九十七、責任
悲劇に翻弄され、死を望むほどに心を病んでいたニアさんは、正義のヒーローのおかげでピンチを脱出した。生きる希望も取り戻した。
これにて話は一件落着……と思いきや。
「ただ、その後もわたくしは半死半生のままでした。というか、つい先ほどまで死にかけておりました」
「……そーいやそうだったね。なんで?」
直球な問いかけに、ニアさんはチラッと意味ありげな視線を投げた。
すかさず反応したのは、僕の右隣で真珠をコロコロさせていた人物だ。
「その件については、さんざん謝っただろうが」
ぶっきらぼうに言い放つ王子に対し、ニアさんはいかにも傷ついたという風に眉根を寄せて。
「別に責めているわけではありませんわ。ただユウ様に真実を知っていただくためには、避けて通れない話ですから。……あの日貴方は、嫌がるわたくしを無理やり……」
――無理やり?
ギロリ、と右隣を見やると、王子はぶるぶると首を横に振った。
「何もしてねーよ! 俺はただ、ニアを神殿へ連れていこうとしただけだ!」
「その行いにより、わたくしは再び死の淵に立たされたのです。どれほど『神殿は嫌』と訴えようとも、貴方は耳を貸してくださらず……」
「わがままを言ってまた逃げるつもりだと思ったんだ。お前には前科があるからな」
「自力で立てないほど弱っていたわたくしが、どのような手段で逃げだすと?」
「だから、お前が死ぬ前にちゃんと気づいて、この屋敷へ匿っただろう?」
「……お聞きになりましたか、ユウ様。これが真実ですわ」
二人から切々と訴えられた結果、クールな裁判官となった僕は、速やかにジャッジを下した。
「つまり、悪いのは王子ってことで」
「ちょっと待て! 俺だって、まさかニアがあれほど神気に弱いとは――『できそこない』のままだとは知らなかったんだ!」
自称“精霊術師研究家”の王子曰く――
そもそも光の精霊は『女神の代弁者』とされている。
だから、いくらニアさんが水の精霊に愛されようとも、光の精霊と契約しなければ本物の精霊術師にはなれない。そこが単なる巫女と精霊術師とのボーダーラインになる。
光の精霊と契約するために必要なモノは、誰かを救いたいという女神のごとき慈愛の心。
自分が傷つくことを恐れているうちは手に入らない。
ニアさんに足りなかったその条件は、僕が堀へ飛び込んだことで――他人の命が危機に晒されたことで満たされた。
実際堀から脱出したとき、気を失っていたニアさんの銀髪はキラキラ輝いていて、物怖じしないリリアちゃんが「妖精さんがいる!」と愉しげにじゃれついていた。
……それなのに。
「光の精霊を捕えておきながら、精霊術師になれない巫女などあり得ない。むしろ騙されたのはこっちの方だ」
「あら、騙したなどとは心外です。同じ精霊術師といえど、そのありようは千差万別。どこぞの神官から聞きかじった程度の知識で判断しようとすることがそもそもの間違いでしょう。貴方はわたくしの意思を――いえ、精霊の意思を尊重し、真摯に耳を傾けるべきでした」
水温三度くらいに冷たいニアさんの声が、さざ波となって押し寄せる。
追い詰められた王子は、ガシガシと後ろ頭を掻きながら僕を睨みつけて。
「おい、坊。さっきから他人事みたいな顔をしてるけど、ニアの体調不良はお前のせいでもあるんだぞ」
「えっ?」
「――言い訳の次はユウ様への責任転嫁ですか。さすがに見苦しいですわよ……?」
どうやら王子は虎の尾を踏んでしまったようだ。
完璧なアルカイックスマイルを浮かべたニアさんが、すうっと音もなく立ち上がる。
なんとなく薄ら寒い空気を感じ取った僕は、慌てて居住まいを正す。
「ユウ様、一つお尋ねしたいことがあります」
「……はい、何でしょう?」
「あのとき、ユウ様はわたくしの身柄を引き取ろうとしてくださった。それを無理やり引き離したのが殿下だったと伺っておりますが、本当でしょうか?」
「え、えっと、そうですね」
真横から「否定しろ!」という無言の圧力を受けたものの、それ以上にギラつく銀の瞳が恐ろしく、僕はぶんぶんと頷いてみせる。
するとニアさんは、青白い霧を凍てつく氷の礫へと変えながら、恐ろしい呪詛を吐いた。
「それこそが女神のご意志だったのです。この男が邪魔立てをせず、最初からわたくしをユウ様の所有物にしてくださっていれば、余計な苦労を重ねずに済んだものを……フフフ……」
……ニアさん、怖いです。髪の毛がメデューサ状態になってます。
魔王のごとき威圧感にさらされ、チキンな僕はぷるぷる震えるばかり。
そして、ついに『この男』呼ばわりされた王子はというと……。
……。
……。
……雪だるまになっていた。
「――ニアさん、落ち着いて! 王子が凍死する!」
王子の身体にへばりついた霜をバサバサと払い除けながら、僕は叫ぶ。
このとき初めて僕は、ニアさんが普通じゃないってことに気づいた。そもそも普通の精霊術師は真珠の涙なんて零さないし、他人を傷つけるような術も使わない。
パニックに陥りながらも、血の気を失った王子の頬をバシバシと往復ビンタしているうちに、魔王化したニアさんも正気に戻ったようだ。
「あら、わたくしはいったい何を……」
「ニアさん、王子が死んじゃう!」
「まあ大変」
と、さほど緊張感のないトーンでニアさんが呟くや、突然頭上から滝のようなお湯がバシャッ!
