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リアリスフィア ~竜は孤高の花を望む~  作者: AQ(三田たたみ)


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九十五、悲劇(中)

「多少の、犠牲……」

 その言葉をリフレインしたとき、頭の中に浮かんでいたリリアちゃんの笑顔がぐにゃりと歪み、見知らぬ少女へと変わった。

 喉に醜い鉤裂き傷をつけた幼い少女が、「助けて」と声なき声で叫ぶ。

 重たい枷で繋がれた、骨と皮だけの細い身体を懸命に動かし、僕の方へと手を伸ばす。

 ――助けなきゃいけない。

 本能がそう叫ぶのに、理性は王子へ同調する。

 僕がこの手で守れる人の数は限られている。王都の巫女たちを抱え込める余裕はない。アリス一人でさえ充分にフォローできていないのに、これ以上はとうてい無理だ。

 ……だからって、このまま見捨てることができるのか?

 真実を知れば戻れなくなると分かっていながら、「教えて欲しい」と願ったのは僕自身。今さら聞かなかったことにはできない。

 どうせ逃げられないなら……立ち向かうしかない。

「――僕が助けに行きます。王都の巫女たちを」

 決意を込めて解き放った言葉は、大きな波紋となって室内に響き渡った。

 特に、王子にとって僕の答えは予想外のものだったようで。

「ったく……お前はアホか? 縁もゆかりもない奴隷のために、国と神殿をまるごと敵に回そうだなんて」

 失笑しながらこっちへ歩み寄った王子が、僕の頭を容赦なくワシワシと撫でる。

 大きく温かなその手を享受しつつ、僕は王子お得意のシニカルな笑みを返した。

「縁もゆかりもないからこそ自由に動けるんですよ。僕はすでに“お尋ね者”ですし、罪状が増えたところで大差はありません。それに、僕が多少暴れたところで、ちゃんと後片付けはしてくれるんでしょう?」

