9-7 また、夢を見たのか
「セレスティーナ」
振り返った先に、アレクサンダーがいた。ミア、ジークバルト、トビアスも一緒だ。
セレスティーナは目を瞬いた。
なぜ皆様が、ここに。
左の袖には裂け目が残っている。腕は治した。血も洗い流した。けれど四人の表情を見ると、どうやら間に合わなかったらしい。
セレスティーナは左腕を身体へ寄せ、右手をそっと重ねた。
「殿下。皆様も、森へいらしていたのですか」
「お前を追ってきた」
「わたくしを?」
アレクサンダーは答えず、セレスティーナの左腕を見た。
「さっき、怪我をしただろ」
「現在は治っております」
セレスティーナは右手を離し、裂け目から覗く腕を見せた。皮膚はきちんと閉じている。指先も動く。
ミアが近づいてきた。
「治したところは見ました。腕を見せてください」
「ですが、もう――」
「見せてください」
セレスティーナは腕を差し出した。ミアは袖を傷のあった場所より上へそっと寄せ、手首まで確かめる。
「痛むところは?」
「ございません」
「動かすと?」
「問題ございませんよ」
指を曲げ伸ばしして見せると、ミアは少しだけ息をついた。安心したようには見えたが、顔は晴れない。
「……おい」
ジークバルトの声に、皆が振り向いた。
倒れた魔物の身体から、黒い靄が立ち上っている。盛り上がっていた背が低くなり、木の根を砕いた前脚が縮んでいく。やがて靄が薄れると、地面には茶色い毛の獣が横たわっていた。
先ほどまでの魔物より、ずっと小さい。
「これ、さっきの魔物か?」
ジークバルトが剣を握り直した。トビアスは少し距離を取ったまま、獣の死骸へ目を凝らす。
「身体が残るんだね。迷宮では消えるのに」
「はい。こちらでは、皆このようになります」
セレスティーナが答えると、アレクサンダーがこちらを見た。
「皆?」
「倒した後には、小さな動物の身体が残ります。種類は、毎回同じではございません」
トビアスがしゃがみ込んだ。獣に触れず、毛並みと脚、残った傷を順に確かめる。
「普通の動物が、魔物になっていたのかな」
「わたくしにも、分かりません。ただ、倒した後には魔物の気配がなくなります」
ミアも死骸を見つめていた。
「こんなに小さかったんですね」
セレスティーナは頷いた。先ほどまで爪を振るっていた相手だが、今は細い脚を投げ出して動かない。
「少々、お待ちいただけますか。こちらを片づけてまいりますので」
「片づける?」
アレクサンダーが聞き返す。
「このままにはしておけませんので、焼いて埋めております」
四人が黙った。セレスティーナは袖を下ろし、木の根から離れた場所を選んだ。
土へ魔力を流すと、地面がゆっくり窪む。周囲の枯れ葉を除け、風の術で死骸を穴へ移した。火を灯し、炎が外へ広がらないように留める。
「……いつも、そうしてたのか」
アレクサンダーの声に振り向く。
「はい。迷宮とは違って、残りますので」
四人は穴のそばに立ち、低く揺れる炎を見ていた。何か手順を間違えただろうかと思ったが、誰も止めなかった。
火が消え、熱が残っていないことを確かめてから、土を戻す。表面を均し終えたところで、トビアスが口を開いた。
「倒して、死骸を片づけて、それから帰ってたんだね」
「はい」
「……そう」
トビアスは埋めた場所から、セレスティーナへ視線を戻した。アレクサンダーも、先ほどから眉を寄せたままだった。
「いつからここへ来てる?」
ジークバルトが尋ねた。
「四月の初め頃からでございます」
「毎週?」
「休日には、できるだけ」
トビアスが左の袖へ目をやった。
「エマが直していた服は、全部ここで破れたの?」
「全部ではございません。森で枝に引っかけたものが多うございます」
「それだけ?」
セレスティーナは少し考えた。
「魔物を避けた時に破れたものも、ございます」
「怪我は何回した」
今度はアレクサンダーが聞いた。
「現在は治っております」
「回数を聞いてる」
セレスティーナは口を閉じた。
腕を切った日と、脚に傷を負った日。それ以外にも、帰る前に治したものがあっただろうか。小さな擦り傷まで含めるべきか迷っていると、アレクサンダーの眉が寄った。
「数えてなかったのか」
「……今日ほど大きなものは、三度ほど」
「小さいのは?」
「少々」
「その『少々』は何回だ」
「……擦り傷まで含めますと、正確には、覚えておりません」
ジークバルトが息を吐いた。
セレスティーナは申し訳なくなった。きちんと数えておけば答えられたのに。服を直してくれていたエマにも、余計な心配をかけたのだろう。
「ですが、毎回、帰る前に確認しております。食事も取っておりますし、今日はまだ水と菓子もございます」
鞄に手を添えて説明する。
「戻る時刻も守っております。以前の迷宮とは、違います」
それは四人にも分かってほしかった。休むことを教わり、動けなくなる前に帰ることも覚えた。実際、今日まで一度も帰れなくなっていない。
ミアがセレスティーナを見た。
「そうですね。そこは、前より気をつけてくださってます」
セレスティーナはほっとした。するとミアは、魔物が倒れていた場所へ目を向けた。
「でも、あれと一人で戦ってることは、誰にも言っていませんでした」
「……はい」
「どうしてですか」
口を開く前に、少しだけ躊躇った。
「……ミア様に、危険が及ぶかもしれませんので」
ミアが固まった。
「私に?」
