3-5 五人で戦う
三日潜って、二日休む。
それが夏季演習の基本的な日程だった。
最初の三日間を終えた五人には、二日間の休養が与えられた。休養といっても学院の寮で好きなだけ寝ていてよいわけではなく、装備の点検や討伐記録の整理、戦闘内容の振り返りなどはある。それでも迷宮を一日歩き続けることに比べれば、身体を休める時間は十分にあった。
そして二日後、五人は再び地下迷宮へ入った。
二度目の三日間で、最初に変わったのはミアだった。
「セレスティーナ様」
「はい?」
「疲れてません?」
歩き始めて四時間ほど経ったところで尋ねる。
「問題ございませんよ」
やはり、いつもの答えだった。
「……ですよね」
ミアはそれ以上言わず、セレスティーナの後ろ姿を見た。
三日前なら、ここで安心していた。
けれど今は違う。
セレスティーナの言う「問題ない」は、本当に問題がないという意味ではないらしい。
少なくとも、立てなくなる十分前までは問題がなかった。
だから今日は、本人ではなく身体を見ることにした。
歩幅。呼吸。顔色。汗の量。
何度か魔法を使ったあとの手の動き。休憩で座るときの様子。立ち上がる速さ。
ついでに、自分の身体とも比べてみる。
今は少し足が重い。けれど息は上がっていない。魔力は十分残っている。アレクサンダーもまだ元気そうで、トビアスは朝から何度か疲れたと言っている。ジークバルトは参考にならないほど元気だった。
そしてセレスティーナは、やっぱりよく分からなかった。
「フェリシアンヌ様?」
見すぎていたらしい。
「なんですか?」
「いえ。先ほどから、わたくしをよくご覧になっているので」
「見てます」
「まあ」
セレスティーナは少し驚いて、それから嬉しそうに笑った。
「何かおかしなところがございましたら、ぜひ教えてくださいませ」
「……はい」
そういう意味で見ているわけではないのだが。
それでもミアは観察を続けた。
二日目の午後になって、ようやく一つ見つけた。
魔物の群れを片づけたセレスティーナが、いつものように手を下ろす。その瞬間、膝がほんの少しだけ揺れた。
「セレスティーナ様」
「はい?」
「休みましょう」
「ですが、まだ問題ございませんよ?」
「今、膝がちょっと震えました」
セレスティーナが自分の膝を見る。
「そうでしたか?」
「そうでした」
「気づきませんでした」
やっぱり。
ミアは少し自信を持って、アレクサンダーを見る。
「アレク様、休憩にしません?」
「いいぞ」
ちょうど全員にも疲れが出始める頃だった。
十分ほど休み、水を飲んでから再開する。
その日は最後まで、セレスティーナが立てなくなることはなかった。
これかもしれない。
そう思った。
翌日。
失敗した。
「……あら?」
ブリーフィングルームで、その声を聞いた瞬間、ミアは頭を抱えたくなった。
またである。
セレスティーナが机に手をつき、不思議そうに自分の足を見ている。
「立てません?」
「……はい」
「なんで!?」
思わず声が大きくなった。
「今日は途中で休んだじゃないですか!」
「はい。お水もいただきました」
「私、膝も見てましたよ!?」
「ありがとうございます?」
「お礼じゃなくて!」
セレスティーナは困ったように微笑んだ。
今日の彼女は、途中で一度も膝を震わせなかった。
だからまだ大丈夫だと思ったのだ。
「……何か違ったんでしょうか」
ミアはしゃがみ込んだ。
顔色は少し白い。
けれど、それなら昨日も同じくらいだった気がする。
呼吸も荒くない。
手は――。
そこで気づいた。
セレスティーナが机に置いている指先に、細かな震えがある。
「手」
「はい?」
「震えてます」
セレスティーナも見る。
「本当ですね」
「これ、いつからですか?」
「さあ……」
まったく頼りにならなかった。
結局、その日も十分ほど休むとセレスティーナは立てるようになった。
ミアは新しく覚えた。
膝だけ見ていても駄目。
手も見る。
それから数日して、もう一つ増えた。
魔物の群れを倒した直後、セレスティーナのこめかみに汗が浮かんでいた。
迷宮の中は涼しい。
歩き続けているのだから汗くらいかくが、その一滴だけが妙に大きかった。
「セレスティーナ様」
「はい?」
「今の魔法、ちょっと大変でした?」
「いいえ?」
「……そうですか」
やっぱり本人に聞いても駄目だ。
