11-3 古い記録
翌日の放課後、セレスティーナとミアが学院の図書室へ向かうと、入口の前にはすでにトビアスが待っていた。
「お待たせいたしました、トビアス様」
「いえ、僕も今来たところです。今日はよろしくお願いします」
トビアスは軽く微笑み、手にしていた紙を二人へ差し出した。
そこには、調査する項目と、それぞれに割り当てられた時間が記されていた。
「今日はまず、建国期の魔脈に関する記録と、過去の魔力異常について調べたいと思います。魔術理論の詳しい検討は、関連する文献が見つかってからにしましょう」
「かしこまりました」
セレスティーナは紙を受け取り、熱心に目を通した。
建国期の記録、魔術史、地域ごとの異常事例、聖女に関する記述。それぞれの項目には、調べる場所と担当者が書き込まれている。
最後には、少し大きな文字で終了時刻が記されていた。
「……本日は、二時間でございますね」
「はい。時間になったら、途中でも切り上げます」
「承知いたしました」
セレスティーナは素直に頷いた。
その様子を見て、ミアが小さく笑う。
「セラ様、昨日から楽しみにしていらっしゃいましたものね」
「はい。古い魔術の記録を調べる機会は、なかなかございませんので」
セレスティーナは微笑んだ。
「それに、皆様のお役に立てるかもしれないと思うと、とても嬉しくて」
「ふふ。私も楽しみです」
二人の会話を聞きながら、トビアスは図書室の扉を開いた。
今回の調査で何が見つかるかは、まだ分からない。
ただ、セレスティーナが古い魔術書を読むこと自体を楽しみにしているのは、よく分かった。
だからこそ、最初から時間を決めておいてよかったのだろう。
図書室の奥には、歴史や魔術史に関する文献がまとめられた一角があった。
高い書架には、革張りの古い書物から比較的新しい研究書まで、年代も大きさも異なる本が並んでいる。
セレスティーナは棚を見上げ、少し考えてから一冊を抜き取った。
『王国建国史概説』。
学院の歴史の授業でも参考文献として挙げられる、ごく一般的な書物だった。
「まずはこちらから確認いたしましょうか」
「建国期の話でしたら、もっと古い本の方が詳しいのではありませんか?」
ミアが尋ねると、セレスティーナは首を横に振った。
「古い記録ほど詳しいとは限りませんの。後の時代に発見された資料が加えられている場合もございますし、まずは現在どのように整理されているかを確認した方がよろしいかと」
「なるほど……」
「それに、建国期の伝承は、後世に脚色されたものも多うございますので」
セレスティーナは目次を開いた。
「こちらに記されている出典から、古い文献を探すこともできます」
トビアスが感心したように頷いた。
「その方法がよさそうですね。僕は年代と出典を整理しますので、セレスティーナ嬢は魔術に関係する記述をお願いします」
「はい」
「ミアは、聖女について書かれている部分を見てもらえますか?」
「分かりました!」
三人はそれぞれ書物を手に取り、窓際の大きな机へ向かった。
午後の図書室は静かだった。
遠くで頁をめくる音が聞こえ、ときおり書架の間を通る生徒の足音が響く。
セレスティーナは椅子へ腰を下ろすと、早速書物を開いた。
建国期の聖女についての記述は、歴史書の中でも決して少なくなかった。
荒れた土地を鎮め、魔物の脅威から人々を救い、王国の礎を築いた存在。
その功績は多くの書物に記され、聖女の光は王国の歴史と深く結びついている。
しかし、具体的に何をしたのかとなると、記述は途端に曖昧になった。
『聖女の祈りにより、大地の怒りは鎮まり、荒ぶる魔力はその眠りへと還った』
セレスティーナはその一節で指を止めた。
「……大地の怒り」
五月に学院裏の森で見た光景が思い浮かぶ。
地下から噴き出していた、濃い魔力。
それに触れた小動物たちが魔物へ変じ、ミアの光によって元の姿へ戻ったこと。
そして、溢れていた魔力が地下へ流れ込むように消えていったこと。
あのとき、セレスティーナは古い伝承に登場する魔脈との類似を考えた。