「それは違うぞ。暴走しようとする魔術技師アホの手綱を握るのが俺の役目だ。お前にはしかるべきときに動いてもらうつもりだから、今はおとなしく潜伏していろ」

「まだ王子を手伝うとは言ってませんけど」

「じゃあアイツにおねだりさせよう。坊には断れないだろう?」

 クイッ、と顎の先で指し示された場所を見やった僕は、己の敗北を悟った。

 五メートルほど離れた床の上にうずくまり、淡い霧のドレスを身にまとった銀髪の乙女が、瞳にいっぱいの涙を湛えて僕を見つめていた。

「ユウ、様……」

 強く寄せられた眉、紅潮しきった頬、わななく唇。

 歓喜と困惑がぐちゃぐちゃに入り乱れ、泣き笑いのような表情を浮かべたニアさんは、胸の前で両手を組み合わせ、震える声で僕に訴える。

「お願い、です……どうか……」

「分かった、無茶な真似はしないよ」

 言いたいことを先読みして模範解答を伝えると、ニアさんはコクコクと何度もうなずいた。どうやらあまり信用がないらしい。

 やはり初対面のとき堀へ飛び込んだせいだろうか。

 もしくはこの身体が小柄で、顔つきが世間知らずのお坊ちゃんぽく見えるせいか。王子も僕のことを「坊」って呼ぶし……。

 ネガティブなイメージを払拭するべく、僕は胸を張って堂々と宣言した。

「こう見えて僕はけっこう強いんだ。だから安心して。ニアさんの“妹”たちは、僕が絶対助けてみせる」

 たとえ喉を引き裂かれていても、心が粉々に砕けていようとも、構わない。

 命さえあるならば、僕が無理やり拉致して、全力で治してやる。

 そんな想いを込めて笑いかけると、ニアさんは激情を堪えるかのようにギュッと目をつむって。

「すみません……わたくし、もう、限界です……」

「限界って、どうしたの?」

「ユウ様、お許しください……貴方の御名で、精霊を……」

 荒い呼吸に遮られ、途切れ途切れになる単語パーツ。それらを繋ぎ合わせたところで、何一つ意味が通じない。

 だけど、そのときの僕には不思議と伝わった。

 理性も本能も、何もかもを突き抜けて魂がシンクロした。

「うん、いいよ。ニアさんの好きにしていい」

「ああ……ッ!」

 歓喜の声とともに、ニアさんの涙腺が決壊した刹那――

 解き放たれた水の精霊が、ダイヤモンドダストのようにキラキラと弾けながら、この空間を包み込んだ。

 そして――舞台は暗転。

 眼前に広がるのは、真冬の夜空を思わせる深い青。

 館の主により与えられていた魔法の光は、細く儚いスポットライトとなって、舞台中央に佇むニアさんへと注がれる。

 光の祝福を受けたニアさんの髪が、あたかも水の中をたゆたうようにふわりと浮かび上がる。その一本一本がサイリウムに似た青い輝きを放つ。

 あまりにも美しく壮大な光景に、観客席の僕は言葉を失った。呼吸さえできなかった。

 静寂の中に響くのは、微かな嗚咽。

 とめどなく湧き上がり、次々と零れ落ちる涙。

 その涙は煌めく真珠の粒となり、堅い床の上をコロコロと転がる。

 コロコロコロ……。

 と、こっちへ転がってきた一粒が、僕のスニーカーの先にコツンと当たった。

「あ……」

 驚異のオカルト現象を前に、僕の脳みそは完璧フリーズ。半開きになった口から魂が抜けてしまいそうになるのを堪えるので精一杯。

 一方、僕とともに“奇跡”を目撃した王子は、かろうじて理性が残っていたようだ。しばし逡巡した後、腰を屈めて謎の石粒を拾い上げる。

 そして、神妙な面持ちでそいつをジーッと見つめて。

 ポイッ、と口の中へ。

「なっ……!」

 公園の鳩どころじゃないレベルでビクッと飛び跳ねる僕。頭の中にはもはや疑問符しか浮かばない。

 ただただ瞠目しながら、石粒を舌の上で転がす王子の横顔をまじまじと見つめる。

 涙の結晶だからしょっぱいのか、それとも真珠だから味はしないのか……なんてどうでもいいことを考えていた僕を、さらなる衝撃が襲った。

 コクン。

 と、王子の喉仏が上下した、三秒後。

 王子の羽織った白いジャケットの内側から、パアッと青い光が放たれた。薄闇に慣れた目がチカチカするほどの閃光が。

 あまりにもファンタジックなエフェクトに、僕だけじゃなく王子自身も目を瞠る。

 光の残像が消えるまで、一分近くかかっただろうか。

 ショックから立ち直り切れていない王子が、こめかみのあたりを押さえながら、ボソッと。

「そうか……これは、“女神の涙”か」

「女神の涙……?」

「古い神話に出てくる宝玉だ。一粒飲めば寿命が一年伸びると言われている」

「……そう言われると、なんだか王子の肌艶が良くなったように見えます」

「そうか、俺は密かに患っていた腰痛が軽くなった気がするぞ」

「万能薬ですね。これってどのくらい貴重なものなんですか?」

「神話級のお宝だ、想像もつかん。未来樹の実、神竜の鱗あたりと同等か?」

「……マジっすか」

「命は金に変えられないからな。全財産を叩いても欲しいという奴はそこら中にいるだろう」

「……お宝も、そこら中に転がってますけど。ていうか今もガンガン生産されてますけど」

「後で爺たちに拾わせよう。本当に効果があるか検証も必要だな。爺に三十粒ほど飲ませてみるか」

「北のギルマスさんあたりも欲しがりそうですね」

「ヤツが若返ったら、危険だな」