「熱ッ!」
「ああっ、ユウ様すみません、すぐに冷水を!」
「大丈夫です、ちょうどいい湯加減です!」
凍りかけの王子にとっては、という前置きをすっとばし、僕は人命救助に専念。
王子の唇をこじあけ、そこらじゅうに転がっている真珠を一掴みぶちこんだ後、ギュッと鼻をつまむ。
気道を塞がれた王子が苦しげに顔をしかめつつも、ゴクンとそれを飲み込むと。
「……うう……俺はいったい何を……」
涼やかなアイスブルーの瞳がゆっくりと開かれるのを確認した後、僕は心労で倒れた。
◆
「申し訳ありません、ユウ様。取り乱してしまいました……」
羞恥心により頬を赤く染めたニアさんが、三つ指をついて正座し、真珠の海へと頭をめり込ませる。
ドアの前で三角座りした僕は、ぷるぷると首を横に振った。濡れそぼった黒髪から水滴が飛び散っていく。
隣にいる王子が「俺への謝罪がない……」とぶつぶつ言いながら、足元に転がった真珠を指先でぐりぐりといじる。当然王子も濡れ鼠状態だ。
この状況は、本日二度目。
ニアさんだけは本気で怒らせちゃいけないと魂に刻みつつ、僕は話の続きを促す。
「えっと、僕が知りたかったのは、ニアさんがなぜ死にかけてたのかって話なんですが……」
まあ、今までの流れでだいたい予想はつく。
というか、神殿へ行くことを拒んだというエピソードだけで理由は明確。
ニアさんを殺そうとした犯人は――アリスだ。
正しくは、アリスに接近したせいでニアさんの契約した精霊が奪われそうになった、ということだろう。
この仮説は、しょんぼりとうなだれたニアさんにより肯定された。
「奴隷商に捕えられていたわたくしは、この街の神殿に精霊術師がいることを知りませんでした。しかも“あの娘”がいるなんて……その事実に気づいたとき、わたくしの心はたちまち不安定になりました。水の精霊はもちろん、光の精霊も傍に寄り添っているというのに、それだけでは足りないほどに」
ここまでは僕にとっても想定内の話。
しかしその先は……。
「わたくしの魂は“主”を求めました。この身体を泥水から救い、光を授けてくださった方にお会いしたい……それが死の淵に立たされたわたくしの、最後の願いでした」
……うん、意味が分からない。
僕はただニアさんと一緒に堀へ落ちただけだ。
百歩譲って、泥水の中から水面へ浮上させるという救助行為はあったと認めよう。でも堀の上まで持ち上げたのはアリスだし、その後介抱したのは王子だし。
僕がニアさんから“ご主人様”呼ばわりされるほどの恩なんて、どこにも見当たらない。
だけど、今の話には何か引っかかるモノがあるような……?
うーん……と蕩けた脳みそを稼働させている間、ニアさんの視線はつうっと右隣へ。
「この館へ匿ってくださった貴方には、一応感謝しております。でもわたくしの願いはいっこうに叶えてくださらず……」
ニアさんのメンタルが落ちるのに比例し、室内の気温も急降下。お湯で温まった身体が一気に冷えていく。
しかし、意外とタフな王子は、さっき雪だるまにされかけたことも忘れ、忍び寄る霜の欠片をフンッと鼻先で吹き飛ばして。
「仕方がないだろう。俺はただでさえ激務な上に、コイツは神出鬼没な魔術技師なんだ。たった数日でこの街の要である北地区を掌握しやがったんだぞ。しっかり外堀を埋めて、弱みを握って追い詰めてから捕らえるしかない」
「そのような小細工を弄するから痛い目を見るのです。貴重なご友人であるクロ様や、妹君のローズ様を見習ってくださいませ。……まあ、何を言っても無駄ですわね。そもそも貴方はわたくしのことを、ユウ様を捕らえるための餌としか考えていなかったのでしょう?」
「その点は否定しない。実際死にかけのお前を餌に釣れたからな。あとは後宮さえ落とせば、坊は俺に逆らえなくなるってわけだ」
「ユウ様、ご注意ください、禿鷹に狙われてます」
「坊、気をつけろよ、女狐に狙われてるぞ」
ギンッ、と目を血走らせて僕を見つめる二人。相変わらず呼吸はぴったりだ。
内心「もうお前ら結婚しちゃえよ」とか適当なことを考えていると。
ふっと肩の力を抜いた王子が、ため息混じりに呟いた。
「さて、そろそろ俺の話も訊いてくれるか、坊……」
ニアさんとは別の意味で、王子も大変だったんだろうなと思わされる、くたびれ切った声だった。
僕はちょっとだけ王子に同情しつつ、静かに頷く。ニアさんも不満気ながら口を閉ざす。
「では俺の生い立ちから……と言いたいところだが、それはまた時間があるときにしよう。まずは、なぜ俺がニアを探していたのか、だな」
