↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

55/67

7-7 少しずつ近づく

セレスティーナが倒れてから、数日が経った。


あの日に比べれば、随分よくなったのだろうと思う。


少なくとも、廊下を歩いていて急に足が止まることはなくなった。階段ではまだ手すりに手を添えることがあるけれど、初日のように足を持ち上げ損ねることもない。


それでも。


「セラ様」


「はい?」


椅子から立ち上がったセレスティーナの身体が、ほんの少し横へ揺れた。


ミアは反射的に腕へ手を伸ばす。


けれど、触れるより先に、セレスティーナは机へ指先をついた。


ほんの一瞬だった。


「大丈夫ですか?」


「はい」


いつもの返事。


セレスティーナは何事もなかったように鞄を持った。


「少し、立ち上がるのが早かったようです」


「目の前、暗くなりませんでした?」


「少しだけです。もう戻りました」


前なら、そこで終わっていた。


大丈夫と言っている。


普通に立っている。


なら、大丈夫なのだろうと。


今は、もう少し見る。


顔色は悪くない。呼吸も普通。手も震えていない。


「じゃあ、少しゆっくり行きましょう」


「はい」


二人で教室を出る。


セレスティーナの歩幅は休暇前より少し小さい。まっすぐ歩いているのに、時々、足元だけが柔らかいところを踏んでいるように身体が揺れる。


けれど、それも数日前よりはずっと少なくなった。


昼食のために食堂へ着く頃には、アレクサンダーたちも合流していた。


「今日は何にします?」


ミアが尋ねる。


食堂には、その日に頼める料理の見本が並んでいる。


セレスティーナはその前で、難しい問題でも出されたような顔をしていた。


「……こちらのお魚は、どのくらいの大きさでしょうか」


「見本と同じくらいじゃないですか?」


「こちらの方が、少し小さく見えます」


「そうですね」


白身魚を煮た料理と、焼いた魚。


セレスティーナは二つを真剣に見比べている。


「セレスティーナ嬢」


後ろからトビアスが声をかけた。


「一番小さい料理を探してない?」


「……そのようなことは」


少し間があった。


「ありますね?」


ミアは思わず聞いた。


「残してしまいますので……」


「残していいって先生に言われたでしょ」


「それは、そうなのですが」


まだ納得できないらしい。


結局、煮た魚の方を注文し、いつものパンとスープも頼んだ。


五人で席につく。


休みの前まで、セレスティーナの昼食はパンとスープだけだった。


今はそこに主菜が一皿増えている。


量だけを見れば、それほど多くはない。


ミア自身の七割くらいだろうか。


ジークバルトの膳と比べれば、半分ほどしかない。


それでもセレスティーナには多いらしい。


最初は普通に食べていたけれど、やがて速度が落ちた。


「もういっぱいですか?」


ミアが聞く。


セレスティーナが少し申し訳なさそうに頷く。


「……はい」


魚が三分の一ほど残っている。


スープも少し。


パンは半分近い。


「じゃあ、そこまでですね」


「もう少しでしたら」


「無理するなって言われただろ」


向かいからアレクサンダーが言った。


セレスティーナは魚とアレクサンダーを交互に見た。


「残してしまうのですが…」


「医師が言うんだ。良い通りにしてればいいだろう」


「……そういうものでしょうか」


「そういうものだろ」


アレクサンダーは自分の食事へ戻った。


セレスティーナはまだ少し迷っていたけれど、やがてカトラリーを置いた。


ミアはその皿を見る。


初日よりは食べている。


昨日よりも、ほんの少し多い。


本当に少しずつだけれど。


「セラ様、増えてますよ」


「何がでしょうか」


「食べられる量です」


セレスティーナが自分の皿を見る。


「……そうでしょうか」


「はい」


「でしたら、明日はもう少しいただけるかもしれませんね」


少しだけ嬉しそうだった。


「無理に増やさなくていいですからね」


「はい」


返事はいい。


ミアは最近、それだけは学んだ。


食事を終えて少し経つと、いつものように菓子の包みを開いた。


「セラ様、今日はこれです」


セレスティーナが見る。


その瞬間、ほんの少し表情が明るくなる。


「木の実でございますか?」


「はい。蜂蜜も入ってるそうです」


「美味しそうですね」


さっきまで魚を前にあれほど困っていたのに。


一つ受け取って、口にする。


「……美味しいです」


本当に幸せそうに食べる。


アレクサンダーが呆れたように言った。


「お前、やっぱり菓子なら食えるんじゃないか」


「こちらは小さいですから」


「毎回それ言うよな」


「実際に小さいです」


「まあ、食ってるならいいけど」


ミアは何となく笑ってしまう。


セレスティーナが不思議そうにこちらを見た。


「どうかなさいましたか?」


「いいえ。何でもないです」


