第23話:ダンジョンの中に、温泉!?
「ちょっとアキト君……本当に大丈夫なんでしょうね? 私、これでも現役のギルド職員よ。もし怪しい闇カジノだとか、新興宗教の集会場に連れ込もうって言うなら、その瞬間に首根っこを掴んで憲兵に突き出すから……」
第4階層へと続く細い回廊を歩きながら、サトラは相変わらず光の消えた「死んだ目」でアキトを睨みつけていた。 目の下には、連日の脳筋冒険者たちのトラブル処理と、終わりなき書類仕事によって刻まれた、濃い隈が居座っている。精神的にも肉体的にも完全に限界を迎えたブラック労働の被害者は、歩くたびに幽霊のような陰鬱なオーラを放っていた。
「おいおいサトラ、アキトを疑うなよ。あのケチなアキトが『タダで極上の飯を奢る』って言ったんだ。きっと何か途方もない幸運を掴んだんだよ!」
「そうそう! 固い干し肉以外の肉なら、俺は何でも大歓迎だぜ!」
後ろからついてくるのは、いつも怪我だらけで錆びた鉄剣をぶら下げている、アキトのFランク時代の貧乏冒険者仲間たちだ。彼らは修学旅行にでも行くかのようなノーテンキさで、無邪気に盛り上がっている。
「安心してください。正真正銘、心も身体も洗われる最高の場所ですから。──さあ、着きましたよ」
アキトがそう言って、回廊の先にある立派な木製の引き戸をガラガラと開け放った。
「え──」
その瞬間、サトラたちの言葉がピタリと止まった。
一歩足を踏みれた先。そこは、異世界のいかなる場所にも存在しない、異次元の光景だった。 頭上に広がるのは、ダンジョン内とは思えない、美しく煙る夕暮れ時のグラデーション。石畳の小路の両脇には竹灯籠が並び、その先には「男湯」「女湯」と書かれた、風情ある藍色の暖簾が優しく揺れている。
何より彼らを圧倒したのは、あたり一帯に立ち込める、しっとりとした白く温かい「湯煙」と、どこか鼻腔をくすぐる独特な硫黄の香り。そして、耳に心地よく響く「コン、……カラン」という鹿威しの情緒ある音だった。
「な、何よこれ……。ここ、本当にダンジョンなの!? 街の浴場みたいにドブ臭くないし、なんだか空気がものすごく、柔らかい……?」
サトラが困惑し、キョロキョロと周囲を見回す。アキトはそんな彼女たちに、DPで生成した最高の手触りを誇る「バスタオル」と「浴衣」のセットを慣れた手つきで手渡した。
「さあサトラさんはあっちの暖簾、男どもはこっちだ。荷物を脱衣所に置いたら、まずは湯船に飛び込んきてください。話はそれからだ」
数分後。 脱衣所で衣服と共に、日々の「冒険者としての警戒心」という名の鎧を脱ぎ捨てた一同は、大浴場へと足を踏み入れた。
「う、うわあああああ!! なんて広さだ!!」
「これ、全部お湯なのか!? 水じゃない、温かいぞ!!」
男湯の扉を開けた貧乏冒険者たちが大絶叫をあげる。 そこに広がっていたのは、見事なヒノキ造りの大浴場。24時間、ルミナの完璧な魔力操作とダンジョンの環境結界によって、常に 41.5°C の最適値に保たれた、並々と注がれる天然温泉(仕様)の湯船だった。
「おい、いくぞ……! せーのっ!」
ザブウウウウウウウウウウンッ!!!
大の大人たちが、子供のように一斉に湯船へと飛び込んだ。溢れ出た大量のお湯が床の石畳を濡らし、ザバーッと豪快な音を立てて、排水溝へと流れていく。
「──ッ、~~~~~~~っっ!!!!」
お湯に肩まで浸かった瞬間、彼らの口から、言葉にならない狂気的な歓声が漏れた。
「あ、熱い……いや、信じられないくらい気持ちいい!! 身体の芯まで熱が染み込んでくる……っ!」
「おい、見てみろよ! 毎日ゴブリンと殴り合ってガチガチに凝り固まってた肩の筋肉が、まるで魔法にかかったみたいに、みるみる解けていくぞ……!?」
いつも冷たい川の水で身体を拭くか、街の不衛生な乗り合い浴場で垢を落とすことしか知らなかった低級冒険者たちだ。全身を包み込む「圧倒的な質量と温度の癒やし」の前に、彼らの野生の防衛本能は、一瞬にして消滅した。
一方、その頃。女湯の広大な「露天風呂」では、サトラが一人、岩に背を預けて湯船に浸かっていた。
目の前に広がるのは、疑似的ながらも完璧に再現された、満天の星空と美しい月。 首まで温泉に浸かったサトラは、じわぁ、と全身の毛穴が開き、日々の疲れとストレスが文字通り「お湯に溶けて流れ出していく」のをリアルに感じていた。
「ふあぁぁぁ……っ、はふぅ……」
サトラの口から、今まで出したこともないような、ひどく間の抜けた、そして至福に満ちた吐息が漏れた。
毎日毎日、ギルドの窓口で「おい、報酬が少ねえぞ!」と怒鳴り散らす脳筋冒険者たちの相手。深夜まで及ぶ、終わりの見えない羊皮紙の書類仕事。冷え切った自室で、疲れ果てて泥のように眠るだけの日々。
「あぁ……神様……。私、生きててよかった……。死ぬほど重かった頭痛が消えていく……。肩の痛みが、ないわ……」
サトラの死んでいた目に、じわりと涙が浮かび、そこへ月の光が美しく反射する。 温泉の成分が彼女の荒れた肌を優しく潤し、過労死寸前だった心と身体を、根底から引き上げ再起動していく。
「あはは、アキトのやつ、本当に最高の場所を見つけやがって……!」
「もう一生、ここから出たくねえええ!」
壁の向こうから聞こえる仲間たちのバカ騒ぎする声すら、今のサトラには心地よいBGMのようだった。
──ピコーン!
【滞在者の精神的完全緩和を検知】
──ピコーン!
【『至福(快楽)』による足止め成功:滞在時間DPの獲得レートが通常の5倍に上昇しました】
客が温泉でふにゃふにゃになればなるほど、裏で爆速で跳ね上がっていくDP。 マスター室の画面でそれを見ていたアキトは、湯上がりの冷たい「どぶろく」を一口あおり、これ以上ないほど邪悪で、そして満足げな笑顔を浮かべるのだった。




