3-1 変わったこと、変わらないこと
それからミアは、毎日ではないけれど、セレスティーナが何を食べて、どれくらい眠っているのかを気にするようになった。
「昨日は何時間寝ました?」
「六時間です」
「途中で起きたりしてません?」
「しておりませんよ?」
「朝ご飯は?」
「いただきました」
そこまで聞けば、ひとまず安心する。
どうして自分が公爵令嬢の睡眠時間と食事を確認しているのかは、考えないことにした。
昼食も、都合がつく限り一緒に食べるようになった。
そしてセレスティーナは、相変わらずパンを一つ選んだ。
「このパン、本当に美味しいですね」
「そうですね」
白くて柔らかなパンを嬉しそうにちぎり、牛乳と一緒に口へ運んでいる。
レーヴェン公爵家の令嬢が、学院の食堂で誰でも食べられるパン一つをこれほど幸せそうに食べる理由は、未だによく分からない。
そして食べ終える頃を見計らって、ミアは鞄から紙包みを取り出した。
「はい」
「まあ」
セレスティーナの顔が輝いた。
「いただいてもよろしいのですか?」
「どうぞ」
「ありがとうございます、フェリシアンヌ様」
包みを丁寧に開き、小さな焼き菓子を取り出す。
一月ほど前、初めて渡したものと同じ焼き菓子だった。
「……美味しいです」
「そうですか」
「はい。とても」
今日も幸せそうだった。
実はミアは、あまりにもセレスティーナが喜ぶので、この焼き菓子を定期的に届けてもらうようにしていた。
珍しいものではない。庶民でも普通に買える程度の値段だし、違う種類を頼むことだってできる。
けれど、途中から少し気になってきた。
この人は、いつ飽きるのだろう。
一回目は喜んだ。
二回目も喜んだ。お返しにと触れないくらい綺麗なハンカチを渡された。
三回目も嬉しそうだったが、お返しはハンカチで十分だと分かってもらうのが大変すぎて覚えてない。
一週間経っても、半月経っても、包みを渡せば「まあ」と目を輝かせる。
一月近く経った今も、ミアには初めて渡した日とほとんど同じ喜び方をしているように見えた。
子供だって、そろそろ違うお菓子がいいと言いそうなものなのに。
「……セレスティーナ様」
「はい?」
「これ、ずっと同じお菓子なの、分かってます?」
「もちろんです」
「飽きません?」
「なぜですか?」
「……いえ」
なぜ、と聞かれてしまった。
セレスティーナは不思議そうに首を傾げ、それからまた一口かじった。
「今日も美味しいですね」
「……そうですか」
「はい」
だんだん面白くなってきた。
別の種類に変えてもいいのだが、ここまで来ると、いつまで同じ反応をするのか見届けてみたくなる。
そもそも、あのハンカチの代金だと思えばいい。
家庭教師が驚くほどの品を、セレスティーナはたった三日で作ってくれたのだ。こんな焼き菓子を一生渡し続けたって、得をするのはミアの方だと思う。
だから明日も、同じものを持ってくる。
たぶん明後日も。
そんな妙な習慣が、いつの間にか二人の間にできていた。
アレクサンダーの嫌がらせも、相変わらずだった。
もっとも、こちらにも少しだけ変化があった。
ある日の授業が終わり、生徒たちが昼食へ向かおうとしていたときだった。
「セレスティーナ」
「はい、殿下」
「これを教師棟の事務室へ届けてこい。そのあと資料室で先週の記録を――」
「かしこまりました」
やっぱり嬉しそうに引き受ける。
ミアは二人を見た。
何も言わず、まずセレスティーナの手を取った。
「まあ?」
次にアレクサンダーの袖を掴む。
「おい、何だ」
「先にお昼、頼んでください」
「……は?」
「行きますよ」
そのまま二人まとめて食堂へ連れていった。
なぜ自分たちが連行されているのか分からないらしく、アレクサンダーもセレスティーナも揃って疑問符を浮かべている。
食堂へ着くと、ミアはいつもの日替わりの昼食を頼んだ。
アレクサンダーは日替わりの大盛り。
そしてセレスティーナは。
「パンを一つと、牛乳をお願いいたします」
いつも通りだった。
三人で席につく。
ミアは自分の昼食には手をつけず、アレクサンダーを見た。
「…………」
「なんだよ」
「…………」
「何なんだ」
ミアは何も言わなかった。
ちらりと、セレスティーナのパンを見る。
もう一度、アレクサンダーを見る。