午後の授業が終わると、いつものようにラウンジへ向かった。今日はトビアスとジークバルトは用があると同行していない。


アレクサンダーは普通の顔をしてついてきた。


まず茶を飲む。


セレスティーナは食堂に頼んだ果物をいくつか食べる。


それから少し休む。


最初の日に医師から言われたことを、皆でそのまま続けている。


今日は林檎だった。


「セラ様、もう一つ食べます?」


「いただきます」


素直に手を伸ばす。


甘いものや果物については、もうあまり遠慮しなくなった。


そこは少し嬉しい。


「じゃあ、そろそろ行きますか?」


ミアが尋ねると。


「はい」


セレスティーナの顔が、明らかに変わった。


さっきまで穏やかに茶を飲んでいたのに、急に目が生き生きする。


「昨日は水属性の構築まででしたので、本日は放出まで行ってみましょう。ミア様は構築自体はもう安定しておりますから、あとは魔力を流す時に――」


「歩きながら始めるな」


アレクサンダーが言った。


「……申し訳ございません」


「演習場着いてからにしろ」


「はい」


ミアは少し笑った。


演習場へ着くと、セレスティーナは長椅子へ座った。


これは、最初に決めたことだった。


長く立ち続けない。


自分で魔術を使わない。


基本的には座ったまま、ミアたちを見る。


初日は「座ったままでは失礼では」と言っていたけれど、今は少し慣れたらしい。


「では、昨日と同じところからお願いいたします」


「はい」


ミアは杖を構える。


水属性の基礎術式。


小さな水球を作り、標的まで飛ばす。


以前なら、形を作ることだけで精一杯だった。


今は違う。


頭の中で術式を組む。


魔力を流す。


水球が生まれた。


「そのままです」


後ろからセレスティーナの声が飛んでくる。


「放つことを考える前に、一度形を安定させてください」


「はい」


「右側が少し薄くなっています」


ミアは水球を見る。


言われてみれば、ほんの少しだけ歪んでいる。


魔力を足そうとする。


「足さなくて大丈夫です」


「え?」


「反対側を少し減らしてみてください」


言われた通りにする。


形が整った。


「あ」


「その状態です。では、標的を見てください」


水球が飛ぶ。


標的の中央より少し右。


ぱしゃりと弾けた。


「できた!」


「はい。今のはとても綺麗でした」


嬉しい。


前なら、偶然できたのかもしれないと思った。


でも今は、何を直したのかが分かる。


「もう一回やっていいですか?」


「もちろんでございます」


もう一度。


今度は最初から左右の魔力の量を意識する。


水球を作る。


少し歪む。


自分で減らす。


整う。


飛ばす。


さっきより中央に近い。


「セラ様!」


振り返る。


セレスティーナが嬉しそうに拍手をしていた。


「素晴らしいです、ミア様。今度はご自身で修正なさいましたね」


「はい!」


「では次は、もう少しだけ構築を速くしてみましょう。先ほどの感覚を残したまま――」


言いながら、セレスティーナが立ち上がった。


「こちらからでしたら、術式の流れが――」


一歩踏み出したところで、身体がわずかに揺れる。


「おい」


横で見ていたアレクサンダーが声を上げた。


セレスティーナはすぐに姿勢を戻した。


「問題ございません」


「そういう話じゃない。座っとけ」


「ですが、ミア様からですと、わたくしの位置では少し――」


「手本なら俺がやる」


「殿下が?」


「基礎だろ」


アレクサンダーが隣の的を見やった。


「俺がやれば見えるんだろ?」


「……はい」


「じゃあ座ってろ」


セレスティーナは少しだけ迷ってから、長椅子へ戻った。


「お願いいたします」


「はいはい」


アレクサンダーがミアの隣に立つ。


「見てろよ」


「はい」


杖を構えた。


術式を組み、水球を作る。


形を整えるまでの流れは、ミアより少しだけ速い。


そのまま標的へ放つ。


水球が中央近くで弾けた。


「さすがです!」


思わず声が出た。


「まあ、基礎魔法はいいんだよ」


そう言いながらも、少しまんざらでもなさそうだった。


「問題は圧縮なんだよな……」


アレクサンダーはぶつぶつ言いながら、隣の標的へ向き直った。


もう一度水球を作る。


今度はそのままでは放たず、形を保ちながら少しずつ魔力を圧縮していく。


後ろからセレスティーナが声をかけた。


「殿下」


「何だ?」


「休暇前より、随分流れがよくなりましたね」


アレクサンダーが少しだけ振り返る。


「まあな」


短い返事だった。


けれど、やっぱり少し嬉しそうに見えた。


「ただ、最後に一度に押し込もうとなさる癖は残っております」


「……褒めて終われよ」


「申し訳ございません」


「謝るな」


ミアは吹き出した。


「笑うなよ」


「だって」


「じゃあ、お前もやれ」


「はい!」


隣に並ぶ。


水球を作る。


「ミア、右」


「分かってます」


