7-6 増えた食事
朝から、少し不思議だった。
学院へ着くと、まずミアがやってきた。
それからアレクサンダーが来て、ジークバルトとトビアスも合流した。
そして何故か、四人揃ってセレスティーナを医務室へ連れていった。
「昨日の今日なんですから、まず先生に診ていただきましょう」
ミアにそう言われれば、断る理由はない。
けれど、四人とも一緒に来る必要があるのだろうか。
休暇へ入る前も、こんなふうだっただろうか。
五人で昼食を取ることは多かった。魔術の練習をすることもあったし、放課後にラウンジへ集まることもあった。
けれど、朝から四人揃って自分の隣にいることは、それほど多くなかったような気がする。
「何かございましたか?」
廊下を歩きながら尋ねてみた。
「何が?」
アレクサンダーが聞き返す。
「いえ……」
何もないなら、それでいい。
セレスティーナはそのまま四人と医務室へ向かった。
昨日と同じ医師は、セレスティーナを見るなり診察を始めた。
脈を取り、瞼の裏を確認し、いくつか質問をする。
「昨夜は何時に寝た?」
「二十二時頃でございます」
「起きたのは?」
「六時でございます」
横でアレクサンダーが小さく頷いた。
何故殿下が頷くのだろう。
「八時間か。それなら今日はいい」
医師が言った。
「今後も、そのくらいは寝るつもりでいなさい」
セレスティーナは目を瞬いた。
「……八時間、でございますか?」
「そうだ」
聞き間違いではなかったらしい。
「ですが、そのようには……」
言いかけて、少し迷う。
医師が続きを待っている。
「そんなには、眠れないと思うのですが……」
一日の三分の一だった。
これまで六時間眠るだけでも、随分長く休んでいるつもりだった。
「眠れなければ、寝台で身体を休めていればいい。昨日の状態からすれば、長く眠れるなら長い方がいい。六時間は最低限だ」
「最低限……」
「目安が欲しいなら、八時間は休むつもりでいなさい」
セレスティーナは黙った。
八時間。
二十二時に寝るなら、六時に起きる。
それなら昨夜と同じだ。
昨夜は帰宅後にほとんど何もすることを許されなかったので可能だったが、毎日となると随分難しい。
「しばらく運動も禁止。護身術も魔術実習も見学だ」
「魔術も、でございますか?」
「実技はな。授業を受けること自体は構わない」
それならば、まだいい。
少し残念ではあるけれど、冬に覚えたことが消えるわけでもない。
「それから食事だな。昨日聞いた限りでは、明らかに足りていない」
「毎日三食いただいております」
「何を食べている?」
「学院では、昼食にパンとスープを」
「それだけか?」
「はい」
医師が眉を寄せた。
「肉か魚は?」
「……ございません」
「それでは足りない。今日からつけなさい」
セレスティーナは困った。
「ですが、そんなには食べきれません」
「食べきらなくていい」
思わず医師を見る。
「まず膳に乗せなさい。その上で、食べられるところまで食べる。肉が重いなら魚でもいい。卵でも構わない。とにかくパンとスープだけで終わらせないこと」
「ですが、残してしまっては」
「残していい」
「……はい」
もったいない。
声には出さなかった。
けれど、食べられないと分かっているものを最初から取るということに、どうしても抵抗があった。
医師はさらに続けた。
「一度に量が入らないなら、回数を増やす。学院の食堂なら、希望すれば茶菓子が出るはずだ」
セレスティーナは瞬きをした。
「出るのでございますか?」
隣でミアも驚いている。
「えっ。出るんですか?」
医師が二人を見た。
「……知らなかったのか?」
「知りませんでした」
「存じませんでした」
二人の声が重なった。
アレクサンダーも少し意外そうな顔をしている。
トビアスだけが「ああ」と頷いた。
「言えば出るよ。あんまり量は多くないらしいけどね」
「そうなのですか?」
「高位の家だと学院で間食を頼む必要があまりないし、ミアは、そういえばそんな仕組みまで知る機会がなかったね」
