3-11 名前
食堂で解散して部屋へ戻ってから、ミアは寝台に横になった。
アレクサンダーの言う通り、疲れていた。
連続で三日間、迷宮へ潜っていた。その翌日に九階層まで駆け下り、セレスティーナを探して、また地上まで戻った。昨夜だって、ほとんど眠れていない。
だから、休んだ方がいい。
目を閉じた。
けれど、眠れなかった。
寝返りを打つ。
また目を閉じる。
浮かんでくるのは、今朝の食堂で交わした話だった。
――あいつを、元のレーヴェン公爵令嬢だと思うの、やめるべきなのかもな。
トビアスの言葉。
それが、ずっと頭から離れなかった。
ミアは仰向けになって、天井を見た。
元の、セレスティーナ。
初めて会った日のことを思い出した。
聖女として見出された日。
知らない大人たちに囲まれ、聞いたこともない予言を聞かされて、サンティエ家へ引き取られた日。
新しい服を着せられて、新しい名前を与えられた。
フェリシアンヌ・サンティエ。
聖女に相応しい、格式のある名前なのだと教えられた。
けれど、ミアはその名前が好きではなかった。
サンティエ家の人たちは優しかった。
正式な場ではフェリシアンヌと名乗る必要があるけれど、それ以外なら、これまで通りミアと呼んでもらって構わないとも言ってくれた。
だから学院へ来ても。
できれば、ミアでいたかった。
アレクサンダーと初めて親しく話した頃もそうだった。
王太子を市井の人間のように呼ぶのは慎むべきだと注意されて、それでもアレクサンダー自身が構わないと言ってくれたから、ミアは彼をアレク様と呼ぶようになった。
そして。
セレスティーナと、初めて顔を合わせた日。
「フェリシアンヌ様」
そう呼ばれて。
ミアは、自分のことはミアと呼んでほしいと言った。
けれど、断られた。
聖女として貴族社会へ迎えられた人間が、学院で愛称を使わせるなどはしたない。
そんなことでは、いつまで経っても貴族社会に馴染めない。
手厳しく叱られた。
あの日から。
セレスティーナに「フェリシアンヌ様」と呼ばれるたび、胸の奥に小さな棘が刺さった。
自分はミアなのに。
ミアと呼んでほしいと思うことそのものを、否定されているような気がした。
だから、嫌だった。
どれだけ丁寧に呼ばれても。
最近のセレスティーナが、その名前を呼ぶ声に嫌味などひとかけらもなくても。
ずっと、嫌だった。
――あいつを、元のレーヴェン公爵令嬢だと思うの、やめるべきなのかもな。
もう一度、トビアスの声が蘇った。
ミアは寝台の上で身体を起こした。
どうしても。
確かめたいことができた。
午後になって、ミアは医務室を訪ねた。
扉を開けると、昨日からセレスティーナを診ている医師が机に座っていた。
「また来たのか」
「……駄目ですか?」
「残念だったな。寝てるぞ」
そう言われて、ミアは寝台を振り返った。
セレスティーナが眠っていた。
白い顔。
閉じた目。
布団の上へ出された右手。
静かな呼吸。
それを見ていると、いつかのことを思い出した。
熱があるセレスティーナを、この寝台へ寝かせた日。
休んでくださいと言っても、仕事があるからと起き上がろうとした。
四時間も休んでしまった。
八時間も休んでしまった。
そんなことを、申し訳なさそうに言う人だった。
その人が。
今は、自分から起き上がることもなく眠っている。
なんだか、ひどく胸がざわついた。
「先生」
「なんだ」
「セレスティーナ様、大丈夫なんですか?」
医師は一度、寝台を見た。
「今すぐ命に関わる状態ではない」
その言葉に、少しだけ息が楽になる。
「だが、生命力を何度も魔力に変えたうえで、あれだけの傷を無理やり自分で塞いだんだ。お前の光で多少ましにはなったが、普通なら一週間は絶対安静だ」
「一週間……」
「それでも短いくらいだ。傷だけならまだしも、身体そのものを削ってる」
ミアはまた寝台を見た。
「昨日より、顔色はよくなったように見えます」
「寝かせて、食わせて、水を飲ませてるからな」
