6-5 変なお嬢様
エマがセレスティーナ付きの侍女になったのは、学院への入学が決まる少し前だった。
それまでは、ほとんど接点がない。
同じレーヴェン公爵家に仕えてはいたものの、公爵令嬢の身の回りには、もっと家格のある家から行儀見習いに来ている娘や、長年仕えている侍女たちがいた。
エマの仕事は、もう少し下だった。
だから、お嬢様付きの侍女を一人増やすという話が出た時も、最初は自分には関係ないと思っていた。
ところが。
誰も行きたがらなかった。
気難しい。
我が儘。
すぐ怒る。
気に入らないことがあれば何日でも機嫌が悪い。
公爵家の令嬢としては珍しくもない話だとエマは思ったのだが、毎日相手をする側にとっては違うらしい。
代わりに、給金は良かった。
学院へ同行する手当もつく。
衣食住は当然公爵家持ち。
少し考えて、エマは引き受けた。
多少は嫌味な令嬢を世話するくらいでこの待遇。行儀見習いで嫁ぐまでの腰掛けとして働いている多くの侍女たちと違い、あまり伝も無く弟妹の為に働く必要のある自分にとっては、悪くない勤め先だと思えた。
最初の三か月ほどは、確かに聞いていた通りだった。
「このリボンは嫌よ」
「かしこまりました」
「紅茶が冷めているわ」
「すぐにお取り替えいたします」
「今日のお菓子、これだけなの?」
「厨房へ確認いたします」
面倒ではあった。
けれど。
まあ、こんなものだろう。
暴力を振るわれるわけでもない。
物を投げつけられたこともない。
理不尽な罰を与えられたこともない。
嫌だと言う。
文句を言う。
不機嫌になる。
それだけだ。
何より、学院の授業中は仕事がない。
朝の身支度を整えて送り出せば、次に忙しくなるのは授業が終わってからだった。
これでこの給金なら悪くない。
エマはそう思っていた。
そのお嬢様が、夏頃から急に変わった。
最初は、何か企んでいるのかと思った。
「お嬢様。お召し替えを」
「はい。お願いいたします」
「……はい」
素直に腕を上げる。
「本日の髪飾りはこちらでよろしいでしょうか」
「ええ。エマにお任せいたします」
「……かしこまりました」
妙だった。
そのうち、礼まで言うようになった。
「ありがとうございます」
初めて言われた時には、思わず顔を見た。
嫌味かと思った。
違った。
普通に感謝していた。
その後も続いた。
服を用意すれば、ありがとう。
髪を結えば、ありがとう。
忘れ物を渡せば、ありがとう。
何かを探しておけば、
「まあ。気が利くのですね」
などと、本気で感心する。
変なお嬢様になった。
もっとも。
エマとしては、困ることではない。
むしろ仕事は楽になった。
何を着せても文句を言わない。
食事にも文句を言わない。
予定があるからといつもと来る時間を変えても何も言わない。
多少帰りが遅くなっても機嫌を悪くしない。
仕事として考えるなら、以前よりずっといい。
だから、何があったのかを深く考えることもしなかった。
貴族には貴族の事情があるのだろう。
給金が減らされないなら、エマに文句はなかった。
冬の領地にも、エマはそのまま同行した。
そこでの仕事も、基本的には同じだった。
朝六時に起こす。
身支度を整える。
教師のところへ送り出す。
着替えさせる。
次の教師のところへ送り出す。
食事。
着替え。
魔術。
着替え。
護身術。
また着替え。
夕食。
湯浴み。
夜の手入れ。
予定表は分刻みだった。
エマは最初、それを見て感心した。
お貴族様というのは思っていたよりも大変な生活を送っているらしい。
自分なら三日で嫌になるような毎日だった。
けれど、セレスティーナは一度も嫌だと言わなかった。
「次は法学でございます」
「はい」
「十分後には東棟へ移動いたします」
「承知いたしました」
「その後はお着替えです」
「はい」
淡々とこなす。
教師に何かを指摘されても同じだった。
「もう一度」
「はい」
「違います」
「はい」
「次回までに覚えておくように」
「承知いたしました」
昔なら、三回目くらいで嫌な顔をしただろう。
疲れているのだと使用人に当たり散らしたくなる気持ちも、まあ分かると思った。
今はしない。
むしろ。
「今日もたくさん教えていただきました」
などと、嬉しそうに言う。
変なお嬢様だ。
そう思いながら、エマは次のドレスを用意する。
二週間。
三週間。
一か月。
毎日見ていると、変化というものは案外分からない。
ある朝。
コルセットを締めていたエマは、手を止めた。
「あら」
「どうかなさいましたか?」
「いえ」
いつもの位置では、少し緩い。
一つ内側。
そこまで締めると、いつも通りの形になった。
「苦しくはございませんか?」
「問題ございません」
なら、いい。
そう思った。
もう一つ。
最近、少しだけ気になることがあった。
歩き方だ。
以前より、ゆっくりになった。
いや。
ゆっくり、というのとも少し違う。
重いドレスの裾を乱さず、歩幅は小さく、背筋はまっすぐ伸びている。