「…………分かった」
アレクサンダーが根負けした。
「それを食べてから行け」
「よろしいのですか?」
「ああ」
「かしこまりました。ありがとうございます、殿下」
セレスティーナは、それはもう幸せそうに微笑んだ。
アレクサンダーは眉間に皺を寄せた。
ミアはようやく自分の昼食を食べ始めた。
正直、もう嫌がらせ自体やめればいいのではないかと思う。
けれどセレスティーナはセレスティーナで、アレクサンダーから頼み事をされるのが嬉しいらしい。
だったら、もう好きにすればいい。
元気で、ご飯を食べて、夜も寝ているのなら、それ以上ミアが口を出すことでもない。
一応、二人は婚約者なのだ。
もしかすると、二人とも何かに目覚めて、新しい関係を築きつつあるのかもしれない。
お貴族様の道楽は、元庶民にはどうにも分かりにくい。
そして、分からないことについて延々と悩んでいられるほど、ミアは暇ではなかった。
七月が終わり、八月に入った。
学院では通常授業がなくなり、一月を通して夏季演習が行われる。
もっとも、全員が参加できるわけではない。
希望者のうち、座学、魔法、実技の各分野で一定以上の成績を修めた生徒だけが参加を許される、ダンジョン踏破演習だった。
学院の地下には、王都の地下迷宮へ接続する訓練用のダンジョンがある。
浅い階層は学院によって管理され、出現する魔物の種類もおおむね把握されている。教師や騎士による監視のもと、索敵、戦闘、負傷者への対処、物資管理、休息、撤退判断といった、教室では身につけられない技術を実地で学ぶ。
そして今年の一年生については、事前に提出した合同課題の班をそのままパーティとして編成することになっていた。
つまり。
「また五人一緒ですね」
ミアが言った。
「ああ」
アレクサンダーが答える。
「よろしくお願いいたします」
セレスティーナは嬉しそうだった。
ジークバルトは既に配布された資料を読み込んでいるし、トビアスは以前提出したレポートを机の上へ広げていた。
「しかし、改めて読むと腹が立つな」
トビアスが呟いた。
「何がだ?」
「これだよ」
指先で紙を叩く。
一月前。
アレクサンダーの命令で、セレスティーナが一人で仕上げた五人分のレポートだった。
あのときは夏季演習を想定し、班員それぞれの適性を踏まえた役割分担や、階層ごとの行動方針までが課題に含まれていた。
そしてセレスティーナは、五人全員の授業での成績や実技演習の結果を踏まえ、それをきっちり書き上げている。
「この通りにやれば、少なくとも初日は問題ないだろう」
ジークバルトが真面目に言った。
「だから腹が立つんだ。僕ら四人が今から相談することまで、一月前に一人で終わらせてる」
「便利でいいじゃないですか」
「ミアは気楽だな」
「だって、使えるものは使った方がいいでしょう?」
「フェリシアンヌ様のお役に立てるのでしたら、嬉しいです」
「ほら、本人もこう言ってますし」
「そういうところなんだよな……」
トビアスが何やら呟いたけれど、ミアは聞かなかった。
剣を扱う者。
前衛を魔法で補助する者。
遠距離から敵を制圧する者。
負傷者を癒し、全体を支える者。
誰が何を得意としているのかは、これまでの授業や実技演習でお互いにだいたい分かっている。
あとは、それを実際のダンジョンでどう組み合わせるか。
その基本形まで、机の上のレポートには既に書かれていた。
ミアはそれを覗き込みながら、自分の名前の横に書かれた役割を読む。
そして、ふと思った。
「……これ、セレスティーナ様が書いたんですよね」
「はい」
「自分のことも書いてありますよね」
「もちろんです」
当たり前のように答える。
ミアは、その欄へ目を落とした。
魔法適性。
想定配置。
戦闘時の役割。
体力を考慮した継戦時間。
どれも細かく書いてある。
なるほど。
少なくとも、五人が何をできるのかについて、一から考える必要はなさそうだった。
問題は。
ここに書かれている『セレスティーナ・フォン・レーヴェン』の評価を、書いた本人がどのくらいまともに判断しているのか。
ミアは一瞬だけ考えて。
やめた。
考えるのは、実際にダンジョンへ入ってからでも遅くない。
こうして五人は、初めてのダンジョン踏破演習へ挑むことになった。