しかし、それはあくまで、目の前で起きた現象と伝承の内容が似ていたというだけだ。
実際に同じものなのか、確かめる方法はまだ見つかっていない。
「セラ様?」
隣から声をかけられ、セレスティーナは顔を上げた。
「何か見つかりましたか?」
「ええ。ですが、以前お話しした伝承とほぼ同じ内容でございます」
セレスティーナは該当箇所を示した。
ミアは身を寄せ、文字を追う。
「大地の怒り……ですか」
「はい。魔力の噴出を指している可能性はございますが、比喩的な表現かもしれません」
「そうですね……」
ミアは少し考えた。
「でも、五月のときは、怒っているというより……」
言いかけて、首を傾げる。
「何でしょう。苦しそう、というのも違う気がします」
セレスティーナは本を閉じずに、ミアへ向き直った。
「どのような感覚でございましたか?」
「うーん……」
ミアは膝の上で両手を組んだ。
「あのとき、地面の下に何かがあるのは分かったんです。たくさんの魔力が集まっていて、そこから溢れているような感じで」
「はい」
「それで、光を使ったら、何というか……ちゃんと戻った、という感じがしたんです」
「戻った?」
「はい。無理やり押し込んだとか、消してしまったとか、そういう感じじゃなくて」
ミアは言葉を探すように、少し視線を上げた。
「本当は流れているはずのものが、どこかで止まっていて。それが、また流れるようになった……みたいな」
セレスティーナは静かに頷いた。
五月にも、ミアは似た説明をしていた。
けれど、改めて話を聞くと、気になる点がある。
「ミア様。その流れは、光を使われる前から感じていらっしゃいましたか?」
「え?」
「魔力が本来どちらへ流れるべきなのか、ということです」
ミアは目を瞬いた。
「……どうでしょう」
しばらく考えてから、困ったように笑った。
「ごめんなさい。そこまでは覚えていません。でも、光を使っているときは、何となく分かった気がするんです」
「そうでございますか」
セレスティーナは手元の紙に、今の説明を書き留めた。
光を使う前から分かっていたのか、それとも光を使ったことで分かるようになったのか。
その違いは、魔術的には大きい。
けれど、ミア自身にも区別がつかないのであれば、今は断定できなかった。
「ありがとうございます、ミア様。とても参考になります」
「こんな曖昧な説明でも大丈夫ですか?」
「もちろんでございます。分からないことが分かるのも、大切なことでございますから」
ミアは少し安心したように微笑んだ。
向かいで二人の会話を聞いていたトビアスが、手元の紙に何かを書き加えた。
「今の話は、実際に起きた現象と、ミア自身の感覚を分けて記録しておきましょう」
「はい」
「五月に確認できたのは、魔力の噴出が収まったこと、魔物の一部が元の動物へ戻ったこと、それから周辺の魔力濃度が落ち着いたことですね」
「ええ」
「一方で、地下の流れがどう変わったのかは、直接観測できたわけではありません」
トビアスは筆を動かしながら続けた。
「ミアの感覚は重要ですが、それをそのまま魔術理論として扱うのは、まだ早いと思います」
セレスティーナは頷いた。
「おっしゃるとおりでございます」
「ですから、似た記述がないか探しましょう。特に、魔力の流れが変化したという記録があれば参考になるはずです」
三人は再び書物へ目を落とした。
それからしばらく、机の上には頁をめくる音だけが続いた。
最初の一時間で見つかったのは、建国期の聖女に関する伝承がいくつかと、魔脈という言葉を扱った比較的新しい研究書だった。
しかし、そのどれもが決定的な資料とは言い難かった。
ある歴史書では、聖女が荒れた大地を鎮めたと記されている。
別の書物では、魔物の群れを光によって退けたとされていた。
さらに別の伝承では、聖女が祈りを捧げた土地から豊かな水が湧き出したという。
同じ出来事を指しているのか、異なる出来事なのかすら分からない。
トビアスは書名と成立年代を並べ、出典の関係を確認していた。
