百二、角灯
馬車に揺られていた時間は、思ったよりずっと短かかった。
美味しいお菓子に釣られてくれそうな、とびきり可愛い女の子のことを考えてニマニマしているうちに、午後の柔らかな日差しはプツリと途切れ、僕らは再び地下の世界へ。
花道のある正門とは逆の方向にある隠し通路を通って、クロさんの待つ娼館へ一直線に進む。
このルートは王子専用で、他にもスペアが何本か用意されているらしい。
娼館の敷地に入ったことを示す結界を越えると、奥から夜の蝶たちの甘い香りが漂い始める。
自ずと思い出すのは、前回ここを訪れたときのこと。
父親である南のギルドマスターに裏切られ、男性恐怖症になった女性――オリーブさんと対面するために、僕はやむを得ず女装するはめになった。
そこまでは良しとしよう。
でもこの隠し通路があるなら、わざわざ花道を通って見知らぬ男たちにジロジロ見られる必要はなかったはずだ。あんな恥ずかしい目に合わせたクロさんが心底恨めしい。
「僕にもこの道を使わせて欲しかった……」
元ロングスカートだった上着を睨みつけながらボソッと呟くと、正面にいる王子がなぜか生温かい視線を向けてきた。からかうんじゃなく、同病相憐れむって感じで。
ということは……。
「まさか、王子もあの“花道”を?」
「ッ……クロに騙されたんだ」
「でも、王子は背も高いし顔も男前だし、さすがに女装は無理があるんじゃ」
「いや、その……うん」
素直に頷いた王子は、そのまま抱えた膝の間に頭をめり込ませた。王子らしからぬ幼げな返事がことさら哀愁を誘う。
二人そろってしんみりしたところで、馬車は終点に到着。
御者をしてくれた騎士さんが「この先も警護します」と主張するのを「僕がついてるから大丈夫」と説得し、迷路みたいに入り組んだ細い道を徒歩で進む。
黒歴史から立ち直れない王子が、とぼとぼと先頭を歩く。そして同じく凹んだ僕が続き、次に魔力酔いでふらふらのニアさんが。しんがりは虚弱な主を支える水龍という謎の四人パーティで。
数分後、ただの壁にしか見えない小さな扉を開けると。
「――お待ちしておりました、殿下」
十畳ほどの広さのある石造りの地下室で、ランタンの薄明りとともに僕らを出迎えてくれたのは――バジルだった。
伸ばしかけの後ろ髪を革紐でくくり、深緑色の上質なブレザーを羽織ったバジルは、もはや孤児とは思えないほどの貫禄だ。
なにより――バジルは強くなっている。
先日顔を合わせたときと比べて、身体つきも魔力も大きくレベルアップしている。冒険者ランクなら確実にB、もしくはAに届くかもしれないほどの魔力を体内に隠し持ち、肉体強化に繋げている。
この急成長っぷりは普通じゃない。
これがバジルの持つ本来の力なのか、“夜の民”であるクロさんにみっちり鍛え上げられたためか、もしくは以前僕が傷を治し……いや、そのことは考えるまい。
「殿下、応接間でクロ様がお待ちです。こちらへどうぞ」
従者の仕事もすっかり板についたようで、バジルは右手を左胸に添えながら優雅なしぐさで一礼する。
そこまでは完璧だったのに。
「久しぶりだな、バジル」
「えっ、ユウ兄ちゃんっ?」
王子の後ろからひょっこり現れた僕を見てそう叫んだのが、最初の失態。
さらに、僕の背中にぐったりともたれかかる銀髪の美女を見つけた刹那――
「あ……」
ガシャン!
バジルの手から滑り落ちるランタン。ガラスが無残に砕け散り、小さな焔は消えてしまった。
再び訪れた暗闇の中、バジルは瞬きすら忘れて目の前の“女神”を食い入るように見つめる。大きく見開かれたその瞳に映るのは、月光のように淡く輝く銀髪のみ。
……なるほど、普通の男子が精霊術師を見たときのリアクションはこんな感じか。
というか、バジルのリアクションはさっきニアさんに再会したときの僕とそっくりだ。つまり僕は普通ってことだな。よかったよかった。
ようやくメンタルが持ち直した僕は、卒倒寸前のバジルを横目に、背後の二人へ声をかけた。
「王子、ニアさん、ガラス踏んだら危ないんで下がってください」
「うん……」
「はい……」
「バジルはクロさんを呼んできて。ここは僕が片づけとくから」
「あー……」
王子とニアさんはのろのろと動くものの、バジルは駄目だった。僕の指示など耳に入っていないのか、ニアさんの姿をとろんとした目で追いかけるばかり。
「しょうがない、バジルは置いていこう。ついでにニアさんと王子にもここで待っててもらうか」
この二人と一緒に建物の中をうろついて、うっかり一般人とすれ違ったらめんどくさい。ニアさんがアリスみたいに『光のバリア』を使えればいいんだけど、光の精霊をコントロールするのにはもう少し時間がかかるだろうし。
まあ、幸い僕の鼻は本日絶好調だ。
なるべく人を避けつつ、クロさんの匂いを辿ることも不可能じゃない。クロさんを抱えて駆け戻れば時間短縮にもなるし、一石二鳥。
「とりあえず、ランタンだけは直しておこうかな」
僕は荷袋の中から小指の先ほどの小さな魔石を一粒取り出した。
それを手のひらの上に乗せ、飛び散ったガラスの破片を風の魔術で吸引。ある程度の量を集めた後、熱を加えて再生させる。ニアさんの魔力酔いが悪化しないよう、なるべくスピーディに。
すると、背後から鋭い声が飛んできた。
