10-2 お客様を迎える
翌日の授業で、学院祭の案内が配られた。
六月中旬に開かれる、新入生を迎えるための催し。三年生は剣舞や魔術など、各課程で学んだことを披露し、二年生はクラスごとにお茶会を開くという。
ミアは案内を読みながら、去年のことを思い出した。どこへ行けば何が見られるのかもよく分からず、アレクサンダーたちについて歩いていた。上級生に勧められるままお茶をいただき、魔術の実演に驚いているうちに、一日が終わった気がする。
今年は、その迎える側になるらしい。
前の席で、ジークバルトが小さく息をついた。
「剣舞は三年か」
「来年なら、好きなだけ提案できるよ」
トビアスに言われ、ジークバルトは案内を読み直した。
「俺たちはお茶会だけ?」
「だけ、って言うと簡単そうだな」
アレクサンダーが笑う。ミアもつられて笑いかけたが、紙の下半分へ目を移したところで、口元が止まった。
班と、当日の役割まで記されている。
セレスティーナと同じ班だった。それは嬉しい。けれど、自分の名前も、客を迎える側に入っていた。
「私も、こちらなんですか?」
隣のセレスティーナが紙を覗き、頷いた。
「はい。ご一緒にお願いいたします」
「お茶を運ぶ方だと思っていました」
「サンティエ家のお嬢様を、給仕に回すわけにはいかないだろ」
アレクサンダーが振り返った。
サンティエ家は、貴族の中では侯爵家に相当する立場だという。教わったことは覚えているが、その家の令嬢として扱われることには、まだ慣れなかった。
「私より、お客様のお相手に慣れている方がいらっしゃると思いますけど」
「そのための練習だろ。セレスティーナも一緒なんだから、教わればいい」
セレスティーナが穏やかに微笑む。
「わたくしも、学院で皆様とお客様をお迎えするのは初めてでございますよ」
それはそうだろうが、同じ初めてとは思えない。
ミアはもう一度、役割の一覧へ目を落とした。アレクサンダーが男性客へのもてなしを取りまとめ、セレスティーナは女性客を迎える中心となる。ジークバルトは騎士科の生徒と案内や護衛を担当し、トビアスは備品や装飾の手配を受け持つらしい。
教師は、事前に聞いていた希望と、家で受けてきた教育、本人の適性を踏まえて配置したのだと説明した。変更を望む者がいれば申し出るようにと言ったが、大きく役割が変わることはなかった。
学院祭までは、マナーの授業の後半を準備と練習に使う。
最初は茶と菓子。その後、それに合わせた花を選び、布類も使って会場を整える。黒板に書かれた予定を写しながら、ミアは少しずつ楽しみになってきた。
去年、自分が座った卓も、上級生たちがそうして用意してくれたのだろう。
最初の練習は、昼食を終えた午後二時頃からだった。
会場は、普段もマナーの講義で使っているホールだった。同じ造りの部屋が廊下に三つ並んでいて、自分たちが使うのは、その真ん中になる。
白いクロスの掛かった丸卓が、ゆったりと六つ置かれている。いつもの落ち着いたカーテンも、椅子も変わらない。それなのに、窓際へ運び込まれた皿を見た途端、ミアは足を緩めた。
小さなケーキが、何種類も並んでいた。
赤い果実の載ったタルト。薄い生地とクリームが何層にも重なったもの。艶のあるチョコレートに包まれた四角い菓子には、細く削った飾りまで添えられている。
どれも、指先ほどの大きさしかない。
こんなに小さいのに、ちゃんとケーキになっている。
ミアは思わず、もう少し近くで見たくなった。普段、ラウンジに用意してもらう焼き菓子とは、ずいぶん違う。小さな一つを作るために、どれほど手がかかっているのだろう。
「今日は、こちらを試すのですね」
隣でセレスティーナが言った。声がいつもより少し明るい。
「はい。……全部、綺麗ですね」
「ええ。どちらも、おいしそうでございます」
二人で見ていると、教師から席へ着くよう声がかかった。ミアは名残惜しく皿を見てから、自分たちの卓へ向かった。