「……こちらの二冊は、同じ古い年代記を参考にしていますね」
「そうなのですか?」
「はい。表現は違いますが、引用されている地名と出来事の順序が一致しています」
トビアスは二冊を並べた。
「こちらは百年ほど前の編纂で、もう一冊はさらに後のものです。どちらも建国期の記録を直接確認したわけではなさそうです」
「では、二つの記録があるように見えて、元は一つということですね」
ミアが言うと、トビアスは頷いた。
「そういうことです。同じ話が十冊に書かれていても、元の記録が一つなら、独立した証拠が十個あるわけではありません」
「なるほど……」
セレスティーナは二冊を見比べた。
「それでしたら、元の年代記を確認できればよろしいのですが」
「残念ながら、学院の蔵書目録にはありませんね」
トビアスは手元の目録を確認した。
「王城か、古い貴族家の書庫に残っている可能性はあります」
「公爵家にも、建国期の写本がいくつかあったかと存じます」
セレスティーナが言った。
「領地に関する記録が中心だったと思いますが、確認してみます」
「ありがとうございます。ただし、まずは所在だけで構いませんよ」
「……はい」
セレスティーナは頷いた。
その返事を聞いて、トビアスは少しだけ微笑んだ。
「内容まで調べるのは、次の機会にしましょう」
「かしこまりました」
ちょうどそのとき、図書室の時計が時を告げた。
セレスティーナは顔を上げた。
「……もう、そのようなお時間でございますか」
「ええ。そろそろ片づけましょう」
トビアスは書類をまとめ始めた。
セレスティーナは手元の本へ視線を戻した。
あと数頁で、魔脈に関する節が終わる。
そこまで読めば、何か手がかりが見つかるかもしれない。
「……あの、トビアス様」
「はい」
「こちらの節だけ、最後まで確認してもよろしいでしょうか」
トビアスは本の厚さを見た。
「あと何頁ですか?」
「六頁ほどでございます」
「では、明日の最初にしましょう」
「……かしこまりました」
セレスティーナは素直に本を閉じた。
ミアが隣から覗き込む。
「セラ様、続きが気になりますか?」
「はい。少しだけ」
「じゃあ、明日のお楽しみですね」
そう言われて、セレスティーナは目を瞬いた。
明日のお楽しみ。
調査の続きを、そのように考えたことはなかった。
けれど、確かに明日も同じ本を読めるのだ。
「……そうでございますね」
セレスティーナは柔らかく微笑んだ。
「明日も楽しみでございます」
図書室を出ると、廊下の向こうからジークバルトが歩いてきた。
「お、ちょうど終わったところか」
「はい。予定どおり終了いたしました」
セレスティーナが答えると、ジークバルトは少し意外そうな顔をした。
「そうか。迎えに来る必要はなかったな」
「申し訳ございません。お手数をおかけいたしました」
「いや、そういう意味じゃない」
ジークバルトは笑った。
「ちゃんと終わってるなら、それでいいんだ」
「ありがとうございます」
「それで、何か見つかったか?」
トビアスが手元の紙を掲げた。
「いくつか候補は見つかりました。ただ、まだ確認が必要ですね」
「そうか。こっちも似たようなものだ」
ジークバルトは肩をすくめた。
「騎士科の資料には街道と砦の位置はあるけど、魔力異常の記録までは載っていなかった。古い討伐記録も、学院にあるものは限られてる」
「では、王城の資料が必要になりそうですね」
「ああ。殿下にも伝えておく」
四人は話しながら食堂へ向かった。
セレスティーナは歩きながら、先ほど閉じた書物のことを考えていた。
魔脈。
大地の下を流れるという、目には見えない魔力。
もし本当に地下水のような流れがあるのなら、そこには何らかの法則があるはずだ。
流れる方向。
集まる場所。
溢れる条件。
そして、流れが滞ったときに何が起こるのか。
考え始めると、次々に疑問が浮かんでくる。
「セラ様?」
ミアの声で、セレスティーナは顔を上げた。
「はい?」
「今、また本のことを考えていました?」
