5-7 それぞれの冬
十一月も終わりに近づくと、学院の空気は少しずつ浮き足立ち始めた。
王都の冬は、貴族たちにとって忙しい季節だった。
年末から年始にかけては、王宮でいくつもの祭祀や式典が行われる。領地を持つ貴族たちも王都へ集まり、舞踏会や晩餐会、会合が連日のように開かれる。
一方で、学院に通う年頃の子供たちの多くは、その喧騒から離れることになる。
領地へ戻り、同年代の親族や近隣の家の子供たちと親交を深める者。
将来家を継ぐため、領地経営を学ぶ者。
騎士家なら、冬の間に父や兄から直接指導を受ける者もいる。
十一月末に授業を終えた学院が再び生徒たちを迎えるのは、年が明け、冬の社交期も落ち着いた頃。
およそ二か月の、長い休暇だった。
だから十一月最後の一週間は、誰もが休暇の予定について話していた。
「レーヴェン様。こちらなのですが――」
昼休み。
声をかけられたセレスティーナは、相手の持っている紙へ目を落とした。
「はい。どのようなご用件でございましょう」
「領地経営学の課題で、参考にしたい資料が見つからなくて。以前、レーヴェン様が似た内容についてお話しされていたので、もしご存じでしたら――」
「でしたら、寮の書棚に――」
そこまで言って。
セレスティーナは止まった。
少し考える。
「……少々、お待ちいただけますか?」
「はい?」
頼んだ生徒が不思議そうな顔をする。
セレスティーナは席を立った。
向かった先は、少し離れたところでトビアスと話していたアレクサンダーだった。
「殿下」
「なんだ?」
「少々よろしいでしょうか」
アレクサンダーが嫌な予感でもしたような顔になる。
「……頼み事か?」
「はい」
「何を頼まれた」
「領地経営学について、参考となる資料を――」
「今日中か?」
「いえ。休暇明けまでとのことです」
「どのくらいかかる」
「書名をいくつかお伝えするだけでしたら、それほどは」
「だけ、って言うな」
セレスティーナが口を閉じた。
横でトビアスが笑う。
「殿下、慣れてきたね」
「誰のせいだと思ってるんだ」
「セレスティーナ嬢かな」
「分かってるよ」
アレクサンダーはセレスティーナを見る。
「今日、ほかに何か引き受けたか?」
「一件ございます」
「何を?」
「魔術理論について、分からないところがあるとのことで」
「持ち帰るのか?」
「いいえ。放課後に少しお話しする予定でございます」
「なら、それが終わってから考えろ。資料の方は休暇明けでいいんだろ?」
「はい」
「だったら今日やる必要はない」
セレスティーナは少し考えた。
「承知いたしました」
それから元の生徒のところへ戻っていく。
「お待たせいたしました。休暇明けでもよろしければ、お調べしておきます」
「もちろんです。ありがとうございます」
「いいえ」
嬉しそうに微笑む。
アレクサンダーは、その様子を遠くから見ていた。
「……結局、引き受けてるじゃないか」
「でも、今日持って帰るのはやめたよ」
トビアスが言う。
「進歩じゃない?」
「俺が止めたからだろ」
「それも進歩のうちじゃないかな」
「本人の進歩じゃないだろ」
もっともだった。
医務室で決めた約束を、セレスティーナは意外なほど忠実に守っていた。
持ち帰らなければならない頼み事は、必ず誰かに確認する。
ミアでも。
トビアスでも。
ジークバルトでも。
そして、アレクサンダーでも。
問題は、確認された側が許可すれば、セレスティーナは嬉々として引き受けることだった。
「こちらは三十分ほどで終わるかと」
「お前の三十分は信用できない」
「では、一時間ほど」
「増やせばいいって話じゃない」
そんな会話が、この数日で何度か繰り返されている。
一度など、セレスティーナが「本日は何も持ち帰っておりませんので」と言った直後に、鞄から自分の課題を三つ取り出した。
アレクサンダーはしばらく黙った後、それも仕事に数えろと言った。
セレスティーナは少し驚いていた。
彼女の中では、自分の課題は最初からやるものなので、どうやら負担として数える発想がなかったらしい。
それでも、以前よりは眠っている。
少なくともミアが毎朝尋ねる限り、ここ数日は六時間を下回っていない。
もっとも。
「昨夜は?」
「六時間ほど休みました」
「本当に?」
「はい」
「何時から何時まで?」
「……十一時半頃から、五時半頃まででございます」
「六時まで寝てください」
「ですが、朝の支度が」
「六時間って、六時間ぎりぎりを狙う意味じゃないですからね?」
「……左様でございますか」
まだ、道のりは長そうだった。
それでも、十一月最後の日はやってきた。
その日の授業が終われば、学院は長い冬の休暇に入る。
五人はいつものように昼食を囲んでいた。
しばらく、この光景も見られなくなる。
「ミア様は、サンティエのお屋敷へ戻られるのでございますね」
「はい」
ミアが頷く。
「聖女としてのお勉強があるんです。年末には教会の儀式にも参加するみたいで」
少し困ったように笑った。
「まだ、何をするのか全部は覚えられてないんですけど」
「ミア様でしたら、きっと大丈夫でございます」
