↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

72/89

9-10 大地を流れるもの

翌朝も、教室にはいつもと同じ顔ぶれがあった。


窓際の席へ向かうと、ミアがこちらに気づいて手を振った。セレスティーナはその歩き方を確かめながら、隣へ腰を下ろす。


「おはようございます、ミア様。おみ足はいかがですか」


「おはようございます。もう何ともありませんよ。セラ様こそ、腕は?」


「問題なく動きます」


鞄から教科書を取り出して見せると、ミアは安心したように笑った。


前の席では、ジークバルトが肩を回していた。


「俺は少し脚に残ってるな」


「あなたでも?」


トビアスが意外そうに顔を上げる。


「剣を使うのと、森の中を一日歩くのは違うだろ。昨日、結構あちこち回ったし」


「俺も階段が長く感じた」


アレクサンダーが言った。セレスティーナは少し驚いて、三人を見た。


自分も今朝は、階段を上がる足が普段より重かった。動けないほどではないので気にせず来たが、皆も同じなのだという。


「セラ様も、疲れていますか?」


「……階段では、少々」


「それなら、今日はゆっくり歩きましょうね」


ミアが穏やかに言ったところで、近くの席から挨拶が飛んできた。五人もそれぞれに返し、教科書を開く。


昨日の森のことを話す者はいなかった。


教師が入ってくると、椅子を引く音が重なる。黒板に書かれた文字を写し、問いかけに答え、次の授業のために本を入れ替える。窓から入る風は柔らかく、遠くの実習場からは掛け声が聞こえた。


セレスティーナが隣を見ると、ミアは真剣な顔で筆記をしていた。時折、書き留めるのが間に合わず、こちらのノートへ目を向ける。


少しだけノートを寄せると、ミアが声を出さずに「ありがとうございます」と唇を動かした。


昼食も、いつもの五人で取った。


「朝より歩きやすくなりました」


ミアがスープの匙を置いて言う。セレスティーナも頷いた。


「わたくしも、今は普段と変わりません」


「食事は?」


アレクサンダーの視線が、セレスティーナの皿へ向く。


「いただいておりますよ」


「見れば分かる。食べられそうかって聞いてるんだ」


「はい。こちらのお魚、おいしゅうございます」


答えると、アレクサンダーは頷いて自分の食事へ戻った。


ミアはそのやり取りを見て笑い、ジークバルトは午後の実習について話し始める。トビアスが昨日の疲れを指摘すると、「始めたら動くだろ」と返して、今度は三人から顔を見られていた。


セレスティーナも、思わず頬を緩めた。


午後には、それぞれの課程へ分かれる。ミアと魔術科の教室へ向かい、いつも通り授業を受けた。今日は術式を読み解く時間が多く、森を歩いた翌日の脚にはありがたかった。


放課後、ラウンジへ着くと、アレクサンダーとトビアスが先に来ていた。


この部屋も、以前はほかの生徒が使うことがあった。だが、五人が毎日のように集まるうちに、アレクサンダーのいる時間を避ける者が増え、いつの間にか夕方には空けておかれるようになっていた。