「……はい」
「ふふ。やっぱり」
ミアは楽しそうに笑った。
「でも、今日はここまでですよ」
「はい。承知しております」
セレスティーナは微笑んだ。
確かに、今日はもう調査を終えた。
続きは明日でよい。
そう考えると、不思議と残念な気持ちは薄れていった。
翌日、三人は魔術科の資料室へ向かった。
学院の図書室とは異なり、資料室には一般の生徒が自由に閲覧できない研究記録や、古い魔術理論に関する文献が保管されている。
利用には担当教師の許可が必要だったが、今回の調査についてはアレクサンダーから学院側へ事情が伝えられていた。
もっとも、閲覧できるのは通常の研究資料に限られる。
危険な魔術や、使用が制限されている術式の記録まで自由に扱えるわけではなかった。
担当教師から利用上の注意を受けたあと、三人は指定された机へ案内された。
「こちらが、古い魔力循環理論に関する資料です」
教師が示したのは、数冊の研究書と、綴じられた論文の束だった。
「魔脈について直接扱ったものは少ないですが、自然界の魔力の偏在や、魔力溜まりの形成について論じたものがあります」
「ありがとうございます」
セレスティーナは丁寧に礼を述べた。
教師が離れると、トビアスは早速資料を分け始めた。
「今日は、自然界の魔力について調べましょう。昨日の歴史資料とは、少し違う方向から確認できると思います」
「はい」
セレスティーナは一冊目の研究書を開いた。
そこには、魔術師が自身の魔力を用いて術式を発動する仕組みと、周囲に存在する自然魔力との違いが説明されていた。
人が持つ魔力は、個人ごとに適性や性質が異なる。
一方、自然界に存在する魔力は、特定の属性を持たないものが多い。
魔術師は自らの魔力を術式によって変化させ、火や水、風、地といった現象を引き起こす。
しかし、自然魔力そのものを直接操作することは、一般的な魔術とは異なる。
セレスティーナはその部分で手を止めた。
「……なるほど」
五月に確認した魔力も、特定の属性を持たないものだった。
ただし、自然魔力が濃く集まっていたというだけでは、魔脈の存在を証明することにはならない。
研究書には、魔力溜まりが形成される条件について、いくつかの仮説が挙げられていた。
地形による影響。
周辺の魔力濃度。
地下に存在する鉱物や水脈との関係。
しかし、それぞれの説には反例もあり、統一された理論は確立していなかった。
「トビアス様、こちらをご覧いただけますか」
セレスティーナは研究書の一節を示した。
「魔力溜まりの形成について、地形との関係を論じた記述がございます」
トビアスは隣へ移動し、内容を確認した。
「……なるほど。谷や窪地で魔力濃度が高くなるという報告ですね」
「はい。ただし、地表の地形だけで説明できない事例もあるようです」
「地下の構造が分からなければ、比較は難しいでしょうね」
トビアスは紙を取り出した。
「今回の三か所について、地下水脈や地質の記録も確認してみましょうか」
「そうしていただけると、ありがたく存じます」
「ただ、これだけでは魔脈との関係は分かりませんね」
「はい」
セレスティーナは頷いた。
「それでも、魔力が一定の場所へ集まる理由を考える手がかりにはなるかと」
「そうですね」
トビアスは資料の出典を書き留めた。
その隣で、ミアは別の論文を読んでいた。
しばらくして、少し困ったような声が上がる。
「……あの、セラ様」
「はい?」
「こちらに、魔力の浄化について書かれているんですけど……」
ミアは開いた頁を示した。
そこには、魔力の異常な滞留を解消するため、周辺の魔力を術式によって分散させる方法が記されていた。
「これって、五月に私がしたことと似ているんでしょうか?」
セレスティーナは記述を読み、少し考えた。
「……結果だけを見れば、似ている部分はございますね」
「そうですよね」
「ですが、こちらは魔力を周囲へ散らす方法のようです」
セレスティーナは図を指した。
