアが隣で言った。


「はい」


エマに相談して、必要なものを揃えて、ミアと荷物を確かめる。


そうして待っていれば、五人で学院を出る日が来る。


セレスティーナは、ふと不思議な気持ちになった。


馬車で遠くへ行くのは、初めてではない。この夢を見るようになってから、領地と王都の間も二度、行き来している。長い道中がどのようなものかは知っていた。


それなのに、今度は出発する前から、こんなにも待ち遠しい。


現実で働いていた頃には、旅行に行くことなど考えもしなかった。使えるお金も時間もなく、どこへ行きたいかと尋ねられたところで、答えられなかっただろう。


今度の遠征にも、調査という仕事がある。現地では、やるべきことがたくさんあるはずだ。


けれど、その行き帰りには四人がいる。


馬車に揺られながら、先ほどのように話をするのだろう。途中でお茶を飲んだり、お菓子を分け合ったりすることもあるかもしれない。


ジークバルトなら、町へ着くたびに菓子屋を探すのだろうか。


そう考えると、頬が緩んだ。


「……早く、八月にならないでしょうか」


ミアがこちらを見た。


セレスティーナは、自分が声に出していたことに気づき、少し頬を熱くした。


ミアは嬉しそうに笑った。


「明日、さっそく準備を始めましょうね」


「はい」


前からジークバルトの声が飛んできた。


「菓子を選ぶときは、俺も呼んでくれよ!」


「お前、そこだけ聞いていたのか」


アレクサンダーの呆れた声に、セレスティーナも声を立てて笑った。


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