今日も、ほかには誰もいない。


少し遅れてジークバルトが入ってくると、トビアスが立ち上がった。扉を閉め、鍵を回す。


ミアが顔を上げた。


「鍵までかけるんですか?」


「念のため。途中で誰かが入ってきたら、話を止めないといけないから」


トビアスは席へ戻り、セレスティーナの手帳を卓上に置いた。その隣には、昨日使った地図が広げられる。


「報告は、昨夜送った」


アレクサンダーが口を開いた。


「魔物が集まっていた場所と、倒した後に小さな動物が残ったこと。それから、あの妙な魔力の流れと、ミアが光を使った後に変わったことも」


ミアは自分の手へ目を落とした。


「私、何をしたのか、ちゃんと説明できていませんけど……」


「分かってるところだけ書いた。お前が全部説明できるようになるまで、報告しないわけにもいかないだろ」


「はい」


「森は、まだ閉じておく。魔物がいなくなったかどうかは、俺たちだけじゃ確かめきれないからな。父上には、魔力の流れについても調べてもらうよう頼んだ」


「昨日、地下へ向かったと言っていたね」


トビアスがセレスティーナを見る。


「はい。溜まっていたものが、下へ流れていくように感じました。ただ、どこまで続いていたのかは分かりません」


「地面の下に、ああいうのがあるのか」


ジークバルトが地図の窪地を指した。


セレスティーナは少し考えた。昨夜、寝台に入ってからも、あの感覚を思い返していた。森で見たものによく似た話を、以前どこかで読んだ気がしていたのだ。


「……魔脈、というものかもしれません」


アレクサンダーが顔を上げる。


「魔脈?」


「大地の下を流れる魔力の地脈でございます。古い文献で、その名を読んだことがあります」


「ああ。建国の話に出てくるやつか」


ジークバルトが言った。トビアスも、思い出すように頷く。


「大地の力に、聖女が道を与えたという話だね」


「聖女が?」


ミアが四人を見た。


「私、そのお話は知りません」


「わたくしも、詳しい仕組みを知っているわけではございません。伝説として読んだものですので」


セレスティーナはそう断ってから、記憶を辿った。


建国王の偉業を記した本の中に、聖女の働きを語る箇所があった。王が国の礎を築いた頃、大地の力が乱れ、人々の暮らせない土地があったという。聖女はその地へ赴き、溢れた力を鎮め、再び大地の下へ導いた。


その力の通り道が、魔脈と呼ばれていた。


「わたくしの読んだものでは、地下を流れる水にたとえられておりました。普段は見えなくても、地の下には流れがある。そこから溢れた力が土地を荒らし、聖女が流れる道を整えた、と」


