11-5 よく晴れた日
お茶会を予定した朝、セレスティーナはいつもより少し早く目を覚ました。
窓の外には、よく晴れた空が広がっていた。薄い雲がゆっくりと流れ、寮の庭に植えられた木々が朝の光を受けている。昨夜は雨が降らないか少し気になっていたけれど、どうやら今日は一日、よいお天気になりそうだった。
寝台の上で身を起こし、時計を確かめる。
お客様がいらっしゃるのは午後のお茶の時間だ。まだずいぶん余裕がある。
それでも、セレスティーナは嬉しくなって、そっと微笑んだ。
今日は、ミアとノエルとコレットが来てくれる。
自分のお部屋へ、お友達を招くのだ。
十日ほど前、思い切ってお誘いしたときには、こんなに楽しみになるとは思わなかった。三人が快く承諾してくれたことも嬉しかったし、それから毎日少しずつ準備を進める時間も楽しかった。
刺繍したコースターは、三日前に完成している。エマが薄紙で包み、小さな箱に収めてくれた。茶葉も菓子も手配が済み、あとはお客様をお迎えするだけだった。
「おはようございます、お嬢様」
ほどなくして、エマが朝の支度にやってきた。
「おはようございます、エマ」
「本日はよいお天気でございますね」
「はい。とても嬉しいです」
セレスティーナが微笑むと、エマも穏やかに頷いた。
「お客様をお迎えするには、ちょうどよろしい日和でございます」
「そうでございますね」
セレスティーナはもう一度窓の外を見た。
三人は、どんなお話をしてくださるだろう。
ノエルとコレットが持ってきてくれるという庭の絵も楽しみだった。以前、二人が故郷について話してくれたときには、知らない花や庭の造りの話がたくさん出てきた。
今日は、その景色を見ることができる。
そう思うと、朝食の時間さえ少し待ち遠しかった。
「本日のお召し物は、こちらでいかがでしょうか」
エマが用意したのは、淡い水色のドレスだった。学院での普段着より少し華やかだが、正式な夜会で着るようなものではない。袖口と襟元に控えめなレースがあしらわれ、細い銀糸の刺繍が光を受けて柔らかく輝いている。
「まあ、綺麗でございますね」
「親しいご友人とのお茶会ですので、あまり堅苦しくならないものをお選びいたしました」
「ありがとうございます。こちらにいたします」
着替えを終えると、エマは髪を丁寧に梳き、後ろで緩くまとめた。小さな髪飾りを添えると、鏡の中には、いつもより少しだけ華やかな公爵令嬢が映っていた。
セレスティーナは鏡を見つめた。
綺麗な服を着て、髪を整えてもらって、友人が訪ねてくるのを待つ。
こんな一日があるなんて。
「……ありがとうございます、エマ」
「どういたしまして。では、朝食になさいましょう」
「はい」
セレスティーナは嬉しそうに頷いた。
けれど、朝食を終えても、午前の時間はなかなか過ぎなかった。
いつもなら、読みかけの本を開けばあっという間に時間が経つ。最近は魔脈に関する資料も増えていたし、確認したい記述もいくつかあった。
けれど今日は、机に向かっても何となく窓の外が気になった。
まだ午前中だと分かっている。三人が来るには早すぎる。
それでも、時折時計を見てしまう。
「……お嬢様」
エマに声をかけられ、セレスティーナは顔を上げた。
「はい?」
「お時間が気になりますか?」
「……少し」
セレスティーナは恥ずかしそうに微笑んだ。
「皆様がいらしてくださるのが、楽しみで」
「そうでございますか」
エマは頷いた。
「それでしたら、午後まで少しお休みになってはいかがでしょう」
「……お休み、でございますか?」
「はい。お客様がお見えになりましたら、しばらくお話をなさるでしょうから」
セレスティーナは少し考えた。
身体も頭もよく動くし、特に休む必要はないように思える。それに、何もしないで待っていると、かえって時間が長く感じられそうだった。
「……少し、本を読んでいてもよろしいでしょうか」
「もちろんでございます。ただし、お茶会の準備は私どもにお任せくださいませ」
「はい」
セレスティーナは素直に頷いた。
エマが部屋を出ていくと、再び本を開く。
けれど、しばらくして同じ頁を二度読んでいることに気づき、少し不思議そうに首を傾げた。
どうやら、今日はあまり読書が進まないらしい。
それも何だか、おかしかった。
午後になると、エマ寮の使用人を伴って茶会の支度を始めた。
部屋の中央には、直径一メルテほどの円卓が置かれている。いつもの小卓より少し大きく、四人で囲んでも窮屈にならないように用意されたものだった。
その上には、一メルテ半四方の白い卓布が掛けられていた。布の端は円卓の縁から柔らかく垂れ、裾には細いレースが揺れている。
卓の中央には、小さな花器が置かれていた。
淡い青と白の花を中心に、薄桃色の花が少しだけ添えられている。背の高い花は使われず、向かい合って座っても互いの顔が見えるように整えられていた。
「まあ……とても綺麗でございますね」
「ありがとうございます」
エマは花器の位置を少し直した。
「お客様とのお話の邪魔にならないよう、低めにまとめております」