「一定の場所に集中した魔力を、複数の方向へ分散させることで濃度を下げる、とございます」
「……あ」
ミアが小さく声を上げた。
「それは、違う気がします」
「どのように違いますか?」
「私がしたときは、散らばった感じじゃなかったんです」
ミアは両手を広げ、それからゆっくりと指を閉じた。
「周りに広がるんじゃなくて、地面の下へ戻っていったような……」
「なるほど」
セレスティーナは図を見つめた。
魔力を分散させることと、本来の流れへ戻すこと。
仮にミアの感覚が正しければ、両者は異なる現象だ。
ただし、地表から魔力が消えたという結果だけでは、その違いを観測できない。
「ミア様。もし同じような現象が起きた場合、どちらの方法で魔力が減ったのか、見分けることはできるでしょうか」
「うーん……」
ミアは考え込んだ。
「実際に見てみないと分からないと思います。でも、五月のときと同じような感じだったら、分かるかもしれません」
「そうでございますか」
セレスティーナは頷いた。
「では、今はそのように記録しておきましょう」
トビアスが二人の会話を聞きながら、紙に書き加えた。
「魔力濃度が下がるという結果は同じでも、過程が異なる可能性がある、ですね」
「はい」
「ただし、現時点では確認方法がない」
「そのとおりでございます」
トビアスは筆を置いた。
「……調べれば調べるほど、分からないことが増えますね」
ミアが少し困ったように笑った。
「本当ですね」
「ですが」
セレスティーナは二人を見た。
「分からないことを一つずつ整理できれば、次に何を調べるべきかも分かります」
その言葉に、トビアスは微笑んだ。
「ええ。僕もそう思います」
三人は再び資料へ目を落とした。
その日も、決められた時間が来るまで調査を続けた。
三日目には、トビアスが王城から届いた行政資料の写しを持ってきた。
魔の森周辺で確認された三か所の異常について、発見時期と周辺の地形、近隣の村から寄せられた報告がまとめられている。
ただし、資料の内容にはばらつきがあった。
ある地点では、巡回中の騎士が魔力の異常を確認した日付が記されている。
別の地点では、魔物の目撃報告が先にあり、魔術師が調査に入ったのはその数日後だった。
三か所目に至っては、魔力異常がいつから存在していたのか分からない。
「……これでは、発生した順序も判断できませんね」
ミアが地図を見ながら言った。
「そうですね」
トビアスは頷いた。
「発見された順番と、実際に異常が起きた順番は違うかもしれません」
「それに、魔物の目撃が増えた時期とも、必ずしも一致しておりません」
セレスティーナが付け加えた。
「はい。だから、現時点で三か所が同時に異常を起こしたとも、順番に広がったとも言えません」
トビアスは地図に三つの印を付けた。
「ただ、どの地点も魔の森の周辺に位置しています。地理的な共通点があるかどうかは、もう少し調べる価値がありそうです」
「地下の地形も、でございますね」
「ええ」
そこへ、ジークバルトが別の地図を持ってやってきた。
「ちょうどよかった。騎士科の資料で、古い街道図が見つかったんだ」
「ありがとうございます、ジーク」
トビアスは地図を受け取り、机の上へ広げた。
それは現在の街道図よりも古く、いくつかの道筋が異なっていた。
「この辺りは、昔から魔物の出現が多かったらしい」
ジークバルトは地図の一角を指した。
「ただ、森に近いからという説明もできる。今回の異常と関係があるかは分からないな」
「それでも、比較する資料が増えるのはありがたいですね」
トビアスは現在の地図と重ね合わせた。
「古い討伐記録も確認できれば、魔物の増減に周期があるかどうか調べられるかもしれません」
「それなら、王城の騎士団に記録が残っているはずだ。殿下に頼んでみる」
ジークバルトは頷いた。
その日の夕方、五人はラウンジに集まり、それぞれの調査結果を報告した。
机の上には、数日間で集めた資料が並んでいた。
歴史書の引用箇所。
魔術理論の研究書。
魔の森周辺の地図。
魔物の目撃記録。