向かいには、ノエルとコレットが待っていた。
同じ教室で、いつも近くに座っている二人だ。挨拶を交わしたことはあるが、ゆっくり話したことは、ほとんどなかった。
二人は揃って頭を下げた。その動きが綺麗で、ミアは少し背筋を伸ばす。椅子の前に立ち、手を揃えて待つ姿まで落ち着いて見えた。
自分がもてなす側で、大丈夫だろうか。
そう思っている間に、セレスティーナが挨拶をした。
「改めまして、セレスティーナ・フォン・レーヴェンでございます。学院祭まで、どうぞよろしくお願いいたします」
柔らかく微笑んでから、ミアへ顔を向ける。
「ミア様も」
「はい。フェリシアンヌ・サンティエです。よろしくお願いします」
少し急いでしまった。最後だけは丁寧にと頭を下げると、向かいから、はっきりした声が返ってきた。
「コレット・リンデンベルクと申します。どうぞよろしくお願いいたします!」
その隣で、亜麻色の髪がふわりと揺れた。
「ノエル・ウィンスレットと申します。よろしくお願いいたします」
こちらは、少し控えめな声だった。
四人で席に着く。ノエルとコレットは膝の上へ手を揃え、まっすぐこちらを見ていた。ミアもつられて、教科書を置く位置を確かめる。
同じクラスなのに、こんなに改まって座ると、何を話せばよいのか分からない。
セレスティーナが卓上の献立を取った。その間に、ノエルがそっとコレットへ顔を寄せる。
「コレット、少し声が大きかったかも」
「だって、緊張したんだもの」
小さな声だったが、聞こえてしまった。
ミアが目を向けると、コレットはすぐにこちらを見た。赤茶の瞳が、一瞬だけ大きくなる。
「申し訳ございません、聖女様」
「いえ。私も、緊張していたので」
「聖女様も、ですか?」
ノエルまで驚いた顔になった。
「はい。お二人とも、お辞儀も、立っていらっしゃる時も綺麗なので」
言うと、二人は顔を見合わせた。
「私たちこそ、公女殿下と聖女様にお迎えいただくなんて」
コレットの声には、少し弾むような響きがあった。
「わたくし、母に何とお話しすればよいのか、今から考えてしまいます」
ノエルも小さく笑う。
ミアは二人を眩しく思っていたのに、二人は自分に緊張しているらしい。少し不思議だったが、先ほどよりは、話しやすくなった気がした。
教師が当日の献立について説明した。
甘い菓子を中心にした皿、サンドイッチなどの軽食を中心にした皿、それから両方を取り合わせた皿。三種類を用意し、客の希望に合わせて出すのだという。
一つずつ選んでもらってから並べるのではなく、あらかじめ組み合わせを決めて、一皿に綺麗に盛りつけるらしい。
今日は、その候補の一部を試す。
学院の使用人が用意した茶は、窓際の魔道具のポットに入っていた。食堂でも見慣れたものだが、今日は茶ごとに産地と特徴を書いた札が添えられている。
本番では給仕役の生徒が注ぎ、客を迎える側が、どの茶を出すか伝える。まずはその練習として、ノエルとコレットを客に見立ててもてなすことになった。
「お茶のお好みを伺ってもよろしいでしょうか」
セレスティーナに尋ねられ、コレットが頷いた。
「はい。何でもいただけます」
ノエルも、同じように答えた。
ミアには、その返事に覚えがあった。何が出てくるのか分からない時は、選ぶことも難しい。勧めてもらったものを、そのままいただく方が安心だった。
セレスティーナは茶の一覧へ目を落とした。
「香りのしっかりしたものと、柔らかなものでしたら、どちらがお好きでございますか?」
コレットが少し考える。
「でしたら、香りのあるものをお願いいたします」
「わたくしは、柔らかい方が好きです」
ノエルも答えた。セレスティーナは頷き、給仕の練習をしている生徒へ、それぞれの茶を頼む。
ミアは、相手が答えやすいように尋ねるのだと、手元の紙へ書き留めた。
茶が注がれ、その隣へ試食の皿が置かれた。
