9-8 再び森へ
「まだいるなら、学院へ知らせないと」
ミアが言った。ジークバルトも頷きかけたが、アレクサンダーは倒れた魔物を見て、少し考えた。
「父上にはすぐ報告する。ただ、学院には魔物のことをまだ言わないでおこう」
「どうしてですか?」とミアが尋ねる。
「噂だけが先に広まれば、怖がる奴もいるし、確かめようとして森に入る奴もいる。まず入口を塞ぐ」
アレクサンダーはセレスティーナへ向き直った。
「今週はもう調べない。手帳を貸してくれ。見つけた場所も、学院に近い足跡も、全部父上に伝える」
「はい」
セレスティーナは鞄から手帳を出した。自分の書いた印を五人で覗き込むのは、初めてだった。
「次の休日、改めて調べよう。今度は五人で」
「……ミア様も、でございますか?」
セレスティーナは顔を上げた。
「夢で危険に遭われるのはミア様です。森へお連れするわけにはまいりません」
「でも、私も行きたいです」
「危のうございます」
「お前が一人で行くのも危ないだろ」
アレクサンダーが言った。
「ミアは俺たちで守ればいい。守れそうにない敵が出たら、すぐ逃げる。戦い続けようとするなよ、セレスティーナ」
最後の言葉には、セレスティーナはすぐに返事ができなかった。
「セラ様がお一人で行かれる方が、よほど危険ですよ」
ミアが笑う。その笑顔を見ても、セレスティーナの心配は消えなかった。けれど、ミアもアレクサンダーたちも、森の異変を確かめずに待っているつもりはないらしい。
怖くないわけではないのだろう。それでも五人とも、自分たちの学院のすぐそばで起きていることを知りたかった。
「……危険だと思いましたら、すぐに戻ってくださいませ」
「全員でな」とジークバルトが付け加える。
セレスティーナは四人を見て、頷いた。
森から戻ると、アレクサンダーはその日のうちに父王へ報告を送った。学院には倒木があり危険だと伝え、森への立ち入りを禁じてもらう。数日後、入口には作業員の服を着た騎士が立った。道の補修をする者に見えたが、森へ近づく生徒がいれば声をかける手はずになっていた。
放課後のラウンジで、セレスティーナの手帳が卓上に開かれていた。
その隣には、ミアが用意した焼き菓子の皿がある。五人分のお茶も、いつものように湯気を立てていた。違うのは、ジークバルトまで手帳を覗き込み、菓子へ伸ばしかけた手を止めていることだった。
「この沢までは、どのくらいかかる?」
「休まずに歩きましたら、一刻ほどでございます。ただ、途中に倒木がございますので」
「じゃあ、実際にはもう少しかかるな」
トビアスが別の紙へ道を写していく。セレスティーナは横から、曲がる場所と目印になる木を指した。
自分が読み返すための記録だった。道の幅や足場について尋ねられるたびに、書き足りないところが見つかる。トビアスはそれを責めず、聞いたことを地図の脇へ書き込んでいった。
「この印が、魔物の出た場所だね」
「はい。こちらは先々週で、こちらが、その次の休日でございます」
「……結構、あちこちにいるんですね」
ミアが紙へ顔を寄せた。セレスティーナは、その指先が一番奥の印へ近づくのを見て、つい口を開く。
「ミア様は、なるべく後ろに――」
「一番後ろも危ないだろ」
アレクサンダーに言われ、セレスティーナは顔を上げた。
「後ろから来るかもしれない。ミアは真ん中。ジークが先頭で、俺が後ろを見る」
「セレスティーナ嬢は、道を教えてくれ。知らないところで俺が先に行きすぎたら止めてほしい」
「承知いたしました」
ジークバルトが頷き、ようやく菓子を一つ取った。トビアスは地図の下に五人の名前を書いてから、ペンを置く。
「戦うことになっても、追いかけて離れないようにしよう。逃げる時に、誰がどこにいるか分からなくなるのが一番困るから」
「ミアも、遠慮せず呼べよ」