「そうですね、きっと隊長が泣きますよ」

 ……。

 ……。

 ……なぜだろう、ポンポンと会話のキャッチボールをしつつも、心がまったく弾まない。

 さすがの王子もちょっと虚ろな目をしている。持病の腰痛が治ったというのに、ちっとも嬉しくなさそうだ。

「……坊、少し休むか」

「……そーですね。ニアさんが泣き止むまで休憩しましょう」


 ◆


「申し訳ありません、ユウ様。取り乱してしまいました……」

 羞恥心により頬を赤く染めたニアさんが、三つ指をついて正座し、真珠の海へと頭をめり込ませる。

 ドアの前で三角座りした僕は、ぷるぷると首を横に振った。

 隣にいる王子が「俺への謝罪がない……」とぶつぶつ言いながら、足元に転がった真珠を指先でぐりぐりといじる。

 この状況は、まさに北ギルドのゴールドラッシュと同じだ。いくら貴重なお宝であろうとも、これだけ大量にあれば感覚は麻痺してしまう。

 僕はしっかりと顔を上げて――視界からお宝をフェイドアウトさせた上で、ニアさんに問いかけた。

「えっと、訊きたいことは山ほどあるんですけど、いったいどこから手をつければいいのやら……」

「わたくし自身も未だに困惑しておりますが……とりあえず、時系列に沿って進めましょう」

 ふうっと大きく息を吐いたニアさんが、再び語り部モードへ入る。

 先ほど告げられた悲劇――無垢な乙女たちの命を散らしながら、希少種である精霊術師が“生産”されていく様を、もう一度おさらいする。

 そして、テーマは大神殿での生活へ。

 どうやらニアさんは、巫女たちの中でもちょっと浮いていた、らしい。

「……三度の悲劇を乗り越えたとはいえ、『女神の愛娘』と呼ばれるには、わたくしの性根はひねくれすぎていたようです。大巫女様のお言葉を素直に信じることができず、胸の中には暗い澱のような思いが溜まっていきました」

「それは、単に大巫女様のかけた洗脳が甘かったんじゃ?」

「そうかもしれませんが、やはり生まれ持った気質も大きかったのだと思います。なにしろ、わたくしに視えたのは『水の精霊』だったのですから」

「水の精霊だと、なんか問題あるの?」

「ユウ様は不思議に思われないのですか?」

「うーん……そういや、水の精霊って珍しいかも。僕が知ってる精霊は、光と風と、炎と、植物と――」

 猫。

 という単語は脳内デリート。余計なことを言うとまた話が脱線してしまう。

「うん、それくらいかな」

「そうですね、正解です」

 女教師の顔でにっこりと微笑んだニアさんは、謎に満ちた精霊の生態を教えてくれた、のだが……。

「光や風の精霊はこの世界に溢れています。巫女たちも、明るい光や風の中で伸び伸びと育っていきます。……でもわたくしは違いました。昼よりも夜が好きでした。皆が庭で遊んでいるときも、日の当たらない木陰で地面に穴を掘って過ごしていました」

 ……ニアさんは、真性のぼっちだった。

 まあクラスに一人はこういうタイプがいるよな、と納得しかけたものの。

「そんなわたくしを、大巫女様は異質に感じたようです。何かにつけて『本当に精霊が視えるのか?』と問い質すようになりました」

「えっ、それってヤバいんじゃ」

「たぶん見限られる寸前だったのでしょう。本能的に危機感を抱いたわたくしは……」

 ゴクリ、と僕は生唾を飲み込む。

 ニアさんにとって、そこが運命の分かれ道。

 一歩間違えば『後宮じごく』へ堕とされてしまうという状況で、幼い少女はいったいどんな行動をとったのか――

「……より深い穴を掘りました」

「――なんでだよ!」

「理由は分かりませんが、地中に埋まってしまいたかったのです。記憶はなくとも、そこに母がいると感じたのかもしれません」

「そ、そっか……」

 ノリツッコミをするには重すぎる背景に、僕は沈黙する。

 しかし、その穴がニアさんを救ったというのだから、人生は分からない。

「コツコツ掘り進めていた穴の深さが、ちょうどわたくしの背丈ほどになったときです。突然穴の底から大量の水が湧き出して、わたくしを空の彼方へ放り投げました」

「おお、そりゃすごいな……」

「空に敷かれた水の絨毯は、わたくしを乗せて大神殿の上空をくるくると回りました。地上からは、巨大な水龍がうごめいているように見えたそうです」

「はぁ……」

 ツッコミどころか、もはや相槌を打つことしかできない。精霊術師の世界はオカシすぎる。

 だけど、それはまだ氷山の一角。

 ニアさんの語った次のエピソードで、僕の思考は完全に停止する。

「さすがにそのときばかりは、大巫女様も呆気にとられていました。水龍に乗って地上へ舞い降りたわたくしを見て、大巫女様はこうおっしゃったのです。『こんな娘は見たことがない、貴女は“無限の器”かもしれない』と」

「――えっ!」

「でも、それは気のせいだったようです。大巫女様はそのうち別の娘へ興味を移しました。わたくしよりももっと奇妙な行動をとる娘が現れたので」

「えーと、具体的にはどのような……」

「わたくしが見たときは、木の根の匂いを嗅いでいました」

 ……。

 ……。

 ……うん、そうだろうと思った。

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