セレスティーナは卓の周りをゆっくり歩いた。
四つの椅子が置かれている。
自分の席と、ミアの席。ノエルとコレットの席。
いつもは自分が本を読んだり、お茶を飲んだりしている部屋に、今日は四人分の席が用意されていた。
それだけで、少し不思議な気持ちになった。
「……エマ」
「はい」
「本当に、ありがとうございます」
「まだお客様がお見えになる前でございますよ」
エマは小さく笑った。
「お礼は、無事にお茶会が終わってからで結構です」
「……はい」
セレスティーナも微笑んだ。
そのとき、扉の向こうから控えめなノックが聞こえた。
エマが顔を上げる。
「お客様がお見えになったようでございますね」
セレスティーナは思わず姿勢を正した。
まだ約束の時間より少し早い。けれど、廊下から聞こえてきた声には覚えがあった。
「……ミア様でしょうか」
「お確かめしてまいります」
エマが扉へ向かう。
セレスティーナはその場で待っていたが、扉が開き、ミアの明るい声が聞こえると、自然と足が動いた。
「こんにちは、セラ様!」
「ミア様。いらっしゃいませ」
セレスティーナは嬉しくなって微笑んだ。
ミアは淡い黄色のワンピースを着ていた。学院の制服とは違い、柔らかな布地が軽やかに揺れている。
「今日はお招きありがとうございます。とっても楽しみにしていました」
「こちらこそ、いらしてくださってありがとうございます」
「わあ、お部屋も素敵ですね!」
ミアは部屋の中を見回した。
「お花まで飾ってあるんですね」
「はい。エマが用意してくれました」
「とっても綺麗です」
その言葉に、セレスティーナはほっとした。
気に入ってもらえた。
それだけで、準備してよかったと思えた。
「ノエル様とコレット様も、もうすぐいらっしゃると思います」
「そうですね。途中まで一緒だったんですけど、二人とも少し荷物を取りに戻るって」
「荷物……」
「庭の絵だと思いますよ」
ミアが笑った。
「私も楽しみなんです」
「はい。わたくしも」
二人で話していると、ほどなくしてもう一度ノックがあった。
今度はノエルとコレットだった。
「こんにちは、セレスティーナ様」
「本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「ノエル様、コレット様。いらっしゃいませ」
セレスティーナは二人を迎えた。
ノエルは淡い青緑のドレス、コレットは薄桃色のドレスを着ていた。二人とも普段の制服とは違い、少し華やかな装いだった。
そして、それぞれの手には細長い包みがある。
「以前お話しした庭の絵を持ってまいりました」
ノエルが微笑んだ。
「私もです。母から届いたものなのですが」
「まあ……ありがとうございます」
セレスティーナは嬉しくなった。
「ぜひ、あとで拝見させてくださいませ」
「もちろんです」
エマが二人の上着を預かり、席へ案内する。
四人が円卓を囲んで座ると、部屋の中が急に賑やかになった。
「本当に素敵なお部屋ですね」
コレットが周囲を見回した。
「家具も落ち着いた色合いで、とても綺麗です」
「ありがとうございます」
セレスティーナは微笑んだ。
「ですが、わたくしが選んだものではございませんので……」
「それでも、セレスティーナ様らしいお部屋だと思います」
ノエルが言った。
「そうでございますか?」
「はい。とても静かで、落ち着きます」
セレスティーナは少し考えた。
自分らしい部屋。
そう言われると、何だか不思議だった。
けれど、嫌な気持ちはしなかった。
「……ありがとうございます」
その間に、エマがお茶を運んできた。
温められた茶器へ香り高い茶が注がれると、柔らかな香りが広がった。
続いて、菓子が卓へ並べられる。
小さな焼き菓子が数種類。果物を使った菓子と、食べやすく切り分けられた季節の果実。
どれもセレスティーナが普段から口にしているものだったが、今日は綺麗な皿に少しずつ盛り付けられ、まるで別の菓子のように見えた。
「わあ、美味しそう!」
ミアが嬉しそうに声を上げた。
「セラ様、こちらのお菓子は?」
「はい。こちらは、わたくしが普段いただいている焼き菓子でございます」
セレスティーナは皿を示した。
「外側が少し香ばしくて、中が柔らかいのです。とても美味しいので、皆様にも召し上がっていただけたらと思いまして」
「それは楽しみです!」
ミアが一つ取る。
ノエルとコレットも、それぞれ菓子を選んだ。
「……美味しいですね」
ノエルが微笑んだ。
「ええ。甘さが上品で、とても食べやすいです」
コレットも頷いた。
セレスティーナは嬉しくなった。
「お気に召していただけて、よかったです」
「セラ様も召し上がってくださいね」
ミアが言った。
「……はい」
セレスティーナは自分の皿を見た。
そういえば、まだ何も取っていなかった。
三人がどの菓子を選ぶのか、気に入ってくれるのかが気になって、すっかり忘れていた。
「こちらの果物の菓子も美味しそうですよ」
「ありがとうございます」
ミアに勧められ、セレスティーナも一つ取った。