けれど休憩を取ったあと、次に同じ程度の魔法を使ったときには、その汗は出なかった。
それも覚えておくことにした。
そんなことをしているうちに、戦い方の方も変わっていった。
最初の頃は、魔物が出るたびに誰が何をするか確認していた。
けれど何度も同じ五人で戦えば、それも必要なくなる。
「前、十二!」
ジークバルトが叫ぶ。
アレクサンダーとジークバルトが同時に前へ出る。
トビアスも少し遅れて剣を抜いた。
その背中へ、二つの魔法が飛ぶ。
「加速を」
セレスティーナの風がアレクサンダーの足を包んだ。
もう一つ、地の魔法がジークバルトの身体へ絡み、踏み込む力を強める。
「助かる!」
ジークバルトが一気に距離を詰めた。
最初の一体を斬る。
アレクサンダーが二体目の攻撃を避け、そのまま横へ回り込む。
トビアスが三体目を引きつける。
残った魔物が三人を囲もうと左右へ広がった。
白いものが走った。
右から二体。
左から三体。
前衛の三人が相手をしている魔物だけを綺麗に残して、ほかが倒れる。
もう誰も振り返らなかった。
最初の頃なら、そこでアレクサンダーが「お前また全部」と文句を言い、トビアスが死体を調べ、ミアが自分のアイスアローと比較して落ち込んでいた。
今は違う。
目の前の敵を倒す。
終わったら進む。
それだけだった。
次の群れは数が多かった。
五十を超えている。
「トビアス、先に焼け!」
アレクサンダーの指示に、トビアスがすぐ詠唱へ入る。
「セレスティーナ、散らすな。漏れたのだけ頼む!」
「かしこまりました」
セレスティーナは撃たない。
代わりに風を操り、左右へ逃れようとした魔物を中央へ押し戻す。
数秒後、通路を炎が走った。
一度に大半が焼ける。
炎の範囲を逃れたものだけを、白い氷が正確に射抜いた。
「前!」
ジークバルトが飛び出す。
まだ息のある大型種へ剣を振り下ろした。
その身体がぐらりと傾いた瞬間、セレスティーナの指が動く。
青白い火球が、ジークバルトの剣が削った外殻とまったく同じ場所へ三発続けて入った。
硬い殻が割れる。
「そこか!」
ジークバルトの次の一撃が、その奥へ食い込んだ。
倒れた。
「次!」
もう相談はなかった。
アレクサンダーが前へ出る。
セレスティーナが加速をかける。
その動きを見てミアは自分の役目を変え、ジークバルトへ補助を飛ばす。
トビアスは二人の前衛から十分に離れた位置へ魔法を撃つ。
誰かが危なくなれば、セレスティーナの氷が飛ぶ。
傷を負えば、ミアが治す。
それぞれが何をするのか、だんだん言葉にしなくても分かるようになった。
三日潜って、二日休む。
また三日潜って、二日休む。
そうして半月ほどが過ぎた。
ミアが覚えたことも、少しずつ増えていた。
セレスティーナは、疲れてもほとんど歩幅が変わらない。
顔にも出ない。
声も変わらない。
魔法の威力も、簡単には落ちない。
だから、そこを見ていては遅い。
代わりに、立ち止まったときの膝を見る。
魔法を撃ち終えたあとの指を見る。
額ではなく、こめかみに浮く汗を見る。
歩き出す最初の一歩を見る。
そして、呼吸。
荒くなるのではない。
時折、一度だけ。
普段より深く息を吸う。
それが二つ、三つと重なってきたら。
「休憩です」
セレスティーナが振り返った。
「ですが、まだ――」
「右膝」
「はい?」
「さっき止まったとき、震えてました」
セレスティーナが見る。
「それと、今の魔法のあと、手も震えてました。あと汗」
ミアは自分のこめかみを指差した。
「ここ」
「……そうでしょうか?」
「そうです」
「ですが、まだ魔法は問題なく――」
「使えるのは知ってます」
そこで判断したら駄目なのだ。
この人は、魔法が使えなくなるまで使う。
歩けなくなるまで歩く。
そしてそこまで行って初めて、「少し疲れてしまったのでしょうか」と首を傾げる。
「アレク様」
ミアが呼ぶ。
少し前を歩いていたアレクサンダーが振り返った。
「なんだ?」
「休憩にしましょう」
「もうか?」
「セレスティーナ様、たぶんそろそろ駄目です」
「わたくしはまだ問題ございませんよ?」
「本人はこう言ってるが」
アレクサンダーが眉を寄せた。
「……本人にも分からないことが、なんでお前には分かるんだ?」
「だって、見てれば……」
言いながら、ミアは少し考えた。
どうして分かるのだろう。
別に魔法を使っているわけではない。
顔色を見る。
動きを見る。