ミアは卓上の地図へ視線を落とした。


「……昨日みたいに、ですか?」


「似ているようには思います」


セレスティーナが答えると、トビアスが続けた。


「ただ、昨日のものが本当に魔脈なのかは、まだ分からない。昔話と似ているだけかもしれないから」


「俺は、聖女が荒れた土地を鎮めたってところしか覚えてないな」


アレクサンダーが眉を寄せる。


「魔脈のことまで、授業で習ったか?」


「歴史書では、建国期の出来事として少し触れられている程度でございます。詳しい話は、伝承を集めた本の方にございました」


「それなら俺も、子供の頃に聞いた方かもしれない」


ジークバルトが言った。


「王が魔物を倒して、聖女が土地を鎮める話だったと思う。剣の方は覚えてるんだけどな」


「ジークらしいね」


トビアスが笑った。ジークバルトは否定せず、地図へ目を戻す。


ミアはしばらく黙っていた。それから、両手をそっと重ねる。


「私、昨日は、何かが引っかかっているような感じがしたんです」


四人の視線が向いた。


「うまく言えませんけど。そこにあるのが変で、こっちへ行けばいいのに、って……光を使ったら、その感じがなくなりました」


「流れる方が、分かったのでございますか?」


「分かったというほど、はっきりしていません。でも、そうしたらよさそうだなって」


ミアは困ったように笑った。


「これだと、王宮の方にも説明できませんよね」


「いや、今のままでいい」


アレクサンダーが言った。


「昨日は聞けなかった話だ。分からないところを、無理に言葉にしなくていいから」


トビアスが紙を引き寄せ、ミアの言ったことを書き留める。


セレスティーナは、その横で地図を見た。


魔物の姿が消え、小さな動物の身体が残ったこと。倒しても、次の休日には別の魔物が現れたこと。そして、森の奥に溜まっていた魔力。


「動物たちも、あちらの力に触れていたのでしょうか」


「それで魔物になった、と?」


トビアスに問われ、セレスティーナは頷いた。


「もともと、あの森にいたものなのかもしれません」


「だとしたら、倒しても減らなかったのは……」


ジークバルトが言いかけ、窪地の印を見る。


「別の動物が、また魔物になってたってことか」


「可能性はあるね。巣を探しても見つからないわけだ」


トビアスはペンを止めた。


「でも、これも調べてもらおう。僕たちが見たのは、倒した後の姿だけだから」


セレスティーナは頷いた。


一人で歩いていた時には、まだ奥に魔物がいるのだと思っていた。もっと探して、見つけたものを倒せば、いつか終わるはずだった。


けれど、ミアが気づいたものは、足跡でも巣でもなかった。


「ミア様がいらっしゃらなければ、わたくしはまた、魔物を探していたと思います」


ミアが顔を上げる。


「セラ様の記録があったから、あそこまで行けたんですよ」


「そうだな。何も分からないまま五人で入ってたら、もっと時間がかかってた」


ジークバルトも頷いた。


「だからって、一人で続けてよかったって話にはならないからな」


アレクサンダーに言われ、セレスティーナはすぐに頷く。


「承知しております。次に気にかかることがございましたら、まず皆様にお話しいたします」


「うん。その方が、僕たちも早く手伝える」


トビアスが書き終えた紙をアレクサンダーへ渡した。


魔脈という名と、ミアの感じたこと。動物が魔物になった可能性も、昨日の報告に加えて伝えることになった。セレスティーナが読んだ本は、公爵家の書庫にあったものだ。正確な書名を確かめるため、家へ問い合わせることにする。


「学院の図書室にも、同じ話が載っているかもしれません」


「魔術科の資料室にも、ありそうですね」


ミアが言うと、セレスティーナは頬を緩めた。


「明日、ご一緒に探してみましょうか」


「はい。私も、ちゃんと読んでみたいです」


「授業の後にな」


アレクサンダーが付け加える。


「あと、閉まる時間まで居座るなよ」


「……承知いたしました」


「今、少し間があったな」


ジークバルトが笑った。ミアもつられて笑いながら、菓子の皿を卓上の中央へ寄せる。


トビアスは地図と手帳を重ね、立ち上がって扉の鍵を開けた。廊下から、生徒たちの話し声が聞こえてくる。


森のことは、まだ分からないところが多い。王宮で調べてもらっても、すぐには答えが出ないかもしれなかった。


それでも明日、ミアと本を探すことは決まった。


セレスティーナは渡されたお茶を両手で受け取り、隣へ腰を下ろしたミアに微笑んだ。


その夜、セレスティーナはまた、夢を見た。


開かれた漫画の頁がある。見覚えのある制服を着た生徒たちが、学院の催しについて話し合っていた。


ミアもその輪の中にいる。何か手伝えることがないかと尋ね、任された仕事に嬉しそうに頷いていた。


そこへ、銀髪の少女が現れる。


セレスティーナだった。


すみれ色の瞳が、ミアの手元へ向けられる。次いで、彼女を取り囲んでいた生徒たちへ。


「その方にお任せするおつもりですの?」


静かな問いかけだった。


けれど、それまで話していた者が口を閉じた。ミアへ渡されかけていた紙が、卓上へ戻される。


「ほかに、適任の方がいらっしゃるでしょう」


銀髪の少女は、ミアを見なかった。そこにいることさえ認めないように、生徒たちへ話しかけていた。


誰も逆らわない。


別の役目を尋ねても、もう決まっていると言われた。手伝いを申し出ても、今は必要ないと断られる。ミアは笑って頷いていたが、その笑顔は頁をめくるごとに小さくなっていった。