五種類の菓子が、間隔を空けて並んでいる。小さなタルトの果実には、窓からの光が艶やかに映っていた。薄く絞られたクリームの線も、崩れていない。
ミアは改めて見入った。
これが、お貴族様のお茶会。
もう一年近く貴族として暮らしているのに、まだ驚くものが出てくる。
向かいでも、二人の視線が皿へ下がっていた。
「……こんなに小さく、お作りになれるのですね」
ノエルが囁くように言った。
「切り分けただけではないものもあるわね」
コレットがタルトを見て答える。それから顔を上げ、少し照れたように微笑んだ。
「学院の厨房には、こんなものまで作れる方がいらっしゃるのですね」
ミアは頷いた。いつもの食事もおいしいけれど、今日はまた違う。お茶会のために用意された皿には、見ているだけで嬉しくなるものが並んでいた。
最初のタルトは、口へ運ぶと、果実の甘酸っぱさが広がった。
薄い生地がさくりと崩れ、クリームの甘さが続く。小さいから、すぐになくなってしまう。それが少し惜しいくらいだった。
「こちら、おいしいですね」
ミアが言うと、セレスティーナも頷いた。
「はい。果実の酸味が、よく合っておりますね」
すみれ色の瞳が、柔らかく細められていた。
二つ目は、チョコレートの菓子だった。表面の艶を見ていた時に想像したより、口当たりが軽い。コレットが茶を飲み、そっとカップを戻す。
「こちらのお茶とだと、香りが残りますね」
「そうでございますね。甘さのしっかりしたものには、こちらの方が合うかもしれません」
「最初のお茶では、負けてしまうのでしょうか」
ノエルの問いに、セレスティーナが少し考えた。
「柔らかな香りを楽しんでいただくのでしたら、先ほどのタルトなどがよろしいかと。両方のお茶をご用意できれば、お客様にもお選びいただけますね」
ミアは皿と献立を見比べた。
おいしいと思ったものを全部載せればよいのではないらしい。甘さの強いものばかりにならないように、果実の酸味や、口当たりも考えて組み合わせる。
セレスティーナが隣にいると、一つ食べるたびに、気づくことが増えた。
コレットは感想を迷わず書き、ノエルは少し考えてから、丁寧に筆を動かしている。二人とも、初めの頃ほど肩に力が入っていなかった。
「この木の実のもの、故郷のお菓子に似ているわね」
ノエルが言う。
「冬に焼くもの? でも、こちらはクリームも入っているわ」
「ええ。こんなふうには、いただいたことがないわ」
ミアが尋ねると、二人は南部の出身だと教えてくれた。領地が隣り合う子爵家の令嬢で、幼い頃から、よく行き来していたらしい。
「お隣、と申しましても、馬車でしばらく走りますけれど」
ノエルが微笑んだ。頬の横へ落ちていた髪を、そっと耳へ寄せる。後ろで留めたバレッタから、ゆるく波打つ髪が肩へ流れていた。
「家でお客様を迎えることはありますが、昔から知っている方が多いのです。お好みも、母たちは知っていますから」
コレットは、今しがた飲んだ茶へ目を向ける。
「初めてお会いする方に、こんなふうに伺うところから始めるのは、まだ慣れなくて」
「私もです。何をお聞きすればよいのか、少し迷いました」
ミアが答えると、コレットはほっとしたように笑った。
その横で、セレスティーナがカップを置いた。
ミアが三つ目を食べている間にも、彼女は二人の故郷の話を聞いていた。昼食から、まだそれほど時間が経っていない。食べる速さが少し落ちていても、最初は気にならなかった。
けれど、セレスティーナが次の菓子へフォークを伸ばすまでには、ずいぶん間が空いた。
白いクリームを挟んだ、小さなケーキだった。
指先ほどの小さなケーキを、ほんの少し切り分けて口に運ぶ。
口元にはほんのりと柔らかな笑みが浮かんだが、そのままほんの少し手が止まり、やがてフォークを置いた。
ミアは自分の皿を見た。もう残りは二つしかない。
セレスティーナの皿には、同じものがまだ残っている。