けれど、その菓子に手をつける前に、ノエルが持参した包みを取り出した。
「そうでした。絵をお持ちしたのでしたね」
「あら、ぜひ見せてください!」
ミアが身を乗り出した。
セレスティーナも思わず顔を上げる。
ノエルが丁寧に紙を外すと、中から一枚の絵が現れた。
淡い色彩で描かれた庭だった。
中央には小さな池があり、その周囲を石畳の小道が巡っている。池のほとりには白い花が咲き、少し離れた場所には大きな木が枝を広げていた。
「まあ……!」
セレスティーナは思わず身を乗り出した。
「とても綺麗でございますね。こちらが、以前お話しくださった池でございますか?」
「はい。屋敷の裏手にある小さな池です」
「この白いお花は、池の周りに咲いているのですね。春のお庭でしょうか?」
「そうです。白鈴草が咲く頃に描いてもらったものなんです」
「まあ、白鈴草でございますか。では、こちらの木は……」
「これは、私が生まれる前からある木だそうです」
「そんなに長く! では、ずいぶん大きいのでしょうね」
「はい。夏になると、枝が池の方まで伸びて、ちょうどよい日陰になるんです」
「素敵ですね。こちらの石の腰掛けで本をお読みになると、おっしゃっていましたね」
ノエルは少し驚いたように目を瞬いた。
「……覚えていてくださったのですか?」
「はい。とても素敵だと思いましたので」
セレスティーナは絵を見つめた。
水面には木々が映り、白い花が風に揺れているように見える。
「季節が変わると、こちらのお花も変わるのでしょうか?」
「そうですね。夏には池の反対側に青い花が咲きますし、秋になると木の葉が赤くなります」
「まあ……!」
セレスティーナの表情が明るくなった。
「それでは、同じ場所でも季節ごとに違う景色になるのですね」
「はい。子どもの頃は、よくここで本を読んでいました」
「静かで、気持ちがよさそうです」
「ええ。ただ、弟が来ると少し騒がしくなるんですけれど」
ノエルが苦笑した。
「弟さんが?」
「はい。私が本を読んでいると、池に石を投げ入れて水を跳ねさせるんです」
「まあ!」
セレスティーナは目を丸くした。
「それでは、本が濡れてしまいますね」
「そうなんです。何度注意しても面白がって繰り返すものですから、最後には母に叱られていました」
「ふふっ」
ミアが笑った。
「ノエル様の弟さん、元気な方なんですね」
「元気すぎるくらいです」
「でも、少し楽しそうです」
コレットが言うと、ノエルは困ったように笑った。
「見ている分には、そうかもしれませんね」
セレスティーナも、つられて笑った。
ノエルの話す庭の景色が、少しずつ鮮やかになっていく。
絵の中には描かれていない弟の姿や、母親の声まで聞こえてくるようだった。
「……いつか、実際に拝見してみたいです」
思わずそう口にすると、ノエルが顔を上げた。
「……私どもの庭を、でございますか?」
「はい。きっと、季節ごとにとても綺麗なのでしょうね」
ノエルは少し驚いたように瞬きをした。
それから、嬉しそうに微笑んだ。
「そのような機会がございましたら、ぜひ」
「ありがとうございます」
セレスティーナは微笑んだ。
「本当に、素敵なお庭ですね」
そのあと、コレットも絵を広げた。
こちらはノエルの庭とはずいぶん雰囲気が違った。
左右に整えられた生け垣があり、中央には広い花壇が設けられている。花壇には色とりどりの薔薇が咲き、その奥には白い石造りの東屋が見えた。
「まあ……!」
セレスティーナの目が輝いた。
「とても華やかでございますね!」
「ありがとうございます」
コレットは少し照れたように笑った。
「母が薔薇を育てるのが好きなんです。毎年、少しずつ種類が増えてしまって」
「こんなにたくさんの色があるんですね」
ミアも絵を覗き込んだ。
「はい。母は特に淡い色の薔薇が好きで」
コレットは花壇の一角を指さした。
「こちらの薄桃色の薔薇は、母がとても大切にしているものなんです」
セレスティーナは、その花をじっと見つめた。
淡い桃色。幾重にも重なった花びら。
小さな刺繍に使った色と、少し似ている。
「……こちらの薔薇は、何というお名前なのでしょうか?」
コレットが答えると、セレスティーナはさらに尋ねた。
「花びらの形が少し違うのですね。こちらの濃い色の薔薇とは、育て方も違うのでしょうか?」
「ええと……少し違うそうです。母がよく話しているのですが、私はあまり詳しくなくて」
「そうでございましたか。では、こちらの白い薔薇は……」
「セレスティーナ様」
コレットが小さく笑った。
「申し訳ありません。そこまでは、母に聞いてみないと分からないかもしれません」
「……まあ」
セレスティーナは瞬きをした。
それから、少し頬を染めた。
「申し訳ございません。つい、たくさんお尋ねしてしまいました」
「いいえ!」
コレットは慌てて首を振った。
「こんなに興味を持っていただけて、嬉しいです」
「本当に?」
「はい。母も、きっと喜ぶと思います」
セレスティーナはほっとしたように微笑んだ。