ごく当たり前のことを言われた。
なのに。
それだけのことを、これまで何度セレスティーナに言い聞かせただろう。
そのとき。
寝台の上で、指が動いた。
「……ん」
紫色の目が、ゆっくり開く。
何度か瞬きをして。
こちらを見た。
「……フェリシアンヌ様?」
「起こしちゃいました?」
「いいえ」
セレスティーナは身体を起こそうとした。
「そのままでいいです!」
「ですが」
「寝ててください」
「お話をするのに、横になったままでは失礼ですので」
「失礼じゃないです!」
それでも起き上がろうとする。
ミアは医師を見る。
止めてくれるかと思ったが、医師は呆れたように肩をすくめただけだった。
「手伝ってやれ。その方がまだましだ」
「もう……」
ミアは寝台へ近づいた。
背中へ腕を回し、ゆっくり支える。
驚いた。
力が入っていない。
いつものセレスティーナなら、自分で真っ直ぐに身体を起こす。今はミアが支えなければ、途中でまた枕へ落ちてしまいそうだった。
「申し訳ございません」
「謝らなくていいです」
「お手を煩わせてしまって」
「それもいいです」
「……はい。申し訳――」
「それも!」
セレスティーナが口を閉じた。
なんとか上体を起こし、枕を重ねて背中へ入れる。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
ミアは椅子を引いた。
それから医師を見る。
「少し、お話ししてもいいですか?」
「長くならなければな」
許可をもらって。
ミアは、セレスティーナへ向き直った。
「セレスティーナ様」
「はい」
どうしても聞きたかった。
ずっと、胸に引っかかっていたこと。
「私、自分の名前、好きじゃないんです」
セレスティーナが少し目を見開いた。
「フェリシアンヌ様?」
「その名前です」
ミアは自分の膝の上で、手を握った。
「サンティエ家に引き取られてから、聖女に相応しい格式のある名前をって、フェリシアンヌって名前をいただきました。でも、正式な名前として使えば、普段はミアでいいって言われてるんです」
「……はい」
「でも、最初にお会いした日に」
少しだけ言葉に詰まる。
「私、ミアと呼んでくださいって言いましたよね」
セレスティーナの表情が変わった。
何かを探すように、ほんの少し視線が揺れる。
「……はい」
「そのとき、駄目だって言われました」
「……」
「はしたないって。貴族として、きちんとした名前を使うべきだって」
セレスティーナは黙って聞いている。
「それからずっと」
ミアは胸元へ手を置いた。
「セレスティーナ様にフェリシアンヌ様って呼ばれるたび、ちょっと嫌だったんです」
言ってしまった。
少し怖くなった。
けれど、目の前のセレスティーナは怒らなかった。
真剣な顔で、ただミアを見ていた。
やがて。
「……知らなかったこととはいえ」
静かに口を開く。
「嫌な思いをさせてしまって、申し訳ありません」
「謝ってほしいわけじゃ」
「ですが」
少しだけ、言い淀んだ。
「サンティエ家の方がおっしゃったことも、間違ってはいないと思います。学院の中で、親しい方が愛称でお呼びになることには問題ございません」
「じゃあ」
「ただ、多くの貴族の家では、公式の場で愛称を呼ばれることを好みません。軽く見られることにも繋がりますから」
そこまで言って。
セレスティーナは少し目を伏せた。
「ですから、あの日のわたくしが伝えたかったことも……おそらく、そういうことだったのだと思います」
ミアは黙って聞いた。
「けれど、言い方はあったと思います」
セレスティーナの指が、布団の上でわずかに動いた。
「それに」
少し遠くを見るような顔をした。
「名前は、呼ばれて初めて、名前になるのだと思うのです」
「呼ばれて?」
「はい」
誰かが呼んで。
それを聞いて。
振り返って。
そうして初めて、自分の名前になる。
セレスティーナの記憶の中に、声が蘇った。
