9-1 侍女にできること
お嬢様は、変わった方だ。
エマは冬の領地で、何度そう思ったか分からない。
朝から晩まで教師のもとへ通い、食事の席でも作法や会話を学ぶ。魔術と護身術まで終えた夜には、今日もたくさん教えていただいたと嬉しそうに言う。休む時間がないように見えても、本人が嫌がることは一度もなかった。
ただ、一つだけ、妙だと思ったことはある。
学院へ戻る荷造りをしていた時、制服の腰回りが合わなくなっていた。領地へ来た頃と比べれば頬も薄くなり、歩く時には、ときおり足が頼りなく見えた。
食事は足りているのか。疲れてはいないのか。エマが尋ねると、セレスティーナは毎日三度も素晴らしい料理をいただいている、と笑った。教師たちに学べた二か月は、とても充実していたという。
嘘をついているようには見えなかった。
帰りの馬車でも、セレスティーナは学院で会える友人たちの話をしていた。顔色が急に悪くなることも、具合を訴えることもない。エマは仕立て直した制服を持って帰れたことに安心し、領地で感じた違和感を、いつの間にか忘れていた。
それなのに、学院へ戻った初日の夕方、セレスティーナが倒れたと知らされた。
エマが医務室へ駆けつけた時、セレスティーナは寝台で眠っていた。今朝、自分で選んだ髪飾りが外され、枕元に置かれている。制服の襟元から覗く首筋を見て、エマは息を止めた。
こんなに細かっただろうか。
服を直していた時には、腰回りばかり見ていた。
「エマさん」
振り返ると、ミアが立っていた。以前、セレスティーナが熱を出した時、眠るまで心配そうに見守っていた少女だ。今日も目元に疲れが残っている。
「サンティエ様。お嬢様は……」
「さっき少しお話しできました。今は先生に言われて、休んでいます」
エマはもう一度、寝台へ目を向けた。眠っている顔には血の気が薄い。朝はあんなに楽しそうに出かけていったのに、と声が出そうになる。
ミアは医師から聞いた注意を、一つずつ伝えてくれた。身体がひどく衰弱していること。当面は運動にも魔術にも制限があること。食事も、一度にたくさんは食べられないため、日に何度か分けて出した方がよいこと。
「甘いお菓子や果物は好きなんです。でも、それだけだと身体が戻らないって、先生が。お肉やお魚も、食べられるようにしていかないと」
「……はい」
エマは領地の食卓を思い出した。
料理は三度出ていた。スープも、肉も、魚も、菓子も並んでいた。だが、皿を下げる時にどれだけ残っていたか、毎回は見ていない。食事の場には教師や給仕がいて、自分は次の着替えや予定を整えることの方が多かった。
コルセットの留める位置が変わった。制服まで仕立て直した。それでも、本人が足りていると言えば、エマはそれ以上確かめなかった。
「……お貴族様なのに」
思わずこぼれた言葉に、ミアが顔を上げた。
「あんなに立派なお料理が毎日出ていて、それで、お身体を悪くされるなんて」
ミアは少し苦笑した。
「私も、そう思ったことがあります。でも、お貴族様だって、食べないと駄目なんですって」
「……左様でございますね」
エマは手の中の手袋を握り直した。
豪華な食事と、食べた量は別だ。その当たり前のことを、自分は見ていなかった。毎日そばにいたはずなのに、学院で久しぶりに会ったミアの方が先に痩せたことを気にした。
少しだけ、悔しかった。
「ですから」
ミアに呼ばれ、エマは顔を上げた。
「エマさんにも、セラ様を見ていていただけませんか?」
「わたくしが、でございますか」
「朝と夜、お部屋では何を召し上がっているか。ちゃんと休んでいるか。私たちは授業の間しか一緒にいられないので」
ミアは一度、眠るセレスティーナを見た。
「セラ様、具合が悪くても、ご自分では気づかないことがあるみたいなんです。小さな子の様子を見る時みたいに、食べた量や顔色を見た方がいいのかなって」
公爵令嬢を小さな子のように見る。その言葉にエマは驚いたが、寝台の上のセレスティーナを見れば、笑う気にはなれなかった。
「もちろん、エマさんのお仕事の範囲で構いません。何か変だと思ったら、私にも教えてください」
「……承知いたしました」
エマがうなずくと、ミアはほっとしたように笑った。
それから、エマの仕事に少しだけ新しいことが加わった。
朝夕、厨房から届く食事を部屋へ運び、下げる時に何が残っているかを見る。休みの日には昼食も確認する。夜は湯浴みの前に菓子だけで済ませていないか、寝支度の時には顔色と、机へ向かうつもりがないかを確かめる。
やってみると、セレスティーナは食事に文句を言わない代わりに、手をつけないものが案外多かった。
脂の強い肉料理は、少し切り分けるだけで終わる。魚も、濃い味付けや揚げたものの日には皿に残りがちだった。セレスティーナ自身は、スープとパンを食べれば「十分いただきました」と満足そうにする。
「お嬢様、こちらのお魚はお口に合いませんでしたか」
ある夜、エマが尋ねると、セレスティーナは皿を見た。
「いいえ。美味しゅうございました」
「では、もう少しお召し上がりになりますか」
少し考えてから、小さく切った一口を食べる。
「……いただけました」
「はい」
エマはそれ以上勧めなかった。医師も、一度に無理をさせないよう言っていた。
寮の食事は厨房で決まっており、エマが好きに献立を変えることはできない。一方、部屋で出す茶や菓子、果物などは侍女の裁量に任されていた。セレスティーナ付きの侍女には、そのために使える費用も十分にある。