食事をしたか、水を飲んだか確認する。
普段と違うところを探す。
自分で具合が悪いと言えない相手なのだから、本人の言葉ではなく、いつもとの違いを見る。
そんなの。
「孤児院で、二歳とか三歳の子の具合を見るのと同じですけど」
言った。
沈黙した。
アレクサンダーがセレスティーナを見る。
ミアも見た。
セレスティーナは感心したように目を丸くしていた。
「まあ」
そして、微笑んだ。
「フェリシアンヌ様は、本当にすごいですね」
「…………」
「わたくしにも分からないことが、お分かりになるのですね」
「…………」
ミアはだんだんおかしな気持ちになってきた。
目の前にいるのは二歳児ではない。
十五歳である。
しかも公爵令嬢である。
王太子の婚約者である。
「あー……」
「どうした?」
「いえ……」
忘れていた。
この人たち、お貴族様だった。
孤児院では、貴族とはもっとわがままな生き物だと思っていた。
少し疲れれば休み、重いものは使用人に持たせ、お腹が空けばお菓子を用意させる。気に入らないことがあれば文句を言って、自分でできることだって人にやらせる。
実際、学院へ来てからも、そんな人を何人も見た。
だから以前のセレスティーナが「淑女ならこの程度は当然です」と言うたび、嫌味な人だと思っていた。
けれど。
ミアは目の前の公爵令嬢を見る。
三日間迷宮を歩いて。
何十回も魔法を使って。
本人が疲労に気づくより先に、こちらが膝の震えを見つけないと止まらない。
刺繍だって、職人が十日かけるものを三日で作った。
礼儀作法は、ミアが何度注意されてもできないことを当然のようにやっている。
魔法も。
勉強も。
もしかして。
昔この人が言っていたこと。
本当に、貴族令嬢ならみんなできるのだろうか。
「…………私、絶対無理なんだけど」
「何がだ?」
「なんでもないです……」
少し怖くなった。
そんなミアの横で、セレスティーナは言われた通りに腰を下ろしていた。
「フェリシアンヌ様」
「なんですか?」
「どのくらい休めばよろしいでしょう?」
「……とりあえず十分です」
「かしこまりました」
「お水も飲んでくださいね」
「はい」
素直に水筒を取り出して言われた通りに飲む。
それを見て、ミアはますます複雑な気分になった。
少なくとも。
今日は、立てなくなる前に止められた。
十分後。
「そろそろよろしいでしょうか?」
「ちょっと歩いてみてください」
セレスティーナが立ち上がる。
数歩歩く。
ミアは足元を見た。
膝は震えていない。
歩き出しも滑らかだった。
「……はい。大丈夫そうです」
「ありがとうございます」
セレスティーナは嬉しそうに微笑んだ。
「フェリシアンヌ様に見ていただけると、安心いたしますね」
「自分でも見てください」
「はい。努力いたします」
たぶん分かっていない。
けれど、今はそれでもよかった。
少なくともミアには、少しずつ分かるようになってきた。
この人が「大丈夫です」と言っている間の、どこまでが本当に大丈夫なのか。
あと少し進めば危ないところ。
本人には見えない境目。
それを、なんとなく見つけられるようになってきた。
「行くぞ」
アレクサンダーの声がする。
五人が歩き出す。
先頭にはジークバルト。
その隣へアレクサンダー。
少し後ろにトビアス。
さらに後ろからセレスティーナとミアが続く。
やがて前方から、魔物の声が聞こえた。
「数、多いぞ!」
ジークバルトが剣を抜く。
アレクサンダーが一目見て指示を出した。
「トビアス、最初にまとめて焼け! ジーク、俺と前! セレスティーナは補助、撃ち漏らしだけ落とせ! ミアは温存!」
「分かった!」
「承知いたしました」
「はい!」
もう、誰も迷わなかった。
アレクサンダーとジークバルトが駆ける。
その背中へセレスティーナの風と地の魔法が重なり、二人の身体が一気に加速する。
トビアスの詠唱が響く。
ミアは少し後ろで、全員を見る。
敵を見る。
味方を見る。
そして。
ほんの少しだけ、セレスティーナの右膝も見る。
半月前には、五人とも自分が何をするか考えてから動いていた。
今はもう。
誰が前へ出るのか。
誰が周囲を片づけるのか。
誰が支え、誰が温存するのか。
そして、誰を少し早めに休ませなければならないのか。
それぞれが、少しずつ分かるようになっていた。
五人はようやく。
五人で戦うことに、慣れ始めていた。