――はーちゃん、聞いて聞いて。
明るい声。
たった数か月。
たった一人。
昔、自分には別の名前があったはずなのに。
その名前が何だったのか、もう思い出せない。
誰かがそれを呼んだ声も、思い出せない。
それなのに。
「はーちゃん」と呼んだ声だけは。
こうして幸福な夢の中にいる今でも、鮮やかに残っている。
「だから」
セレスティーナはミアを見た。
「わたくしは、フェリシアンヌ様とお呼びしてしまったのだと思います」
「……どうして?」
「それが、フェリシアンヌ様のためなのだと」
少し困ったように笑う。
「思い上がったところが、あったのかもしれません」
ミアの胸が小さく痛んだ。
「それに、わたくしごときが、親しい方のようにミアとお呼びするのも、違うように思えて」
「……」
「ですが、本当は、学院で親しい方が愛称を使うことに問題はございません。以前のわたくしが申し上げたことは、もう変えられませんけれど」
セレスティーナは頭を下げようとした。
「それで、そこまで嫌な思いをさせていたのでしたら、本当に――」
「待ってください」
ミアは慌てて止めた。
「謝ってほしかったんじゃないんです」
「……はい」
「ただ、聞きたかったんです」
どうして。
あの日、あんなことを言ったのか。
今なら。
今のセレスティーナなら。
きっと答えてくれるのではないかと思った。
そして。
「私……」
口にしながら。
初めて気づいた。
「今のセレスティーナ様なら、私がミアって呼んでほしいって言ったら、聞いてくださるんじゃないかって」
セレスティーナが瞬いた。
「そうしたら、たぶん」
ミアは少し笑った。
「前のセレスティーナ様じゃなくて、今、ここにいるセレスティーナ様と、ちゃんとお話しできる気がしたんです」
それを確かめに来たのだ。
自分でも、今まで分かっていなかった。
ミアは一度、息を吸った。
「……ミアと」
声が少し震えた。
「呼んでいただけますか?」
セレスティーナの目が見開かれた。
それから。
まだ白い顔が。
花が咲くように、ほころんだ。
「ええ。もちろんです」
嬉しそうだった。
「わたくしに、それを許していただけるのでしたら、喜んで」
そして。
「ミア様」
たった三文字。
それだけだった。
なのに。
ミアの目から、涙が落ちた。
「……あれ?」
自分でも驚いた。
一つ落ちたと思ったら、次も落ちる。
「ミア様?」
「ごめんなさい。違うんです」
慌てて拭う。
「嫌じゃなくて」
胸の中に。
ずっと刺さっていた小さな棘が。
溶けていくようだった。
フェリシアンヌ様。
そう呼ばれるたびに思い出していたもの。
自分はミアなのに、と。
何度も思っていた。
「……もう一回、呼んでください」
「ミア様」
また涙が落ちた。
セレスティーナが困った顔をする。
それがおかしくて。
ミアは泣きながら、少し笑った。
しばらくして、ようやく涙が止まった。
目元を拭いながら。
ふと思う。
自分だけではなくて。
「……あの」
「はい、ミア様」
まだ、くすぐったい。
けれど嫌ではなかった。
「私も、セレスティーナ様を愛称で呼ばせてもらえませんか?」
今度は。
セレスティーナの方が目を見張った。
「わたくしを?」
「はい」
「もちろんです。喜んで」
即答だった。
「なんてお呼びしたらいいですか?」
セレスティーナは少し考えた。
セレスティーナ。
長い名前。
そこから一番自然に切り取るなら。
「そうですね」
少しだけ、楽しそうに。
「ミア様がミア様なのでしたら、わたくしは……セラ、でしょうか」
「セラ様」
小さく、声に出してみる。
不思議だった。
セレスティーナ様。
そう呼ぶたび。
どこかで、以前の彼女が脳裏をよぎっていた。
冷たい紫色の瞳。
間違えた所作を指摘する声。
ミアと呼んでほしいと頼んだ自分を、はしたないと切り捨てた少女。
けれど。
「セラ様」
もう一度呼ぶ。
目の前にいるのは。