「それでしたら、嬉しいです」
「母は薔薇の話を始めると、なかなか止まらないんですよ」
コレットが笑う。
「以前、父が少しだけ庭を見に来たときも、気づいたら一時間ほど説明を聞かされていたそうです」
「一時間も?」
ミアが目を丸くした。
「はい。父は途中でお茶を飲みたくなったそうなのですが、母が楽しそうだったので言い出せなかったとか」
「まあ……」
セレスティーナは少し考えた。
「でも、お父様は、お母様のお話を最後まで聞いてくださったのですね」
「そうなんです。父は、母の薔薇の話には弱くて」
コレットが笑った。
「ただ、そのあと母が花壇で転んだときに、父が思わず笑ってしまって」
「えっ」
ミアが顔を上げた。
「それは、お母様は怒られたでしょう?」
「はい。しばらく口をきいてもらえなかったそうです」
「それは、お父様がいけませんね」
ミアが真面目な顔で言った。
「私もそう思います」
コレットが頷き、四人で笑った。
セレスティーナも、自然と声を立てて笑っていた。
誰かの失敗を笑うのは、少し失礼かもしれない。
けれど、コレットが楽しそうに話しているのを聞いていると、きっと今では家族の大切な思い出なのだろうと思えた。
そして、そんな話を自分にも聞かせてもらえることが嬉しかった。
「……コレット様のお庭も、いつか拝見してみたいです」
セレスティーナが言うと、コレットは少し驚いたように目を瞬いた。
「……まあ。ありがとうございます」
それから、丁寧に微笑んだ。
「そのような機会がございましたら、ぜひお越しくださいませ」
「はい。ありがとうございます」
セレスティーナは嬉しそうに頷いた。
「ノエル様のお庭も、コレット様のお庭も、どちらもとても素敵ですね」
「ありがとうございます」
ノエルとコレットが微笑んだ。
そのあとも、庭の話は続いた。
ノエルの家では、春になると池のほとりに小さな鳥が巣を作ること。コレットの家では、薔薇の花壇に猫が入り込み、庭師が困っていること。
セレスティーナは次々に質問した。
「その鳥は、毎年同じ場所に巣を作るのでしょうか?」
「猫は、薔薇の棘で怪我をしないのでしょうか?」
「東屋からは、花壇が全部見えるのですか?」
一つ答えてもらうたびに、また別のことが気になった。
いつもなら、相手の話を遮らないように気をつけるところだった。けれど今日は、二人が楽しそうに答えてくれるので、つい次の質問が口をついて出てしまう。
ミアも途中から加わり、話はますます賑やかになった。
「セラ様、そんなにお庭がお好きだったんですね」
「……そう、なのでしょうか」
セレスティーナは少し考えた。
「お花も好きですし、皆様のお話を伺っていると、実際に見てみたくなります」
「ふふっ」
ミアが笑った。
「それなら、今度は学院のお庭も一緒に歩きませんか?」
「学院のお庭、でございますか?」
「はい。いつも通る道じゃなくて、奥の方にも綺麗なお花が咲いているんですよ」
「まあ、そうなのですね!」
セレスティーナの表情が明るくなった。
「ぜひ、ご一緒したいです」
「では、今度のお休みにでも」
「はい!」
セレスティーナは嬉しそうに頷いた。
その様子を見て、ノエルとコレットも微笑んだ。
「私たちも、ご一緒してよろしいでしょうか」
「もちろんです!」
ミアが答えた。
「四人で行きましょう」
セレスティーナは三人を見た。
また、四人で。
今日だけではない。
次のお休みにも、こうして一緒に過ごせるのだ。
そのことが、何だかとても嬉しかった。
「……ありがとうございます」
セレスティーナは微笑んだ。
「とても、楽しみです」
やがて、エマが新しいお茶を運んできた。
茶器を下げ、茶葉を替え、菓子皿を整える。その間も、四人の会話は途切れなかった。
セレスティーナの茶杯には、まだ最初のお茶が半分ほど残っていた。皿に取った果物の菓子にも、ほとんど手がつけられていない。
エマはそれを確かめたが、何も言わずに新しいお茶を注いだ。
セレスティーナは、コレットが話す薔薇の品種について、ちょうど興味深そうに耳を傾けていた。
「……それで、母が新しい薔薇を植えようとしたのですが」
「はい」
「庭師が、もう場所がないと困ってしまって」
「まあ!」
セレスティーナは目を丸くした。
「それほどたくさん育てていらっしゃるのですね」
「そうなんです。父も、そろそろ花壇を増やすのは難しいのではないかと言っているのですが」
「でも、お母様はまだ増やしたいんですね」
ミアが笑う。
「はい。毎年、新しい種類を見つけてしまうそうで」
「ふふっ」
セレスティーナも笑った。
その笑顔を見て、エマは静かに茶器を整えた。
「あっ、そうでした!」
「どうなさいましたか?」
セレスティーナが尋ねると、ミアは少し照れたように笑った。
「実は、私もセラ様にお渡ししたいものがあるんです」
「……わたくしに、でございますか?」
「はい」
ミアは小さな包みを取り出した。
柔らかな白い布で包まれ、淡い黄色のリボンが結ばれている。
「お茶会にお招きいただいたので、何かお礼をと思って」
