8-4 きっと、プロムのせいだ
プロムというのは、やたらと胸を騒がせるものらしい。
セレスティーナとのダンスを終えた後も落ち着かなかったのに、ミアと踊り始めると、今度は別の意味で落ち着かなくなった。
セレスティーナは、アレクサンダーが少し動けば当然のようについてくる。次にどう進むかも互いに分かっていて、ほとんど考えずに踊れた。対してミアは、最初の一歩から必死だった。
足元を見そうになるのをこらえ、口の中で数を数えている。回る時には眉を寄せ、うまく足を運べると少しだけ表情を緩めた。アレクサンダーは練習の時より歩幅を小さくして、彼女が落ち着くのを待った。
しばらくすると、ミアが顔を上げた。目が合った途端、踊れていることを確かめるような嬉しそうな顔をする。
かわいい。
そう思って、アレクサンダーは少し笑った。
「ミア、上手くなったな」
「い、今、話しかけないでください」
「なんでだよ」
「次が分からなくなります……!」
言った通り、ミアの足が一瞬止まりかける。アレクサンダーが歩幅を緩めると、彼女はすぐに音楽へ戻った。
「ほら、前」
「分かっています!」
「じゃあ、足元を見るなよ」
「アレク様が話しかけるからです」
むきになって言い返す顔も、目が合うと慌てて視線を外すところも、見ていて飽きない。次の回転がうまくいけば、ミアはまた笑った。アレクサンダーまで嬉しくなって、練習の成果を見せてくれたことを褒めたくなる。
――俺は、ミアが。
そこまで考えたところで、アレクサンダーは足を踏み出すことに意識を戻した。
……いや。今は考えるな。
一曲が終わる。ミアの手を離すと、彼女は自分の手を見下ろした。
「……もう終わりなんですね」
「一曲踊りきったな。ほら、大丈夫だっただろ」
「はい」
ミアは笑って答えたが、少しだけ名残惜しそうにも見えた。アレクサンダーはもう一曲誘おうかと思い、すぐにやめた。まずは踊り終えたばかりのミアを休ませた方がいい。
広間の端へ戻っても、胸の辺りはまだ騒がしかった。
――プロムって、こんなに疲れるものだったか?
夜会には何度も出ているはずなのに、今年は勝手が違う。
自由歓談の時間になると、ミアとセレスティーナは菓子の並んだ卓の前に立っていた。二人で皿を覗き込み、どれにするか話している。ドレスこそいつもと違うが、ラウンジで菓子を選ぶ時と同じ姿だった。
それを見た途端、アレクサンダーはなぜかほっとした。
「セラ様、これ美味しいですよ」
ミアが小さな焼き菓子を勧める。セレスティーナは一つ取り、口に運んだ。少しだけ目元が緩む。
「美味しゅうございますね」
「でしょう? もう一つ、違う味もあります」
セレスティーナは興味を示したものの、皿へ伸ばしかけた手を止めた。アレクサンダーは冬季休暇明けに見た、痩せた彼女の姿を思い出す。今朝ドレスから覗いていた細い腕も。
「もう一個食っとけ。今日は動いてるだろ」
「殿下?」
「菓子だよ。ミアが勧めてる方も食べてみればいい」
「そうですよ、セラ様。こっちは果物が入ってるんです」
二人に勧められ、セレスティーナは「では」と素直にもう一つ取った。食べてから、先ほどとは違う味に気づいたらしく、ミアへ微笑む。
「こちらも美味しゅうございます」
「よかった!」
そのやり取りを眺めて、アレクサンダーは妙に満足した。
……なんで俺が満足してるんだ?
さっきは砂糖菓子を二つ食べた。今も焼き菓子を二つ食べた。いちいち数えている自分にも気づき、アレクサンダーは飲み物へ手を伸ばした。
そこへ、同じ学年の男子生徒が近づいてきた。セレスティーナに向かって礼をする。家格にも問題はなく、学院で何度か顔を合わせたことのある相手だった。
「セレスティーナ嬢。次の曲を、お相手いただけませんか」
学院のプロムでは、婚約者以外と踊ることも珍しくない。アレクサンダーも知っている。
「喜んで――」
「お前、あまり動きすぎるなって医師に言われてるだろ」
セレスティーナの返事が終わる前に、声が出ていた。
男子生徒が驚いた顔をする。アレクサンダー自身も、今のは少し早すぎたと思った。だが、間違ったことを言ったわけではない。ファーストダンスを踊り、重いドレスを着たまま、朝から身体強化も続けている。
セレスティーナは一度瞬きをして、少し考えた。
「……そうでしたね。では、申し訳ございません」
「いえ。ご体調のことを存じ上げず、失礼いたしました」
男子生徒は丁寧に礼をして去っていく。セレスティーナは気にした様子もなく、先ほどの菓子についてミアと話し始めた。
アレクサンダーが横を見ると、いつの間にか来ていたジークバルトとトビアスが揃って笑っている。
「なんだよ」
「いや?」
「別に?」
「気持ち悪いんだよ、お前ら」
ジークバルトは肩をすくめ、トビアスは飲み物の杯で口元を隠した。どちらも説明する気はなさそうだった。
その後も、音楽は何曲か続いた。ミアはジークバルトとも踊り、終わって戻るなり「アレク様と歩幅が違うので、最初に間違えそうになりました」と報告した。ジークバルトが「踏まれてないから大丈夫だ」と笑う。トビアスも一曲、知り合いに誘われて席を離れた。