枕に身体を預けた、まだ顔色の悪い少女だった。
「本当に、そうお呼びしてもいいんですか?」
「もちろんです、ミア様」
胸の中が。
妙に満たされた。
ここ二か月。
ずっと輪郭の分からなかったものが。
すっと晴れていくようだった。
そのとき。
ミアは自分の手を見た。
ふと思った。
今なら。
できるような気がした。
「セラ様」
まだ馴染みのない名前で呼びかける。
セレスティーナがこちらを見る。
その顔が、ほんの少し、くすぐったそうだった。
初めて新しい呼び名をもらった幼い子供のような顔だった。
「奇跡の光」
ミアは手を上げた。
「もう一度、試してみてもいいですか?」
「はい」
セレスティーナが微笑む。
「お願いいたします、ミア様」
その呼び方を聞いただけで、また胸の奥がくすぐったくなった。
ミアは寝台のそばへ立ち、セレスティーナの身体へ手をかざした。
昨日も使った。
傷つく前の形を思い浮かべて、壊れてしまったものを元へ戻すように。
けれど昨日は、怖かった。
自分に何ができるのかも分からないまま、血に濡れた傷を見て、少しでも良くなってほしいと必死に願った。
今は、不思議と違った。
傷つく前。
裂ける前。
肩が外れる前。
生命力を削って、それでも魔法を使い続ける前。
昨日の九階層で見つけた姿ではなく、毎朝きちんと制服を着て、背筋を伸ばして歩いていたセレスティーナを思い浮かべる。
もう一度。
この人を、元の場所へ。
そう思った。
光が溢れた。
「……!」
昨日とは比べものにならなかった。
暖かな光が、指先から溢れ出す。
一筋ではない。手のひらから零れた光が寝台の上へ広がり、そのままセレスティーナの身体を柔らかく包み込んでいく。
眩しいのに、目を閉じたくなるような光ではなかった。
春の日差しのようだった。
長い冬のあと。
冷えて固まっていたものを、ゆっくり解かしていくような。
ミアはただ、セレスティーナを見ていた。
昨日は、治さなければと思った。
今は。
元気になってほしいと思った。
また食堂で、白いパンを食べてほしい。
同じ焼き菓子を渡して、今日も美味しいですね、と笑ってほしい。
迷宮で膝が震えるまで戦うのではなく、いつものように真っ直ぐ立って、自分の名前を呼んでほしい。
――ミア様。
さっき初めて呼ばれた声が、耳の奥に残っていた。
光が、ひときわ強くなる。
やがて。
ゆっくりと消えていった。
医務室が静かになる。
ミアは息を吐いた。
自分でも、いつから息を止めていたのか分からなかった。
「……セラ様?」
セレスティーナは返事をしなかった。
驚いたように、自分の身体を見下ろしていた。
右手を握る。
開く。
左手も、同じように。
指を一本ずつ動かして。
「まあ」
小さな声が落ちた。
「身体が、とても軽くなりました」
「本当ですか?」
「はい」
セレスティーナは何度か瞬きをした。
本当に不思議そうだった。
「先ほどまでは、身体を起こそうとしても、なかなか思うように力が入らなかったのですが」
重たげに枕へ預けられていた背中が、ゆっくりと離れる。
ミアが手を出すより先に。
すっと。
いつもの姿勢になった。
背筋が伸びる。
首が上がる。
それだけで、昨日からずっと寝台の上にいた人が、急にいつものセレスティーナへ戻ったように見えた。
「セラ様、無理しないでください」
「無理はしておりませんよ?」
セレスティーナは左手を持ち上げた。
肩を動かそうとする。
「待て」
医師が飛んできた。
「勝手に動かすな」
「あ」
そのまま腕を取られ、セレスティーナが大人しく止まる。
医師は左肩を触った。
腕を少しずつ動かし、反応を見る。
それから脇腹。
太腿。
昨日、赤黒く腫れ、無理やり繋ぎ合わせたような傷跡が残っていた場所を、順番に確かめていく。
「痛むか」
「いいえ」
「ここは?」
少し強く押す。
「大丈夫です」
「これは」
肩を動かす。
セレスティーナは首を傾げた。
「問題なく動きます」
医師が黙った。