「まあ……」
セレスティーナは目を丸くした。
「ありがとうございます。でも、お気遣いなさらなくても……」
「私が差し上げたかったんです」
ミアは笑った。
「よろしければ、受け取ってください」
セレスティーナはそっと包みを受け取った。
「……ありがとうございます」
リボンをほどき、布を開く。
中から現れたのは、小さな絹の袋だった。
淡い生成り色の布地に、白と黄色の花が刺繍されている。袋の口は細い紐で結ばれ、近づけると、ほのかに甘く爽やかな香りがした。
「……まあ」
セレスティーナは小さく息を呑んだ。
「とても素敵でございますね」
「ポプリなんです」
ミアが少し照れたように言った。
「中に入れるお花と香草は、自分で選びました」
「まあ……!」
セレスティーナは袋をそっと持ち上げた。
柔らかな花の香りが広がる。
「とてもよい香りです」
「本当ですか?」
「はい。優しくて、落ち着く香りですね」
ミアは嬉しそうに笑った。
「よかったです!」
それから、少し恥ずかしそうに続けた。
「実は、袋の刺繍も自分でしてみたんです」
「……ミア様が?」
「はい。家庭教師の先生に教えていただいて」
セレスティーナはもう一度、袋の刺繍を見つめた。
小さな花が三輪。
白と黄色の糸で、一つずつ丁寧に刺されている。
花びらの大きさは少しずつ違い、葉の向きも揃っていない。けれど、柔らかな色合いがとても可愛らしかった。
「……とても綺麗です」
セレスティーナは微笑んだ。
「ミア様が、こちらを……」
「はい。でも、あまり上手ではなくて」
ミアは少し困ったように笑った。
「何度もやり直したんです。最初は花の形にもならなくて」
「まあ……」
「先生にも、もう少し簡単な模様にしたらどうかって言われたんですけど」
「それでも、こちらのお花になさったのですね」
「はい。セラ様には、こういうお花が似合うかなと思って」
セレスティーナは顔を上げた。
「……わたくしに?」
「はい」
ミアは頷いた。
「それで、最後に先生から、初めて綺麗にできましたねって褒めていただけたんです」
「まあ!」
セレスティーナの表情が明るくなった。
「それは、とても嬉しいですね」
「はい!」
ミアは笑った。
「だから、セラ様にも喜んでいただけたらいいなって」
セレスティーナは、もう一度小さな袋を見つめた。
柔らかな布地。
少し不揃いな花びら。
その一つ一つを、ミアが針で刺したのだ。
自分のために。
「……とても、嬉しいです」
セレスティーナはそっと微笑んだ。
「大切にいたしますね」
「ありがとうございます!」
ミアは嬉しそうに頷いた。
その様子を見て、ノエルとコレットも微笑んでいた。
「ミア様らしい、素敵な贈り物ですね」
ノエルが言うと、コレットも頷いた。
「本当に。香りもとても優しいです」
「ありがとうございます」
ミアは少し照れたように笑った。
「実は、何を入れるかも結構迷ったんです」
「そうなのですか?」
セレスティーナが尋ねる。
「はい。先生にいろいろ教えていただいて、何種類か試してみたんですけど……」
そこから、また話が弾んだ。
香りの強い花。
乾燥させると香りが変わる香草。
袋に入れる量によっても、ずいぶん違うらしい。
セレスティーナは興味津々で話を聞いた。
「では、こちらの香りは、ミア様が組み合わせをお考えになったのですね」
「はい。何度か試して、これが一番好きだったので」
「まあ……とても素敵です」
セレスティーナは嬉しそうに微笑んだ。
「わたくしも、こちらの香りが好きです」
「本当ですか?」
「はい」
ミアは嬉しそうに笑った。
その笑顔を見て、セレスティーナも自然と微笑んだ。
そして、ふと思い出した。
そうだ。
自分も、まだお渡ししていないものがある。
「……あの、皆様」
セレスティーナは少し姿勢を正した。
「実は、わたくしからもお渡ししたいものがございます」
「まあ」
ノエルが顔を上げた。
「私たちに、ですか?」
「はい」
セレスティーナは少し照れたように微笑んだ。
「今日、いらしてくださったお礼にと思いまして」
エマへ目を向けると、エマは小さく頷いた。
ほどなくして、三つの小箱が運ばれてきた。
白い箱に、細いリボンが結ばれている。
セレスティーナは一つずつ手に取って、三人に手渡した。
拙い手製の品だから、渡すのはなんだか面映い気がした。視線が少しだけ下を向く。
三人は少し驚いたように顔を見合わせていた。
「私たちに、ですか?」
「はい」
セレスティーナは精一杯微笑んだ。
「ささやかなものですが、よろしければお受け取りくださいませ」
「ありがとうございます」
ノエルが箱を受け取った。
「開けてもよろしいでしょうか」
「はい。もちろんでございます」
三人がリボンをほどく。
箱の中には、薄紙に包まれた小さなコースターが入っていた。
「……まあ!」
最初に声を上げたのはコレットだった。
「とても綺麗です!」
淡い桃色の薔薇が、白い絹地の中央に咲いている。
花びらには少しずつ違う色の糸が使われ、柔らかな立体感があった。