アレクサンダーが言うと、ミアは少し眉を下げた。
「呼ぶばかりになりそうです」
「その方がいい。黙って我慢されるより」
セレスティーナも頷きかけたところで、アレクサンダーの視線がこちらへ向いた。
「お前もな」
「……はい」
ミアが小さく笑った。
「私だけじゃありませんよ、セラ様」
「心得ております」
そう答えたものの、セレスティーナは手帳へ目を落とした。自分が何かに気づけば、その場で対処してから皆へ知らせるつもりでいた。だが、それでは知らせる前に離れてしまうかもしれない。
「魔物を見つけましたら、まずお伝えいたしますね」
「うん。それでお願い」
トビアスが穏やかに答えた。
水と食べ物も、それぞれ持っていくことになった。セレスティーナがいつも用意していた量を説明すると、ジークバルトは首を傾げる。
「それ、俺だったら足りないな」
「ジークは普段からたくさん食べますからね」
「歩いて、剣も使うんだぞ。ミアだって、いつもの昼飯くらいは必要だろ」
「そうですね。お菓子だけだと、途中でお腹がすくかもしれません」
ミアが真剣に頷いたので、アレクサンダーが笑った。
「今、手に持ってるのは?」
「これは今のお菓子です。森へ持っていく分とは別です」
「分かってるよ」
セレスティーナも頬を緩めた。ミアの皿には、半分に割った焼き菓子が載っている。少し前まで森の印を見つめていた桜色の瞳が、今はアレクサンダーを見ていた。
怖い思いをさせたくはない。それは、今も変わらなかった。
けれど、ミアは何も知らないまま森へ連れていかれるのではない。危険があることを聞き、自分で考えて、ここに座っている。セレスティーナだけが、彼女の行く先を決められるわけではなかった。
「帰る時刻も、決めておこう」
トビアスが言った。
「奥へ行くなら、昼までに戻るのは難しいかもしれない。でも、日が暮れる前には森を出たい」
「途中で引き返す時刻を決めればいいな」
ジークバルトが窓へ目を向ける。まだ明るい庭を眺めながら、五人で出発と帰路にかかる時間を確かめた。休憩を取る場所も、地図に書き加えていく。
一人で歩いていた時より、決めることが多い。
それなのに、セレスティーナが一人で答えを出さなければならないことは、少なくなっていた。
「まずは沢の辺りまで。先へ進むかは、そこで考えよう」
アレクサンダーの言葉に、四人が頷いた。
相談が終わる頃には、お茶はすっかり冷めていた。ミアが残った菓子をセレスティーナの皿へ一つ移す。
「セラ様も、召し上がってください。ずっと説明してくださっていたので」
「ありがとうございます、ミア様」
手帳を閉じて、菓子を取った。
明日の午前も、五人は同じ教室にいる。午後にはそれぞれの課程へ分かれ、授業が終われば、またここへ集まるのだろう。
次の休日のことを一緒に考えても、この日常はなくならなかった。
セレスティーナは菓子をゆっくりと噛んだ。向かいでは、ジークバルトがもう一つ取ろうとして、アレクサンダーに皿を遠ざけられていた。
次の休日、五人はそろって森へ入った。
「ここまでは、何度も通りました」
セレスティーナが先を示す。ジークバルトは足跡を見ながら少し前を歩き、トビアスは手帳の印と周囲の地形を確かめた。アレクサンダーは後ろも気にかけている。
倒木を越えた先で魔物が一体現れた。セレスティーナが氷で足を止め、横へ回ったジークバルトが仕留める。森に入ってからずっと身構えていたミアは、終わるのが早くて目を瞬いた。
「セラ様、いつも、こういうのをお一人で?」
「はい。ですが、今日はジークバルト様がいらっしゃるので、とても早うございました」
「褒められてる気はするけど、複雑だな」
ジークバルトが苦笑した。
黒い靄がほどけ、小さな動物の死骸が残るのを待ってから、セレスティーナは土に穴を作った。前回と同じように焼き、火が消えて熱が引いたことを確かめてから埋める。四人も周囲を見張り、その間に手帳へ場所を書き留めた。