もう一度、脈を取る。
瞼を見る。
呼吸を確かめる。
「……昨日とはえらい違いだな」
半ば呆れたように呟いた。
「完全に元通りとまでは言わんが、これなら絶対安静で一週間、なんて状態じゃない」
「では」
セレスティーナの顔がぱっと明るくなる。
「もう戻っても――」
「今日は寝てろ」
「……はい」
即座に塞がれた。
ミアは吹き出しそうになって、口元を押さえた。
医師は強い。
本当に強い。
セレスティーナは少し残念そうだったものの、今度は素直に枕へ背中を戻した。
けれど、すぐにまた自分の両手を眺める。
握る。
開く。
手首を動かす。
「不思議ですね」
「何がですか?」
「奇跡の光です」
セレスティーナはまだ驚きの残った顔で、自分の指先を見ていた。
「普通の治癒魔法とは、まったく違うのですね」
「そうみたいです」
ミア自身、まだよく分かっていない。
「傷を治したときの痛みが、ありませんでした」
「……痛くないんですか?」
「はい」
セレスティーナが頷く。
「それなのに、身体が動くようになりました」
その言葉に、ミアは一瞬だけ黙った。
この人にとって。
やっぱり一番大事なのは、そこなのだ。
痛いかどうかではなく。
身体が、思った通りに動くかどうか。
けれど今は、それを問い詰める気にはなれなかった。
セレスティーナは胸元へ手を当てる。
「それに」
頬が、少し緩んだ。
「とても暖かいです」
「暖かい?」
「はい」
確かめるように目を閉じる。
「身体の中まで、日向にいるようです」
その顔を見て。
ミアの胸にも、同じようなものが広がった。
昨日。
あれほど怖かった光。
自分に何ができるのか分からなくて、必死に使った力。
今日は。
セレスティーナの傷を、昨日よりずっと綺麗に治せた。
どうしてなのかは分からない。
けれど。
名前を呼んでもらった。
名前を呼んだ。
それだけで、ずっと胸の中に引っかかっていたものがなくなった。
フェリシアンヌ様と呼ばれるたびに思い出していた、以前のセレスティーナ。
セレスティーナ様と呼ぶたびに、どこかに重なっていた怖い少女。
その二人が。
ようやく、今。
目の前の人から離れたような気がした。
「ミア様?」
セレスティーナが呼んだ。
まただ。
今度は、涙は出なかった。
ただ嬉しかった。
「はい、セラ様」
答える。
セレスティーナが、少しくすぐったそうに笑った。
その顔を見て、ミアも笑った。
医師がまだ信じられないような顔で、セレスティーナの脈を確かめている。
「しかし……昨日とは本当に違うな。聖女の奇跡ってのは、こんなものなのか」
「私も、昨日はこんなにできませんでした」
「なら、何が違った」
「うーん……」
ミアは少し考えた。
昨日と今日。
何が違ったのだろう。
魔力が増えたわけではない。
新しい魔法を習ったわけでもない。
使い方だって、誰かに教わったわけではなかった。
ただ。
昨日より。
この人に元気になってほしいと、ずっとはっきり思えた。
そして。
今なら、誰を治したいのか。
ちゃんと分かる。
ミアは寝台を見た。
紫色の瞳と目が合う。
「……セラ様の、おかげです」
「わたくしの?」
「はい」
セレスティーナはますます分からない顔をした。
「わたくしは、何もしておりませんが」
「そういうところです」
「……?」
分かっていない。
でも、今はそれでいいと思った。
ミアは椅子へ座り直した。
そして、もう一度だけ。
確かめるように呼んだ。
「セラ様」
「はい、ミア様」
すぐに返ってくる。
それだけで。
胸の奥が、少し暖かくなった。
奇跡の光に包まれたセレスティーナも、こんな感じだったのだろうか。
ミアは、なんとなく自分の手のひらを見た。
昨日までは。
聖女だから、この手に光が宿ったのだと思っていた。
けれど。
もしかしたら。
誰かを大切に思うことと、奇跡を起こすことは。
自分が思っていたよりずっと近いところにあるのかもしれなかった。