セレスティーナは頷いた。
「この森で、ミア様が魔物に襲われる夢を見ました。初夏の頃だったと思います」
アレクサンダーが額に手を当てた。
「……また、夢を見たのか」
「はい」
四人の顔を順に見る。あの夏も、同じように説明した。九階層の魔物が増え、アレクサンダーが怪我をして、ミアが泣く夢を見たのだと。
今回も、夢だけなら確かめて帰るつもりだった。だが、実際に森には魔物がいた。
「最初は二体だけでした。早めに減らしておけば、ミア様が森へ入られる頃には安全になるかと思ったのです」
「それで一月、通ったのですか?」
ミアの声が少し震えた。
「はい。ですが、まだ終わっておりません」
「増えてるのか」
トビアスがすぐに尋ねた。
「倒しても、次の休日にはまた現れます。奥に巣があるのかと思い、調べておりました。ただ、学院に近いところにも新しい足跡があって……」
セレスティーナはそこで、砕けた木の根へ目を向けた。
「本日は、そちらを追ってまいりました」
四人も同じ場所へ視線を向ける。魔物の身体はもうなかったが、爪がえぐった土と、折れた枝はそのまま残っていた。
「そんなことになってるなら、俺たちに言えよ」
ジークバルトが言った。
「皆様にも危険が及びます」
「もう学院のすぐ近くまで来てるんだろ。知らないままの方が危ない」
「それは……」
セレスティーナは言葉に詰まった。魔物を一体残らず倒せばよいと考えていた。だが、今日までにそうはできていない。
「夢のこと、もう少し詳しく聞いていい?」
トビアスが尋ねた。
セレスティーナは頷いた。
「ミアが森にいるのは、いつ頃?」
「初夏だったと思います」
「どうして森へ入ったのかは?」
「そこは、思い出せません」
「魔物が現れた理由は?」
「分かりません。わたくしが見たのは、ミア様が走っていて、魔物が――」
セレスティーナは息を止めて胸元を手で押さえた。黒い影が跳ねたところで、あの場面は途切れている。その後のことを知らない。
考えるだけで、息がしにくくなる。
「夢の中のお話ですよね」
ミアがそっと言った。
「はい。そうなのですが」
セレスティーナは、四人に伝えるべきことを考えた。
ちーちゃんに借りた漫画の場面を見たのだ。この世界はその漫画によく似ていて、自分は今も長い夢を見ている。そう説明できれば、なぜ気にかかるのか分かってもらえるかもしれない。
「わたくしは、以前――」
声が止まった。
まただ。
セレスティーナは唇を閉じ、別の言葉を探した。漫画のことを話そうとすると、どうしても先へ進めない。
「……申し訳ございません。そこは、うまくお話しできません」
トビアスが眼鏡に触れた。
「前にもそう言ってたね」
九階層の夢について尋ねた時も、セレスティーナは同じところで言葉を失った。
「夢で見た場所には、本当に魔物がいた。しかも二度目だ」
トビアスは森の奥を見た。
「未来に起きることを、夢で見ている可能性がある」
「予知夢ってことですか?」とミアが聞く。
「そういうものに近いのかもしれない。神託なのか、別の何かなのかは分からないけど」
セレスティーナは目を伏せた。そうではない、と言いたい。自分が未来を見る力を持っているわけではなく、ちーちゃんに借りた漫画を覚えているだけだ。
けれど、やはり声が出ない。
「まだ決めつけるなよ」とアレクサンダーが言った。「夢の通りになるとも限らない」
「うん。ただ、この話は迂闊に広めない方がいい」
トビアスはセレスティーナへ向き直った。
「王太子の婚約者が未来を知っている、なんて、万が一にも噂になれば、夢を見るたびに何を見たか聞きに来る人間が出る。今は僕たち五人の間だけにしておこう」
セレスティーナは驚いた。
自分の夢のことで、皆に秘密を持たせてしまう。それでも四人は、理由を聞き終える前から自分を追って森へ来てくれた。
「承知いたしました」
「でも、約束してください」
ミアが正面に立った。
「また同じような夢を見たら、一人で確かめに行く前に、私たちに話してください」
「ですが――」
「夢の中で誰が危ないかも、全部です」
セレスティーナはミアの顔を見た。夢で見た彼女は、魔物の前で足を止めていた。だから近づけたくなかったのだと、今も思う。
「私を守りたいと思ってくださったの、嬉しいです。でも、知らないまま、セラ様がお一人で森の中で怪我をするのは、…怖い、です」
「……はい」
アレクサンダーも言った。
「お前が話したら、どうするか一緒に考えられる。最初から全員で森に入るって決めるわけじゃない」
そうだ、とそれまで黙って辺りを警戒していたジークバルトも口を開いた。
「危ない場所へミアを近づけない方法だって、ほかにあるかもしれないぞ」
セレスティーナは四人を見た。
この方々は、自分の見た夢のために、どうするか考えてくださるのだ。
「次からは、まず皆様にお話しいたします。一人で確かめには参りません」
「約束ですよ」
「はい、ミア様」
ミアはやっと少し笑った。セレスティーナもつられて頬を緩める。
「ところで」
ジークバルトが森の奥へ目を向けた。
「魔物は、まだ森にいるんだよな?」
四人の視線が、再びセレスティーナへ集まった。
「……はい。おそらく」
セレスティーナは自分の手帳が入った鞄を見た。見つけた場所なら、これまでの分も書き留めてある。
約束はした。だが、森の問題はまだ終わっていなかった。