お昼も、ちゃんと召し上がっていたものね。
まだ、お腹がいっぱいなのだろう。最初のタルトもチョコレートも嬉しそうに食べていたから、こちらもきっとお好きなのに。
セレスティーナは何も言わず、ノエルの話へ頷いていた。
誰も、皿の残りには触れなかった。
「母は、学院にいた頃のことを、よく話してくれます」
ノエルが言った。
「一生の思い出だから、大切に過ごしなさいって。わたくしも、帰ったら話すことがたくさんできました」
「うちもよ。勉強だけでなく、いろいろな方とお話ししてきなさいって」
コレットが続ける。
「公女殿下や聖女様と、ご一緒にお茶をいただいたことも、きっと驚かれると思います」
ミアは少し照れて、カップへ手を伸ばした。
二人は、お辞儀も、食べ方も綺麗だった。けれど、目の前のケーキに驚いたり、おいしかったものをもう一度見たりする顔は、自分とあまり変わらない。
そのことが分かってからは、さっきより自然に話せた。
「公女殿下は、お茶会でこのようなお菓子をお選びになるのですか?」
コレットの問いに、セレスティーナが献立へ目を落とした。
「お客様や季節にもよりますが、果実を使ったものが一つございますと、楽しんでいただきやすいと思います。本日でしたら、先ほどのタルトも素敵ですね」
「私も、あちらが好きでした」
ミアが答えると、ノエルも頷いた。
「わたくしもです。でも、こちらのケーキも、中に果物が入っているのですね」
その言葉に、セレスティーナの視線が、半分に切ったケーキへ戻った。
ほんの一瞬だった。
ミアはその小さな動きを見て、少しだけ残念になった。いつものラウンジだったら、初めから少しずつ切り分けて、一口ずつ召し上がっていただけたのに。
自分の分を口へ運ぶと、クリームの中に、細かく切った果実が入っていた。柔らかい生地によく合っている。
「こちらは、思ったよりさっぱりしていますね」
ミアが感想を話すと、セレスティーナは興味深そうに頷いた。
「でしたら、甘いものを多く召し上がりたい方のお皿にも、入れておくとよろしいかもしれませんね」
コレットがすぐに書き留める。ノエルは自分の皿を見ながら、タルトと両方入れるか、どちらかにするかを考えていた。
食べて、話して、またお茶をいただく。
初めは何を話せばよいのか分からなかった卓が、いつの間にか、そんなふうに賑やかになっていた。
授業の終わりに、教師が次回の予定を伝えた。
今度は、茶や菓子に合わせた花を選ぶ。さらにその次には、テーブルセンターなどの布を使い、会場全体の色合いも整えていくらしい。
ミアは白い卓を見た。ここに花と色のある布が加わったら、どんなふうに変わるのだろう。
「花は、高く生けた方が華やかなのでしょうか」
ノエルが尋ねると、セレスティーナは卓の中央へ目を向けた。
「こちらでしたら、お向かいの方のお顔が見える高さがよろしいと思います。入口や窓辺には、大きなものがあっても素敵ですね」
「ここに大きく生けたら、ノエルが見えなくなるわね」
コレットが言った。
「声だけでお話しすることになるわ」
ノエルが答え、二人で笑う。
ミアも笑うと、セレスティーナの口元も緩んだ。
昨日、ようやく笑ってくれた顔を思い出す。今日は、その笑顔を自分だけが見ているのではない。向かいの二人も、同じように嬉しそうだった。
教科書をまとめる間に、コレットがこちらを見た。
「次も、同じ卓でよろしいのでしょうか」
「はい。同じ班ですから」
ミアが答え、セレスティーナも頷く。
「次のお時間も、よろしくお願いいたします」
二人の返事は、最初の挨拶ほど硬くなかった。
席を立ってからも、ノエルが故郷の庭に咲く花の話を続けた。コレットが名前を付け足し、セレスティーナが色を尋ねる。ミアも見たことがない花だと伝え、その形を教えてもらった。
次は、どんな花が並ぶのだろう。
廊下へ出る頃には、ミアも二人に尋ねたいことが、もう一つ増えていた。