「なるほど……」
学院に入ってもう随分経つのに、まだ知らないことがあった。
「昼食のあとでも、放課後でもいい。食べられる時に少しずつ食べなさい」
「はい」
「返事だけじゃなくて実行するように」
「承知いたしました」
ようやく解放された。
医務室を出ると、四人も当然のようについてくる。
やはり、少し不思議だった。
昼になっても、それは続いた。
五人で食堂へ行き、セレスティーナは躊躇いながら、いつものパンとスープに合わせて、一番小さそうな魚料理を頼んだ。
朝、医師に言われたことを思い出す。
食べきれなくても、まず膳に乗せる。
いつもの卓に座り、セレスティーナはしばらく魚を見つめた。
香草とバターで香ばしく焼かれた白身魚は、美味しいのだろうとは思う。
しかし、食べられるだろうか。
おそらく、無理だと思った。
「……こんなに、いただいて」
思わず呟いた。
四人の視線が集まる。
「どうしたんですか?」
ミアに尋ねられ、セレスティーナは膳を見た。
「いえ。その……残してしまっては、罰が当たります」
アレクサンダーが少し呆れたような顔をした。
「医師の指示だろ」
「ですが」
「全部食えとは言われてない。食べられるだけ口に入れろ」
「……はい」
もっともだった。
セレスティーナはまずスープを一口飲んだ。
それから魚を一口。
野菜も一口。
パンも少し。
せっかくいただいたのだから、どれも一度は口にした方がいい。
魚は思っていたより食べやすかった。肉ほど匂いも強くなく、柔らかい。
それでも、半分ほど食べたところで手が止まり始めた。
スープは半分より少し多い。
添えられている野菜を飲み込むのに時間がかかった。パンもまだ残っている。
もう少しなら入るだろうか。
そう思ってスープを一口飲んだところで、胃のあたりが重くなった。
セレスティーナはカトラリーを置いた。
「……もう、いただけません」
恐る恐る言う。
ミアはすぐに頷いた。
「じゃあ、今日はそこまでにしましょう」
「ですが、こんなに残って」
「明日また食べればいいだろ」
アレクサンダーが言う。
明日同じ料理があるかどうかは分からない。
けれど、これ以上食べれば苦しくなることも分かっていた。
セレスティーナは残った料理を見てから、小さく頷いた。
「……はい」
やはり、もったいない。
食事を終えて、しばらく話していた時だった。
ミアが鞄から小さな包みを取り出した。
「セラ様、これは食べられそうですか?」
中に入っていたのは、小さな焼き菓子だった。
セレスティーナはそれを見る。
いつもミアが持ってきてくれるものより、少し小さい。
「……はい」
一つ受け取った。
口へ運ぶ。
さくりとした生地に、蜂蜜の甘さが広がった。
「美味しいです」
自然と頬が緩んだ。
「それは食えるのかよ」
アレクサンダーが言った。
「はい」
「昼飯はあれだけ残したのに?」
「こちらは小さいですので」
「……まあ、食えるならいいけど」
ミアが笑っている。
セレスティーナには、何がおかしいのかよく分からなかった。
午後の授業を終えると、また五人でラウンジへ向かった。
これも少し不思議だった。
休暇前も、毎日こんなふうに五人で過ごしていただろうか。
少なくとも今日は、朝からずっと誰かが隣にいる。
けれど嫌ではない。
食堂で頼んだ茶と一緒に、切った果物が数切れ運ばれてきた。
「本当に出てくるんですね」
ミアが感心している。
「だから言ったでしょ」
トビアスが笑った。
セレスティーナも小さく切られた果物を一つ食べた。
昼食から時間が経ったからか、これは問題なく入った。
二つ目を食べながら、ミアが口を開く。
「そういえば、三月に年度末試験がありますよね」
「はい」
「私、今度はもう少し上を目指したいです」
セレスティーナは顔を上げた。
前回の試験を思い出す。
四属性の平均点。
結果を見せてくれた時の、ミアの嬉しそうな顔。
