新渡戸とアキの出会い
視点:新渡戸夕貴(途中まで)→林田亜季(途中から)
「もう、二ヶ月以上経っちまったのか」
部屋の窓から見える川沿いの桜並木。その桜が高速で散り始め、ようやく春が来たことを知る。
春になったからと言って、きっと何が変わることもない。
日常は流れていく。
それで、いい。それでいいんだ。
失ったものは多い。でも人間が生きるということは常に何かを失うこと。
何度も誰かを失ったことを思い出せば、思い返せば、悲しみだって薄れてゆく。
それもまた失うことだろうな。悲しいという心を失うことでそれがまた悲しい、で、それがまた悲しい、そう言っている間にきっと悲しくなくなるのが、もっと悲しい。
終わらない渦だった。
灰色の塀を背に、霧野みやこの墓は建っている。
「字、曲がってら……。下手っくそだな……」
ひろみの名前は刻まなかった。
自宅から伸びる下り坂を歩く。尋常じゃない急斜面。
入り組んだ住宅街を歩いて、公園に着いた。
桜並木を歩く。
歩く。
たまに走ってみる。
桜がアスファルトに落ち、踏まれて、路面が汚れたように見える。
――悲しげ。
橋を渡って、駅に向かう。
何の感情もなく、歩く。
早朝。春とはいえ、まだ肌寒い。
駅ビルの二階と、街道の反対側の歩道を繋ぐ歩道橋。
細い鉄柵に上って踊り歩く。
落ちそうになる。
落ちなかった。
「こころーまずしきーうそつーきのー♪」
鉄柵を渡りながら、自作にして即興の歌を歌う。
すぐに鉄柵の終点。降りる。
女の人と目が合った。
「……こんにちは」
「おはよう」
いきなり噛み合わなかった。
「この辺の人?」
「そうだ、地元の人間だ。君は見ない顔だな」
何を言ってるんだか。しかも妙な紳士口調だし。
「こんな都会で、そんな毎日顔合わせる人なんて、そういないでしょう?」
「…………」
「頭、すごい桜ついてるよ。花びら」
言って、俺に近づいた女は俺の頭の桜を払った。
超高速で地に落ちた桜。
「……あーあ」
俺が呟くと、怪訝な顔をしていた。俺は気にせず続ける。
「頭に乗ったまんまでよかったんだけどな」
「でもキミの頭から落ちた瞬間の花びらは、キレイだったよ」
変な女だった。
もしも、鉄柵を渡りきれなかったら。散歩に出かけなかったら。桜が舞ってなかったら。
もしも、ひろみがいなかったら。俺が死んでいたら。歌わなかったら。
きっと、この人には出会えなかった。
このひとは、きっと俺を包んでくれる。
予感があった。
俺の予感は、よく当たるんだ。
★ ☆
あたしは孤独だった。
春になれば、何かが変わると思った。
今何も変わっていない。
歩道橋から続く道、駅ビルの二階のまだ開いていないシャッターの前に座り込んで、星空を見ていた。
自分の知っている誰かが、同じ空を見ていてくれたらいいなとか、詩人みたいなことを思った。
一人になってしまった。最後の砦だった親友である猫と、恋人である猫にも逃げられて、ここで、ただだらしなく座り込んでいる。
「ホームレスみたい」
空から見る目線で、自分の姿を想像して、そんなことを呟いた。
学校にもいかず、働きもせず、一体何をしているんだろう。
色々なことがあった。楽しかった高校時代。でもその時に出会った人達は今、私の近くにはいない。いろんな人と、お互いに裏切りの連続で、これでもかってくらいにすべてがぶち壊れて、最近誰とも会っていない。弟とさえ連絡がとれなくなった。
「なつかしい……」
鮮明に思い出せるほど、その後の人生は……ねぇ……。
閉口閉口。孤独孤独。
何が招いたんだっけ、そんな事態。
私が悪いのだけは、わかっているんだけど。
一人だけ心配して時々メールをくれる子がいるけれど、それだって……。
嘘ばかり吐いたから、そりゃあ信用されなくなって、置いていかれてしまうのも仕方なかったな。
溜息。目を閉じた。
春になれば、何かが動き出すと思った。
春になった。
「こころーまずしきーうそつーきのー♪」
歌がきこえた。
その声のした方を向くと、高校生くらいの男の子が一人、歩道橋の鉄製の手すりを綱渡りみたいにして渡っていた。
よい子は真似してはいけない危険行為。
「よっと」
言いながら、歩道橋を渡りきって飛び降りた。
男の子は安全な着地をした。
私は彼をじっと見た。綺麗な顔をしていた。
頭の上には桜の花びらを乗せて、彼も私をじっと見つめていた。
「こんにちは」
私が言うと、
「おはよう」
と返ってきた。そりゃないな、そりゃないよ。
……頭に桜を乗せたひと、私と遊んでくれないか。
返事がなくても構わない、あなたの後ろをついて行くから。
走ってでも、空を飛んでも、時間を遥かに越えてでも。
いつか別れるその日が来ても、悲しくないよと強がるよ。
寂しくないよと強がるよ。
怒られたってそうするよ。
こころまずしき嘘つきの……。
いつかこの手は繋がれる。予感がした。
春になった春になった。
何かが変わったような、気がした。