やがて、廊下に一人で立っている姿になった。


教室からは、楽しそうな話し声が聞こえている。


ミアはそちらを一度だけ見て、踵を返した。


次の頁には、学院裏の森が描かれていた。


なぜ、そこへ入ったのか。


ずっと分からなかったことが、今は分かった。


誰かの邪魔にならないところへ。何をしているのか尋ねられず、役目を断られることもないところへ。


ミアは木々の間を歩いていた。足元の小さな花に目を留め、少しだけ表情を緩める。


その後ろで、黒い影が動いた。


セレスティーナは息を止めた。


ここからは、知っている。


ミアが振り返る。獣が口を開き、木の間から飛び出してくる。彼女は逃げようとして足をもつれさせ、地面へ手をついた。


立ち上がって、走る。


枝が頬を切った。膝が木の根にぶつかる。倒れかけても、後ろから近づく音に追い立てられ、足を動かし続けた。


怯えた桜色の瞳。


息をするために開かれた口。


制服の袖から覗く腕には、細い傷が幾つもあった。


以前の夢は、そこで途切れていた。


けれど今度は、次の頁が開いた。


「ミア!」


アレクサンダーがいた。


その隣をジークバルトが駆け抜け、トビアスの魔法が獣とミアの間へ立ち上がる。飛びかかってきた魔物の爪が、彼女へ届く直前だった。


アレクサンダーがミアの腕を取り、後ろへ引いた。ジークバルトの剣が獣を迎える。


三人は、いなくなったミアを探していたのだ。


ミアはアレクサンダーの服を握っていた。助かったと分かっても、すぐには指が離れなかった。


その後の頁には、昨日見た窪地があった。


魔物を倒した三人が周囲を確かめる中、ミアが中央へ目を向ける。そこにあるものが気にかかると告げ、自分の手を見つめる。


白い光が広がった。


森の奥に溜まっていた力がほどけ、地の下へ流れていく。


昨日と、同じだった。


違うのは、その場所にセレスティーナがいないことだった。


ミアが三人へ微笑みかける。けれど帰ろうとすると、足を引きずった。逃げる間についた傷は、腕にも膝にも残っている。


アレクサンダーが背を向け、屈んだ。


ミアは少し躊躇ってから、その背へ身体を預ける。ジークバルトが彼女の鞄を持ち、トビアスが隣を歩いた。


学院へ戻る道で、ミアはアレクサンダーの肩へ顔を伏せていた。


そこで、頁が閉じた。


目を開けると、寝台の天蓋があった。


窓の外はまだ暗い。部屋の中には、誰の声も聞こえなかった。


セレスティーナはしばらく、動けずにいた。


夢の続きを、思い出したのだ。


ちーちゃんに借りた漫画で、ミアは助かっていた。アレクサンダーたちが間に合い、魔物を倒し、ミアは森の異変を鎮めた。


昨日、五人で見つけたものも、あの話の中にあった。


それなら、よかったと思うべきなのかもしれない。


ミアは今、部屋で眠っている。傷も治り、今日も一緒に授業を受けた。明日は資料室へ本を探しに行く約束をしている。


けれど、教室の前に立っていたミアの顔が消えなかった。


手伝いたいと申し出て、断られて。


それでも笑って、邪魔にならないように一人で離れていった。


森へ行かなければよかったのではない。


学院に、いられなくしたのだ。


セレスティーナは布団の上で指を握った。


わたくしのせいだった。


あの魔物が現れた理由は、まだ分からない。大地の下を流れる力を、自分が乱したわけでもない。


けれどミアが、その魔物のいる森へ入った理由は。


あの銀髪の少女が、彼女の居場所を奪ったからだった。


セレスティーナは右腕へ手を添えた。昨日、ミアが治してくれたところだ。そこにはもう、傷も残っていない。


漫画の中のミアは、あちこちに擦り傷を負っていた。歩けなくなり、アレクサンダーに背負われて帰った。


自分は昨日、ミアへ傷がつかなくてよかったと思っていた。


そのミアを、傷つく場所へ追いやったのが自分だったとは、知らずに。


今は、あのようなことをしていない。


そう考えても、胸の重さは消えなかった。漫画の中で冷たく問いかけた少女は、自分と同じ顔をしていた。周囲が黙ったことも、誰もミアへ役目を渡さなくなったことも、容易に思い浮かべられた。


公爵令嬢の言葉は、それだけで人を遠ざけられる。


セレスティーナは布団を胸元まで引き上げた。


明日、隣の席でミアは笑ってくれるだろう。一緒に本を探すことを、楽しみにしてくれているかもしれない。


その顔を思い浮かべるほど、夢の中で一人になった彼女が、はっきりと見えた。


目を閉じても、眠りは戻ってこなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。