10-5 攫われたのは
最初のお客様は、入口で立ち止まってしまった。
二人連れの新入生だった。案内を確かめてから中を覗き、セレスティーナと目が合うと、揃って背筋を伸ばす。
「どうぞ、お入りくださいませ」
声をかけると、一人が慌てて頭を下げた。
「公女殿下。本日は――」
続く言葉が出てこないらしい。隣の生徒も口を開きかけ、困ったように友人を見た。
セレスティーナは、空いている卓へ手を向けた。
「こちらで、少しお休みになりませんか。お茶もお菓子も、ご用意しております」
「……はい。ありがとうございます」
ミアが二人を席へ案内する。その後ろについて歩きながら、セレスティーナは、最初の練習で向かいに座っていたノエルとコレットを思い出した。二人も、あのように手を揃え、何を尋ねてもよいのか迷っているようだった。
今、そのコレットは献立を持ち、新入生の卓へ近づいている。
「本日のお皿は、三種類ございます」
声ははっきりしていたが、練習のときほど大きくはなかった。甘い菓子を中心にしたもの、軽食を中心にしたもの、両方を取り合わせたもの。説明を聞くうちに、新入生たちも少しずつ顔を上げる。
「両方いただけるものを、お願いいたします」
「かしこまりました」
コレットがこちらを見た。セレスティーナが小さく頷くと、ほっとしたように目元を緩め、給仕の卓へ向かっていった。
ノエルが茶を運んでくる。カップを置く手は落ち着いていて、受け取った生徒から礼を言われると、柔らかく微笑んだ。
皆で何度も確かめた動きが、そのまま目の前で続いていた。
ミアも、客の一人へ話しかけている。
「この後は、どちらをご覧になるんですか?」
「魔術の発表へ行こうと思っております」
「私も去年、見ました。普段の授業とは違うものが見られて、面白かったですよ」
答える声を聞いて、セレスティーナも隣へ腰を下ろした。
窓から入る光が、卓上の花を照らしている。向かいに座る生徒の顔も、ミアの笑顔も、よく見えた。
お茶会は、そのまま賑やかになっていった。
入口ではジークバルトが空席を確かめ、案内役の生徒へ声をかけている。トビアスは皿の残りを確認し、厨房から次に届く時刻を給仕役へ伝えていた。
アレクサンダーのいる卓からは、ときおり笑い声が上がった。
王太子を前に緊張していた新入生も、剣舞の発表について尋ねられる頃には、自分から何かを話している。アレクサンダーは頷きながら聞き、別の生徒にも話を向けていた。
皿を置く音がする。カップが持ち上げられ、菓子を見た誰かの顔が明るくなる。
夢で見た花のある部屋にも、きっと、このような音はあった。
けれど今、ミアは部屋の端へ下がっていない。客の話へ耳を傾け、知らないことを尋ね、楽しそうに笑っていた。
セレスティーナは、次に入ってきた生徒たちへ顔を向けた。
「ようこそお越しくださいました」
今度は、初めより自然に声が出た。
昼が近づくと、客の出入りが少し落ち着いた。
給仕役の生徒たちも交代で休憩へ入り、セレスティーナとミアは、窓際で水をいただいた。ノエルとコレットも、次の組へ役目を引き継いだところだった。
「最初のお客様に、同じことを二度お尋ねしてしまいました」
ノエルが、少し恥ずかしそうに言った。
「お茶のお好みを伺った後で、また、どちらがお好きですかって」
「でも、もう一度答えてくださったでしょう?」
コレットが言うと、ノエルは頷いた。
「ええ。こちらで合っています、と」
「ご希望のお茶をお出しできたのでしたら、よろしかったのではございませんか」
セレスティーナが答えると、ノエルは少し安心したようだった。
「はい。最後に、おいしかったと仰っていただけました」
「私もです。お菓子が綺麗だから、食べる前にもう少し見ていたいって」
コレットの声が弾む。
「花も褒めていただきました。ノエルの選んだものですよ、とお伝えしたんです」
「そんなことまで言わなくてもよかったのに」
「だって、本当でしょう」
二人のやり取りに、ミアが笑った。
「私も、最初に見たとき、しばらく見ていたくなりました。お客様に楽しんでいただけて、よかったですね」
「はい!」
返事をしたコレットは、すぐに声を抑えた。ノエルが隣で笑い、セレスティーナも口元を緩める。
練習のときには、次も同じ卓でよいのかと、少し遠慮がちに尋ねられた。今はこうして、終えた役目の話を聞かせてもらっている。
「セレスティーナ様も、少しお休みくださいね」
ノエルが言った。
「午後も、お客様がお見えになりますから」
「はい。ありがとうございます」
「私たちは、先に食堂へ行ってまいります。戻りましたら、またよろしくお願いいたします」
二人は礼をして、並んで出ていった。