以前のセレスティーナは欲しい菓子をはっきり告げた。エマは言われたものを手配し、望まれた時刻に出せばよかった。今のセレスティーナは、何も求めない。尋ねれば茶だけで十分だと言うので、エマもその通りにしていた。
だが、医師から補食を勧められているなら、話は違う。
「お嬢様。午後のお茶に、何かお菓子をお持ちいたしましょうか」
「お気遣いありがとうございます。お茶だけで十分でございます」
「では、わたくしが選んでもよろしゅうございますか」
セレスティーナは少し目を丸くした。
「エマが召し上がりたいものを?」
「お嬢様にお出しするものを、でございます」
「左様でございますか。では、お任せいたします」
その言い方では、何を出しても喜んで食べそうだった。エマは厨房にある果物や小さな菓子を確かめ、最初は食べきれる量だけ茶に添えた。
ある日、ミアから教わった木の実と蜂蜜の焼き菓子を用意すると、セレスティーナの目が輝いた。
「あら。ミア様のお菓子に似ておりますね」
「サンティエ様に教えていただきました」
「エマがお作りになったのですか?」
「厨房をお借りして、手伝っていただきました」
セレスティーナは一つ食べ、茶を飲んでから、もう一つに手を伸ばした。
「大変美味しゅうございます」
皿を下げる時には何も残っていなかった。エマはつい口元を緩める。
肉や魚を残した分が、菓子で足りるわけではない。それでも、何なら食べやすいのか、少し分かった。休みの日には茶と一緒に果物を持っていく。食事と食事の間に出すと、セレスティーナは無理なく食べられるらしい。
食べ終わった皿を見るのが、いつの間にか楽しみになっていた。
いや、仕事なのだ。以前は頼まれた品を揃えていた。今は本人が言わない分まで見て選べるようになった。専属の侍女としての腕が上がったことが嬉しいだけだ、とエマは自分に言い聞かせた。
ただ、どうしても食事が進まない日はあった。
その夜の主菜は、脂の多い上等な肉だった。セレスティーナは礼を言って受け取ったものの、口にしたのは数切れだけ。付け合わせにもあまり手が伸びない。皿を下げながら、エマは翌日の献立表を見た。
朝に体調を確かめてから、夜の食事を厨房へ相談してみた。寮では、具合の悪い生徒のために、魚のすり身を入れたスープや、肉を柔らかく煮た料理をいつでも用意できるという。医師から食事量への注意を受けていることも伝えると、通常の夕食をその食事へ差し替えてもらえた。
「本日のご夕食は、少し献立を変えていただきました」
エマが給仕すると、セレスティーナは器を見た。
「まあ。温かいスープでございますね」
「魚が入っております。こちらは、お肉を柔らかく煮たものです」
「わたくしのために?」
「厨房で、体調に合わせてご用意いただけますので」
セレスティーナはまずスープを飲んだ。魚のすり身を匙で掬い、また一口。煮た肉にも少しずつ手を伸ばした。
途中で匙を置いたが、スープはほとんどなくなっている。肉も半分ほど食べていた。
「本日は、よく召し上がりましたね」
エマが言うと、セレスティーナは自分の皿を見た。
「……本当でございますね」
少し驚いたような声だった。
「こちらのお料理は、食べやすうございました」
「それはようございました」
エマは皿を下げた。全部ではない。それでも、ここしばらくの夕食では一番食べている。
自分で献立を作ったわけではない。寮の厨房に相談して、すでに用意のある料理へ替えてもらっただけだ。それでも、何を頼めばよいか見当がついたことが、嬉しかった。
その後もエマは、通常の献立を先に確認した。食べられそうならそのまま出す。難しそうな日は朝の顔色や前日の食事量も見て、厨房へ相談する。午後に果物を出した日は、夕食までに時間を空けることも覚えた。
セレスティーナの方は、エマが皿を確かめるようになったことをあまり不思議がらなかった。果物が出れば喜び、食べきれなかった時には「残してしまって申し訳ございません」と言う。エマが「後ほどお持ちいたします」と答えると、それにも礼を言った。
以前は、手のかからないお嬢様になったと思っていた。何を着せても文句を言わず、食事にも注文をつけず、礼まで言う。
どうやら、別の意味で目を離せない方だったらしい。
朝の顔色を見てから髪を結う。夜は眠そうかどうかを確かめてから、明日の支度を告げる。食事の皿がいつもより空なら嬉しいし、食べやすいはずのスープまで残っていれば、気になって仕方がない。
以前より仕事が増えた。それをあまり嫌だと思っていない自分が、エマには少し不思議だった。
何がどれほど危ないのか、エマには分からないことも多い。けれど、おかしいと思うことはできる。
その時は、ミアに伝えればいい。エマが見たものと、学院でミアが見たものを合わせれば、何か分かるかもしれない。それなら、自分にもできる。
夕食後、セレスティーナが果物の皿を空にして、嬉しそうに礼を言った。エマは「お口に合ってようございました」と答え、皿を下げる。
廊下へ出てから、また少し頬が緩んだ。
専属として、今日はうまく仕事ができたのだ。あの方のことが好きだから、というわけではない。
そう考えてから、エマは空になった皿をもう一度見た。
昔聞いていた、嫌味なお嬢様のことは、もうほとんど思い出さなかった。
いつもお読みいただきありがとうございます!
しばらく毎日2話更新とさせていただきます。
引き続きセレスティーナと愉快な仲間たちを、どうぞよろしくお願いします!
新シリーズも始めましたので、良ければそちらもよろしくお願いいたします。




