第12話:大精霊の胃袋、陥落す
【──現保有ダンジョンポイント(DP):1,450 ──】
脳内に響くシステム音声の響きは、もはや心地よい音楽のようだった。 アキトが屑魔石をすべてコアに捧げ終えたとき、かつて殺風景で冷え切っていた岩のマスター室は、劇的な変化を遂げていた。
四桁に到達したDPを惜しみなく注ぎ込み、最初に生成したのは「生活環境の劇的改善」だ。 ゴツゴツした岩肌の床には、毛足の長い、ふかふかの絨毯が敷き詰められている。部屋の隅には、前世の高級ソファをイメージして作らせた、沈み込むようなクッション付きの長椅子。さらには、部屋全体の温度を常に二十四度に保つ「環境結界」まで常時発動させていた。
「はぁ〜……極楽、まさに極楽だわ……」
つい数日前まで「クソ神がぁぁ!」と天に向かって中指を立てていた世界最高位の大精霊は、今やその高級ソファにだらしなく寝そべり、ふかふかのクッションに顔を埋めていた。白銀の髪が絨毯に広がり、神秘的な威厳はどこへやら、完全に実家でゴロゴロする休日の干物女と化している。
「快適で何よりだけど、ルミナさん。これだけで満足しちゃ困るよ。人間、環境が整ったら次に求めるのは決まっているだろ?」
アキトは、DPで生成したピカピカの鉄製フライパンと、簡易的な魔導コンロの前に立っていた。 手元にあるのは、塩のあぶく銭(大銀貨の残り)で街の市場から買ってきた、新鮮なオークのバラ肉、シャキシャキした野生の玉ねぎに似た球根、そして数種類のハーブだ。
「……? 何か始める気? 衣食住の『食』なら、ダンジョンのマスター支援機能で、最低限の栄養分は常に身体に供給されてるから、お腹は空かないはずだけど?」
ルミナがクッションから片目を覗かせて不思議そうに首を傾げる。
「ルミナさん、それは『栄養の摂取』であって『食事』じゃない。前世の言葉にこういうのがあるんだ。『人間はパンのみに生きるにあらず』。ましてや、俺は食への執念だけは人一倍強い、元日本人だ」
アキトの目が、職人のそれへと変わる。 この世界の食事は、本当に酷いものだった。ギルドの酒場で出されるのは、カチカチに乾燥して塩辛いだけの干し肉か、獣臭さを消しきれていないドロドロのシチュー。出汁の概念もなければ、火加減の調整という概念も希希だ。
「この世界に転生して五年、ずっっっと我慢してきたんだ。美味いものが食べたいってな!」
アキトはコンロに火を点けると、細かく刻んだオークの脂身をフライパンに敷いた。 ジジジ、と心地よい音が響き、香ばしい脂の香りがマスター室に広がり始める。
「な、何その匂い……? 凄く香ばしいというか、お肉の匂いなのに、街の食堂みたいな嫌な臭みが全然しない……」
匂いに釣られ、ルミナがソファからぬっと上半身を起こした。青い瞳がフライパンの上の肉をロックオンしている。
アキトは手際よく、薄切りにしたオーク肉と玉ねぎを投入。強火で一気に炒めていく。 味付けは、もちろん自家製の「純度100%の極上白塩」、そしてハーブを少し。前世の「肉玉炒め」の再現だ。さらに横の小鍋では、肉の端材とハーブでじっくりと出汁を取った、透き通ったコンソメ風スープが優しく湯気を立てていた。
シャキ、ジュー、と小気味よい音が響き、ハーブと肉の脂が混ざり合った、暴力的とも言える極上のアロマが部屋中に充満する。
「はい、お待たせ。アキト特製、オーク肉と玉ねぎの塩ハーブ炒め、特製スープ添えだ」
木のプレートに美しく盛り付けられた料理が、ルミナの目の前に差し出された。
「……いただきます。一応言っておくけど、私、大精霊だからね? 人間の作る料理なんて、何百年も前に王宮の晩餐会で──」
ルミナは予防線を張るようにふん、と鼻を鳴らし、木製のフォークで肉と玉ねぎを同時に口へと運んだ。 モグ、と一口、咀嚼する。
「──っ!?」
ルミナの身体が、電流が走ったようにビクンと硬直した。青い瞳が、これ以上ないほど見開かれる。
「な、何これ……!? お肉が、すっごく柔らかい……! それに、このシャキシャキしたお野菜の甘みと、アキトの作った白塩の旨味が、お口の中で信じられないくらい完璧に絡み合って……ッ!」
モグモグ、ゴクン。 ルミナは信じられないものを見る目で、自分の手元とプレートを見つめた。
「臭みが全くないわ……! 街の食堂の肉は、消しゴムみたいに硬くて、泥みたいな臭いがするのに……これは、噛むたびにジューシーな肉汁が溢れてくる……! スープはどうなの、スープは……っ!」
今度はスープを木匙ですくい、フーフーと息を吹きかけてから、上品に唇を浸す。
「ふあぁぁぁ……っ!!」
ルミナは、あまりの美味さに脳が震え、背中の光の羽を小さくパタパタと震わせた。
「何この優しい味……! お肉とお野菜の旨味が、一滴の水に全部溶け込んでる……! 身体の芯から、じわぁって温かくなっていく……。美味しい、美味しいわアキト! こんなの、あのバカ神の天界の配給食(神饌)より何百倍も美味しい!!」
「だろ? 火加減を均一にして、素材の水分を飛ばしすぎず、純粋な塩で味を引き立てる。ただそれだけのことさ」
腕を組んで満足げに頷くアキトの目の前で、大精霊ルミナは、もはやフォークを動かす手を止められなくなっていた。 「んむっ、はふ、美味しい……!」と、頬をリスのように膨らませながら、猛烈な勢いでプレートの上を空にしていく。
さっきまでのツンとした態度はどこへやら、最後のスープを一滴残らず飲み干したルミナは、ぷはぁ、と幸せそうな吐息を漏らし、お腹をさすりながらアキトを見上げた。その目は、完全に「餌付けされた忠犬」のそれだった。
「……アキト。私、決めたわ」
「ん?」
「あなたに一生ついていく。だから……だから毎日、この美味しいご飯を作って!!」
世界最高位の大精霊のプライドが、アキトの「塩炒め」によって、胃袋から完全に粉砕され、陥落した瞬間だった。




