7-1 久しぶりの学院
二か月ぶりの学院は、何も変わっていないようで、少しだけ違って見えた。
正門をくぐり、見慣れた校舎を見上げる。
冬の間に降った雪はほとんど解けていたが、日陰にはまだ白い塊が残っている。吐く息も白く、領地より王都の方が少し暖かいとはいえ、春にはまだ遠い。
それでも、セレスティーナの足取りは自然と軽くなった。
「セラ様!」
聞き慣れた声がした。
振り向く。
金色の髪を揺らして、ミアがこちらへ駆けてくる。
「ミア様」
思わず笑みがこぼれた。
「お久しぶりでございます」
「はい! お久しぶりです!」
ミアが目の前で止まる。
二か月ぶりだった。
けれど、不思議とそれほど長く離れていたようには思えない。
「ミア様」
「はい?」
「少し、雰囲気が変わられましたか?」
「えっ」
ミアが自分の身体を見下ろす。
「何か変ですか?」
「いいえ。とてもお綺麗になられました」
「ええっ」
ミアの頬が赤くなった。
けれど、セレスティーナには本当にそう見えた。
立っている時の姿勢。
肩の位置。
人と話す時の目線。
以前は少し意識しなければ保てなかったものが、自然に身体へ馴染んでいる。
「お辞儀も、とてもお上手になられましたね」
「本当ですか?」
「はい」
「やった……!」
ミアが嬉しそうに両手を握る。
「冬の間、ずっと練習してたんです。神殿の儀式もあったので」
「無事にお務めになられたのですか?」
「はい。間違えませんでした!」
「まあ」
それは素晴らしい。
セレスティーナが心から拍手をすると、ミアは少し恥ずかしそうに笑った。
「セラ様を見て練習したのも、よかったみたいです」
「わたくしを?」
「はい。学院にいる時から、歩き方とか、お辞儀とか、座り方とか。セラ様ならどうするかなって」
思いがけない話だった。
「わたくしがお役に立てたのでしたら、何よりでございます」
「すごく役に立ちましたよ。セラ様、何も考えなくてもできるから、聞いてもあんまり教えてくれませんけど」
「……申し訳ございません」
「怒ってませんよ」
ミアが笑う。
その笑顔も久しぶりだった。
セレスティーナは、胸の奥が温かくなるのを感じた。
やはり。
学院へ戻ってこられてよかった。
「ところで、セラ様」
「はい」
ミアがセレスティーナの顔をじっと見た。
「少し、お痩せになりました?」
「そうらしいのです」
「そうらしい?」
「エマにも言われました。制服も、そのままでは大きいだろうと仕立て直してくださったのです」
腰の辺りへ手を添える。
確かに以前より少し詰められている。
自分では気づかなかった。
「とても気の利く侍女なのです」
「……そうなんですね」
ミアはまだ何か言いたそうだった。
けれど、セレスティーナには理由が分からない。
「ミア、セレスティーナ、久しぶりだな」
別の声が飛んできた。
見ると、アレクサンダーが歩いてくる。その後ろにはジークバルトとトビアスもいた。
「殿下。ジークバルト様、トビアス様。お久しぶりでございます」
「お久しぶり、セレスティーナ嬢」
「久しぶり」
ミアも嬉しそうに頭を下げる。
「アレク様も、お元気そうでよかったです」
「お前もな」
「ジークもトビーも、お久しぶりです」
「二か月ぶりだな」
「やっと終わったよ。殿下の儀式巡り」
「俺のせいみたいに言うな」
「殿下の儀式巡りだからね」
「お前も側近候補だろ」
久しぶりなのに、三人は何も変わっていない。
セレスティーナとミアは顔を見合わせ、笑った。
学院での時間が、戻ってきた。
午前の授業を終えると、五人は自然にいつもの場所へ集まった。
誰が誘ったわけでもない。
休暇前と同じように、同じ卓を囲む。
それだけのことが、セレスティーナにはひどく嬉しかった。
「そうだ、セラ様。これ」
ミアが小さな包みを取り出した。
「以前お話しした、うちの領地のお菓子です」
セレスティーナの目が包みへ吸い寄せられる。
「覚えていてくださったのですか?」
「もちろんです」
包みを開く。
中には、粉砂糖をまぶした小さな焼き菓子が並んでいた。
「木の実と蜂蜜が入ってるんです」
「まあ……」
一つ取る。
口へ運ぶ。
ほろりと崩れた生地から、香ばしい木の実と蜂蜜の甘さが広がった。
「……美味しゅうございます」
「よかった!」
もう一口。
甘い。
けれど重すぎない。
木の実の食感も楽しい。
「大変美味しゅうございます、ミア様」
「二回言った」
アレクサンダーが向かいから言った。
「だって美味しいんですよ」
「お前じゃない」
「セラ様が喜んでるんだからいいじゃないですか」
「いや、いいけど」
セレスティーナはもう一つ取った。
アレクサンダーがそれを見て、呆れたように笑う。
「相変わらず食べ物には素直だな」
「美味しいものを美味しいと申し上げることに、何か問題がございますか?」
「ない。むしろそこはそのままでいい」
よく分からない。
首を傾げながら、セレスティーナは二つ目を食べた。
その日の昼食には、温かなスープもあった。
久しぶりの学院のスープだった。
領地で出されたものに比べれば、ずっと簡素だ。
具材も少ない。
器も飾り気がない。
それでも、一口飲むと妙に懐かしかった。