セレスティーナは、その背中を見送った。すぐ隣で、ミアがカップを置く。
「私たちも、交代ですね」
「ああ。向こうの卓が空いたらな」
アレクサンダーがこちらへ来た。ミアの顔を見て、少し笑う。
「ちゃんとできたか?」
「見ていらしたでしょう?」
「忙しかったんだよ」
「でしたら、後でコレット様に聞いてください。私、ちゃんとお客様のお話を伺いました」
「セレスティーナに聞くんじゃないのか」
「セラ様は、褒めてくださるので」
セレスティーナは、二人へ目を向けた。
「皆様、とても丁寧にお迎えになっておりましたよ」
「ほら」
ミアが言うと、アレクサンダーは肩を揺らして笑った。
その声を聞いていると、胸の内に残っていた暗い部屋の景色も、少し遠くなる気がした。
今日のミアは、一人ではない。
皆と一緒に、この日を楽しんでいる。
セレスティーナが会場を離れたのは、その少し後だった。
朝、花を運ぶために借りた浅い木箱が、入口の脇に残っていた。ほかの箱はすでに返されていて、これ一つだけが、案内台の陰になっていたらしい。
「こちらは、わたくしがお戻ししてまいります」
近くの生徒へ告げ、木箱を持ち上げる。軽く、片手でも抱えられるものだった。
「セレスティーナ、食堂へ行く前に戻ってこいよ」
アレクサンダーの声に振り返った。
「はい。すぐに戻ります」
ミアはそのそばにいた。トビアスも一覧を畳み、交代の生徒へ説明を始めている。
花器を用意していた別棟までは、渡り廊下を通ればよかった。夢で見た細い道へ向かう必要はない。
木箱を返し、係の使用人へ礼を言う。元の廊下へ戻ろうとしたとき、外から車輪の音が聞こえた。
荷物を運ぶ馬車は、朝から何台も出入りしている。
それでも足が止まったのは、音のした方に、紅茶色の髪が見えたからだった。
別棟の端にある窓から、搬入用の門と、その脇に停められた馬車が見えた。扉が開いている。男が一人、誰かの身体を抱えるようにして、その中へ押し込んでいた。
肩口で結ばれた髪が、力なく揺れる。
コレットだった。
セレスティーナは窓へ近づいた。呼びかけようと息を吸い、そのまま声が止まる。
コレットの腕は下がっていた。足も動いていない。顔がこちらへ傾いたが、目は閉じたままだった。
もう一人の男が、植え込みの陰から出てくる。
その腕の中に、亜麻色の髪があった。
ノエルのバレッタが、陽を受けて光った。
二人とも、眠っているように見えた。けれど、あのように抱えられても、馬車の縁へ身体が触れても、目を開けない。
男が周囲を見回した。セレスティーナは咄嗟に窓の脇へ身を寄せる。
扉が閉まった。
車輪が動き出す。
ミアは、会場にいる。
殿下も、トビアス様も、そばにいらっしゃる。
それなのに、今、馬車へ乗せられたのは。
セレスティーナは外へ続く扉を開けた。門へ向かって歩き出し、すぐに足を速める。馬車はすでに門を抜け、通りの先へ進んでいた。
制服の袖が、扉の閉じる直前まで見えていた。
学院の生徒だと、誰が見ても分かる服だった。
馬車からは、微かに魔力が感じられる。二人のものなのか、男たちが何かの魔術を使ったのかまでは分からない。ただ、その気配が、車輪の音と一緒に遠ざかっていた。
今なら、まだ追える。
身体強化を使えば。
魔力を巡らせたところで、朝の声が浮かんだ。
何かあったら、すぐ呼べ。
セレスティーナは、建物の方を振り返った。
近くに、空の盆を持った同級生がいた。会場へ戻るところらしく、こちらに気づくと足を止める。
「セレスティーナ様?」
「殿下へ、お伝えいただけますか」
急いで近づき、声を落とした。
攫われた、とここで告げれば、人が集まる。誰が、どこで、と尋ねられている間に、馬車は見えなくなるかもしれない。二人の名を出せば、その話だけが先に広がってしまう。
「セレスティーナは少し用がございますので、戻るのが遅くなります、と。できるだけ早く、お伝えくださいませ」
「はい。会場へお戻りになれば、よろしいのですね?」
「お願いいたします」
頭を下げ、門へ向き直った。
馬車は角を曲がろうとしていた。微かな魔力の気配を確かめ、追跡の術へ意識を向ける。演習で教わったように、対象を定めると、進むべき方角が分かった。
気配を薄める。
脚へ巡らせた魔力を、全身へ広げる。
地面を蹴ると、先ほどまでとは違う速さで身体が前へ出た。門の外へ抜け、馬車の曲がった角へ向かう。
そこまで来て、一度だけ立ち止まった。
道の端へ手を向ける。土が盛り上がり、細長い形になった。先を尖らせ、馬車の進んだ方向へ向ける。
皆が、辿れるように。
セレスティーナは矢印を確かめると、再び走り出した。
演習では、ミアが見つけてくれた。
今度も、きっと分かってくださる。
