第2話:スカスカの最奥、愚痴る大精霊
歪んだ空間をくぐり抜けた瞬間、全身を包んでいたむせ返るような草の匂いと、耳を刺すほどにうるさかった蝉時雨が、ピタリと止んだ。
「おわっ……!?」
足を踏み出した先は、じっとりと肌を刺すような冷たい空気の満ちる、薄暗い洞窟だった。 慌てて振り返るが、今しがた通ってきたはずの緑豊かな森の景色はどこにもない。あるのは、ただ細く、奥へと続く無機質な岩の通路だけ。いわゆる、一方通行の隠しダンジョンというやつだ。
アキトは心臓の鼓動がドクドクと跳ね上がるのを感じながら、錆びて刃の欠けた採取用ナイフを必死に構えた。
(やっちまった。完全に未発見のダンジョンだ。どうする、最弱のFランクがこんなところに迷い込んだら、最初のゴブリン一匹で詰むぞ……!)
異世界におけるダンジョンとは、神のシステムが生み出した『人類を間引くための殺戮場』だ。 中にはおぞましい魔物が溢れ、巧妙に仕掛けられた、いやらしい落とし穴や毒矢のトラップが張り巡らされているのが常識。アキトのような一般人に毛が生えた程度の能力では、ただの肉の塊にされる未来しか見えない。
だが――数分、いや数十分が経過しても、何も起きなかった。
「……あれ?」
恐る恐る足を進めてみるが、魔物の気配がまったく無い。ただ自分の足音だけが虚しく洞窟に響く。 床を踏み鳴らしても隠しスイッチやトラップの気配はなく、天井を見上げても吸血コウモリの一匹すら張り付いていなかった。それどころか、道は驚くほどまっすぐで、迷いようがない。
罠もない。魔物もいない。あまりにも「スカスカ」な手抜き空間。
そのまま拍子抜けするほどあっさりと最奥の開けた広間に辿り着いたアキトは、そこで奇妙なものに遭遇した。 部屋の中央、古びた石の台座の上に、不釣り合いなほど禍々しく、かつ美しく輝く結晶体がぽつんと浮いていたのだ。
淡い紫と、刺すような赤の光を交互に放つ、人間の頭ほどの大きさの結晶。
「これって……『ダンジョンコア』、だよな?」
ギルドの講習で聞きかじった程度のにわか知識だが、さすがに知っている。ダンジョンの心臓であり、すべての魔物を生み出す源。高ランク冒険者が命がけで破壊し、国が総力を挙げて管理する超一級の指定危険物だ。 それが今、完全に無防備な状態で目の前に転がっている。
「……これ、拾って街に持ち帰ったら、一生遊んで暮らせるんじゃ」
貧乏生活からの脱出という強烈な誘惑に駆られ、アキトは引き寄せられるように手を伸ばした。 ごくりと唾を飲み込み、その滑らかな宝玉を思わせる冷たい結晶の表面に、指先が触れた――その瞬間。
結晶から、爆発的な光が放たれた。
「うわあああ!?」
あまりの眩しさにアキトは腕で顔を覆い、後ろへひっくり返る。 まばゆい光の粒子が部屋中に渦巻き、やがて台座の上に、厳かな光の影を形作っていった。
光が収まったそこに立っていたのは、一人の女性だった。
透き通るような白銀の髪に、神秘的な深い青の瞳。背中には薄い羽のような光の衣を纏い、およそこの世のものとは思えないほど、完璧で神聖な美しさを持った美女。 ギルドの神話に登場する上位の存在。間違いない、これは大精霊だ。
アキトがその神々しさに息を呑み、五体投地でもすべきか迷った――その瞬間。
美しき大精霊は、その端正な顔をこれ以上ないほど般若のように歪め、天に向かって思い切り中指を突き立て絶叫した。
「あのクソ神があぁぁぁぁぁぁ!!! いい加減にしろよマジでえぇぇぇ!!!」
「……えっ?」
あまりにも想定外すぎる第一声に、アキトの思考は完全に停止した。
「『ちょっと暇つぶしにダンジョン作ってみて~☆』じゃねえよ! 人の都合も考えずに丸投げしやがって! 予算(初期ポイント)もまともにくれないくせに、ノルマ(侵入者抹殺数)だけは一丁前! 現場の苦労を知らねえくせに上から指示だけ出しやがって、あのご都合主義のバカ創造神がぁぁぁ!!」
大精霊――ルミナは、豊かな胸を激しく上下させながら、息も絶え絶えに怒号をぶちまけ続ける。
その姿には、神聖な世界の守護者としての威厳など微塵もなかった。 それは、深夜二時のオフィスで理不尽な無給残業を強いられ、完全に心が限界を迎えたブラック企業の『社畜』そのものの姿だった。




