4-10 平均点
実技試験の日は、思っていたよりもあっさりとやってきた。
一か月前には、まだずっと先のことに思えていた。けれど放課後の演習場へ通い、氷の矢を作っては消し、火球を作っては消し、ときどきアレクサンダーが爆発させるのを眺めているうちに、気づけばもう当日だった。
「サンティエ嬢。次へ」
「はい」
呼ばれて、ミアは試験場の中央へ進んだ。
周囲には同じ一年生たちがいる。順番を待ちながら友人と話している者もいれば、自分の番を終えてほっとした顔をしている者もいた。
一か月前なら、きっとこの空気だけで緊張していた。
けれど今は、不思議とそれほど怖くない。
最初は水属性だった。
指定された位置に立ち、魔術式を組み上げる。慌てない。形を思い浮かべ、ひとつずつ必要なものを置いていく。
十五秒ほど。
小さな水球が、掌の先に浮かんだ。
「そのまま維持」
「はい」
五秒。十秒。
「放って。もう一度」
一度的へ飛ばし、再び組む。
二度目もできた。
三度目も、少し時間はかかったけれど崩れなかった。
次は風。
こちらも問題ない。
火と土は、まだ少し苦手だった。水や風より時間がかかる。それでも焦らず、教わった通りに組み立てれば、ちゃんと形になった。
最後に、得意な属性で中級魔術を一つ。
ミアは氷の矢を選んだ。
何度も作った。
最初は三本目には形が崩れていた。それが十本作れるようになった。狙ったところへ飛ばせるようになった。
深く息を吸う。
十五秒。
放たれた氷の矢は、標的の中央から少し右へ外れて突き刺さった。
「あ」
思わず声が漏れる。
けれど教師は淡々と記録をつけた。
「もう一度」
「はい」
今度は少し左だった。
三度目は、中央に近いところへ刺さる。
完璧ではない。
でも、三本とも出た。
最後まで形は崩れなかった。
「結構です。下がってください」
「ありがとうございました」
頭を下げて戻ると、少し離れたところで待っていたセレスティーナが微笑んだ。
「お疲れ様でございました、ミア様」
「緊張しました……。二本もずれちゃいました」
「ですが、三本とも問題なく発動しておりましたよ」
「そうですけど」
言いながらも、口元が緩んだ。
一か月前なら、一本出ただけでも喜んでいたのだ。
やがて全員の試験が終わり、簡単な講評が行われた。
ミアは教師に呼ばれて、少し身構えた。
「サンティエ嬢」
「はい」
「水と風は、第一学年として標準的な水準に達しています。火と土はまだ構築に時間がかかりますが、安定性に問題はありません。中級魔術は今後、精度を上げていきましょう」
「……はい」
返事をしてから、少し遅れて意味が染み込んだ。
「あの」
「何でしょう」
「標準的、というのは……」
教師がわずかに首を傾げる。
「今回の結果だけを見れば、四属性を合わせて第一学年の平均程度と考えて構いませんよ」
「……平均」
「ええ」
それだけ言うと、教師は次の生徒へ声をかけた。
ミアはその場に立ったまま、自分の手を見た。
聖女だからではない。
光魔術が使えるからでもない。
誰かを治したからでも、奇跡を起こしたからでもない。
十五秒かけて作った氷の矢と、二十五秒もかけなければ作れない小さな火球と、何度も作って消してを繰り返した一か月。
その結果が、平均。
「ミア?」
アレクサンダーの声に、顔を上げた。
「どうだった」
「……平均だそうです」
「そうか」
「私、一年生の平均なんですって」
言っているうちに、嬉しくなった。
「四属性全部合わせて、平均です」
「聞こえてるよ」
アレクサンダーが少し笑った。
「よかったじゃないか」
「はい!」
「一年前どころか、まともに魔術を習い始めてまだそんなに経ってないんだろ。十分だろ」
「そうですよ」
トビアスも笑う。
「むしろ周りは十年近くやってるんだからね。よく一か月でここまで持ってきたよ」
「最初から最低限は使えてたけどな」
ジークバルトも頷いた。
それからセレスティーナが、心から嬉しそうに言った。
「とても頑張っていらっしゃいましたものね、ミア様」
その言葉が、一番嬉しかった。
「……はい」
ミアも笑った。
「頑張りました」
今度は、素直にそう言えた。
その後に行われたセレスティーナの試験は、ミアのものとはまるで違っていた。
基本魔術の構築。
出力調整。
維持。
精度。
教師の指示に従って、セレスティーナは一つずつ淡々とこなしていく。
「次。固定標的へ十発」
「はい」
氷の矢が飛んだ。
十発。
ほとんど同じ場所へ突き刺さる。
教師が記録する。
「結構です」
「はい」
それで終わった。
「……早いですね」
ミアが呟くと、隣でトビアスが肩をすくめた。
「試験だからね。十二発撃てても、十発って言われたら十発でいいんだよ」
「なるほど……」
少し前までなら、セレスティーナは「十発」と言われればきちんと十発撃つことさえ、ミアには不思議に思えたかもしれない。
今では、それが普通のことのように感じる。
セレスティーナは試験を終えると、いつもと変わらない顔で戻ってきた。
「お疲れ、セレスティーナ嬢」
「ありがとうございます、トビアス様」
「今日はもう帰ったら?」
珍しい言葉に、セレスティーナが瞬いた。
「よろしいのでございますか?」
「試験も終わったんだし。今日くらいすぐ帰って休みなよ」
「ですが――」