そして、五月に学院裏の森で確認した現象の記録。
アレクサンダーはそれらを順に見ながら、トビアスへ尋ねた。
「それで、何か共通点は見つかったか?」
「いくつか候補はあります。ただ、確実なものはまだありませんね」
トビアスは整理した紙を差し出した。
「まず、建国期の記録についてですが、魔脈という言葉は複数の文献に登場します。ただし、元の出典が同じものも多く、独立した記録はそれほど多くありません」
「なるほど」
「それから、魔力溜まりについては、地形や地下構造との関係を指摘した研究があります。ただ、統一された理論はありません」
「今回の三か所との関係は?」
「まだ分かりません。現地の地質資料が不足しています」
アレクサンダーは頷いた。
「分かった。王城へ確認してみる」
「ありがとうございます」
続いて、セレスティーナが口を開いた。
「殿下。魔術理論について、少し気になることがございます」
「何だ?」
「魔力溜まりを解消する方法について、いくつかの研究がございました」
セレスティーナは一枚の紙を広げた。
そこには、魔力を周囲へ分散させる方法と、ミアが五月に行った現象について、簡単な図が描かれていた。
「通常の魔術では、魔力を分散させることで局所的な濃度を下げる方法が研究されております。ですが、ミア様がなさったことは、それとは異なる可能性がございます」
「どう違うんだ?」
「ミア様のお話では、魔力は周囲へ散ったのではなく、地下へ戻ったように感じられたそうです」
アレクサンダーはミアを見た。
「そうなのか?」
「はい。ただ、私も上手く説明できなくて……」
ミアは少し困ったように笑った。
「でも、あのときは、何かが元に戻ったような感じがしたんです」
「なるほどな……」
アレクサンダーは図へ目を落とした。
「つまり、魔力を減らしたんじゃなくて、元の場所へ戻したかもしれないってことか」
「はい。ただし、実際に地下で何が起きたのかは確認できておりません」
セレスティーナは答えた。
「ですので、現段階では仮説でございます」
「分かった」
アレクサンダーは頷いた。
「その違いは、今後調べる必要がありそうだな」
「はい」
トビアスが紙に書き加えた。
「ただ、もう一つ問題があります」
「何だ?」
「仮にミアが魔力を本来の流れへ戻したのだとしても、その流れがどこにあるのか、どうすれば見つけられるのかが分かりません」
「……そうだな」
「さらに、同じことを別の場所でもできるのか、という問題もあります」
ミアは少し考えてから口を開いた。
「私、五月のときは、あの場所へ行って初めて分かったんです」
「うん」
「だから、ほかの場所でも同じようにできるかは……やってみないと分からないと思います」
アレクサンダーは頷いた。
「今すぐ試す必要はないよ。まずは、できるだけ調べてからにしよう」
「はい」
ミアはほっとしたように微笑んだ。
ジークバルトが地図を指した。
「それに、今回の三か所は学院からかなり離れてる。現地へ行くなら、移動だけでも準備が必要だ」
「ああ。父上からも、現地調査には必ず護衛をつけるよう言われてる」
アレクサンダーは頷いた。
「だから、今は資料を集めることを優先しよう」
その言葉に、四人が頷いた。
トビアスは机の上の資料を整理し、最後に一枚の紙を取り出した。
「それから、もう一つ気になることがあります」
「まだあるのか?」
「はい。建国期の伝承についてです」
トビアスは古い歴史書の引用を示した。
「聖女が大地を鎮めたという記述は、いくつかの文献にあります。ただ、その具体的な場所が分からないものが多いんです」
「場所が?」
「ええ。王都の周辺だったとする記録もあれば、南部の土地だったとするものもあります。ですが、どちらも後世の編纂です」
「なるほど……」
「もし当時の地名が分かれば、現在の地図と照らし合わせられるかもしれません」
アレクサンダーは少し考えた。
「王城の書庫なら、もっと古い記録があるかもしれないな」
「僕もそう思います」
