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第18話:漆黒の液体と時間加速のからくり

「……できたわよアキト。私の完璧な魔力制御のおかげで、一粒一粒の芯まで綺麗に麹菌が回ったわ。ほら、見てみなさい!」


 ルミナが誇らしげに胸を張り、特製の麹室(木箱)の蓋を開けた。 中に収められていたのは、ふんわりとした白い菌糸に包まれ、どこか栗のような甘く香ばしい香りを漂わせる見事な「大豆麹」と「麦麹」だった。大精霊をエアコン代わりに使うという前代未聞の暴挙は見事に功を奏し、最高品質の麹が完成したのだ。


「素晴らしい、完璧だルミナさん! さすが世界一の超高性能エアコンだ!」

「だからエアコンって言うな!……で、これでようやくあの『ショウユ』と『ミソ』ってやつが完成したのね!?」


 期待に目を輝かせるルミナに、アキトはすり潰した大豆と塩を混ぜて樽に仕込みながら、あっさりと首を横に振った。


「いや、ここからが本番だ。これをじっくり寝かせて、発酵・熟成させなきゃいけない」

「へえ、どれくらい寝かせるの? 今日の夜ご飯には間に合うの?」

「普通にやったら、最低でも数ヶ月。極上の生醤油や深いコクのある味噌に仕上げるなら、丸一年はかかるな」

「はぁぁぁぁ!? 一年!?」


 ルミナの声がマスター室に響き渡った。美味しい和食が今すぐ食べられると信じて三十二度の温度管理を健かに耐え抜いた大精霊は、絶望のあまり頭を抱えてソファに崩れ落ちた。


「一年なんて待てるわけないじゃない! 私は今すぐあのマグロを美味しく食べたいのよ! 詐欺よ、お肉の塩炒めで私を釣っておいて生殺しなんてあんまりだわ!」

「まあ落ち着けって。普通の世界なら一年かかる。だが、ここはどこだ?」


 アキトはくつくつと不敵に笑いながら、禍々しく輝くダンジョンコアを指差した。


「ここは神様が作った、ルールに縛られたダンジョンだ。そして、ルミナさん。あんたの持つ固有魔法のリストの中に、確か空間の【時間加速】があったよな?」

「え? ええ、あるけど……。あれは本来、強力な侵入者を老化させて弱体化させるための罠魔法よ? 空間全体に維持しようとしたら、私の魔力だって数分で底を突くわ」

「空間全体にかけるからコストが跳ね上がるんだよ。対象を、この『樽の中だけ』に限定したらどうだ? 何か問題あるか?」


 アキトの言葉に、ルミナの青い瞳がピシリと止まった。


「樽の中、だけ……?」

「そうさ。さらに、システムの安全制限で弾かれる魔力消費の穴は、俺がマスター権限で『DP』を直接流し込んで上書きする。大精霊の固有魔法×ダンジョンポイント。樽の内部の時間だけをピンポイントで数百倍に加速させるんだ!」

「ちょっと、それって完全に神様のシステムの欠陥を突いた禁忌の裏技じゃないの!?」

「禁忌の裏技じゃない、仕様の有効活用だ。さあ、やろうルミナさん。一年を数日に縮めるぞ!」


 アキトの悪い笑顔に完全に引き込まれたルミナは、もはや躊躇わなかった。 アキトがコアにコマンドを入力し、DPを樽へと注ぎ込む。それと同時に、ルミナが樽の周囲に極小の時間歪曲結界を展開した。


 ゴォォォ……と、樽の周囲の空気だけが微かに陽炎のように歪む。 本来なら、四季の移り変わりを経てじっくりと進むはずの神秘の分解反応が、樽の内部で凄まじいスピードで圧縮されていく。DPのカウンターがガリガリと削れていくが、屑魔石の錬金ループを持つアキトにとっては安い投資だった。


 そして、わずか三日後。


「よし、結界解除だ!」


 アキトの合図でルミナが魔法を解く。アキトは厳重に密閉されていた樽の蓋を、ゆっくりと取り外した。


 ふわぁぁぁ……。


 その瞬間、マスター室の空気が一変した。 大豆が極限まで分解され、アミノ酸の爆弾へと進化した、あの濃厚で、香ばしく、どこか懐かしい「醤油の諸味」の香りが部屋いっぱいに広がったのだ。


 アキトは布を使って諸味をゆっくりと絞り出した。 ポタポタと、器の底に落ちていくのは、濁りのない、美しい漆黒の液体──絞りたての『生醤油』だ。もう一つの樽からは、芳醇な香りを放つ黄金色の『完熟味噌』が姿を現していた。


「これが……ショウユ……?」


 ルミナが恐る恐る近づき、漆黒の液体を見つめる。アキトは匙に一滴だけ醤油をすくい、「舐めてごらん」と差し出した。


 ルミナは遠慮がちに口先を近づけ、小さな舌先でそれをひと舐めした。 直後、彼女の身体が跳ね上がるように震えた。


「な……ななな、何これぇぇぇぇ……っ!?」


 ルミナは両手で自分の頬を押さえ、あまりの衝撃に足元をふらつかせた。


「しょっぱい……のに、ただの塩と全然違う! 脳の奥がパニックを起こすくらい、ものすごい『旨味』が押し寄せてくるわ! 深くて、濃くて、香ばしくて……何なのこの漆黒の聖水は!?」

「ククク、これが発酵の力、日本の知恵だよ。さあ、本番はここからだ」


 アキトはすぐに、第1階層から釣り上げておいた新鮮なマグロを一切れ、綺麗に平造りにした。そして、その美しい赤身の刺身に、今完成したばかりの生醤油をちょんとつける。


「さあ、召し上がれ。これが本物の『マグロの刺身』だ」


 ルミナが震える手でそれを口に運ぶ。 咀嚼した瞬間、彼女の背中の光の羽が最大出力で輝き、マスター室がまばゆい光に包まれた。


「美味しいぃぃぃ! 塩で食べた時より、マグロの脂の甘みが百倍引き立ってるわ! お魚の生臭さが消えて、この黒い液体とお魚が、お口の中で完璧に手を取り合ってダンスを踊ってるみたい!!」

「だろ? 味噌汁の方も飲んでみな」


 アキトが差し出した、魚のあらで出汁を取り、完熟味噌を溶かした汁をズズッとすすったルミナは、そのまま「ふにゃぁ……」と声を漏らしてソファへと沈没した。美味さのあまり、大精霊の魂が半分天に召されかけている。


「もうダメ……私、これがない世界には二度と戻れないわ……」

「気に入ってくれて何よりだ。……っと、待てよ?」


 ふと、アキトの視線が、第2階層から収穫してきた『米』、第1階層の清らかな『水』、そして目の前にある最高の『麹』へと向いた。


 前世の記憶が、アキトの脳内でカチリと音を立てて繋がる。米、水、麹。この3つが完全に揃った状態。


「……おいルミナさん。これ、味噌と醤油だけじゃないぞ」

「え? 何がよぅ……(まだ刺身の余韻に浸っている)」


 アキトの唇の端が、過去最高に邪悪に、そして歓喜に歪んだ。


「開通しちまった。前世の日本人の魂を激しく揺さぶる……『日本酒』への製造工程が、今完全に解放されたぞ……!」


 誰も殺さない楽園の食卓で、転生者アキトの食への執念は、ついに世界の理をも揺るがす禁断の領域へと足を踏み入れようとしていた。

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