第24話:ふかふかベッドと、涙の夕食
「……生きてて、本当によかった……っ」
湯上がりに真っ白な浴衣を羽織ったサトラは、食事処の畳の上に座り込んだ瞬間、大粒の涙をぽろぽろと零した。 その目は、さっきまでの過労死寸前の「死んだ目」ではない。温泉によって血行が劇的に改善され、ほんのりと桜色に上気した、瑞々しい大人の女性の瞳に戻っていた。
低級冒険者たちも、湯上がりの火照った身体を畳に投げ出し、「最高だ」「天国かよ」と口々に呻いている。日々の過酷な労働と戦闘で擦り切れていた彼らの精神は、すでに温泉の魔力によって半分以上骨抜きにされていた。
だが、極上のリゾートの真の恐ろしさは、ここからだった。
「へいお待ち! 湯上がりにはこいつだ。腹を空かせたガキども、残さず喰らい尽くしな!」
奥の厨房から、地響きのような図太い声と共に姿を現したのは、ドワーフの厨房長ガルバだ。彼が両腕に抱えた大きな盆の上には、異世界の常識を完全に置き去りにした「和洋折衷のフルコース」が並んでいた。 ドスン、とテーブルに置かれた瞬間、部屋中に暴力的とも言える芳醇な香りが爆発する。
「な、何よこの料理……!? お肉やお魚が、キラキラと輝いてる……っ」
サトラが息を呑む。 目の前に並んだのは、艶やかに炊き上がった銀シャリ(白米)、じっくりと出汁を取った新鮮な魚介の味噌汁、そしてメインは、ガルバが神速の包丁さばきでさばいた最高級マグロの刺身と、特製生醤油をハケで塗り、炭火でパチパチと香ばしく炙った「牛肉の照り焼きステーキ」だ。
「さあみんな、箸の使い方はさっき教えた通りだ。遠慮せずに食べてくれ」
アキトが「しがない雇われ管理人」の笑みを浮かべて促す。 飢えた狼のように、冒険者たちが一斉に料理へと掴みかかった。まずは、照り焼きの塊を箸で持ち上げ、豪快に口へと放り込む。
「う、うまあああああああああいッ!!!」
一人の冒険者が、あまりの美味さに咆哮をあげた。
「何だこれ、肉が……口の中で一瞬で解けて消えたぞ!? それにこの甘辛い極上のタレは一体何なんだ! 噛むたびに、暴力的なまでの旨味が脳髄を直接殴ってくる!!」
「この、白い穀物(米)と一緒に食うと、美味さが無限に増幅しやがる! 止まらねえ、手が勝手に動くぞ!」
サトラもまた、震える手でマグロの刺身を一切れ、生醤油にちょんとつけて口に運んだ。
「──っ、う、うそ……っ」
モグ、っとひと噛みした瞬間、サトラはあまりの衝撃に両手で口を覆い、そのままテーブルに突っ伏して号泣した。
「美味しい……美味しいわ、これ……っ! 街の食堂の、あの雑巾みたいな臭いのする生ゴミみたいな魚は何だったの!? 臭みがまったく無いどころか、とろけるような脂の甘みと、この漆黒の調味料の深いコクが合わさって……心が、心が洗われていく……っ!!」
涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、サトラは狂ったように白米と刺身を口に掻き込んだ。 異世界の劣悪な食環境で生きてきた彼らにとって、出汁の旨味、味噌の優しさ、醤油のコクが融合した和食の破壊力は、文字通り「脳を破壊する」に等しい快挙だった。
全員が一杯、また一杯と白米をおかわりし、器の底を舐めるようにして完食した。あまりの満足感に、誰もが腹をさすりながら、心地よい疲労感と眠気に襲われ始める。
「くっくっく、皆さん、仕上げはあちらの部屋です。どうぞ、ごゆっくり」
アキトが案内したのは、廊下の先にある客室だった。 引き戸を開けた瞬間、一同の前に現れたのは──前世の高級旅館そのものの、「ふかふかの羽毛布団が敷かれた畳の部屋」。
「毛布じゃない、なにこれ、お布団……? このお布団……触っただけで、指が沈み込んでいくわ……」
サトラが恐る恐る布団に触れる。 この世界の寝床といえば、固い藁のベッドか、地面に毛布を敷いた雑魚寝が基本だ。ダニもいなければ、ゴツゴツした岩の感触も一切ない、DPをふんだんに使って生成された「超高密度ふかふか羽毛布団」。
「……おやすみなさい」
サトラは言うが早いか、布団にダイブした。ふすん、と心地よい音を立てて、彼女の華奢な身体が雲のような綿の中に包み込まれる。
「あ、あぁぁ……もう動けない……。私の身体、今、完全にこのお布団と一体化してる……」
「極楽、これぞ極楽だ……」
男たちもそれぞれの布団に倒れ込み、わずか三秒で爆音のいびきをかいて深い眠りに落ちていた。 温泉で肉体の疲労を限界まで溶かされ、最高の飯で脳の満腹中枢を麻痺させられ、最後にこのふかふかベッド。いかなる高位の精神防御魔法をも貫通する「快楽の波」に、彼らは完全に敗北したのだ。
翌朝。 小鳥のさえずり(疑似音)で目を覚ましたサトラたちは、信じられないほど軽くなった身体に驚愕しながら、アキトの元へと這い寄った。 サトラはアキトの両肩をがっしりと掴み、血走った目で懇願した。
「頼むわアキト、お願い……! 金なら払う、ギルドの給料を全部前借りしてでも払うから、私をここに連泊させて!! もう、あの糞脳筋どものいる街には帰りたくないのぉぉぉ!!」
「アキト、俺たちもだ! 頼む、ここで一生雑用でも何でもするから、もう一晩だけ泊めてくれ!!」
涙目で縋り付いてくる大人たち。
──ピコーン!
【滞在者の『完全なる依存』を検知】
──ピコーン!
【滞在時間DP:1名あたり毎時+150のボーナスレートに突入しました】
アキトは心の中でガッツポーズを決め、大勝利を確信した。 泣き叫ぶ常連客第1号たちを前に、アキトは「困ったなぁ」という風に眉を下げながらも、腹の底ではカンストの勢いで跳ね上がるDPの数字を見て、狂おしいほどの「悪い笑顔」を噛み殺しているのだった。




