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第19話:どぶろく乾杯と、人手不足

「──よし、これで最後の絞り込みだ」


 マスター室の静寂の中、アキトは目の前にある目の粗い麻布を、ゆっくりと、しかし均一な力でねじり絞った。 ぽた、ぽた、と小気味よい音を立てて、DPで生成した特製の木製片口かたくちへと落ちていくのは、雪のように白いおりが混ざり合った、乳白色の神聖な液体。


 米、水、およびルミナエアコンによる徹底的な温度管理で育て上げた麹。 時間加速の裏技によって、通常なら数週間かかる並行複発酵をわずか数日に圧縮し、今、ここに前世の記憶に眠る「日本酒」のベース素材になる──『どぶろく(濁酒)』が完成した。


「ふわぁぁ……アキト、これ、凄く甘くて、それでいてツンと鼻をくすぐるような、不思議な香りがするわ……」


 諸味もろみの入った樽の横で、ルミナが待ちきれないと言わんばかりに小さな鼻をピクピクと動かしていた。すでに彼女の目は、未知の液体に完全に釘付けだ。


「お待たせ、ルミナさん。これが俺の故郷の伝統的なお酒──『どぶろく』だ。まずは一杯、いってみよう」


 アキトは木製のお猪口に並々と濁り酒を注ぎ、ルミナに手渡した。自分も器を持ち、互いの器を軽く合わせる。カツン、と乾いた音が響いた。


「俺たちの永久機関と、楽園のインフラに──乾杯」

「かんぱーい!」


 ルミナは躊躇なく、お猪口を傾けて白い液体をグイッと口に含んだ。 モグモグ、とまるでお粥でも味わうように口を動かした直後、大精霊の動きがピタリと止まる。その白い肌が、瞬く間に林檎のような鮮やかな紅色へと染まっていった。


「っ……~~~~っっ!?」


 ルミナは声にならない悲鳴をあげてお猪口を取り落としそうになり、そのまま絨毯の上へとへなへなと座り込んだ。背中の光の羽が、興奮のあまりチカチカと高速で明滅している。


「な、何これぇぇぇぇ……! お口の中で、お米の優しい甘さと、フルーツみたいな爽やかな酸味がシュワシュワって弾けたわ! それに、喉を通ったあとに、お腹の奥がカァァッと熱くなって……っ。何よこれ、美味すぎるわよアキト!!」

「だろ? 発酵の途中で生まれる天然の炭酸ガスと、米の旨味がそのまま残ってるからな。この世界の、あの酢みたいに熱くて酸っぱいだけのワインや、発酵が未熟で濁ったうっすいエールとはワケが違うのさ」


 アキトも己の器を干した。 五臓六腑にしみわたる、懐かしくも鮮烈な日本の味。思わず「くぅぅっ……!」と声が漏れる。転生して五年、五年間焦がれ続けた「本物の酒」が、今、自分のダンジョンで、無限に生み出せるようになったのだ。


「もう一杯! アキト、もう一杯ちょうだい! 私、これがあれば、あのクソ神にどれだけ理不尽な業務を押し付けられても笑顔で耐えられるわ!」


 お猪口を差し出して早く早くと催促するルミナ。世界最高位の大精霊は、完全に「どぶろく」の魔力の前に昇天していた。アキトは苦笑しながら酒を注ぎ足し、ふと真面目な顔になって虚空を見上げた。


「……なぁ、ルミナさん。このお酒、絶対に隠し通さなきゃダメだからな」

「え? なんでよ? こんなに美味しいんだから、神様に自慢してやれば──」

「バカ言え。あいつ(神)に、こんな美味い酒がシステムログ経由でバレてみろ。絶対に天界から直電がかかってきて『私にもよこしなさい!』って無茶振りされるに決まってる。下手したら無理やり全部利権を奪われて、俺たちの引きこもりライフが脅かされるぞ」


 アキトの言葉に、ルミナはハッと我に返り、青い瞳を鋭く光らせた。


「……確かに。あの強欲引きこもり神なら、一滴残らず強奪しにくるわね。よし、このお酒は私とアキトだけの『最高機密』よ。漏洩させた奴は、私の古代魔法で記憶ごと消去してあげるわ」

「頼もしいね。……でも、その機密を守るためにも、俺たちは今、とてつもない『壁』にぶち当たってるんだ」


 アキトは、手元のシステムウィンドウに表示された、広大な1〜3階層のマップを見つめた。


「人手が、圧倒的に足りない」

「人手?」ルミナが首を傾げる。

「ああ。これまでは俺とルミナさんだけで回してきた。けど、第1階層の海には毎日何何百匹ものマグロや高級魚が泳ぎ、第2階層には広大な水田、第3階層には家畜の山だ。これを俺一人で毎日さばいて、田畑を管理して、料理を仕込むなんて物理的に不可能だ。何より、俺の理想は『完璧な温泉リゾートの管理人』として、裏で不敵に笑いながら引きこもり生活を送ることだ。毎日汗水垂らして泥塗れで働くワンオペじゃ、前世のブラック企業と何も変わらない」


 アキトの目が、かつての限界社畜時代の濁った色を帯びる。彼は二度と、あの労働地獄に戻るつもりはなかった。


「調理=キル確認の仕様でDPを稼ぐためにも、この広大な楽園を維持するためにも、厨房と現場を完全に任せられる『信頼できるプロの右腕』が絶対に必要だ。……それも、口が堅くて、技術が人類最高峰の職人がな」

「そんな都合のいい人間、この街にいるわけ……」

「いるんだよ、これが」


 アキトは不敵な笑みを浮かべ、ギルドのサトラから小耳に挟んでいた「噂」を思い出した。


 上層部の腐敗にブチ切れて王宮を飛び出し、今はこの内陸都市の場末の安宿で、毎日泥酔して腐っている元王宮料理長のドワーフ。頑固一徹、妥協を許さない料理の鬼。


「よし、ルミナさん。ちょっと人間界に行って、俺たちの『厨房の支配者』を拉致……いや、スカウトしてくる。最高の餌(白米と醤油)を持ってな」


 アキトは炊きたての白米を魔法の木箱に詰め、出刃包丁を腰に差した。 完全なる引きこもりリゾート計画。その未来を左右する、頑固なドワーフ親父との知恵比べの幕が上がろうとしていた。

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