セレスティーナは時折飲み物を口にし、皆の話を楽しそうに聞いていた。
しばらくして、ジークバルトが彼女の足元を見た。
「セレスティーナ嬢。身体強化、まだ使ってるのか?」
「はい。歩く時に裾を踏まない程度に」
「朝からずっとだろ。そろそろ切った方がいいんじゃないか」
「問題は――」
セレスティーナはそこで言葉を止めた。アレクサンダーも彼女を見たが、続きを急かさずに待った。
セレスティーナは自分の手を見下ろしてから、椅子の方へ目を向ける。
「……では、少し休ませていただきます」
「そうしなよ」
トビアスがすぐに椅子を引いた。セレスティーナは腰を下ろし、身体強化を解く。裾を整えてから顔を上げると、見守る四人と目が合った。
「そこまでご心配いただかなくても、座っておりますわ」
「最初からそうしてくれれば、心配しなくて済むんだけどね」
トビアスの言葉に、セレスティーナは少し困ったように笑った。
以前なら「問題ございません」と言い切って、立ち続けていただろう。今日は自分で言葉を止め、問題が起きる前に座った。
アレクサンダーは彼女の隣に立った。
「……少しはマシになったな」
「はい。皆様に教えていただきましたので」
セレスティーナは素直にうなずいた。皆に言われたことを覚えていて、今、そうしようとしている。そのことがアレクサンダーには嬉しかった。
冬に、ちゃんと見ていようと決めた。彼女が自分の身体を止める時まで、周りが気づいて声をかける。その繰り返しが、少しだけ形になった気がした。
夜が更け、プロムがお開きになる頃には、ミアも少し疲れた顔をしていた。それでも、広間を出たところで振り返ると、満面の笑みを浮かべた。
「楽しかったです!」
「最初はあんなに緊張してたのにな」
「緊張もしました。でも、踊れましたし、セラ様とお菓子も食べられました」
「ジークの足も踏まなかったしな」
「踏みませんでした!」
ジークバルトに言い返して、ミアが笑う。アレクサンダーの胸もまた温かくなった。
俺は、ミアが――。
先ほどより、その続きを考えるのが少し怖い。アレクサンダーは口を開かず、ミアとジークバルトのやり取りを聞いていた。
別れ道でミアたちを見送り、アレクサンダーはセレスティーナを部屋まで送った。
身体強化は再び使っているのだろうが、彼女の歩みは来た時より少し遅い。長い裾を持ち上げる腕にも、朝ほどの余裕はなかった。
「疲れたか?」
セレスティーナは一瞬考えた。
「……先ほどより、ドレスが重く感じられます」
「それを疲れたって言うんじゃないのか」
「そうなのでしょうか」
「今日はもう寝ろよ」
「承知しております」
いつもの別れの挨拶だった。セレスティーナも慣れたように返し、部屋の前で立ち止まる。
「殿下も、お休みくださいませ。本日はありがとうございました。とても楽しい一日でございました」
柔らかく笑われて、アレクサンダーは少しだけ返事が遅れた。
「……ああ。おやすみ」
セレスティーナが部屋へ入り、扉が閉まる。アレクサンダーは廊下を歩き出した。
その夜、寝台に入って目を閉じると、まず淡いピンクのドレスが浮かんだ。
足順を追うのに必死だったミア。顔を上げ、踊れていることに気づいて笑ったミア。手を離した後の、少し寂しそうな顔。
かわいかった。笑っていると嬉しかった。
たぶん、自分はミアを――。
そこまで考えると、今度は濃紺のドレスが浮かんだ。
扉が開いた時のセレスティーナ。「よく似合ってる」と、考える前に言ってしまったこと。細い腕と、取った手の軽さ。入場を待つ間に砂糖菓子を食べていた姿。ぴたりと合ったステップ。それから、ほかの男子生徒に誘われた時、返事も聞かずに口を挟んだこと。
「…………」
アレクサンダーは布団を頭まで引き上げた。
「プロムって面倒くせえ……」
今日はもう、何も考えたくなかった。
同じ頃、セレスティーナも寝台で一日を思い返していた。
アレクサンダーと踊っていたミアは、とても可愛らしかった。練習の時には足元を気にしていたのに、今日は途中から顔を上げて笑っていた。アレクサンダーも楽しそうだった。
「殿下とミア様は、本当にお似合いでしたね」
それなのにアレクサンダーは、セレスティーナにまで気を配ってくれた。入場前には菓子を勧めてくれたし、身体強化を使いすぎないよう声をかけてくれた。帰りには、いつものように眠ることまで気にしてくれた。
「わたくしにまでお気遣いくださって。本当に、殿下はお優しい方です」
綺麗な衣装を着て、皆と話して、美味しいものを食べた。ミアも楽しそうだった。自分も、久しぶりにアレクサンダーと踊れた。
とても楽しい一日だった。
セレスティーナは幸せな気持ちのまま目を閉じ、ほどなく眠りについた。
これにて第一部終了となります。
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