何か言いかけて、セレスティーナは口を閉じた。
それから素直に頷く。
「そうでございますね。では、お言葉に甘えます」
「うん。そうして」
ミアも手を振った。
「また明日、セラ様」
「はい。ミア様。また明日」
嬉しそうに微笑んで、セレスティーナは帰っていった。
その背中が見えなくなるまで、トビアスは黙っていた。
やがて姿が完全に見えなくなると、いつもの軽い表情が少しだけ消えた。
「殿下。ミア。ジーク」
「何だよ」
「ちょっといい?」
その声に、アレクサンダーが眉を寄せた。
「……何かあったのか?」
「まだ、何かあったってほどじゃないんだけどね」
トビアスはそう答えた。
「少し、気になることがある」
四人は、そのままいつものラウンジへ向かった。
扉を閉めると、トビアスはソファへ腰を下ろした。いつものように菓子へ手を伸ばすこともなく、しばらく指先でテーブルを叩いている。
「セレスティーナ嬢とミアのこと、学院で結構噂になってるよ」
「私とセラ様ですか?」
「うん」
ミアは思わずアレクサンダーを見た。
「……何で俺を見るんだよ」
「いえ、なんとなく」
「最初の頃は、そこまででもなかったんだ」
トビアスが続ける。
「反省室に入れられてから、レーヴェン公爵令嬢の様子が変わった。それ自体はみんな気づいてた。でも殿下が色々やらせてるらしいって話も、一部には知られてたから」
アレクサンダーの顔が少し険しくなる。
「……それはもういいだろ」
「責めてないよ。今はね」
「今はって何だよ」
トビアスは無視した。
「夏季演習が終わって、五人で昼を食べるようになった。それでも最初は、殿下へのアピールだと思ってる奴が多かった」
「アピール?」
ミアが聞き返す。
「婚約者の立場が危なくなって、聖女に取り入ろうとしてる、とかね」
「……セラ様が?」
あまりにも実感がなくて、間の抜けた声が出た。
「昼にパン一つしか食べてないのまで、『健気なところを殿下に見せたいんじゃないか』なんて言われてたよ」
「なんでそうなるんですか?」
「知らないよ。人間、理由が分からないものを見ると、自分の知ってる理由をつけたがるから」
アレクサンダーが嫌そうに顔をしかめた。
「それで?」
「それなら、それでよかったんだ」
トビアスの声から、少しずつ軽さが消えていった。
「でも、もう数か月だ」
ミアは黙って続きを待った。
「殿下がいないところでも、セレスティーナ嬢はミアと一緒にいる。昼食だけじゃない。授業の合間にも話してる。二人だけで図書室にいるところも見られてる。何より、この一か月だよ」
「魔術ですか?」
「そう。放課後に何度も二人で演習場に通って、セレスティーナ嬢がつきっきりでミアに魔術を教えてた」
アレクサンダーが腕を組んだ。
「俺たちもいただろ」
「毎回じゃない」
それはそうだった。
五人揃う日もあれば、ミアとセレスティーナだけの日もあった。
「殿下が見てないところでも、あの二人は普通に親しい」
トビアスはそこで一度言葉を切った。
「そう見られ始めてる」
ミアは、それの何が問題なのか分からなかった。
セレスティーナとは、もう普通に話す。
一緒に昼食を食べる。
分からないところを教えてもらう。
お菓子を渡す。
それだけだ。
けれど、ジークバルトは先に理解したらしい。
「……レーヴェン家か」
「そう」
トビアスが頷いた。
「王太子とレーヴェン公爵家は、ずっと微妙なところで反目してた。そこへ聖女が現れた。今までなら、それぞれが完全には一つにならないと思っていられた」
それが。
王太子と、その側近候補二人。
レーヴェン公爵令嬢。
そして聖女。
最近は、いつ見ても五人でいる。
「レーヴェン公爵令嬢が聖女を嫌ってる、ならまだ分かりやすかったんだよ」
トビアスは息を吐いた。
「でも、本当に仲良くなったとなると話が変わる」
ミアはようやく分かってきた。
「……私とセラ様が仲良くなると、困る人がいるんですか?」
「いるだろうね」
あっさりと返された。
「少なくとも、今までとは計算が変わる家はある」
アレクサンダーの表情も、すっかり真面目になっていた。
「何か掴んでるのか?」
「まだ何も」
トビアスは首を振った。
「だから、今すぐどうこうって話じゃない。ただ――」
テーブルの上で組んだ指に、少し力が入る。
「何かするなら、そろそろだと思う」
ラウンジが静かになった。
少し前まで、魔術試験の結果を笑っていたばかりだった。
ミアはふと、帰り際のセレスティーナを思い出した。
また明日、と言った。
セレスティーナはいつものように嬉しそうに笑っていた。
学院へ来て、授業を受けて。
昼には五人で食事をして。
放課後には一緒に魔術を練習する。
最近は、そんな毎日が少しずつ当たり前になっていた。
けれど、それを当たり前だと思っているのは、自分たちだけなのかもしれない。
「……気をつけよう」
アレクサンダーが言った。
「何が来るか分からないなら、なおさらな」
三人が頷く。
そのとき四人が警戒していたのは、もっと分かりやすいものだった。
ミアへの嫌がらせか。
セレスティーナとの仲を裂くような噂か。
あるいは、レーヴェン公爵家を巻き込んだ何かか。
まさかその始まりが、翌日、休み時間にかけられる何気ない一言になるとは、誰も思っていなかった。
「レーヴェン様。少し、お願いしてもよろしいでしょうか」