「こちら、刺繍ですか?」
「はい」
セレスティーナは少し照れたように頷いた。
「皆様に似合うお花をと思いまして」
「セレスティーナ様が、お作りになったのですか?」
ノエルが驚いたように尋ねた。
「はい。拙い手製の品で恐縮ですが……」
「そんな!」
ノエルは青い花の刺繍を見つめた。
「とても綺麗です。こんなに細かな刺繍を……」
「本当に、すごいです!」
ミアも嬉しそうに声を上げた。
白と黄色の小さな花束。
その周囲には、細い緑の葉が添えられている。
「セラ様、ありがとうございます!」
「お気に召していただけましたか?」
「もちろんです!」
ミアは大きく頷いた。
「大切にしますね」
「私もです」
ノエルが微笑んだ。
「青い花、とても好きなんです」
「まあ……そうでございましたか」
セレスティーナはようやく嬉しくなった。
「それでしたら、よかったです」
自然と息が漏れた。
コレットも薔薇の刺繍を見つめていた。
「……母にも見せたいです」
「お母様に、でございますか?」
「はい。きっと喜ぶと思います」
コレットは柔らかく笑った。
「私の好きな薔薇を、こんなに綺麗に刺してくださって……本当にありがとうございます」
セレスティーナは少し頬を染めた。
「……こちらこそ、ありがとうございます」
三人が喜んでくれた。
それだけで、胸がいっぱいになった。
十日ほど前、最初は大きな卓布を作ろうと思っていた。
けれど、エマに勧められて、小さなコースターにした。
そのときは少し物足りないような気もしたけれど、今は、これでよかったと思う。
三人がそれぞれ手に取って、笑ってくれている。
自分の作ったものが、三人の手元にある。
それが、なんだか不思議で、とても嬉しかった。
「……あの」
ノエルがふと顔を上げた。
「セレスティーナ様。こちらは、三枚なのですね」
「はい」
「では、セレスティーナ様の分は?」
セレスティーナは瞬きをした。
「……わたくしの分、でございますか?」
「はい。四人でお茶をいただくのでしたら、四枚あっても素敵だと思いまして」
「……まあ」
セレスティーナは少し考えた。
自分の分。
その発想は、まったくなかった。
三人に贈るために作ったのだから、三枚あれば十分だと思っていたのだ。
「……皆様への贈り物でございますので、わたくしの分は考えておりませんでした」
「そうでしたか」
ノエルが頷いた。
すると、ミアがぱっと顔を上げた。
「それなら、今度は四人でお揃いにしませんか?」
「……お揃い、でございますか?」
「はい!」
ミアは嬉しそうに笑った。
「今度は、四人で何か作るんです」
「まあ……!」
セレスティーナの表情が明るくなった。
「皆様も、刺繍をなさるのですか?」
「私は少しだけ」
コレットが頷いた。
「母に教わったことがございます」
「私も、簡単なものなら」
ノエルが微笑む。
「ただ、セレスティーナ様のようにはできませんけれど」
「そんなことはございません」
セレスティーナは慌てて首を振った。
「わたくしも、まだまだ練習中でございますので」
「……私は、かなり練習が必要かもしれません」
ミアが少し恥ずかしそうに笑った。
「このポプリの刺繍も、何度もやり直したんです」
「でも、とても素敵でございますよ」
セレスティーナはすぐに答えた。
「お花の形も可愛らしいですし、色合いも綺麗です」
「ありがとうございます」
ミアは嬉しそうに笑った。
「では、今度はセラ様にご指導いただけますか?」
「……わたくしが、でございますか?」
「はい!」
セレスティーナは少し驚いたように瞬きをした。
それから、嬉しそうに微笑んだ。
「わたくしでよろしければ、ぜひ」
「やった!」
ミアが笑う。
ノエルとコレットは微笑んで、少し遠慮がちに口を開いた。
「…それでしたら、私たちもご一緒してよろしいでしょうか」
「もちろんでございます!」
セレスティーナは頷いた。
「皆様と一緒に刺繍ができるなんて、とても楽しそうです」
「では、次は皆さんで刺繍をいたしませんか」
ミアが言った。
「お茶を飲みながら、少しずつ」
「素敵ですね」
ノエルが微笑んだ。
「私も楽しみです」
「私もです」
コレットも頷いた。
セレスティーナは三人を見た。
次の機会。
その言葉が、胸の中に残った。
今日だけではない。
また、こうして集まれる。
お茶を飲んで、お菓子を食べて。
今度は、一緒に刺繍をする。
そんな時間が、これからもあるのかもしれない。
「……はい」
セレスティーナは微笑んだ。
「ぜひ。また、ご一緒してくださいませ」
その返事に、三人も嬉しそうに笑った。
それからも、話は尽きなかった。
学院の授業のこと。
最近読んだ本のこと。
ミアが魔術科で習った新しい術のこと。
ノエルとコレットが、学院祭のあとに受け取った家族からの手紙のこと。
特別な話題ばかりではなかった。
けれど、どの話も楽しかった。
セレスティーナは時折お茶を飲み、三人の話に耳を傾けた。
いつもなら、何か役に立てることがないかと考えてしまう。
けれど、今日は少し違った。