「美味しゅうございますね」
「セラ様、それも好きですよね」
「はい」
両手で器を包む。
温かい。
冬の間にも、何度か思い出した。
この卓。
このスープ。
ミアのお菓子。
四人の声。
またここへ戻ってきたのだと思う。
それだけで、嬉しかった。
「そういえば、セラ様は冬休み、どうだったんですか?」
「大変充実しておりました」
「勉強してたんだろ?」
ジークバルトが聞く。
「はい。八名もの先生にご指導いただきました」
「八人?」
「はい」
トビアスが一瞬だけ目を瞬いた。
「それはまた、ずいぶん豪華だね」
「本当に。お母様には大変なご配慮をいただきました」
セレスティーナは頷く。
「礼法、歴史、法学、領地経営、外交、それから魔術と護身術も改めてご指導いただきました」
「休暇とは」
トビアスが呟いた。
「何か?」
「何でもないよ」
「魔術もですか?」
ミアが身を乗り出す。
「はい」
セレスティーナも嬉しくなる。
「以前より、構築が速くなりました」
「本当ですか?」
「はい。四属性とも、上級まで改めて確認いたしましたので、ミア様にもお教えできることが増えたと思います」
ミアの目が輝いた。
「教えてください!」
「もちろんでございます」
すぐに答えた。
それが嬉しい。
冬の間、何度も考えた。
新しく覚えたこと。
以前より上手くできるようになったこと。
その中に、ミアの役に立つものがある。
「術式を構築する時、第三層の組み方を少し変えるだけでも――」
「待て」
アレクサンダーに止められた。
「はい?」
「昼休みだ」
「存じております」
「魔術の授業を始めるな」
「まだご説明だけでございますが」
「それを授業って言うんだよ」
「……左様でございますか」
ミアが笑った。
「じゃあ、放課後にしましょう」
「はい」
楽しみが一つ増えた。
セレスティーナはスープをもう一口飲み、器を置いた。
「セラ様?」
「はい?」
「もういいんですか?」
ミアが、セレスティーナの皿を見ていた。
スープは半分ほど残っている。
パンも、少し食べきれない気がした。
「はい。十分いただきました」
「でも、まだ結構残ってますよ」
「そうでしょうか」
自分の皿を見る。
確かに残っている。
けれど、もう十分だった。
菓子も二ついただいた。
スープも飲んだ。
いつものパンは美味しかった。
「お腹いっぱいですか?」
「はい」
そう答えると、ミアは少し不思議そうな顔をした。
けれど、それ以上は言わなかった。
「それより、ミア様は孤児院にも戻られたのでしょう?」
「あ、はい!」
話題が変わる。
ミアが、孤児院の子供たちの話を始める。
セレスティーナは楽しんで聞いた。
だから。
自分が以前より食べなくなっていることなど、すぐに忘れた。
昼食を終え、五人で午後の教室へ向かう。
「そうだ」
歩きながら、アレクサンダーが言った。
「お前、冬はちゃんと寝てたか?」
「はい」
「何時間」
すぐに次が来た。
セレスティーナは少し考える。
「概ね五時間ほどは」
アレクサンダーが止まった。
セレスティーナも数歩先で止まり、振り返る。
「……六時間って言っただろ」
「ですが、以前よりは随分――」
「以前と比べるな」
「……はい」
後ろでトビアスが笑いを堪えている。
「何がおかしい」
「いや。休暇明け初日から変わらないなと思って」
「笑い事じゃない」
「でも五時間寝てたんでしょ? セレスティーナ嬢にしては頑張った方じゃないか」
「お前まで甘やかすな」
「甘やかしてないよ」
セレスティーナには、少し不思議だった。
以前より休んでいる。
食事も毎日三度いただいた。
湯浴みもした。
身体の手入れもしてもらった。
毎晩マッサージまで受けていた。
これほど身体を大切にした二か月は、これまでになかったように思う。
それでも足りないらしい。
「今後は気をつけます」
そう言って、再び歩き出す。
廊下を進み、角を曲がる。
その時、ジークバルトがふと口を開いた。
「セレスティーナ嬢、歩き方変わったか?」
「歩き方でございますか?」
「なんか……前とちょっと違う気がする」
言われて、自分の足元を見る。
重心。
歩幅。
足の運び。
教師に教えられた通りだ。
「冬の間に、改めてご指導いただきましたので」
「ああ、それか」
ジークバルトは納得した。
セレスティーナも納得した。
確かに、以前より上達したと思う。
重いドレスでも裾を揺らしすぎず、上体を大きく動かさずに歩けるようになった。
制服なら、なおさら楽だった。
一歩。
もう一歩。
足を運ぶ。
ふわりと身体が前へ進む。
床を踏んだ感覚が、少し遠い。
けれど、歩けている。
だから何の問題もない。
「セラ様、早く行きましょう。午後の授業、始まっちゃいます」
「はい」
ミアに呼ばれて、少しだけ歩調を速める。
二か月ぶりの学院。
二か月ぶりの友人たち。
また一緒に昼食を食べられた。
ミアの菓子は美味しかった。
教えてあげたいことも、たくさんある。
午後には授業がある。
放課後には、ミアと魔術の練習もできるだろう。
やはり、学院は楽しい。
セレスティーナはそう思いながら、四人と並んで教室へ向かった。