二か月前より、明らかに綺麗になった。
教師から何度も教えられていたのだから、当然なのだろう。
ただ。
時々。
一歩踏み出した足が床へつくまで、ほんの少し頼りなく見えることがある。
雲の上でも歩いているような。
身体がふわりと流れて。
次の一歩で、また真っ直ぐに戻る。
ふらついている。
と言われれば、そう見えなくもない。
けれど。
「……」
エマは少し離れたところから、その後ろ姿を眺めた。
ドレスの裾が、綺麗に流れている。
背中は真っ直ぐ。
頭の位置もほとんど動かない。
手の置き方まで、教師に教わった通りだ。
優雅。
と言われれば、むしろそう見える。
「……ああいうものなのかしら」
思わず小さく呟いた。
自分は淑女教育など受けたことがない。
公爵令嬢ともなれば、歩き方一つ、自分たちとは違うのだろう。
もしかすると。
あれが真のお嬢様というものなのかもしれない。
エマは少し首を傾げた。
分からなかった。
その日の午後には、セレスティーナは普通に魔術訓練をしていた。
夜になれば、今日もたくさん覚えられたと機嫌がよかった。
なら。
そういうものなのだろう。
食事は毎日三度出ている。
それも、自分たち使用人が口にすることなどないような料理ばかりだ。
医師を呼ぶほど具合を悪くしたこともない。
朝は起きる。
夜まで勉強する。
教師たちからも、予定を減らせとは言われていない。
公爵夫人が戻ってきた時には、以前より王太子妃としての自覚が出てきたと認められていた。
だから。
きっと、これでいいのだ。
お貴族様も大変なのだな。
エマの感想は、その程度だった。
休暇の終わりが近づいた。
王都へ戻るための荷造りをする。
領地へ来た時に持ってきた服を、一着ずつ確認していく。
学院の制服を取り出した時だった。
「お嬢様」
「はい」
セレスティーナは机で本を読んでいた。
「こちらの制服ですが、一度仕立て屋へ出しておきますね」
顔が上がる。
「どこか傷んでおりますか?」
「いいえ。お痩せになりましたので」
セレスティーナが目を瞬いた。
「わたくしが?」
「はい」
自覚がなかったらしい。
エマは制服を持ち上げた。
「このままですと、腰回りが少々余るかと存じます。王都へ戻る前に、一度お仕立て直しいたします」
「まあ」
セレスティーナは、自分の腰を見た。
少し考える。
それから。
「エマは気が利くのですね」
「……恐れ入ります」
「わたくしは、まったく気づいておりませんでした」
「毎日着ているものではございませんでしたから」
「そういうものなのでしょうか」
「そういうものでございます」
たぶん。
セレスティーナは納得したらしい。
「ありがとうございます。学院で着てから気づいていたら、困るところでした」
「いえ。それが仕事でございますので」
エマは制服を畳む。
それだけのことだ。
侍女なら当然する。
主人の服が身体に合っているかを見る。
必要なら仕立て直す。
仕事だ。
なのに。
何故だか少し、変な気持ちになった。
「お嬢様」
「はい?」
もう一度、セレスティーナを見る。
確かに痩せた。
毎日見ていたから分かりにくかっただけで、領地へ来た頃と比べれば、頬も少し薄くなっている。
「……お食事は、足りておりますか?」
「はい」
即答だった。
「毎日三度も、あれほど素晴らしいものをいただいております」
嬉しそうだった。
「そうでございますか」
「はい。本当に、こちらへ来てから贅沢ばかりさせていただきました」
贅沢。
八人の教師。
一日中続く授業。
訓練。
三度の正餐。
毎晩の手入れ。
確かに。
金はかかっているのだろう。
「お疲れではございませんか?」
念のため、聞いた。
セレスティーナは少し考えた。
自分の身体を確認するように、指を一度握る。
「いいえ」
そして微笑んだ。
「とても充実しております」
嘘を言っている顔ではなかった。
エマには、それ以上言うことがなかった。
「左様でございますか」
「はい」
セレスティーナはまた本へ目を落とした。
「明日には王都へ戻れるのですよね」
「はい。朝に出発いたします」
「楽しみです」
その声が、少し弾んだ。
「学院が始まれば、また皆様にお会いできますから」
「それはようございました」
「ミア様にも、お教えしたいことがたくさん増えたのです」
楽しそうに話す。
本当に。
以前より、ずっとよく笑うようになった。
痩せて。
雲の上でも歩いているような、不思議にふわりとした足取りになって。
それでも、以前より機嫌がいい。
エマは畳んだ制服を荷物とは別に置いた。
王都へ戻るまでにきちんと仕立て直し、出立に間に合わせなければならない。
それが自分の仕事だ。
「では、お邪魔いたしました」
「ええ。ありがとうございます、エマ」
また礼を言われた。
扉を閉める。
廊下へ出てから、エマは手の中の制服を見た。
やはり。
変なお嬢様だ。
そう思った。
それ以上のことは、考えなかった。