「そう言ってくれるの、セラ様くらいですよ」
「何故でございましょう」
「私、結構失敗しますよ?」
「存じております」
「セラ様?」
思いがけず即答され、ミアが目を丸くした。
セレスティーナは、何かおかしなことを言っただろうかという顔をしている。
トビアスが吹き出した。
「それ、慰めになってる?」
「ですが、失敗なさってもミア様であることに変わりはございませんので」
今度はミアが黙った。
「……そういうこと、普通の顔で言いますよね」
「何かおかしかったでしょうか」
「いいえ。もういいです」
ミアは少し赤くなった顔を隠すようにスープを飲んだ。
「アレク様は、ずっと王都ですよね?」
「まあな」
アレクサンダーが答える。
「年末年始は祭祀が多い。父上と一緒に出るものもあるし、俺だけで出るものもある」
「俺たちも付き添いだ」
ジークバルトがパンをちぎりながら言った。
「全部じゃないけどな」
「式典だけならまだいいんだけどね」
トビアスが溜息をつく。
「その前後の挨拶が長いんだよ」
「お前、そういうの得意だろ」
「得意と好きは違うよ」
「ジークバルト様も、トビアス様もお忙しいのでございますね」
「セレスティーナ嬢に言われると嫌な予感がするな」
ジークバルトが言った。
「何故でございましょう」
「お前は?」
アレクサンダーが尋ねた。
「わたくしでございますか?」
「領地に戻るんだろ?」
「はい」
レーヴェン公爵家も、冬の社交期には当主夫妻が王都に滞在することが多い。
セレスティーナは一足先に領地へ戻る予定だった。
「何するんだ?」
「王太子妃となるための勉強をいたします」
アレクサンダーの手が止まった。
「……休暇中ずっと?」
「恐らくは」
「恐らく?」
「詳しい予定につきましては、領地へ戻ってから伺うことになっておりますので」
アレクサンダーが嫌そうな顔をした。
「一日どれくらいやるんだ」
「家へ戻りませんと分かりません」
「休みは?」
「家へ戻りませんと」
「何時まで?」
「そちらも、家へ戻りませんと」
アレクサンダーはしばらくセレスティーナを見つめた。
セレスティーナも、不思議そうに見返している。
「……お前なぁ」
深い溜息だけが返ってきた。
「何か?」
「いや、もういい」
横でトビアスが笑っている。
「殿下、学院の外までは面倒見られないよ」
「分かってるよ」
アレクサンダーは少し不満そうにスープへ手を伸ばした。
「ただ、せっかく最近まともに寝るようになったのに、二か月後に元に戻ってたら嫌だと思っただけだ」
「わたくしは、以前からまともに休んでおりますが」
「その話はもういい」
即座に切られた。
セレスティーナは納得していない顔だったが、それ以上は言わなかった。
昼食を終えた後も、五人はいつもより少し長く席に残った。
別に、話さなければならないことがあったわけではない。
次に会うのは、二か月ほど先。
毎日のように顔を合わせていた五人には、それは思った以上に長く感じられた。
「年明けには、お菓子持ってきますね」
ミアが言った。
「サンティエ領で冬に食べるものがあるらしいんです」
「まあ」
セレスティーナの顔が明るくなる。
「楽しみにしております」
「食べ物には素直だよな」
アレクサンダーが呟いた。
「何かおっしゃいましたか?」
「何でもない」
ジークバルトが笑う。
「俺も何か探してくるか」
「ジークは食い物より土産物の方がいいんじゃない?」
「お前には何もやらん」
「僕は別にいらないよ」
「では、わたくしも何か――」
「お前は何もしなくていい」
アレクサンダーが即座に言った。
セレスティーナが止まる。
「ですが」
「休暇中まで仕事を増やすな」
「贈り物は仕事ではございませんよ」
「探し始めたら凝るだろ、お前は」
否定しようとして。
セレスティーナは少し考えた。
否定できなかった。
「……では、よいものを見つけましたら」
「それならいい」
条件つきで許可された。
セレスティーナは少し不思議そうだったが、それでも嬉しそうに頷いた。
やがて、本当に別れる時間が来た。
ミアはサンティエ家へ。
セレスティーナはレーヴェン領へ。
アレクサンダーは王宮へ戻り、ジークバルトとトビアスもそれぞれ準備を整えた後、年末年始の祭祀や式典に補佐として同行する。
向かう場所も。
そこで果たす役目も。
五人とも違っていた。
「それでは、また休暇明けに」
セレスティーナが言った。
「はい。また学院で」
ミアが答える。
「ちゃんと寝てくださいね、セラ様」
「はい」
「六時間以上」
「……はい」
「今、間があったぞ」
アレクサンダーが言う。
「ございません」
「あった」
「気のせいでございます」
「お前、そういう誤魔化し方も覚えたのか?」
セレスティーナが視線を逸らした。
トビアスが笑い、ジークバルトが肩をすくめる。
そんな、いつもと変わらないやり取りをして。
五人は別れた。
王都で役目を果たす者。
家で新しい役目を学ぶ者。
いつか王太子妃となる日のために、さらに多くを身につけようとする者。
それぞれの冬が始まる。
二か月後。
また同じ食卓を囲むことを、誰も疑ってはいなかった。