遠くで車輪が鳴っている。追跡の術が示す方角を確かめながら、セレスティーナは建物の陰を抜けた。
伝言が届いたとき、アレクサンダーは隣のホールにいた。
入口へ客が重なり、案内役から呼ばれたため、空いている部屋への誘導を手伝っていた。ようやく人の流れが落ち着いたところへ、同級生が来る。
「殿下。セレスティーナ様から、お伝えするようにと」
「セレスティーナ?」
「少しご用がおありなので、戻るのが遅くなるそうです」
アレクサンダーは、相手の顔を見た。
「何の用だって?」
「そこまでは、伺っておりません」
「どこで会った?」
「別棟の、搬入用の門の近くです。急いでおられるようでしたので、すぐにこちらへ参ったのですが」
会場へ行くと、アレクサンダーは隣だと言われた。隣へ来たときには、入口の案内をしていると言われた。その説明を聞きながら、アレクサンダーは廊下の時計へ目を向けた。
木箱を返しに出てから、もうしばらく経っている。
「分かった。ありがとう」
同級生を戻し、近くにいたジークバルトへ目を向ける。
今朝、何かあれば知らせろと言った。
セレスティーナは返事をした。さっきも、すぐ戻ると言っていた。
その彼女が、用事の内容も、行き先も告げずに遅れる。
「ジーク。警備の騎士、呼べるか」
「何かあったのか?」
「まだ分からない。セレスティーナが、外の門から伝言を寄越した」
ジークバルトの顔から、笑みが消えた。
アレクサンダーは声を落とす。
「まず、あの辺りを確かめてもらってくれ。誰かと一緒だったか、どっちへ行ったか。人を集めずに」
「ああ」
ジークバルトが廊下の先へ向かう。
アレクサンダーは、元のホールへ戻った。入口で新入生に礼をされ、いつものように頷く。次の発表の場所を尋ねられれば、案内の紙を指して答えた。
ミアは、窓際の卓にいた。
その姿を確かめてから、トビアスへ近づく。
「セレスティーナが戻らない」
手元の一覧へ目を落としていたトビアスが、顔を上げた。
「木箱を返しに行ったんじゃなかったの?」
「外で、遅れるって伝言を頼んだらしい。騎士に確かめさせてる」
それだけで、トビアスも口を閉じた。
少し離れた卓で、新入生が菓子を見て笑っている。給仕役の生徒が茶を注ぎ、ミアは客へ何かを尋ねていた。
今、ここで騒ぎを起こせば、その笑い声は止まる。
セレスティーナが詳しく言わなかったのも、そのためかもしれなかった。
「少し、持ち場を代わってもらおう」
トビアスが言った。
「先生にも、声をかけておく。ミアには、僕から」
「ああ」
返事をしながら、アレクサンダーは入口へ目を向けた。
銀の髪は、見えなかった。
四人で部屋を離れられたのは、それから少し後だった。
トビアスが、少し疲れたので休憩を取らせてほしいと教師へ申し出た。給仕の手配は同級生へ引き継ぎ、アレクサンダーも男性客を迎える役を代わってもらう。
ミアは説明を聞くと、何も尋ねずについてきた。
朝に使った小さな講義室へ入る。扉を閉めたところで、ようやく口を開いた。
「セラ様は、どちらへ?」
「それを調べてもらってる」
アレクサンダーは、聞いた伝言をそのまま話した。
ミアが眉を寄せる。
「お戻りになるのが遅いと思っていましたけど……何か、見つけられたんでしょうか」
「その可能性はある」
トビアスが答えた。
「ただ、何も分からないうちに、皆で探し回るわけにもいかない。まず、騎士の報告を待とう」
ジークバルトは扉の近くに立ったままだった。廊下の音を聞きながら、腕を組み直す。
「門の方へは、すぐに行ってもらった。もう戻ってくる頃だと思うけどな」
アレクサンダーは、壁の時計を見た。
セレスティーナが会場を出てから、三十分ほどが過ぎていた。
伝言は頼んだ。
何も告げずに、いなくなったわけではない。
それでも、戻るのが遅くなるという短い言葉だけでは、どこで何をしているのか分からなかった。
今朝の夢が、頭に浮かぶ。
暗い部屋。ほかにもいたという人々。
アレクサンダーは、目の前のミアを見た。ミアもこちらを見ていて、膝の上へ置いた手を握り直す。
そこへ、扉が叩かれた。
ジークバルトがすぐに開ける。廊下には、警備の騎士が一人立っていた。
「殿下。ご報告がございます」
「入れ」
騎士は部屋へ入り、扉が閉まるのを待ってから、声を落とした。
「搬入用の門の外に、魔術で作られたと思われる土の印が見つかりました。角を曲がった先にも、同じものがございます」
「どんな印だ?」
「進む方角を示す、矢印です」
ミアが顔を上げた。
アレクサンダーも、その形を知っていた。野外演習の後、二人が話していたものだった。
後から来る者が、迷わずに辿れるように。
騎士が、もう一度口を開く。
「印は、学院の外へ続いております」