すべての始まりは、大神殿から送り込まれてきた一人の精霊術師だった。
無限の器と呼ばれるその存在は、まさに嵐。
死の霧により澱んでいた聖都の空気を一新してしまうほどの、強烈な神気の塊。
彼女は治癒術師の力を増強させ、多くの人々を救うとともに、神官たちの心を増長させる諸刃の剣となった。
街の覇権を巡り、水面下で神殿と争っていた王子にとって、アリスは危うい爆弾のように映ったらしい。
だからこそ、アリスに対抗できる人材を――大巫女様の洗脳から抜け出した貴重な巫女を探し出すことにした。力は多少弱くとも、諸刃の剣にはならない安全な武器を。
しかし、見つけ出した巫女が『できそこない』だと知った王子は、いささか強引な手法で覚醒を促すことになる。
それは為政者としての戦略的な行為でありながら、個人的な苛立ちも多分に含まれていたという。
その理由を一言でいうと。
「コイツはあまりにも弱すぎた」
……という、身も蓋もないもので。
RPGに例えるなら、敵の操る召喚獣がドラゴンで、自分が見つけたのはスライムだった、という感じだろうか。
「せっかく見つけた手駒がコレではどうしようもない。せめて『精霊術師が手に入った』という事実を突き付けて、神官たちをけん制してやろうと思ったが、コイツは神殿の敷地に入ることすらできず絶命しかける始末だ。この屋敷へ匿ったところで虚弱な体質は変わらず、自分を助けてくれた“ご主人様”に会わせてくれと主張するばかりの役立たず。名付けで魂を強化し、欲しいものは何でも与えてやったというのに、一つの恩も返さず死にかける」
と、ぶつぶつ文句を垂れ流す王子の横顔を見ているうちに、僕は気づいた。
この憎まれ口、完全に好意の裏返しだ。まさに好きな子をいじめる小学生レベル。
……ていうか、そろそろ止めないとヤバイ。
ニアさんがまた魔王化する!
「王子の言い分はよく分かりました。でも僕としてはニアさんの方に肩入れせざるを得ません。どうしてもっと早く声をかけてくれなかったんですか? 僕も忙しかったけど、ニアさんに会いに行く時間くらい作れました」
僕がキッパリと言い放つと、ニアさんは狂喜乱舞。
王子はこめかみに手を当て、これみよがしに大きなため息を吐いて。
「……俺は忙しかったんだ。本当に、死ぬほど忙しかった。だからニアのわがままを聞いている余裕などなかった。全部お前のせいだ、坊」
「えっ」
「ニアを育てて神殿に対抗するという俺の計画は、いつの間にかメチャクチャになっていた。気づけば精霊術師が二人も増えていたんだ。しかも一人は男だ」
「あ……」
「その精霊術師は、神殿へ近づこうが“死の霧”へ赴こうが、びくともしないほど魂が強いという。神話にも出てこない“聖者”がいきなり現れるなんて、おかしいだろう?」
「ええっと……」
「聖者の素性を調べているうちに、さらに不可解な事実が分かった。彼は少し前までニアと同じく死にかけの『できそこない』だったらしい。とある人物と出会うまではな」
「そう、ですね……」
「これらの状況が掴めたのが、ちょうど三ヶ月ほど前だ。それから今日まで、俺がどんな気持ちで過ごしてきたか分かるか?」
「すみません、僕すごく忙しくて……」
「もともと死にぞこないだったニアが、夜な夜な“殻”に閉じこもるようになった。原因はまったく分からず、対処のしようもなかった」
「夜な夜な……図書館のせい、かな……」
「それで、ついさっきのことだ。この館が揺らぐほどの強風が吹いたと思ったら、ニアが突然吐血して倒れた」
「強風……吹きましたね……」
「意識を失ったニアは肉体を精霊に乗っ取られた。うつぶせに倒れた女が、床に血文字を描いていく様は、この世のものとは思えないほど恐ろしかった」
「いったいどのような文字を……」
「『今すぐ“大楠”へ行け、さすれば主の命は救われん』。ついでに同じタイミングで鳩が飛んできた。黒髪のヘンタイ男が西へ逃げ込んだと」
「あー、だから僕の居場所が……」
「お前にとっては、こっちの都合など知ったこっちゃないんだろうがな。さすがに『エア彼女とデート中だから』と追い払われたときは、一瞬殺意を覚えたぞ」
「すみません……」
一言ごとにヒットポイントが削られまくった僕は、真珠の転がる床にぐんにゃりと倒れ伏した。
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