「今直しただろ」


「自分で気づいたんです」


「本当か?」


「本当です!」


後ろから、セレスティーナの声がした。


「今のはミア様ご自身で気づいていらっしゃいましたよ」


「ほら!」


「はいはい」


何だか楽しい。


セレスティーナに時々直されながら、アレクサンダーと同じ標的を狙う。


どちらが早く形を整えられるか。


どちらが中央へ近づけられるか。


いつの間にか、少しだけ競争のようになっていた。


「今の私の方が真ん中でした!」


「でも遅かっただろ」


「速さだけじゃないです」


「実戦なら速い方がいい」


「授業です!」


「殿下、ミア様」


後ろからセレスティーナが声をかける。


「どちらも正しいのですが、まずは正確に構築できることを優先なさった方がよろしいかと」


「ほら」


「なんで殿下が勝ったみたいな顔するんですか!」


もう一度。


今度はアレクサンダーが火属性に変えた。


「水よりこっちの方がやりやすい」


「得意属性だからじゃないですか?」


「たぶんな」


小さな火球が浮かぶ。


圧縮する。


「殿下、先ほどより滑らかです」


「だろ?」


もう少し。


さらに少し。


「アレク様、それ以上は――」


火球がぶれた。


「あっつ!」


アレクサンダーが手を振る。


「アレク様!」


ミアは慌てて駆け寄った。


指先が赤くなっている。


「見せてください」


「これくらい平気だって」


「駄目です」


手を取る。


光を集める。


赤くなった指先を包むように魔力を流す。


ほんの数秒。


熱を持っていた皮膚が元へ戻った。


「……もう大丈夫です」


アレクサンダーが自分の指を見る。


曲げる。


伸ばす。


それからミアを見た。


「お前、治すの早くなったな」


「え?」


「前より早いだろ」


胸の奥が、少しだけ跳ねた。


褒められた。


ただそれだけなのに。


「……アレク様がお怪我をするからです」


ミアは少し怒った顔を作った。


「俺のせいかよ」


「そうです。練習する機会を増やさないでください」


「治ったんだからいいだろ」


「よくありません」


「ミア様のおっしゃる通りです」


後ろからセレスティーナも加わった。


「殿下、先ほどは少々圧縮なさりすぎでした」


「お前までそっちにつくのかよ」


「事実でございますので」


「ほら、アレク様」


「分かったよ」


アレクサンダーが面倒そうに答える。


けれど、本気で嫌がっているわけではないことは、何となく分かった。


ミアは自分の手を見る。


もう光は消えている。


前より早くなった。


自分では気づいていなかった。


それにアレクサンダーが気づいてくれたことが、少し嬉しかった。


「ミア様?」


セレスティーナに呼ばれ、顔を上げる。


「次は風属性もなさいますか?」


「はい!」


ミアは的に向き直った。


またアレクサンダーの隣に立つ。


「今度は負けませんからね」


「いつ勝負になったんだよ」


「さっきからです」


「勝手に決めるな」


言いながら、アレクサンダーも杖を構える。


その横で魔術を使うのが、楽しかった。


以前なら、王太子と二人で同じ的を狙うだけで緊張していたと思う。


今は失敗すれば笑われるし、こちらも言い返す。


アレクサンダーが失敗すれば、ミアも笑う。


その後ろから、セレスティーナが時々助言をくれる。


それだけだった。


それだけなのに、休暇に入る前よりも、アレクサンダーが少し近くにいるような気がした。


訓練を終える頃、セレスティーナは最後まで長椅子に座っていた。


帰ろうとして立ち上がる。


その身体が、またほんの少し揺れた。


数日前ほどではない。


けれど、まだ消えてはいない。


アレクサンダーも気づいたらしい。


「ゆっくり立てよ」


「……はい」


セレスティーナは一度長椅子へ手をつき、そのまま数秒待った。


それから歩き出す。


足取りも、まだ少しだけふわふわしている。


でも、初日よりはずっといい。


昼食も少しずつ増えている。


長く立たないようにすることも、以前より素直に聞いてくれるようになった。


何より。


「ミア様、明日は地属性も確認してみましょう。前回の試験では最も安定しておりましたので、少し難しい術式へ進んでもよろしいかと」


魔術の話をするセレスティーナは、とても楽しそうだった。


「はい。お願いします」


ミアは答えた。


その隣からアレクサンダーが口を挟む。


「明日もやるのか?」


「やりますよ。アレク様も来ます?」


「暇だったらな」


「今日もそう言って来たじゃないですか」


「うるさい」


ミアは笑った。


明日もきっと、同じようにお茶を飲んで。


セラ様が少し果物を食べて。


それから演習場へ行く。


アレクサンダーも、たぶん来る。


そう思うと。


明日の放課後が、少し楽しみだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。