誰かが困っているわけではない。
解かなければならない問題もない。
調べるべき資料も、今は机の上に置かれていない。
ただ、皆様がお話をしている。
自分も、その輪の中にいる。
それだけで、時間が過ぎていく。
「セラ様?」
ミアに呼ばれ、セレスティーナは顔を上げた。
「はい?」
「どうかなさいましたか?」
「……いえ」
セレスティーナは微笑んだ。
「とても、楽しいなと思いまして」
ミアは少し目を丸くした。
それから、嬉しそうに笑った。
「私もです」
ノエルとコレットも頷いた。
「本当に、楽しいですね」
「また、こうして集まりたいです」
セレスティーナは胸の奥が温かくなるのを感じた。
「……はい」
そして、ふと思った。
また、お誘いしてもよいのだろうか。
今日、三人は楽しそうにしてくれている。
次の機会の話もしてくれた。
それなら、きっと大丈夫なのだろう。
誰かを自分の部屋へ招くことなど、以前は考えたこともなかった。
誰かを家に招いて、お茶を飲んで、お菓子を食べる。
そんな時間があるなんて、思いもしなかった。
自分の部屋に友達が来てくれることも、誰かと次の約束をすることも。
そういうことを考える余裕さえなかった。
けれど、ここでは違う。
三人が来てくれた。
一緒に笑ってくれた。
また会おうと言ってくれた。
それだけで、胸の奥が温かくなった。
「……セラ様?」
ミアの声で、セレスティーナは顔を上げた。
「はい?」
「今度は、私もお菓子を準備させてください。セラ様はどんなお菓子を召し上がりたいですか?」
「……まあ」
セレスティーナは微笑んだ。
「そうですね。今日の焼き菓子もとても美味しいのですけれど…。ミア様がお考えくださったのなら、なんでもいただきたいと思います」
「まあ!」
ミアが嬉しそうに笑った。
「では、今度は果物のお菓子を中心にしましょうか」
「はい!」
セレスティーナは自然と笑顔になって頷いた。
そのあとも、話は続いた。
気づけば、窓の外の光が少しずつ柔らかくなっていた。
名残惜しかったけれど、そろそろお開きの時間だった。
エマが三人の上着を用意し、セレスティーナも扉のところまで見送った。
「今日は、本当にありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました」
ノエルが微笑んだ。
「とても楽しかったです」
「私もです」
コレットが頷く。
「また、学院でお話ししてくださいますか」
「はい」
セレスティーナは微笑んだ。
ミアは最後に振り返った。
「セラ様、また明日!」
「はい。ミア様、また明日」
三人が廊下の向こうへ歩いていく。
その姿が見えなくなるまで、セレスティーナは扉のところに立っていた。
やがて、エマが静かに声をかけた。
「お嬢様」
「はい?」
「お疲れではございませんか?」
セレスティーナは少し考えた。
身体は、いつもどおり動く。
頭も、はっきりしている。
けれど、言われてみると、少しだけ身体が重いような気がした。
朝からずっと楽しみにしていて、午後はたくさんお話をした。
それだけなのに。
「……少しつかれた、のでしょうか」
セレスティーナは不思議そうに首を傾げた。
「楽しかっただけなのですが」
エマは小さく笑った。
「楽しい時間でも、お疲れになることはございますよ」
「……そうなのですね」
セレスティーナは少し考えた。
確かに、今日はいつもよりたくさんお話をした。
笑ったり、驚いたり、質問したり。
気づけば、あっという間に時間が過ぎていた。
「……とても、楽しかったです」
セレスティーナは微笑んだ。
「皆様がいらしてくださって、本当に嬉しかったです」
「それは、何よりでございます」
エマは穏やかに頷いた。
「では、少しお茶をお持ちいたしましょうか」
「……お茶、でございますか?」
「はい。お客様をお見送りしたあとですから、ゆっくりなさってくださいませ」
「ありがとうございます」
セレスティーナは椅子へ座った。
円卓には、まだ四人分の茶器が残っている。
花も、綺麗に咲いている。
さっきまで、ここに三人が座っていた。
ミアが笑って。
ノエルが庭の話をして。
コレットが薔薇の話をして。
自分も、一緒に笑っていた。
エマが温かいお茶を運んできた。
それから、小さな皿に焼き菓子をいくつか載せて、セレスティーナの前へ置いた。
「お嬢様。よろしければ、こちらも召し上がってくださいませ」
「……お菓子、でございますか?」
「はい。お茶会の間、あまり召し上がっていらっしゃいませんでしたので」
セレスティーナは目を瞬いた。
そういえば、そうだった。
三人とお話をするのが楽しくて、ほとんど手をつけていなかった。
「……まあ」
セレスティーナは少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「すっかり、忘れておりました」
「左様でございますね」
エマは小さく笑った。
「朝食も昼食も、いつもより少し残していらっしゃいましたから」