「坊ッ、お前、今何を……?」
「ただランタンを直してるだけですけど」
「そうか、それがお前の力か……噂には聞いていたが、実際にこの目で見るとすさまじいな。異なる属性魔術の多重展開、しかも無詠唱……いったいどんな魔術式を使ってるんだ?」
僕の魔術をきっかけに、王子のメンタルも持ち直したようだ。
というより、美味しい獲物を前にヨダレを垂らすライオンみたいなオーラを放っている。どうやら王子は精霊術師マニアなだけじゃなく、魔術オタクでもあるらしい。
「すみませんが、この魔術については何もお答えできません。魔術技師の秘密です」
こう言えば、さすがの王子も口を噤むしかない。魔術技師って肩書きはすごく便利だ。
それに、王子には申し訳ないけれど、僕にとってこれはなんてことない『生活魔術』の一部。それなりに手際がいいのは、社会科見学でガラス細工の工房を訪れた経験のおかげだし。
しかし、幼馴染にしつこくねだられて、前髪を焦がしながらトンボ玉とビードロを作りまくったことが、よもや異世界で役立つとは……。
自由研究で取り組んだ和紙作りのこともだいたい覚えてるし、この世界に安価な紙を普及させようと思えばできそうだけど、まあそういうのは余裕ができたらってことで。
「よし、完成。あとは火を点けて……と」
無事復活したランタンは、壊れる前よりだいぶ高性能になったらしく、薄暗かった地下室がパアッと明るくなった。具体的にはロウソクと電球くらいの差がある。
再生させたガラスの透明度が増したからかな、と内心自画自賛しつつ、僕はランタンをバジルの方へ向けた。
「じゃあ、クロさんのところに行ってくるよ。王子とニアさんのことを頼む」
優しく声をかけてみたものの、バジルは電池切れのロボ状態。
身体をガクガク揺さぶろうとも、頬をペシペシ叩こうとも、ぴくりとも動かない。もちろん視線はニアさんに釘づけのままだ。
明るい光の中でよく見ると、叩いた頬だけじゃなく耳の先まで赤く染まっている。呼吸も荒く動悸も激しい。
もしかしたら、今バジルは二度目の恋に落ちているのかもしれない。本当に不憫な子だ。
「うーん、困ったな。ニアさんのボディガードは水龍で大丈夫だけど、王子を守ってくれるとは思えないし……」
と、ため息混じりに呟いたとき。
キラッ!
と、ランタンのガラスが輝いて。
ふわり。
と、僕の右手が勝手に浮かび上がった。
正確に言うと、僕の右手に握られていた“物体”が……。
……。
……。
『カタリ』
重力に逆らって、僕の顔の前までふよふよと浮かび上がったランタン。
そのガラスを支える鉄の取っ手部分が、僕の顔の前でブランコみたいにぐらんと揺れ動く。僕に“力”を見せつけるかのように。
ガラスの中の炎も、いかにもやる気満々といった感じでメラメラ燃え上がる。揺らめくその炎の形は、龍の尻尾みたいに見えなくもない……。
先ほどより一層光を増して、蛍光灯レベルの明るさになった部屋の中、僕はぐいぐいと至近距離に迫りくるランタンへ問いかけた。
「えっと……僕はクロさんのところに行ってくるから、王子たちのことを頼んでいいかな?」
『カタリ』
「そっか、じゃあよろしく……」
そう言って床に下ろそうとしたところ、ランタンはなぜか胴体を横に揺すった。ちょっと不満げな感じで。
「あの、何か問題が……?」
『……』
「お願いします?」
『……』
「ランタンの、ランちゃん?」
『カタリ』
コクン、と頷くようなしぐさをしたランタンは、勝手に僕の手を離れ、つうっと水平移動を開始。
名前をつけられたのがよほど嬉しかったのか、くるくると横に回転しながら遠くへ飛んでいく。遊園地のティーカップみたいに。
そして、その先にいるのは――
「坊、お前、今何を……」
楽しげに宙を舞うランタンを前に、目玉が飛び出さんばかりに瞠目している王子。今にも倒れそうなほど顔色が真っ青だ。気付け薬代わりに、ズボンのポケットに入れたお宝の真珠を口の中に放り込む。
一方、ニアさんは体調不良など吹っ飛んでしまったようだ。
「ゆ、ユウ様……今何を……」
頬をバラ色に染めたニアさんが、胸の前で手を組み合わせ、新たな真珠をポロポロと零しながら囁く。
いたたまれなくなった僕は、サッと視線を逸らして。
「ただランタンを直しただけです」
「ですが、これほどまでに神気が増して……それに水の精霊も言っています、『炎の上位精霊が新たに生ま」
「――水龍君はちょっと黙ってて」
僕の声にビクンと反応した水龍は、鋭く裂けた大きな口をパタンと閉じた。
しかし興奮が抑えきれないのか、長い尻尾をうねらせて、バシバシと石の床を叩きまくる。このまま放置すれば地下室を崩壊させかねない。
すると、王子たちの前でくるくる踊っていたランタンが動いた。
ぴゅんっと飛んで水龍の尻尾の先に止まるや、「静まりなさい」と言うように炎を揺らめかす。水龍もしゅんと大人しくなる。
水と炎、相反する精霊だけど、二人の相性は悪くなさそうだ。
なにより、二人が触れ合うだけで室内の神気がぐわりと膨れ上がる。悪意を持った人間が安易に踏み込めば、一瞬で意識を刈り取られてしまうだろう。
……うん、これなら大丈夫だな。
僕は「行ってきます」とにこやかに告げて、その地下室を抜け出した。