「分かった。確認してみる」
セレスティーナが顔を上げた。
「あの、殿下」
「どうした?」
「公爵家にも、古い領地の記録がございます。建国期のものがどれほど残っているかは分かりませんが、そちらも確認してみたいと思います」
「それは助かる。ただし、無理はしないでくれよ」
「はい。まずは、どのような資料があるか問い合わせてみます」
「ありがとう」
アレクサンダーは微笑んだ。
セレスティーナも嬉しそうに頷いた。
その表情を見ながら、トビアスは手元の資料へ目を落とした。
今回の調査で、何か決定的な発見があったわけではない。
むしろ、分からないことは増えている。
魔脈とは何なのか。
自然魔力は本当に地下を流れているのか。
魔力溜まりは、なぜ形成されるのか。
聖女の光は、何を元に戻しているのか。
そして、今回見つかった三か所の異常は、五月の現象と同じものなのか。
どれも、まだ答えが出ていなかった。
けれど、少なくとも何を調べるべきかは、以前より明確になっている。
「……では、次の調査は王城の資料が届いてからにしましょうか」
トビアスが言うと、セレスティーナが少しだけ残念そうな顔をした。
「そうでございますか」
「ええ。学院の資料だけでは、これ以上進めるのが難しそうです」
「……かしこまりました」
セレスティーナは頷いた。
その様子を見て、ミアが微笑む。
「セラ様、また新しい本が届くんですよね?」
「はい」
「じゃあ、楽しみが増えましたね」
セレスティーナは目を瞬いた。
それから、柔らかく笑った。
「……そうでございますね」
アレクサンダーが苦笑する。
「お前、本当に楽しそうだな」
「はい。とても興味深い内容ばかりでございますので」
「まあ、楽しんでくれるならいいんだけどな」
アレクサンダーは机の上の資料を見た。
「ただ、調査が終わるまでずっと本を読んでるわけにはいかないぞ」
「もちろんでございます」
セレスティーナは真面目な顔で頷いた。
「授業もございますし、ほかのお約束もございますので」
「そうそう。それを忘れないでくれ」
「はい」
セレスティーナは微笑んだ。
その返事に、アレクサンダーは少し安心したようだった。
トビアスは資料をまとめながら、次に必要なものを書き出していった。
古い地図。
建国期の年代記。
魔力異常の観測記録。
そして、聖女に関する一次資料。
王城の書庫には、まだ調べられるものがあるはずだ。
ただ、それらを確認するには、正式な手続きと許可が必要になる。
「殿下。王城の資料については、まず閲覧可能なものを確認していただけますか?」
「ああ。父上に相談してみる」
「ありがとうございます」
トビアスは頷いた。
「それまでは、今ある資料を整理しておきます」
「頼む」
「ただし、僕も夜更かしはしませんよ」
トビアスが先回りして言うと、アレクサンダーは笑った。
「分かってるならいい」
「殿下に何度も言われましたからね」
「お前も放っておくと、ずっと調べてるだろ」
「……否定はしません」
ジークバルトが呆れたように笑った。
「結局、全員気をつけないといけないってことだな」
「そうかもしれませんね」
ミアも笑う。
セレスティーナは四人を見回し、少し不思議そうに首を傾げた。
「ですが、皆様とご一緒でしたら、時間を忘れることも少ないかと存じます」
「……そうだな」
アレクサンダーは頷いた。
「じゃあ、これからも一緒に進めよう」
「はい」
セレスティーナは嬉しそうに微笑んだ。
その日の調査は、そこで終わった。
夕食の時間が近づき、五人は資料を片づけてラウンジを出た。
窓の外には、夏の夕暮れが広がっている。
魔の森周辺で見つかった三つの異常について、まだ分かったことは少ない。
建国期の聖女が何をしたのかも、地下を流れるという魔脈の正体も、はっきりしないままだ。
それでも、古い記録を一つずつ確かめ、実際に起きた現象と照らし合わせることで、少しずつ輪郭が見えてきていた。
そして、その調査はまだ始まったばかりだった。