しばらく進むと、セレスティーナの歩幅が少し狭くなった。
「セレスティーナ嬢、足が遅くなってるぞ」
「いつもは、もう少し奥で休んでおりましたが」
「今日は五人いるんだ。今休もう」
セレスティーナが返事を迷っていると、ミアが近くの倒木を指さした。
「私も疲れましたから。少し座りたいです」
「ミア様もでいらっしゃいますか。それでしたら、休みましょう」
セレスティーナはすぐに頷いた。アレクサンダーとジークバルトが顔を見合わせる。ミアは座りながら、声を立てずに笑った。
水を飲み、持ってきた菓子を分けてから、五人は再び歩き出した。沢を越えたところで、ミアが足を止める。
「……あれ?」
「どうした」
アレクサンダーが振り向いた。
「この先、何か変な感じがします」
ミアは森の奥へ目を向けた。木々の間には細い道が続いているだけだ。
「魔物か?」
ジークバルトが尋ねる。
「分かりません。怖い感じとは少し違って……うまく言えないんですけど」
トビアスも同じ方角を見たが、首を傾げた。セレスティーナにも、その時は何も感じられなかった。
五人は沢の周囲を調べた。途中で別の魔物を見つけ、今度はアレクサンダーとトビアスが退路を塞ぐ。セレスティーナが足元を凍らせると、ジークバルトが踏み込んだ。戦いはすぐに終わった。
残った死骸も焼いて埋め、五人は先へ進んだ。
その後も道を変えながら進んだが、ミアの言う違和感は近くなったり、遠くなったりした。何度も行き来するうちに日が傾き始め、その日は沢と目印になる木を手帳に記して引き返した。
「次は、ミアの感じる方へ進んでみよう」
トビアスの言葉に、ミアは頷いた。
「はい。今日より、もう少し分かる気がします」
セレスティーナは手帳を閉じた。一人で歩いていた時には、足跡と魔物のいる場所ばかり探していた。ミアが立ち止まらなければ、沢の先にも気づかず通り過ぎたかもしれない。
二度目の探索では、沢を越えてからミアが方角を決めた。
「こちらだと思います」
道らしい道は、途中で途切れた。ジークバルトが枝を払って進み、セレスティーナは地面の跡を確かめる。魔物に遭遇した時は五人で応じ、誰かが深追いする前に次の一手が飛んだ。倒した後に残る死骸も、その都度焼いて埋めた。
木立を抜けたところで、ミアがまた立ち止まった。
「……近いです」
その声につられて、アレクサンダーも顔を上げた。
「待て。俺にも分かる」
少し遅れてセレスティーナは、肌に触れる魔素の濃さに気づいた。ただ多いだけではない。淀んだ空気が、木々の間でゆっくり渦を巻いているようだった。
「妙ですね」
「この辺りだけ、流れ方がおかしい」とトビアスが言う。
最後にジークバルトも足を止めた。
「……ああ。気持ち悪いな、これ」
ミアが最初に向いた方角を指した。
「あの木の向こうです」
五人は声を落とし、太い幹を回り込んだ。
その先の窪地に、魔物がいた。
一体や二体ではない。これまで森で見たものより大きな黒い獣が、何体も木陰に固まっている。うち一体が首を上げ、こちらを向いた。
「下がれ、ミア」
アレクサンダーの声と同時に、先頭の魔物が地面を蹴った。
ジークバルトが正面で迎え、セレスティーナが氷の矢を放つ。魔物は肩を貫かれて体勢を崩した。そこへアレクサンダーの炎が当たり、ジークバルトの剣がとどめを刺す。
倒れた一体を越えて、二体目が右から走った。トビアスが土の壁を立てる。その陰へ視線が集まった瞬間、左の茂みから三体目が飛び出した。
「左!」
ジークバルトが叫ぶ。アレクサンダーが振り向き、セレスティーナも氷の矢を向けた。
その時、斜め後ろで枝が折れた。
木陰に隠れていたもう一体が、ミアへ向かって跳んでいた。
「ミア様!」
セレスティーナは反射的に、全身へ魔力を込めた。