「でしたら、わたくしがお手伝いいたします」
「本当ですか?」
「もちろんでございます。前回は水属性の制御が少し不安定でしたので、まずはそちらを――」
「それは明日からにしよう」
トビアスが言った。
セレスティーナはそちらを見る。
「まだ三十分ほどしか経っておりませんが」
「うん。でも今日は昨日倒れた次の日だからね」
「今は問題ございません」
「それは知ってる」
トビアスはあっさり答えた。
「だから、問題ないうちに帰ろう」
セレスティーナは少し考えた。
今は頭も動いている。
脚も普通に動く。
まだ授業の復習もできるし、ミアの魔術を見ることもできる。
けれど、医師はなるべく長く身体を休めるようにと言っていた。
「……承知いたしました」
帰り支度を始める。
するとミアが、昼とは別の包みを差し出した。
「これ、よかったら持って帰ってください」
「こちらも、でございますか?」
「はい。お夕食の時にでも召し上がってください」
中には、また小さな焼き菓子が入っている。
昼にもいただいた。
午後には果物も食べた。
さらに持って帰る。
「ですが、今日はもう随分いただいております」
「一度に食べなくていいんですよ」
「そうではなく……」
こんなにいただいてしまっていいのだろうか。
ミアは気にした様子もなく、包みをこちらへ差し出している。
「無理はしないでくださいね」
そう言いながら、受け取るまで引っ込める気配がない。
セレスティーナはしばらく迷ってから、両手で受け取った。
「……ありがとうございます」
鞄へ大切にしまう。
その様子を見届けてから、トビアスが尋ねた。
「セレスティーナ嬢、今日は帰ってからどのくらいやることがあるの?」
「やること、でございますか?」
「課題とか、自習とか」
セレスティーナは考えた。
学院から出されている課題。
今日の授業の復習。
変わらず公爵家から送られてきている手習いの続きもある。
「学院の課題と、手習いで……五時間ほど、でしょうか?」
首を傾げる。
何故か、四人が黙った。
「何か?」
「いや」
トビアスが額に手を当てた。
「今日は三時間くらいでやめた方がいいと思うよ」
「ですが、それでは終わりません」
「今日中じゃないと困るものは?」
聞かれて、考える。
「学院の課題は、明日提出のものが一つございます。あとは……明後日と、来週でございます」
「じゃあ明日の分だけ今日やって、残りは明日に回そう」
「ですが、明日になれば、明日の復習が」
「それも全部やってたら、八時間寝られないでしょ」
セレスティーナは口を閉じた。
確かに。
「先生も、六時間は最低限で、できれば八時間休めって言ってたじゃない」
「……はい」
「今日は三時間。急がないものは明日」
「三時間……」
随分短い。
けれど、三時間あれば明日提出するものは終わる。
残りは明日でも間に合う。
「分かりました」
答えると、何故か四人が少しだけ安心した顔をした。
やはり、今日はずっと不思議だった。
朝から四人で医務室へ行った。
昼食では、食べているところを皆に見られた。
ミアから菓子をもらった。
放課後には果物まで出てきた。
帰る時には、また菓子を持たされた。
その上、帰宅してから何時間勉強するのかまで聞かれた。
休暇前も、こんなふうだっただろうか。
思い返してみるけれど、よく分からない。
ただ。
昨日、自分は皆の前で倒れてしまった。
きっと、とても心配をかけたのだろう。
ならば、しばらくは言われた通りにしていた方がいい。
セレスティーナは鞄の中の包みが潰れていないことを確かめた。
食べきれない料理を膳に取ることには、まだどうしても慣れそうにない。
八時間も寝台にいる自分も、うまく想像できない。
けれど。
明日はミアの魔術を見せてもらえる。
それから、学院の食堂では頼めばお茶菓子が出るらしい。
知らないことが、また一つ増えた。
それを少しだけ楽しみにしながら、セレスティーナは四人と一緒に学院を出た。