「……そうでございましたか?」
「はい」
セレスティーナは少し考えた。
確かに、朝からお茶会のことが気になっていた。
食事も、いつもどおりいただいたつもりだったけれど、何を食べたのかあまり覚えていない。
「……楽しみにしすぎていたのでしょうか」
「そうかもしれませんね」
エマは穏やかに答えた。
「お夕食まではまだお時間がございますので、少し召し上がってくださいませ」
「はい」
セレスティーナは素直に頷いた。
焼き菓子を一つ手に取る。
外側は少し香ばしく、中は柔らかい。
いつも食べている、好きな菓子だった。
一口食べると、優しい甘さが口の中に広がった。
「……まあ」
セレスティーナは目を丸くした。
「どうかなさいましたか?」
エマが尋ねる。
セレスティーナは、もう一口食べた。
それから、嬉しそうに微笑んだ。
「……いつもより、美味しゅうございますね」
「左様でございますか」
「はい」
セレスティーナは頷いた。
「同じお菓子なのに、不思議です」
エマは小さく微笑んだ。
「きっと、楽しい一日だったからでしょうね」
「……そうかもしれません」
セレスティーナは微笑んだ。
温かいお茶を一口飲む。
ほっと息がこぼれた。
身体の重さも、少しずつ和らいでいくような気がした。
今日は、何か特別なことを成し遂げたわけではない。
誰かを助けたわけでも、難しい問題を解いたわけでもない。
けれど、とても幸せだった。
三人が来てくれた。
一緒にお茶を飲んで、お菓子を食べて、たくさんお話をした。
そして、また会おうと言ってくれた。
セレスティーナは、そっと微笑んだ。
「……エマ」
「はい?」
「また、お茶会をしたいと思います」
「はい」
「今度は、皆様と一緒に刺繍をするお約束もいたしました」
「まあ、それは楽しみでございますね」
「はい」
セレスティーナは嬉しそうに頷いた。
「それで、今度は四人でお揃いのものを作ろうというお話になりまして……」
「四人で、でございますか?」
「はい。ノエル様もコレット様も、刺繍をなさるそうです。ミア様も、今日とても素敵なポプリをくださって……」
セレスティーナは、卓の端に置かれた小さな袋を見た。
淡い生成り色の布地。
白と黄色の花の刺繍。
ほのかに漂う、優しい香り。
「……とても、嬉しかったです」
エマは穏やかに頷いた。
「それは、ようございました」
「はい」
セレスティーナは微笑んだ。
その日の夕方、セレスティーナはいつもより少し早く寝支度を始めた。
エマが用意してくれた夜着に着替え、髪をほどいてもらう。
寝台のそばには、いつものように水差しと小さな灯りが置かれていた。
「お嬢様。本日は少し早めにお休みになりますか?」
「……はい」
セレスティーナは頷いた。
「今日は、少し早く休もうと思います」
「承知いたしました」
エマは寝台を整えた。
セレスティーナはその様子を見ていたが、ふと思い出したように顔を上げた。
「……エマ」
「はい?」
「ミア様からいただいたポプリを、こちらへ置いてもよろしいでしょうか」
セレスティーナは寝台の脇の小卓を示した。
「もちろんでございます」
エマが頷く。
「お持ちいたしましょうか?」
「……いえ」
セレスティーナは少し微笑んだ。
「自分で、置きたいと思います」
エマは小さく頷いた。
「承知いたしました」
セレスティーナは、卓の上に置かれていた小さな袋を手に取った。
柔らかな布地。
少し不揃いな花の刺繍。
中に入った花と香草が、かすかに音を立てる。
そっと小卓へ置くと、寝台に横になったときに、ちょうど香りが届く位置だった。
「……ありがとうございます、ミア様」
小さく呟く。
エマは何も言わず、静かに灯りを落とした。
「それでは、おやすみなさいませ」
「おやすみなさい、エマ」
扉が閉まり、部屋が静かになった。
セレスティーナは寝台に横になった。
枕元から、柔らかな花の香りがした。
今日のことを思い返す。
ミアが笑っていた。
ノエルが、庭の絵を見せてくれた。
コレットが、薔薇の話をしてくれた。
三人とも、刺繍を喜んでくれた。
そして、ミアは自分のために贈り物を作ってくれた。
何度も練習して、先生に褒めてもらえたという、小さな花の刺繍。
その一針一針を、ミアが自分のために刺してくれたのだ。
そう思うと、胸の奥が温かくなった。
現実で仕事をしていた頃。
誰かを家に招くなんて、考えたこともなかった。
自分の部屋に友達が来てくれることも、お菓子を囲んで笑うことも、思い描くことさえできなかった。
けれど、今は違う。
今日は、三人が来てくれた。
自分の部屋で、一緒にお茶を飲んで、たくさんお話をした。
そして、また会おうと言ってくれた。
次は、いつお誘いしよう。
今度は、どんなお菓子を用意して、どんなお話を聞かせていただこう。
考えているだけで、また嬉しくなった。
セレスティーナは、そっと目を閉じた。
枕元から、優しい花の香りがした。
やっぱり、ここはとてもよい夢だ。
どうか、次に皆様とお茶をご一緒する日まで。
この幸せな夢が、覚めませんように。




